2013-04
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150 2013年09月15日(日) 先輩が本を書きました『朱鳥翔よ(あかみとりかけよ)』 九州王朝説と天武天皇    

 本日はとても面白い本の紹介です。

 題名は、『
朱鳥翔よ(あかみとり かけよ)』(幻冬舎ルネッサンス 2013年9月5日)です。
 私の先輩にあたる元高校教師の方が出版された本です。著者のペンネームを
高松康たかまつ こう)とおっしゃいます。
 1948年生まれで、京都大学文学部史学科を卒業されたあと、学習研究社に就職され、6年間の勤務のあと、1979年4月から岐阜県の高等学校の社会科(現在で言うと地歴・公民科)の教師になられました。年齢的には私より、6年先輩にあたります。
 2009年3月に退職されています。
 
 9月の始めに私の職場にいらっしゃり、本をいただいたあと、出版までの経緯のお話をうかがいました。

40年前に読んだ古田先生の歴史学説に感銘を受け、退職したら何かを書こうと思っていた。

 

当初は歴史学の論文を書こうと思っていたが、先達の業績や若手の鋭い視点を上回るような斬新な構想ができずに、逡巡していた。 

 

ところが、2年前に突然、論文ではなく小説の構想が浮かび、短期間で原稿用紙500枚の作品ができた。 

 

出版する方法はないかと考え、いくつかの出版社に持ち込んだ。しかし、なかなかうまくいかなかった。 

 

○○新人賞のようなコンクールにいくつか応募したが、そう簡単には入選とは行かなかった。しかし、あるあまり有名でない出版社から、「第3次選考に残った作品として高く評価したい。希望があれば自費出版してもいい」との話があった。 

 

どうせ自費出版するなら有名な会社からの方がよいと考え、幻冬舎の自費出版専門会社である幻冬舎ルネッサンスから出版することにした。 

 

当初の予想では、自費出版なのだから、出版者側からは内容についての細かい指図はないと思っていた。しかし、予想と違って、担当が付いてしっかり責任を持って指導してくれ、装丁や表紙のデザインの作成はもちろん、文章表現の方法など内容についても改善が実現でき、本としての完成度が増していった。 

 

結果的にかなりの金額を費やして、まず1000部の出版が実現できた。 

 最初に本見たとき、正直びっくりしました。
 高校の教員の方で、まれに退職してから自費出版をされる方がいますが、その本を拝見すると、多くはぱっと見があか抜けしていない、いかにも自費出版という感じがほとんどで、外見的に興味を引くという本はまれです。
 ところが、下の写真をごらんいただければわかるように、高松康氏の本は、普通に書店の店頭に並べられても何ら遜色のない表紙のデザインと装丁でした。
 そして、タイトルもなぞめいて素敵です。

 私は、心の中で、「これは本気の本だ」と思いました。
  


 写真−01 『朱鳥翔けよ』(撮影日 13/09/08)

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 外見やタイトルで期待できると、すぐに読みたくなるものです。
 高松氏が本をもってこられた9月6日の昼休みに、弁当を食べながら期待を持って最初の20ページほどを読み、「これは面白い」と感じました。
 次の土曜日は、仕事は休みでしたので、朝から家事の合間を縫って読み進み、夕方には、全305ページを読了してしまいました。
 長い小説の場合は、どのように面白いかをぐたぐたその内容を説明するより、その
魅力の虜になっていかに早く読んだかを話す方が、より端的に本の良さをアピールできると思います。
 高松氏の本は、先輩へのお世辞抜きで、まさしく面白い本です。


 読み終えた速さだけでは推薦理由になりませんから、少しだけ内容を紹介します。

 この小説の表紙や帯に書いてある、タイトル以外の「
宣伝文句」を並べると次のようになります。また、目次を順に挙げると以下のようになります。

古代からの訪問者か?飛鳥と平城京に二人の謎の男が現る!

