2013-06
| 日記のメニューへ | | 一つ前に戻る | | 次へ進む |
151 2013年12月21日(土) 映画「永遠のゼロ」、これを見ずにすますわけにはいきますまいに    

  久しぶりの映画鑑賞記です。1年3ヶ月ぶりです。
 いつも書いているように、その間に映画を見なかったわけではありません。ただ、この日記に書くだけの感動を得なかっただけです。(^.^)

このページの参考文献一覧へ

 12月21日(土)に見た映画は、期待の作品、「永遠の0ゼロ」(東宝映画 山崎貴監督作品)です。知る人ぞ知る大ベストセラー、百田尚樹の同名小説の期待の映画ですから、なかなかいい評価を得るのは難しいところですが、結果はこうなりました。

永遠のゼロ
お薦め人 お薦め度
(3点満点)
コ  メ  ン  ト

★★★  あの時代に生きた人への鎮魂歌として、若い世代に是非見ていただきたい。

妻(57歳)

★★★  戦争シーンは怖かったけど、よかった。
 ※永遠のゼロの公式サイトはこちら→http://www.eienno-zero.jp/index.html  

 妻も私もお薦め度が3点満点、合計6点の高い評価となりました。

 以下、感想とも解説ともつかぬ文章です。(^.^)

このページの参考文献一覧へ

 ちなみに、私は小説を読んでいます。一方、妻は読んでいません。従って、評価の視点は少々違います。

 とにかく、最初から涙、涙の映画です。
 ストーリーの基本構造は、小説とほぼ同じです。以下に示したように、偶然に、血のつながった祖父の存在を知った、姉佐伯慶子(吹石一恵)・弟佐伯健太郎(三浦春馬)の二人が、太平洋戦争中に最後は特攻隊員として戦死した祖父の戦いぶりや心情に迫っていくという物語です。
 戦友や祖父賢一郎らの証言から、ゼロ戦パイロット宮部久蔵の意外な真実が浮かび上がってきます。




 死ぬことが普通で、生き残ることが難しかったあの時代に、家族のために、「生きて帰る」ということを誓った男の物語です。生きて帰ることはできませんでしたが、彼は愛する妻と娘に、別の形でその約束を果たすことになります。
 悲しいストーリーの中で、最後は、前向きに進めるエネルギーが得られる映画です。

 もうひとつ。映画の中では明確に結論は出ていないように思いますが、戦争を知らない現代の若者たちに、太平洋戦争の時の「特攻」とはなんだったかを考えさせることが、この映画の隠れたメッセージとなっています。私としては、こちらの方が、胸を打たれました。


 ※このテーマには、このサイトでもいろいろ考えています。関連する記述が次のページ内あります。参照ください。
  →教育について考える31「愛国心をどのように教えるか −特攻隊と靖国神社−
  →旅行記:「九州両端旅行3 戦績を訪ねて 知覧特攻基地」
  →日記:「映画『俺は、きみのためにこそ死にに行く』神風特攻隊」
  →クイズ日本史:「空母バンカーヒルに体当たりした操縦員が誰か判明したきっかけは?」 


 写真−01 靖国神社就遊館に展示されているゼロ戦52型  (撮影日 03/11/28)

 映画のスタッフは、撮影のために実物大のゼロ戦を作成しました。東宝ステラ編集の解説書『永遠の0ゼロ』(東宝出版 2013年)によれば、この靖国神社遊就館のゼロ戦を参考にしたとのことです。 


 もともと卓越したストーリーの小説を映画化したのですから、2時間24分というちょっと長めに仕上がりながら、あらすじの展開だけで、十分満足できる映画となっています。また、売れた小説が映画化されると、評判とは反対にショボくなってしまうということがしばしばありますが、この作品は見事なものに仕上がっています。

 私にそう判断させた理由の大きなもののひとつに、この映画の戦闘シーンを支えている、コンピュータグラフィクス技術、VFX技術の見事さです。
 冒頭からラストシーンまで、全く驚くべきシーンの連続です。 


 写真−02 日本軍の攻撃を受けるエッセクス級米空母 戦時中の写真はがきです。解説によればドイツで取得した画像

 宮部久蔵が映画の中で体当たり(特攻)攻撃を仕掛けるのが、エッセクス級空母タイコンデロガという設定になっています。史実では、同空母は1945年1月21日に台湾沖で特攻機に体当たりされましたが、映画では、終戦間際のこととなっています。
 ※参考文献2 百田尚樹著『永遠の0ゼロ』(講談社文庫 2009年)P7
 

このページの参考文献一覧へ

 写真−03 日本の空母加賀のプラモデル模型の船首部分  (撮影日 13/12/22)

