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各地の鉄道あれこれ03
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 東京駅と踏切5題 その3  08/06/29掲載  12/07/16修正

 東京駅と踏切シリーズの続きです。
 
第二中里踏切には、解明しなければないことやエピソードが一杯あります。
 
 
【補足】08/08/17 
 このページは2008年6月29日に新規掲載しました。その後、夏休み中に新しく取材したことをまとめて、2008年8月17日に補足・追加記述を行いました。さらに、2012年7月16日に中里トンネル部分を分離・移転しています。
  ※目から鱗:「各地の鉄道あれこれ21 東京駅から一番近いトンネルその1」です。

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 第二中里踏切は本当に東京駅から電車で行く場合の一番近い踏切か

 まず、解明しなければならないことその1です。第二中里踏切は、本当に東京駅から電車で行く場合の一番近い踏切なのでしょうか?
 下の写真02−15及び02−16と、表01をもう一度見てください。   

 写真02−15 問題は数字です           (撮影日 08/05/30)

 表01

 右は、普通の時刻表から抜粋した、山手線の駅名と東京からの距離表です。 


 写真02−15第二中里踏切の表示は、「19K616M」となっています。写真02−16の東海道線のNo.1踏切である品川道踏切の表示は、「9K411M」です。
 
 この数字が東京駅からの距離を示すとすれば、品川道踏切の方が、第二中里踏切より近いことになります。
 しかし、山手線に乗車した感覚では、第二中里踏切の方が近い気がします。

 写真02−16         (撮影日 08/05/29)

 そこで、時刻表で距離を確かめるために作成した表が表01です。
 この表を見ると、東京駅から駒込駅までは渋谷−新宿方面の外回り(右回り)で25.8kmです。逆に計算すれば、一周34.5kmですから、34.5km−25.8km=8.7kmとなります。第二中里踏切は駒込駅の東、田端駅よりにありますから、
東京駅と第二中里踏切の距離は、8.7kmより小さいことは間違いありません。
 
品川道踏切が東京駅から9.411kmでしたから、やはり、第二中里踏切は、東京駅から一番近い踏切と言うことになります。

 では、表示の「
19K616M」という数字は何でしょう。なぜ東京駅からの距離とは違う数字が書いてあるのでしょうか? 

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 19K616Mの意味は?

 踏切の表示に書かれている距離は、東海道線の品川道踏切の「9K411M」 がそうであるように、起点となる駅(ポイント)からの距離です。
 ということは、第二中里踏切の「19K616M」も、起点となる駅(ポイント)からの距離と言うことになります。東京駅からの距離は、内回りで約8.2km程、外回りで26.3km程です。
 この数字の相違のからくりは簡単です。

 
山手線の起点となる駅は、東京駅ではなく、品川駅なのです。 
 
 ちなみに、東京駅と品川駅の距離は、上の表で確かめると、6.8kmです。東京−駒込の外回りは、25.8kmでしたから、そこから、東京−品川分の6.8kmを引くと、25.8−6.8=19となります。
 つまり、駒込駅の先にある第二中里踏切は、品川の起点から「19K616M」ということになるのです。
 ちなみに、反対回り、つまり内回りで東京駅からの距離を算出してみましょう。有効数字の桁数が違う気もしますが、山手線1周の34.5kmから引き算すると、「
東京駅から8K084M」となります。

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 品川駅のゼロキロ表示と山手線の歴史

 ちょっと本題からはずれます。
 当然ですが、品川駅には山手線の起点を示すゼロキロ表示があります。


 写真03−01                                           (撮影日 08/08/13)

 写真03−02         (撮影日 08/08/13)

 写真03−03         (撮影日 08/08/13)

 これらの写真は、品川駅の山手線内回りホーム(1番線)にある山手線の起点を示すゼロキロポイントの表示です。
 ホームの壁面には、それが説明してあります。「since 1885」は、品川駅を起点として
山手線の一部が開通した年代、1885(明治18)年を示します。

【山手線に関する基礎知識 その3】 
 開業当時のこの路線は、結ばれつつあった東京と神戸(1889年全通)の鉄道が
官営鉄道であったのに対し、華族の資本などによる民営鉄道(会社名は日本鉄道)の路線として開業しました。
 この日本鉄道は、
1883年に上野−熊谷間を開通させており、この路線と完成しつつあった後の東海道線とを結ぶことが当時の鉄道関係者の悲願でした。
 距離的には
上野と新橋を結ぶ方が短いことは自明ですが、この地域はすでに市街地となっており、連絡線の早期の建設を目指すには、まだ人家がまばらであった目黒・渋谷・新宿・目白・池袋を通って、板橋を経て赤羽で上野−熊谷線に繋がるルートの方が有利と判断されたのでした。


 写真03−04 品川駅の説明                          (撮影日 08/06/26)
 ちょっと写真の画質が緩いですがお許しください。友人に頼んで撮影してもらってきた写真です。友人のKさん感謝。
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【山手線に関する基礎知識 その4】 

ここでついでですから、山手線ができあがる歴史を説明します。以下の地図をご覧ください。
 ※基礎知識は主に中村建治著『山手線誕生』(イカロス出版 2005年)によりました。