 

ニュース報道に興味を抱いた雑誌編集者の飛鳥太郎は、古代史研究家志野崎肇とともに事件の真相解明に乗り出す。

 

プロローグ 奈良と明日香 
第一章 古代からの訪問者
第二章 遠の朝廷
第三章 XYの正体
第四章 万葉びとの証 
第五章 暴かれる『日本書紀』
第六章 乾坤一擲 
第七章 怨霊は時空を越えて
第八章 騒ぐ倭王の血
エピローグ 朱鳥

 物語は、雑誌編集者の飛鳥太郎と古代史研究家志野崎肇による歴史ミステリーです。通史とは違った歴史解釈に迫ります。その物語に重要な役を演じる脇役が、「二人の謎の男」です。彼らの説明に「古代からの訪問者か?」という言葉が使われています。お堅い歴史小説とは違って、奇想天外な設定の謎の二人の人物が加わって、物語は一層スリリングになっていきます。


 通史とは違った歴史解釈といっても、その内容は、それは著者の独断と偏見に基づく解釈ではありません。実は、1970年代初めに邪馬台国などの古代史研究に一石を投じた、在野の研究家古田武彦氏やその支持者の学説・歴史解釈です。
 著者の
高松康氏は、冒頭で説明したように、古田氏の著書『「邪馬台国」はなかった−解読された倭人伝の謎−』(朝日新聞社 1971年)、同『失われた九州王朝 天皇家以前の古代史』(朝日新聞社 1973年)、同『盗まれた神話−記・紀の秘密』(朝日新聞社 1975年)などを読み、以来古田史学の信奉者となりました。

 この小説では、その学説・歴史解釈を基本に据えた点が成功し、通常の高校の日本史の授業で学習する内容とは少し違った、非常に斬新でかつ納得のいく、興味深い物語となっています。
 もちろん、古代史の知識や古田史学を知らない人にもよくわかるように、登場人物による解説や、系図・年表などの説明資料が上手に挿入されていて、とてもわかりやすくなっています。
 お薦めの一冊です。ぜひ、ご一読ください。


 写真−02・03 古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』(撮影日 13/09/14)


 ついでですから、高松康氏が信奉されている古田武彦氏の著書についても、若干の紹介をします。
 歴史の教科書にない新解釈を提唱したというと、なんか奇をてらった荒唐無稽な説を唱える歴史研究家というイメージになってしまいますが、古田氏は決してそうではありません。むしろその真逆の、あくまで文献を正確に読み、書物に書かれたことから確実に結論を見つけていくという研究姿勢を貫く研究家であり、その点では、歴史研究のお手本というべき研究者です。

 その古田氏が古代史研究の定説に最初に大きな疑問を投げかけたのが、上記左の『
「邪馬台国」はなかった−解読された倭人伝の謎−』です。
 古田氏はもともと高校の教師で、親鸞の『歎異抄』研究を行っていた研究者でしたが、この著書により古代史に対して独自の歴史解釈を展開していくことになります。
 タイトルの『
「邪馬台国」はなかった』というのは、「邪馬台国」そのものがなかったという意味ではありません。普通に使っている「邪馬台国」という名称は誤りで、正しくは「邪馬壹国」であるべきであるという意味です。
 この指摘の基本には、私たちが普通に授業でも教えている、『魏志倭人伝』の文字の誤りに対する安易な訂正があります。すなわち、現在伝わる『魏志倭人伝』に「邪馬壹国」と書かれているのは、後世の書き写し間違いで、本来は「邪馬臺国」が正しいとする訂正です。この訂正の意図は、「臺」の字は「台」と同じと解釈し、「邪馬臺国」=「邪馬台国」を「やまたいこく」と読み、さらには、「邪馬台」=「やまと」=「大和」と、土地名を比定することへつながります。
 
 古田氏は、その安易なご都合主義の訂正に疑問を持ち、『三国志』の著者
陳寿の書いた原典を尊重する姿勢を堅持します。
 たとえば、この「壹」と「臺」の問題では、『魏志倭人伝』だけではなく、『三国志』全体に登場する、「壹」と「臺」をすべて拾い上げ、「壹」86カ所と「臺」56カ所のすべての用法を確認した上で、安易な誤用はあり得ないと結論しています。『魏志倭人伝』の著者陳寿は、あくまでその時点で九州博多湾岸にあった倭人の有力な国を「邪馬壹国」と認識し、そう著述したというのが古田氏の結論です。
 したがって、大和に音が通じるからという理由で「訂正」されてしまった「邪馬臺国」「邪馬台国」などは存在しないというのがこの著述のいわんとするところです。
 徹底的に文献を調べる。著者を信じる。それが古田氏の研究の方法です。前掲書の中で次のように書いています。

