2013-03
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149 2013年06月02日(日) 越中・能登日帰り旅行レポート 自然の景観のすばらしさ 

 「春の小旅行その2」として、5月4日(日)に越中と能登に行ってきました。日帰り旅行のレポートです。 


 今年のゴールデンウィークは休みが取れずに自動車大急ぎ旅行 過去のは・・・・
 行き先は富山湾と能登輪島
 今度こそと気合いを入れて雨晴海岸・・・
 はじめてみました蜃気楼 
 次の目的地は能登輪島です
   輪島市白米 
   棚田とは 
   白米千枚田の魅力 

地図01へ||旅程図へ||このページの先頭へ||このページの参考文献一覧へ
 1 今年のゴールデンウィークは休みが取れずに自動車強行軍旅行 過去のは   ページの先頭へ

 最近は、年を取ったせいもあって、2010(平成22)年を最後に自動車の強行軍旅行はやめにしていました。(ちなみに、この最後の年は、春(高知・愛媛)、GW(高岡・富山・宇奈月)、夏(石見・出雲)、秋(島根・鳥取)の4回旅行をすべて自動車で出かけるという、異常な年でした。)
 しかし、今年は、3連休と4連休に分かれたゴールデンウィークのどちらも、仕事の関係で連続休暇が取れずに、久しぶりに自動車強行軍旅行をやりました。しかも、
出発は深夜2時過ぎ。同じ日の20時過ぎに帰宅するという日帰り強行軍弾丸旅行です。この間正味15時間近く運転して、1日で780km移動しました。

 ついでに、これまでの「
自動車強行軍旅行」を移動距離順位ランキングにしてみました。(ヒマです)



 今回の旅行は、1日の走行距離780kmで、第8位対にランキングです。(^.^)


 2 行き先は富山湾と能登輪島                ページの先頭へ

 今回の旅行の訪問地は、2カ所でした。
 1カ所目は、富山湾に面した富山県
高岡市です。市内北部の雨晴海岸から朝日の昇る立山連峰を見ることが最初の目的です。
 2カ所目は、石川県輪島です。
能登輪島白米千枚田を見ることが二つつめの目的です。
 旅行の日、5月4日の富山湾の
日の出は、4時56分でした。
 その日の出を
雨晴海岸で見るために、自宅出発が午前2時過ぎになったというわけです。高岡市の同海岸まで3時間弱の予定です。
 おかげで、真夜中から未明にかけての高速は渋滞とはまったく無縁で、快調なドライブとなりました。(当たり前か)

 写真-01 新湊大橋(撮影日 13/05/04)
 高岡市の
雨晴海岸から見た夜明け前の射水市方面です。中央に新湊大橋の白い橋脚が見えます。この橋は富山新港の東西を結ぶ長大な橋で、2012(平成24)年9月23日に開通しました。
 背景のぼんやりした山が、
立山連峰です。 


 3 今度こそと気合いを入れて雨晴海岸・・・・                 ページの先頭へ

 雨晴海岸へ出かけるのは、今度で2回目です。
 一度目は、2010年5月に高岡・富山・宇奈月・黒部トロッコ列車旅行をした時に、今日と同じように、早朝に訪問しました。
   ※訪問記は、こちらです。→「高岡・富山・宇奈月旅行

 その時は、宇奈月温泉に宿泊した次の日も
雨晴海岸へ行きましたが、残念ながら、富山湾越しの立山連峰はほんのうっすりとしか見ることはできませんでした。

 今回は、前日に富山に住んでいる妻の友人に確認し、「この天気なら明日も立山連峰は見えそう。空の透明度はまずまず」との連絡を受け、出発しました。
 ところが・・・。
 


 写真-02 雨晴海岸から見た立山連峰の上に登る朝日(撮影日 13/05/04)