 CGと実写で詳細に描かれているのが、宮部の最初の所属だった第一航空艦隊の旗艦空母赤城です。全く見事な映像です。上の写真は赤城の僚艦である加賀のプラモデルの艦首部分です。映画では空母赤城のこの部分で宮部が部下との話しをするシーンがあります。背景の雰囲気を出すため、海上自衛隊の護衛艦たかなみ(第2護衛隊群第6護衛隊に属する護衛艦、母港は横須賀)の協力を得て、太平洋の海上走行中に撮影されたとのことです。CGと実写が巧みに組み合わされていて、「これどうやって撮影したんだろう」という感じです。 


 写真−04 空母加賀のプラスチック模型を直上から撮影  (撮影日 13/12/22)

 宮部久蔵は、空母赤城の戦闘機パイロットという設定となっています。このため、真珠湾奇襲攻撃にも参加します。この描写もなかなかの迫力です。
 それ以上なのが、ミッドウエイ海戦の映像です。
 赤城がアメリカ軍の急降下爆撃によって致命的なダメージを受けるシーンが、これまた実写とCGによって、大迫力の映像となっています。ミッドウエイ海戦のこのシーンは、今までも日本映画(例 東宝映画「連合艦隊」)やハリウッド映画(例 ユニバーサル映画「ミッドウエイ」)に数々描かれてきました。
 しかし、この映画のこのシーンは、これまでとは全く異なる視点での映像となっており、桁違いにナンバーワンの描写となっています。戦争映画ファンの私が言うのですから間違いありません。
 


 写真−05 日本の空母から発艦しようとする日本の攻撃機。戦時中の写真はがきの画像です。
 どの空母かは不明ですが、ミッドウエイ海戦で日本の4空母が沈んだあとの撮影ですから、少なくとも、赤城・加賀・蒼竜・飛竜ではありません。
 映画では、航空母艦から飛び立つゼロ戦の様子が、これまたCGと実写を組み合わせて、巧みな映像となっています。

 また、映画では、ラバウルの海軍航空隊基地もちゃんと描かれています。宮部は、空母赤城が沈没した後、所属部隊が変更となり、昭和17年の夏には、ラバウル勤務となります。
 その1シーンとして、8月7日のガダルカナルへの初出撃の様子が描かれています。
 海軍航空隊がラバウルに本格的に部隊を展開するのは、昭和17年4月のことです。
 ただし、その時点では、部隊の主たる任務は、ニューギニアのオーストラリア側にある米豪軍の拠点、ポートモレスビー空襲であり、また同基地から来襲するB17爆撃機などの迎撃でした。
 しかし、8月7日以降は情勢が一変します。

 この日も部隊の当初の任務は、ニューギニアの攻撃でした。しかし、一旦発令された命令が出撃寸前に変更となり、ガダルカナルというそれまであまり聞いたことがない島への空襲が命令されます。この日の早朝、アメリカ軍海兵隊が同島に上陸していたためです。
 ラバウルからガダルカナル島までは片道560海里(約1000km 東京−屋久島の距離、中部国際空港と札幌の距離)あり、いくら航続距離が長いゼロ戦でも、現地での空中戦などを考えると限界ぎりぎりの作戦でした。
 この様子は、あの日本の撃墜王、
坂井三郎氏の著書『大空のサムライ』に詳しく描かれています。ちなみに、この日、坂井三郎氏もガダルカナル初攻撃に参加し、右目などを負傷する重傷を負い、事実上撃墜王としての活躍に終止符を打ちます。この時の坂井一飛曹の飛行時間はおよそ8時間半でした。
 ※参考文献3 坂井三郎著『大空のサムライ かえらざる零戦隊』(光人社 1994年)P347−399

このページの参考文献一覧へ

 写真−06 イギリス・ロンドンの帝国戦争博物館のP51ムスタング (撮影日 01/08/10)

 この映画の戦闘シーンの映像は、どこの部分を取り上げても、見事としか言いようがないものです。最後にもう1カ所紹介します。
 ラバウルから内地に戻った宮部は、筑波の航空隊で予備士官学生の訓練教官を務めます。昭和20年のある日、訓練の最中に突如ノースアメリカンP51ムスタングの編隊と遭遇してしまいます。
 このシーンのリアリティが、またすごいです。ムスタングの翼からは、機銃弾が放たれますが、その時、空中に撒かれていく空薬莢までもが、CGで描かれています。この空戦シーンは、スピード感から行っても本当にすごい映像となっています。
 


 いろいろ見所がある映画です。是非、劇場でご覧ください。 


 【映画「永遠の0ゼロ」 参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

東宝ステラ編集解説書『永遠の0ゼロ』(東宝出版 2013年)

百田尚樹著『永遠の0ゼロ』(講談社文庫 2009年)

坂井三郎著『大空のサムライ かえらざる零戦隊』(光人社 1994年)


| 一つ前に戻る | | 次へ進む |