岐阜県の東海道線あれこれ6
 岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 木曽川鉄橋・長良川鉄橋・揖斐川鉄橋3  08/10/18記述追加

 揖斐川鉄橋の今昔

 さて、三つ目に登場するのは、揖斐川鉄橋です。
 揖斐川は、木曽・長良と比較すると小さめの川です。
旧帝国海軍の軽巡洋艦の名前(河川名を付けた)に、木曽と長良はあっても、揖斐はありません。

 ところが、この揖斐川鉄橋が、
現在の3鉄橋の中では一番貴重な文化財となっています。例によってたくさんの写真を使いながら説明をします。

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 下流の国道21号線から撮影しました。(撮影日 07/12/26)

 これが現在の揖斐川鉄橋です。
 この5連トラスの橋は、
1960(昭和35)年に架設されました。上下線が一つの橋の上を通っている複線下路ワーレントラス橋です。
 この現在の揖斐川鉄橋自体は別段文化財でも何でもありません。
問題は、その後方に架かっている白い橋です。
 手前のJR東海道線揖斐川鉄橋の後方(位置的には北側)に、2つの橋が架かっています。
 空から見ると次のような位置関係です。 


 揖斐川はこの地域では、北北東から南南東に流れています。左(西)側は大垣市、右(東)側は瑞穂市(旧巣南町)です。
 3本の橋があるのが分かります。一番下(南、下流)側が、現在のJR東海道線揖斐川鉄橋です。
 クリーム色の鉄橋が旧鉄橋です。

上の地図は、グーグル・アースから複写した写真から作成しました。グーグル・アースはこちらです。(→Google Earth home http://earth.google.com/


 現在の揖斐川鉄橋のすぐ北(上流)側にあるクリーム色の鉄橋が、旧揖斐川鉄橋です。この橋が問題の橋です。こんがらがるといけませんので、ついでに説明しておくと、一番北(上流)側の橋は、第3セクターの樽見鉄道(大垣−樽見)の揖斐川鉄橋です。
 
 旧揖斐川鉄橋は、現在は鉄道橋ではなく
道路橋として使われています。しかも、自動車は通行できない、歩行者・2輪者専用の橋梁です。
 
現揖斐川鉄橋は1960年に新規に架橋され、1961年から鉄道橋として使用されました。それでは旧鉄橋は、その1961年まで使用されていた鉄橋かというと、そうではありません。
 この
旧鉄橋は、なんと、1886(明治19)年架橋の初代鉄橋なのです。 


 初代鉄橋−貴重な文化財−

 初代揖斐川鉄橋は、1886年12月に完成し、翌1887年1月には、大垣−加納(岐阜)間が開通しています。
 
1891年の濃尾大震災では大きな被害を受けましたが、橋梁そのものは被害を受けず、その後も使用されました。
 ところが、1900年前半から始まった
東海道線複線化工事では、長良川鉄橋の場合とは違って、在来線の15m下流にまったく新しく上下線の複線鉄橋を架設するという方法がとられました。

長良川鉄橋は、複線化工事に際して、従来の線路を上り線とし、その下流に新たに、新下り線のみを建設するという方法がとられました。そのため、1887年の開通以来の鉄橋は、複線化後も使われ、のちに、上下線とも掛け替えられ、解体されました。→長良川鉄橋参照

 この新複線鉄橋(つまり2代目鉄橋)は、1908(明治41)年に完成しました。
 その時点で、初代鉄橋はお役ご免となったわけですが、推定するに、その後道路橋として使用されたというわけです。
 架橋100年目ぐらいの昭和の末年までは、自動車も通れる本当の道路橋でしたが、その後老朽化が進み、自動車は通行禁止となりました。

 結果的にこの初代鉄橋は、現在も「現役」として健在です。建設当時の姿で現地に残っている東海道線で唯一の橋桁です。
 上で説明しましたが、2代目鉄橋は、1960年に架橋された新しい鉄橋に任務を譲りました。この新しい鉄橋が現在も架かっているもので、現在のは3代目鉄橋です。


 一番手前の線路は、JR東海道線線路。次の白い鉄橋が初代鉄橋。その向こうは、第3セクター樽見鉄道揖斐川鉄橋。青い小さなレールバスが二つ目のトラスを渡っています。(撮影日 07/10/20)