 失敗が二つ重なりました。
 一つ目は、前日に情報を得て期待していたにもかかわらず、東の空には低い位置に雲がたなびき、立山連峰ははっきり見えませんでした。
 二つ目は、そもそも5月の日の出の位置は、雨晴海岸から見て東南東の立山連峰中央部よりはるかに北よりの東北東から上がり、たとえ晴れていても、「立山連峰中央部から太陽が上がる」という具合には行きませんでした。予習不足でした。


 写真-03 雨晴海岸の女岩の東方に登る朝日 立山連峰は雲の下です(撮影日 13/05/04)


 昼過ぎにもう一度雨晴海岸に立ち寄った時は、雲は消えていましたが、気温の上昇で大気の透明度が低下し、これまた期待通りの眺望というわけにはいきませんでした。それでも、通算4日目で、初めてらしい写真が撮影できました。


 写真-04 女岩と背景の立山連峰 (撮影日 13/05/04)


「やっぱり晩秋か冬じゃないと、くっきり見えない。」
  「ということだなあー。」 
  「もう一度来たい。」 
  「冬の東海北陸自動車道路は簡単ではないぞ。」 
  「頑張ろう。頑張ろう。」 
  「運転しない人がはりきるな。」 

 4 「えっ、蜃気楼。どれ?」はじめてみました蜃気楼                 ページの先頭へ

 昼頃、妻の友人に会うために、富山市に向かいました。
 その途中で携帯に連絡が入ります。

友人

「今、どこを走っているの。」

 

「これから、新湊大橋の上がり口に向かうところ。」 

 友人

「よかった。橋の上から、蜃気楼が見えるから。東の富山湾の入り口を見て。」 

 

「蜃気楼だって。橋の上から富山湾の東の入り口。」 

 

「あっちだあっちだ。あそこの帯のように見えるところかな。」 


 写真-05・06 新湊大橋から見た蜃気楼  (撮影日 13/05/04)

 富山新港にかかる新湊大橋です。2012年9月に開通しました。右の写真に蜃気楼が写っています。どこに?  


 普通に見ていると、蜃気楼などどこにも見えません。


 写真-07 黒部湾の東の入り口です。ソフトで加工して濃淡を強調しています。(撮影日 13/05/04)


 新湊大橋から富山湾の東の入り口、黒部市方面(黒部川河口方面)を写した写真のアップです。

友人

「山がなくなったところが、本当の陸地の端。そこから岬の突端のような長い陸地が浮いているように伸びているのが見えるでしょう。それは本当はないの。それが蜃気楼。」

 地元の方ならではの解説です。よそ者には、まったくわかりません。


 ※上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、富山県の航空写真です。


 5 次の目的地は能登輪島です                 ページの先頭へ

 わざわざ夜中の2時に出発したのに、雨晴海岸での立山連峰観察に失敗した私たちは、すぐに次の目的地へ移動しました。
 
能登輪島です。


 写真-08・09・10・11 能登輪島と言えば、朝市です (撮影日 13/05/04)

 地図の中央部の赤い部分が朝市。道の両側に様々な露天が並びます。魚と野菜というのが朝市の素朴な原点です。 


 朝市にも立ち寄っておいしそうな魚をたくさん買いましたが、私たちの本当の目的地は、朝市ではありません。


 6 輪島市白米                ページの先頭へ

 私たちが向かったのは、輪島の中心部から国道249号線で東へ8km、自動車で10分ほどのところにある、世界農業遺産に認定された、輪島市白米(しらよね)の千枚田です。普通に言う、棚田の景勝地です。


 写真-12・13 道の駅 千枚田ポケットパーク (撮影日 13/05/04)

 国道249号線は、白米千枚田がある斜面のほぼ中央を横切っており、そのすぐ西側に観光客が棚田を鑑賞できるように、道の駅が設置されています。 


 写真-14 2011年6月に国連食糧農業機関によって世界農業遺産に認定されました(撮影日 13/05/04)


 写真-15 白米千枚田の国道下の部分の全景です。(撮影日 13/05/04)