「 ヨーロッパのほとんどの学者たちが、トロヤ滅亡の物語を単なる「神話」として嘲笑ったとき、シェリーマソはただひとり、吟遊詩人ホメロスを信じた。そして『イリアス』『オデッセー』の一字一句を疑わず、ついにダーダネルス海峡のほとり、トロヤの廃墟に到達した。
 むろん、東方卑弥呼の国にむかって、強い好奇心をいだいたことのある人なら、この西方のシェリーマソの話を思いうかべなかった人は少ないかもしれぬ。事実、今まで「邪馬台国」についての本を書いた人の中に、このシュリーマソヘのあこがれを書きしるした人もいるのである。
 しかし、だれも本当に信じなかった。 『三国志』魏志倭人伝の著者
陳寿のことを。
 シュリーマソがホメロスを信じたように、無邪気に、そして徹底的に、
陳寿のすべての言葉をまじめにとろうとした人は、この国の学者、知識人の中にひとりもいなかったのである。
 かれらおびただしい学者群のあとで、とぼとぼとひとり研究にむかったわたしの、とりえとすべきところがもしあるとするならば、それはたった一つであろう。
 
陳寿を信じとおした。−ただそれだけだ。
 わたしが、すなおに理性的に原文を理解しようとつとめたとき、いつも原文の明晰さがわたしを導きとおしてくれたのである。
 はじめから終りまで
陳寿を信じ切ったら、どうなるか。
 その明白な回答を、読者はこの本によって、わたしからうけとるであろう。」

   ※古田前掲『「邪馬台国」はなかった』P4−5

 古田史学のすごいところは、歴史の把握の視点が、上記の「邪馬壹国」のみの短いスパンにとどまらなかったことにあります。「中国王朝は九州にあった倭人の有力な国を継続的に数世紀に渡って把握し、各時代の中国の歴史書に継続的に叙述された」という長いスパンの発想から各歴史資料を分析し、より大胆な解釈へと進んでいきます。
 すなわち、九州にあった「邪馬壹国」がその後どのように展開していくかについても自説を展開し、大和政権とは異なる独自の勢力を想定します。
 これが、失われた九州王朝 天皇家以前の古代史』です。
 九州王朝とは何か?大和政権との違いは何か?
 もちろん、これが『日本書紀』の神武東征に直接つながるなどという、常識的な結論ではありません。

 簡単には説明できませんし、また詳細を話してしまうと、古田氏の両著書のみならず、高松氏の著書の中味まで話をしてしまうことになりますから、このあたりで終わりにします。
 古田氏の本は、2010年からミネルヴァ書房により、古田武彦・古代史コレクションとして復刻出版されています。(『「邪馬台国」はなかった−解読された倭人伝の謎−』(ミネルヴァ書房 2010年 2940円)以下をシリーズで刊行中)

 もっとも、値段は高価ですので、費用を安くしようとすれば、新刊本より、アマゾンか何かの古本屋で40年前の本を買う方がはるかにやすくなります。私の場合、上記の写真の2冊を、送料込みで722円で購入できました。(^.^)


 【150先輩が本を書きました『朱鳥翔よ(あかみとりかけよ)』 参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

高松康著『朱鳥翔けよ(あかみとりかけよ)』(幻冬舎ルネッサンス 2013年)

古田武彦著『「邪馬台国」はなかった−解読された倭人伝の謎−』(朝日新聞社 1971年)

古田武彦著『失われた九州王朝 天皇家以前の古代史』(朝日新聞社 1973年)

  古田武彦著『盗まれた神話−記・紀の秘密』(朝日新聞社 1975年)) 

古田武彦著・古代史コレクション『「邪馬台国」はなかった−解読された倭人伝の謎−』(ミネルヴァ書房 2010年 )


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