 初代揖斐川鉄橋、1886年12月に架橋されました。(撮影日 07/10/20)

 西側から撮影した初代鉄橋です。自動車が通れないように通行止めがなされています。1980年代後半までは自動車が通れました。私も通ったことがあります。
 ただし、ご覧のように狭い橋なので、信号機がついていて、片側通行をしていたと記憶しています。(撮影日 07/10/20)


 鉄橋のトラスには、この橋を製造した会社の銘板がちゃんと貼り付けられています。
(撮影日 07/10/20)


 5連のトラスがありますが、大垣(西)側から1番から5番の名前が付いています。

 これは、大垣側の一番トラス。
 イギリスのパテントシャフト社の「製品」で、1885年製です。
 1番〜3番までが1885年製、4番と5番は1886年製です。
 (撮影日 07/10/20)
 

 左 初代鉄橋の橋脚の部分。右 同じく堤防の接続部分の土台(撮影日 07/10/20) 


 鉄橋の掛け替え

 鉄橋の架け替えということなど、それほど面白いことではないかもしれませんが、いろいろ調べていくと、漠然と眺めていると分からないことでも、いろいろ意味がることに気が付きます。

 ここでは、
揖斐川鉄橋の現状と昔の掛け替えについて、補足説明します。


 左 現在の3代目鉄橋(右)と初代鉄橋の間の部分です。ここに、2代目鉄橋がかけられていました。
 右 同じ部分の左岸(東側、岐阜側)のアップです。(左右とも 撮影日 07/10/20)
 

 揖斐川鉄橋を渡って岐阜駅へ向かう特急ひだ23号
 クリーム色の初代鉄橋(先頭車両の背後)は線路の随分北側にあることが分かります。(撮影日 07/11/19)
通常、高山線の特急ひだ号は名古屋発着です。しかし、1日に1往復のみ、大阪発着のものがあります。
  このひだ23号は、大阪発07:59で、岐阜に09:56に到着し、名古屋から来た
ひだ3号と連結されて飛騨古川に向かいます。

【追記】2008年5月11日追記
 2008(平成20)年3月のJRのダイヤの大改正で、大阪発高山行き
特急ひだ号は、ひだ25号と改称されました。併結される名古屋発の特急がひだ5号ととなったための呼称変更です。
 新しい
ひだ5号・25号については、「東海道線いろいろ20 ひだ号で特集しています。   


 下り線を走る電車の先頭車両から撮影した揖斐川鉄橋東側の線路。
 初代鉄橋は写真中央遠方の架線柱の向こうです。(よく見えません)
 現在の鉄橋は、随分南側にはずれています。
 (撮影日 08/01/02)
 手前の鉄橋は犀川鉄橋です。


 鉄橋の東側から確認するとこれくらいです。では、西側から見るとどうでしょうか。

 この写真は、東海道線の上り線から撮影したものです。 大垣駅から出た電車は、すぐに少し左(東北東)側へ進路を曲げ、そのまま真っ直ぐに揖斐川鉄橋へ向かいます。
(撮影日 08/01/02)
  写真の3本の線の内、一番左は
樽見鉄道線です。中央が上り線です。
 

 現在の線路は右へ曲がって3代目鉄橋を渡りますが、上り線の真すぐ延長線上に、初代鉄橋が見えます。昔は真っ直ぐ進んで渡っていたことが分かります。

 上の写真よりやや鉄橋に近づいた所からの撮影です。

 左の初代鉄橋と右の現在の3代目鉄橋の間に、草の中に架線柱が確認できます。
 これは、2代目鉄橋へ向かう旧線路のものです。
(撮影日 08/01/02)
 


 空から確認します。これは、私がインターネット上で見つけたお宝(?)航空写真です。


上の写真は、国土交通省のウェブマッピングシステム(試作版)のカラー空中写真から引用しました。国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/) 以下の3枚の写真も同じです。


 上の写真は、昭和50年の揖斐川鉄橋の航空写真です。
 このページの上の
図9と比較(↑)してください。鉄橋の部分が何か現在と変わっているのが分かりますか?
 下に、鉄橋部分だけの拡大写真を掲載します。