 7 日本の棚田                ページの先頭へ

 棚田とは、急傾斜の斜面に築造された階段状の水田のことで、厳密な定義上は、傾斜20分の1(水平に20mで高さ1mの高低差)以上の急傾斜地の水田を意味します。
 合計面積が1ha以上ある棚田は、1990年代末段階で全国で1万3000カ所以上あり、ある意味日本を代表する景観といえます。
  ※参考文献1 青柳健二著『日本の棚田百選 米も風景もおいしい私たちの「文化遺産」』P6

 とはいえ、棚田というのが、日本の農業文化の象徴や日本の伝統的景観として注目を集め始めたのは、1980年代になってからです。棚田を保有する自治体等のネットワークも誕生し、1995年には、高知県
檮原(ゆすはら)町で、第一回全国棚田サミットが開催されました。檮原町は、この時点で棚田オーナー制度を実施しており、このサミットによってこの制度は全国に広がっていきました。棚田オーナー制度というのは、過疎化が進んで棚田の耕作放棄を余儀なくされている状況を改善するため、都市住民が棚田の「オーナー」として資金援助や来村しての活動(田植え・稲刈り等)を行うものです。
  ※参考文献1 青柳前掲書 P109
 
 1995年の第一回全国棚田サミットの開催をきっかけに全国棚田連絡協議会などが主催者となって、「棚田フォトコンテスト」が開催されました。されに、これに続いて2000年代にかけて、多くのプロ写真家等によって棚田の写真集が公刊されることになり、棚田の景観は、すっかり国民の心情に定着することになったわけです。
  ※参考文献2 写真集の1例 『森田敏隆写真集 棚田百選』(講談社 2001年)
 
 その間、1999(平成11)年には、農林水産省が「
日本の棚田百選」(全国134地区)を認定し、これもまた本格的な棚田ブームに拍車をかけました。中島氏(早稲田大学教授)は書いています。
「このような国民的(文化的)原風景のなかで、棚田地域は日本人を育んできた里山・森林・谷川・水田などの国土の基本的構成要素の取り合わせにより、最もわれわれの心をゆさぶり、やすらぎを与える原風景の一つと考えられる。」
  ※参考文献3 中島峰広著『日本の棚田 保全への取り組み』(古今書院 1999年)P91-92

このサイトでは、過去に一度だけ、棚田を取り上げています。群馬県か新潟県上越市に向かった時、十日町市の棚田を見学しました。  →「長野・群馬・新潟・富山旅行8 十日町の棚田」(十日町市松之山地区の棚田です)


 8 白米千枚田の魅力                ページの先頭へ

 白米千枚田は、17世紀前半に起源があるとされています。ただし、1684(貞享元)年の地滑りで水田の大半が失われ、明治に再建されたとのことです。
  ※参考文献4 森田敏隆著『日本の名景 棚田』(光村推古書院 2009年)P34

 私の写真には写っていない国道の上側の分も含めると、傾斜は4分の1(40mで1mの高低差)、面積は1.2ha、枚数は1004枚とのことです。
  ※参考文献1 青柳前掲書P18

 
白米千枚田の魅力は、次のように表現されています。
「国道249号線沿い、最も有名な棚田は日本海を望む風光明媚な場所にある早苗の緑が青い海とのコントラストを見せ、
田に張られた水面を染めながらの日本海の落日は圧巻。(中略)四季折々絵になるが、中でも冬の時化、風に運ばれ容赦なく吹き付ける吹雪、怖いほどの海鳴りが聞こえる厳しい自然に耐える千枚田に惹かれる。」
  ※参考文献2 森田前掲書 P92

「(棚田中央部の)1枚の平均は0.2アールである。しかし、図上黒で示される土坡や農道、水路敷などの部分が半分近くを占め、実際に稲が植えられる水張面積は1枚が0.1アール(10平方メートル、約三坪)にすぎない。
小さな棚田がこれほど集まっている景観は他では見ることができない。
  ※参考文献5 中島峰広著『百選の棚田を歩く』(古今書院 2004年)P58


