岐阜県の東海道線あれこれ12
 岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 穂積駅建設と高架(盛り土)1 踏切の話

 このページのテーマは、穂積駅長良川と揖斐川との間の高架(盛り土)についてです。
 東海道線穂積駅と言っても、岐阜県の岐阜・西濃地区の人にしか分からない、ローカルな駅です。
 
 この「岐阜県の東海道線あれこれ」の中の鉄橋シリーズで紹介した、長良川鉄橋と揖斐川鉄橋の間に平成の大合併で誕生した
瑞穂市という新しい市があり、その表玄関が穂積駅です。この駅があるところは、もともとは、本巣郡穂積町でしたが、郡内の巣南町と合併して瑞穂市となりました。


 まずは問題提起のクイズです

 愛知県から東海道線で岐阜県に向かうと、県境は木曽川鉄橋です。
 真っ直ぐ北進して大きく左(西)に曲がると岐阜駅にいたり、そこから西南西に進んで、
長良川鉄橋、そして揖斐川鉄橋を渡って大垣に着きます。
 まずは、この間の路線に関してのクイズです。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

 では踏切につい説明します

 この数字は、意外に少ないと言うつもりでクイズにしたのですが、みなさんはいかにお考えだったでしょうか?
 ではその
4カ所の踏切です。


  写真12−01                                     (撮影日 07/12/30)

 木曽川鉄橋の北の下り坂を下りたところから北(岐阜方面)を、下り電車の先頭車両から撮影した写真です。手前にあるのが最初の踏切、深沼踏切(番号197)です。
 緑色の道路橋は、国道21号線、対向してくるのは、浜松行きの上り普通電車です。


  写真12−02                                     (撮影日 07/11/17)

 写真12−01の写真の国道21号線道路橋の下をくぐった所から北(岐阜方面)を、下り電車の最後尾車両から撮影しています。
 2番目と3番目の踏切です。手前は
堂の前踏切(番号198)、向こうは川田踏切(番号199)

 
川田踏切を横切る白いトラックの向こうは、2段階の段差となっています。手前は、旧国道21号線を越えるための古くからの高架橋です。遠方にカーブしながらさらに高く上っています。これは、岐阜駅周辺高架事業によって完成した高架へと繋がる部分です。


  写真12−03                                     (撮影日 07/12/30)

 川田踏切でまさにすれ違おうとしている上下線電車です。
 この写真の撮影場所は、国道21号線の岐南高架橋そばに付属している跨線歩道橋の上です。国道を自動車で通っていてはまったく気が付かない撮影場所とアングルです。


  写真12−04                                     (撮影日 07/12/30)

 上の写真12−01〜03とは逆に、岐阜方面から木曽川鉄橋の方を、上り電車の先頭車両から撮影したものです。電車は、旧国道21号線をまたぐ高架部分を通過中です。

 一番手前の踏切が、写真12−02・03で紹介した3番目の踏切、
川田踏切です。


  写真12−05                                     (撮影日 07/10/28)

 そして、4番目は、ご存じ、長良川鉄橋の東の堤にある江崎道踏切(番号213) です。もうすでに、このシリーズの5作目「木曽川鉄橋・長良川鉄橋・揖斐川鉄橋2 長良川鉄橋」(→)で紹介しています。

 この写真は、5ページのものとは違いますが、この日のこの場所にも、踏切の向こう側で、お父さんに支えられた男の子が、踏切の普通自動車通行禁止のための鉄柵の上に立って、通過する電車に手を振っています。

 男の子の健全な文化が継承されていて、思わず拍手を送りたくなるとともに、自分や自分の息子達の姿がダブって、感傷的になります。(^.^)


  写真12−06                                     (撮影日 08/02/16)

 ついでですからもう一枚、5番目の踏切を紹介します。
 これは、揖斐川鉄橋を渡った西にある初めての踏切、
和合道踏切(番号214) です。

 大垣方面行きの下り電車が揖斐川鉄橋を渡り終えて、坂を下って踏切に近づきつつあります。


  写真12−07                                     (撮影日 08/01/02)

 上の写真とは反対に、揖斐川鉄橋を渡って上の写真12−06和合道踏切(番号214)にさしかかろうとする下り電車から、今まさに和合道踏切を通過した上り豊橋行き新快速電車を撮影しました。

 右の方へ向かっている線路は、大垣駅から本巣市樽見へ向かう
第三セクター樽見鉄道の線路です。


 もう少し木曽川−長良川−揖斐川間の踏切についてこだわります

 おとっと、このページのテーマは踏切ではありません。

 しかし、作者としては、ここで読者のみなさんに気が付いていただきたいことがあります。
 
木曽川鉄橋−長良川鉄橋−揖斐川鉄橋間に、合計4カ所の踏切があって、その4番目が長良川鉄橋東詰の江崎道踏切、そして、5つ目の踏切は揖斐川鉄橋の西側ということはどういうことか。
 