 おわかりですね。
 現在もある
初代鉄橋と、3代目鉄橋の間に、この時点ではもうお役ご免になっている2代目鉄橋が残っています。

 
3代目が使用されたのは、1961(昭和36)年でしたから、この写真の時点で、すでに使われなくなってから14年を経ましたが、まだ、残っていたのです。すでに前後の線路はありません。
 実は、この時は私が大学生の時で、京都の下宿との行き来に何度もここを通りましたから、この鉄橋のことは覚えています。
 また、初代鉄橋は、道路橋として利用されているのが分かります。写真の左端(西側)の取り付け道路に自動車が映っています。
 では、
2代目鉄橋はいつまで残存していたのでしょうか。

 上は、同じく国土交通省の国土航空写真1982(昭和57)年のものです。まだ残っています。

 

 続いて、1987(昭和62)年の写真です。この時点では撤去されています。1982年からの5年の間に撤去されたようです。

 さて、文化財の初代鉄橋ですが、現在は、どこの管轄なのでしょうか?JRではないでしょうね?
 橋の上の道路は、市道ですかr市の管理ででょうね?
 いずれにしても、くず鉄にならないように守らないといけません。
 何しろ、部分的には
1885−86年製、つまり、120歳以上の超高齢産業遺物ですから。

 

【追加記述】 08/05/25追記
揖斐川橋が国重文候補に 現存で最古の構造」
 2008(平成20)年5月20日の岐阜新聞及び朝日新聞等の全国紙の岐阜版に、上の見出しの記事が掲載されました。
 これは、
文化庁が旧揖斐川鉄橋を国重要文化財(建造物)の指定候補としたもので、管理者である市の同意を確認し、今後調査・検討を進め、最終的には9月に開催の文化審議会に諮問されて、指定されるというものです。
 まだまだ候補の段階ですが、これで揖斐川鉄橋が保護される目途がたちました。
 近代橋としては県内では2番目(もう一つは長良川に架かる美濃橋)となります。 

【追加記述】 08/10/18追記
 『朝日新聞』(2008年10月18日)によると、文化審議会(石沢良昭会長)は17日、「
旧揖斐川橋梁」「石山寺御影堂」など8件の建造物を重要文化財に指定するよう、塩谷文部科学大臣に答申したと言うことです。
 橋梁が重要文化財となると、岐阜県内の建造物の重要文化財は49件(国宝3件を含む)になります。

【追加記述】 09/12/15追記
 「
旧揖斐川橋梁」は、2008(平成20)年12月2日に、国・指定重要文化(建造物)となりました。
 ちなみに登録上の住所は、西岸:大垣市新開町、東岸:安八郡安八町西結(にしむすぶ)です。

 おまけです。揖斐川鉄橋に関するその他の写真です。

 最後にその他の写真を紹介して終わります。

 長良川鉄橋と揖斐川鉄橋の間のJR東海道線は、完全に土手の上の高架となっています。
 揖斐川鉄橋はその高架面よりも少し高い所に架橋されています。その坂を下って岐阜方面へ向かう電車です。鉄橋から続く土盛りの高架については、また後のページ「12穂積駅建設と高架(盛り土)1」「13穂積駅建設と高架(盛り土)2」で紹介します。
 正面の山は金華山、山頂に岐阜城が見えます。
(撮影日 07/11/23)


 揖斐川鉄橋を渡って大垣の電車庫へ向かう回送普通電車。
 後ろの山は伊吹山です。
(撮影日 07/11/23)


 鉄橋を渡って岐阜方面へ向かう電車を、揖斐川鉄橋の東から撮影。

 後ろの山は養老山地、左端のビルは大垣市内の大垣共立銀行の本店ビルです。
(撮影日 07/11/19)


 揖斐川鉄橋を渡ろうとする上り電車の先頭車両から撮影。

 ちょうど向こう側から、下り電車が鉄橋に入ろうとしています。
(撮影日 08/01/02)

 これで、揖斐川鉄橋の説明を終わります。
 3ページ続けました、
木曽・長良・揖斐の鉄橋シリーズも終了です。
 
 次は、
「垂井線の謎」シリーズです。


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