 写真-16 海とのコントラストは最高です (撮影日 13/05/04)


「下に行って手を振るから、写真撮って。」

 写真-17 写真中央が妻です(撮影日 13/05/04)


 写真-18・19 「千枚」の中には本当に小さなものがあります (撮影日 13/05/04)

「むかし、百姓夫婦が田植えを終わって水田の枚数を数えてみた。千枚あるはずなのに、どうしても、一枚足りない。日も暮れたのであきらめて帰ろうと、そばにあった二人の蓑(みの)を取り上げてみると、その下に二枚の田が隠されてあったという。」
 ※参考文献1 青柳前掲書 P19
 


 写真-20・21 水は上の水田から下の水田へ落とされていきます。(撮影日 13/05/04)


 写真-22・23 田植え (撮影日 13/05/04)

 左:棚田の所有者による田植えです。
 右:木の杭が立っているところは、都会のオーナーがいる水田です。杭に名前が書いてあります。世界農業遺産認定によって、オーナーの数が増加し、平成24年度には以前の1.6倍の応募があり、オーナーの数は121組となりました。おかげで、未耕作地も減って、全体の2%の25枚に抑えることができたとのことです。
  ※NHKテレビ放送の2013年5月31日午前5時25分放映の番組から

 棚田オーナー制度を、学問的に位置づけると次のようになります。
「1990年代に入ると、高知県檮原町で「棚田サミット」が開始された。棚田サミットは棚田を保有している市町村間での移動開催として毎年開催されている。地方自治体相互のパートナーシップづくりも始まった。棚田サミットをとおして全国に拡大した「棚田オーナー制」は棚田を持つ村と首都圏・関西圏の都市住民の間に新しい交流を生み出すことになった。中山間地域の村落の存在と棚田耕作の継続は健全な食生活を供給するばかりか、都市に食の安全性を還元させることを可能にさせた。
 棚田を取り巻いている森林を含めて「緑のダム」の役割を担い、緑地を適切に保持することで自然災害が軽減できることを都市住民に認識させ、自然が人間性回帰に寄与し、アメニティ効果を提供すること、さらには自然と人との共生空間までが見直されることになった。「健全な農村・農業地域」が存在することで、近隣都市と都市住民に多様性のある自然環境が提供できる。都市では味わうことのできない「大地の恵み」に触れることができる。村落が共有してきた地域共同体的な紐帯は「若者を呪縛し」、「人が土地に縛られ」、「年功序列の旧習に従わされる」というイメージで語られ、土地に帰属する農村への敬遠でもあった。しかし、家族以外には無関心であり、近所付き合いの心を忘れ、相互扶助の精神を失ってしまった、自己中心的な人間性をむき出して、時には他人に牙をむける都市社会を対置させると、「人をやさしく迎え入れ」ようとする農村にこそ、社会的機能が充実していると考えるべきであり、現代の都市社会が抱えている「病んだからだ」を治癒させるのに農村社会そのものが癒してくれるのである。」
  ※参考文献6 春山成子著『棚田の自然景観と文化景観』(財団法人農林統計協会 2004年)P8-9 


 自動車強行軍旅行だったので、遅めの昼食後は、居眠り運転に気をつけてゆっくり帰ってきました。夜中と明け方に移動すると、連休中でもかなりの距離が走れます。近場ならこれで十分ですね。


 【能登輪島 白米千枚田 参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

青柳健二著『日本の棚田百選 米も風景もおいしい私たちの「文化遺産」』(小学館 2002年)

 

森田敏隆著『森田敏隆写真集 棚田百選』(講談社 2001年) 


中島峰広著『日本の棚田 保全への取り組み』(古今書院 1999年)

森田敏隆著『日本の名景 棚田』(光村推古書院 2009年)

中島峰広著『百選の棚田を歩く』(古今書院 2004年)

 

春山成子著『棚田の自然景観と文化景観』(財団法人農林統計協会 2004年) 


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