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 第一中里踏切はあるのか

 第二中里踏切周辺について、さらに3つ考えます。

 
その1です。
 
第二中里踏切という以上は、当然第一中里踏切があるはずです。しかし、近くにはそんなものはありません。
 困ったときは現地調査です。犬の早朝散歩をされていた近くにお住まいの女性に、踏切の隣、湘南新宿ラインを跨ぐ跨線橋の上で聞いてみました。
「ここが第二踏切という以上、第一踏切というのが昔はあったのですか?」 

主婦

「はい、ありました、ありました。ここよりもうちょっと駒込駅よりに、車は通れない人が通るだけの細い踏切がありました。ずいぶん前に廃止されました。」 

 早速調べたら、証拠が見つかりました。いつものこの写真です。

 写真03−05 駒込駅東                               

上の写真は、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムのカラー空中写真閲覧から引用しました。こちらです。→国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)

 1979(昭和54)年の航空写真です。左下は駒込駅、右上が第二中里踏切と当時の貨物線(現湘南新宿ライン)を渡る跨線橋です。


 1979(昭和54)年の写真には、第二中里踏切駒込駅のちょうど中間に、歩行者専用の細い踏切が映っています。これが第一中里踏切です。 

 写真03−06  元第一中里踏切跡                      (撮影日 08/06/30)

 ここが、かつて第一中里踏切があったところです。山手線ではなく湘南新宿ラインの電車が通過中です。
 広い道路が向こうとこちらにありますが、この広い道路が繋がっていたわけではありません。上の航空写真が示すように、自動車は通れない踏切でした。なぜトラ柵が置いてあるのかというと、上で説明を聞いた主婦の話によれば、慌て者の自動車が踏みきりと間違って道路と線路との境の柵を破ってしまったからだそうです。あぶないところでした。 

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 この急勾配

 第二中里踏切の周辺を考えるその2です。
 もう一度下の写真を見てください。
 駒込駅のホームの東端から踏切方面を撮影した写真です。
 よくみると、何と急坂なのでしょう。


 写真03−07 駒込駅に近づく内回り電車                  (撮影日 08/05/30)

 田端駅から丘陵を切り割りで越えてやってきた池袋・新宿方面行き山手線内回り電車です。駒込駅のホーム東端からの撮影です。
 右側の線路は、
山手貨物線線路です。現在は、本来は貨物列車専用線路として建設されましたが、現在では湘南新宿ラインの電車や成田空港行き特急電車成田エクスプレスが走っています。
 
第二中里踏切を渡る道路は、直ぐ南の山手貨物線は、鉄橋で越えています。つまり、山手貨物線側には踏み切りはありません。 


 この急坂の勾配はどのくらいでしょうか?左手三つ目の架線柱の向こうに、ちゃんと勾配標識が映っています。近くに行ってアップで撮影してみましょう。

 写真03−08 勾配標 25/1000                     (撮影日 08/05/30)

 なんと、25/1000の急勾配でした。
 これが連続する東海道線の関ヶ原は迂回線を作ったくらいの急坂でした。(この話はこちらです。→)駒込−田端間のこの勾配が山手線中の第1位の急勾配ということは確認できませんでしたが、
第1位グル−プであることはほぼ間違いありません。

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 中里トンネル

 第二中里踏切の周辺を考えるその3です。
 
山手線外回り上野・東京方面行電車は、駒込駅を出たあと、丘陵を切り割りで越えて、田端駅に向かいます。
 一方、駒込駅南を通過した湘南新宿ラインの電車は、そのまま丘陵に向かって進み、左(北側)にカーブしながら、丘陵をトンネルで通過します。
 そのトンネルが
中里トンネルです。


 写真03−09   中里トンネル南側                          (撮影日 08/08/13)

 山手貨物線を走る湘南新宿ラインの電車が、中里トンネルに接近します。先頭車両からの撮影です。。
 たまたま先頭車両で私と同じように先を見ていた母、その娘(若い母)、孫の会話。
「あら、トンネルかな?こんな路線ってあったの?」
「そうね、昔は赤羽線とか言ったんじゃない?今はなんていうのかしら?」
「なーんか、田舎みたい。」

 そうです。都会の中の「深山幽谷」です。

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 以前は、このページに、「中里トンネル探究記」を載せていましたが、2012年7月16日に引っ越しました。
 目から鱗:「
各地の鉄道あれこれ21 東京駅から一番近いトンネルその1」です。続きはそちらをご覧ください。


 【追加写真】 次の写真は、2010(平成22)年02月07日に追加しました。
 写真03−10     田端操車場                    (撮影日 10/02/06)

 中里トンネルに東には、田端操車場が広がっています。どこからか中里トンネルが遠望できないかと、駒込駅から田端駅まで、ぐるっと歩きました。およそ1時間、3km余りは歩きました。田端操車場の広いこと広いこと。とても「対岸」から中里トンネルを撮影することなどできません。民家の2階にでも上れば別ですが・・・・・・。


  次ページは、元へ戻って、山手線に沿って走っている山手貨物線の踏切の話です。


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