 ちょっと別角度から、検証します。


  写真12−08                                 (撮影日 08/01/02)

 写真12−06・07と同じ、和合道踏切(番号214)の3枚目の写真です。

 大垣駅から岐阜方面へ向かう電車から撮影しました
。正面に見えるのは初代揖斐川鉄橋です。この写真については、この岐阜県の東海道あれこれシリーズの6「木曽川鉄橋・長良川鉄橋・揖斐川鉄橋3 揖斐川鉄橋(→)」でも説明しました。


 
 ここで注目したいのは鉄橋ではありません。あくまで踏切についてです。
 写真の踏切の右側の線路横、信号機と遮断機の背後に、灰色の箱のようなものが見えます。これは踏切の機械が入っている重要な箱です。

 その箱に、オレンジと黒の文字が見えます。
 その部分の拡大写真が右の写真12−09です。

  
JR214という番号と、「和合道踏切」という名前と、東京駅を起点とする距離、407K530M(407km530m)が示されています。

 上で紹介した他の踏切の番号をもう一度確認してみましょう。

 写真12−09 和合道214(撮影日 08/01/02)

 写真12−10 江崎道213(撮影日 07/10/28)  写真12−11 川田199 (撮影日 08/02/16)

 では、整理・整頓のために黒板クイズです。これは簡単です。
 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

 そうです、長良川鉄橋から揖斐川鉄橋までの間には、ひとつも踏切はないのです。

 地図で確認です。
上の地図は、NASAのWorld Wind( NASA World Wind http://worldwind.arc.nasa.gov/index.html)の写真から作製しました。

 岐阜市の西端、長良川鉄橋東堤の江崎道踏切の番号が213です。そして、揖斐川鉄橋西の和合道踏切が214です。
 つまり、この間には、踏切が一つもないことになります。
 
 踏切がないことは、どういうことか?
 もちろん、この間の4kmに東海道線を横切る道路が1本もないということは考えられません。
 
 やっと、本題にたどり着きました。
 結論です。
 
長良川鉄橋と揖斐川鉄橋の間は、東海道線は、ずっと高架(盛り土)になっているのです。

 以下にその様子を点描します。


 写真12−12 岐阜シティ・タワー43から撮影                    (撮影日 08/01/15)

 岐阜駅から西へ進んだ電車が右手前の長良川鉄橋を渡るとすぐにそのままの水平レベルで穂積駅(白いマンションの下)です。1面2線の島式ホーム駅です。
 駅をコンテナ貨物列車が通過中です。下り大阪方面行きです。
 
 何でもない
田舎駅の穂積駅が高架(盛り土)駅となっています。いつ頃どんな理由で高架(盛り土)になったのでしょうか。


 写真12−13                                     (撮影日 08/01/02)
 長良川鉄橋を渡って穂積駅に入る大垣方面行き電車の先頭車両からの撮影です。

 写真12−14                                     (撮影日 07/12/30)
 写真12−13とは反対に長良川鉄橋を渡って穂積駅に入る電車を穂積駅から撮影しました。

 写真12−15                                                              (撮影日 08/01/02)

 今度は揖斐川鉄橋側からの写真です。
 揖斐川鉄橋を渡って穂積駅方面へ向かう電車の先頭車両から撮影しました。
 対向してくる大垣方面行き下り電車は、小さい緑色の鉄柵のある
犀川(さいかわ)鉄橋を渡っています。


 写真12−16                                     (撮影日 07/12/30)

 大垣から揖斐川鉄橋を渡って穂積・岐阜方面へ向かう電車の先頭車両からの撮影です。一番手前の鉄橋が写真12−15にも説明のある犀川(さいかわ)鉄橋です。

 線路は土盛りされた高架の上を真っ直ぐ穂積駅に向かっています。右の架線柱に隠れていますが、はるか向こうに金華山山頂が遠望できます。

 都会とは言えない長良川鉄橋−揖斐川鉄橋間をどうして高架(盛り土)にしたのでしょうか?


 今回のテーマは、「穂積駅建設と高架(盛り土)」です。

 上で紹介してきたように、長良川鉄橋−揖斐川鉄橋間は、穂積駅も含めて全線が高架(盛り土)で踏切は一つもありません。
 この区間は、今でこそ、そこそこ住宅地がありますが、東海道線開通時は穂積駅すらなかった地域、純粋な田園地帯です。もちろん、開通時は高架(盛り土)線路ではありませんでした。

 さて、いつごろどういう理由で、高架(盛り土)になったのでしょうか?
 その説明は次のページに続きます。


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