2012-15 | |||
|
144 2012年12月09日(日) 伊豆半島まで小旅行に行ってきました。目的は黒船と天城峠です。その1 |
myPCの故障の中、ちょっと苦労しましたがなんとかアップロードした、旅日記です。長くなりますから、次の構成で説明します。 |
1 | 旅行の概要 |
2 | 伊豆下田到着まで 熱海・スーパービュー踊り子号 |
3 | 伊豆下田 |
4 | ペリーの上陸記念碑と了仙寺 下田開国資料館 |
5 | ハリスと玉泉寺 米国領事館 |
6 | 湾内周遊サスケハナ号 |
7 | 下田の脇役 吉田松陰・坂本龍馬・唐人お吉 |
8 | 「伊豆天城峠探検」 |
1 旅行の概要 |
11月25日(日)と26日(月)に伊豆半島に小旅行に行ってきました。
というわけで、伊豆半島への小旅行が決定しました。 |
次に、旅程全体の説明です。 |
日記ですからいろいろ難しい解説はせずに、写真の説明を続けます。 |
2 伊豆下田到着まで 熱海・スーパービュー踊り子号 |ページの先頭へ| |
写真-01・02 JR熱海駅前です。 (撮影日 12/11/25) |
|
左:ここで新幹線を降りて、特急踊り子号に乗り換えました。30分の待ち時間がありましたので、駅の中でぼーっとしていてはおもしろくありませんから、途中下車して、駅前界隈を見て回りました。 |
写真-03・04 本日最初の温泉は、熱海駅前の足湯 (撮影日 12/11/25) |
|
左:大きな駅の駅前で裸足になる体験は、なかなか味わえるものではありません。 |
写真-05・06 熱海-伊豆急下田間は特急踊り子号です。 (撮影日 12/11/25) |
|
左:熱海駅の東のトンネルから出てきた踊り子1号。 右:伊豆急下田駅に到着した踊り子1号。 |
写真-07・08 特急スーパービュ-踊り子1号車内 (撮影日 12/11/25) |
|
左:なぜ、「スーパービュー」なのか。まずは、床面が高い。入り口で階段を2段上ります。 |
写真-09・10 第1日目は天気もよく、眺めは最高です。まさしくスーパービューです。 (撮影日 12/11/25) |
|
左:熱川市街と東方の伊豆大島 右:河津の鬼ケ崎の灯台と新島と式根島。その間、はるか遠方に三宅島。 |
さて、熱海(9時56分発)から伊豆急下田(11時05分着)まで、1時間ばかりの快適な特急列車の旅の後、私たちは、目的地の下田に到着しました。第1日目は、この下田市内観光をして、市内のホテルに宿泊です。 |
3 伊豆下田 |ページの先頭へ| |
写真の説明の前に、ちょっと歴史教師の薀蓄です。 |
※上の地図は、Yahoo から正式にAPIキーを取得して挿入した、伊豆下田周辺の地図です。 |
写真-11 伊豆急行下田駅の改札口 (撮影日 12/11/25) |
|
まずこの港町にやって来た外国人は、その日米和親条約を結んだ当のアメリカ東インド艦隊司令長官のペリー自身です。 |
写真-12・13 伊豆急行下田駅前の説明 (撮影日 12/11/25) |
|
左:駅前のモニュメント、ペリーの日本遠征艦隊の旗艦、サスケハナ号。ただし、この軍艦そのものは、和親条約の交渉成立後、アメリカ海軍の都合で日本海域を離れており、下田へは来航しませんでした。 |
4 ペリーの上陸記念碑と了仙寺 下田開国資料館 |ページの先頭へ| |
下田の街はそれほど広くはありません。 |
写真-14・15 駅中の観光案内所でもらった「下田ガイドマップ」と昼食 (撮影日 12/11/25) |
|
左:観光案内所でもらった「下田ガイドマップ」には、協賛店・施設が記載されており、このパンフを入館や支払いの時に見せると、100」円引きとかおまけが付くとか、いろいろな特典があります。これももらった観光案内所の女性スタッフは何も説明してくれませんでしたが、レンタサイクルの自転車屋さんのおじさんが、丁寧に説明してくれました。 |
写真-15・16 なまこ壁の沢村邸と路傍の大砲 (撮影日 12/11/25) |
|
左:下田の景観といえば、なまこ壁。白と黒のコントラストが美しいです。 |
写真-17・18 ペリー上陸の碑 (撮影日 12/11/25) |
|
1854年4月18日の朝、金沢八景沖を出港したポーハタン号(ペリー提督座乗)とミシシッピ号は、相模湾を横切って伊豆大島と伊豆半島の間を通り、午後には下田湾へ入り投錨しました。4月22日には、6隻のアメリカ艦隊(このあと遅れてマセドニアン号が来航し合計7隻になります)の将兵全員に上陸許可が出ました。彼らの上陸地点であった、下田港南西の現在の下田公園下の鼻黒の地に、ペリー上陸の碑がたてられています。 |
下田市内巡りは、まず南西端にあるペリー上陸の記念碑と了仙寺・開国資料館で2時間程を費やすのがいいでしょう。 |
写真-19・20 右:了仙寺本堂 右:了仙寺宝物館 (撮影日 12/11/25) |
|
了仙寺はその境内でペリー艦隊の将兵が訓練を行ったり、軍楽隊が演奏をした寺です。右の本堂の上には、当時の様子を表した絵画がかけられています。 |
5 ハリスと玉泉寺 米国領事館 |ページの先頭へ| |
ペリーが下田の「主役」のひとりであることは間違いありません。しかし、主役はペリーだけではありません。 |
写真-21 下田市柿崎31‐6にある玉泉寺、初代アメリカ領事館です。(撮影日 12/11/25) |
写真-22・23 玉泉寺本堂 (撮影日 12/11/25) |
|
右の内部の写真の中央奥にハリスの事務室がありました。 |
写真-24・25・26 アメリカ国旗掲揚之跡 |
写真-27・28 左:ハリス記念館 右:アメリカ将兵墓所 (撮影日 12/11/25) |
|
本堂の脇にハリス資料館があり、いろいろな資料が展示してあります。また、寺の西北側にはアメリカ将兵の墓所が、また東北側には1854年の安政大地震の津波で沈没したロシア艦ディアナ号の将兵の墓所もあります。 |
ちょっと説明があっさりしています。お気づきでしょうか。そこが旅行記と日記の違いです。 |
【伊豆半島小旅行記 参考文献一覧】
|
| 一つ前に戻る | | | 次へ進む | |