岐阜県の東海道線あれこれ5 |
写真を題材に、岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。 |
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木曽川鉄橋・長良川鉄橋・揖斐川鉄橋2 |
長良川鉄橋と濃尾大震災 |
続いて長良川鉄橋です。 |
上の写真は、1975(昭和50)年の航空写真です。河川敷や堤防外の様子は今とは違っていますが、鉄橋そのものは今と同じです。ただし、塗装の色が今とは違いますね。
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岐阜県庁の西にある県立の施設「ふれあい会館」の最上階から西北方面を臨んだ写真です。(撮影日 07/12/26) |
このページの売りは、3鉄橋の最初の架橋時の写真を使うことでした。 |
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前ページの年表で確認してください。 |
伊吹山を背景に、岐阜から大垣方面へ向かう、2両編成の回送電車。(撮影日 07/03/21) |
震災後の復興の際は、それ以前のような鉄柱にコンクリートを積めた橋脚ではなく、煉瓦と石材による橋脚へと改められました。 |
震災から現在まで |
1891年の震災後の復旧の時点では、もちろん、まだ単線でした。 |
長良川鉄橋を渡るとすぐに穂積駅です。 |
鉄橋の東端の部分。左が元からあった上り線、右、電車が通過している方は、日露戦争後新設された下り線。 |
鉄橋の掛け替え |
上で説明したように、橋脚は明治時代のものでも、上部の橋桁は、明治時代のものは一つもありません。 |
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明治時代のものは無いにしても、最も古いのは■1914年、つまり、大正3年ですから、かなりの骨董品です。
こうすれば、元からある橋脚を利用して、橋桁を新しくできるわけです。 |
先にできた上り線。但し、橋桁のほとんどは、1914(大正)年製。手前の短いのは、ポニー型ワーレントラス桁、4番目からの大型のものは、曲弦下路プラットトラス桁です。線路に侵入したわけではありません。橋の東にある踏切から撮影しました。(撮影日 07/10/28) |
こちらはあとからできた下り線。橋桁のうち、手前の小さいのは、上り線と同じ1914年架設のポニー型ワーレントラス桁。 4番目からの大型の桁は、1960年に架設された下路ワーレントラス(平行弦トラス)桁です。 |
オマケですがその1 踏切です |
上の写真は、線路に侵入して撮影したものではなく、長良川の左岸にある踏切から撮影しました。 |
これがその踏切です。 |
この日も、秋の穏やかな列車見学日和に恵まれ、踏切のあっちとこっちでお父さんと男の子が列車に手を振っていました。(撮影日 07/11/03) |
オマケですがその2 前にも掲載した美しい写真です |
最後に、以前に他のページで掲載した、美しい写真を掲載します。 |
河原一面の曼珠沙華です。(撮影日03/10/05) |
珍しい夕焼けの中、下り特急しらさぎ号が鉄橋を渡ります。(撮影日 03/10/25) |
これで、長良川鉄橋は終わりです。つぎページは、3鉄橋のシリーズの最後、揖斐川鉄橋です。 |
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