2007-05
| 日記のメニューへ | | 一つ前に戻る  | 次へ進む |

103 2007年7 月17 日(火) 東海道と東海道線−これからの予告です−     

 みなさ〜ん、もうすぐ夏休みです。

 一般の企業勤めの方は、夏休みというと、お盆前後の休暇を意味することになるでしょうが、我々学校関係者にとっては、「夏休み」というのは生徒・学生時代と同じ感覚の、そのものズバリ、「夏休み」です。(^_^)

 もっとも、最近では、文部科学省や都道府県教育委員会の指示が厳しくて、高校では「年間35週間分の授業をしなさい」という規制を守ろうとする学校が多くなり、夏休みが短くなってしまいました。
 具体的には、昔は40日もあった高校の夏休みは、
最近の進学校では、長いところで3週間余、短いところでは2週間を切るぐらいになってしまいました。
 年配の方は、このことは初耳かもしれません。これには驚かれると思います。
 
 そうそう、そもそも、規制緩和のおかげで、夏休みの長さは校長の裁量によって決めることができるようになり、今では、各高校が一斉に同じ日に夏休みに入るということがなくなりました。
 このことが、上記のように、受験に頑張る学校の夏休みを、まるで各校が競争するかのように短くしていったのです。
 また、先生方の「研修」の適用も厳しくなり、昔のように、「家で読書していたいから自宅研修(勤務場所を離れて行う研修)」というのも許されなくなりました。

 私の若い頃に比べると、先生の夏休みもずいぶんせこくなりました。
 しかし、それでも夏休みは、夏休みです。

 幸い私の勤務する学校は、3部制の定時制と通信制の併設高校です。生徒諸君も、保護者の方も、そして先生方も、「寸暇を惜しんで受験勉強」という発想ではなく、「
暑い夏はそれなりに休んでリフレッシュ」という考えで一致しています。

 そのため、
夏休みは30日以上確保されています。(通信制の方は、台風4号の影響で7月15日分のスクーリングが中止になり、7月29日に振り替えとなったため、その分夏休みが短くなってしまいました。(--;))

 おかげさんで、気分的には、楽しい夏休みです。 


  さてさて、本題に入ります。
 といっても、今回は、一つのテーマについて何かを主張するのではなく、素朴に日記風に、この「未来航路」の作者としての近況と、これからの予告編をお届けします。

 いつもご覧になっている方はおわかりでしょうが、この未来航路は、計画的に体系的に書いているのかそうではないのかと言えば、これははっきりと、無計画、行き当たりばったりに書いています。
 もちろん、面白くないことを無理やり書いているというわけではありません。せっかくいろいろな方が毎週ご覧になっておられますから、やはり、その期待に応えるべく、毎週毎週自分自身が、「これおもしろいでしょ」と感じるものを書いているつもりです。

 しかし、基本的には行きあたりばったりですから、うまい具合にシリーズにできるようないいテーマが開発でき、何週も間も同じテーマで充実して書ける場合もあれば、反対に1週1週単発のバラバラになってしまう場合もあります。
 うまくシリーズを書き続けることができる時は、次どうしようかと悩むこともありませんし、また、同じことを時間をかけて追究できるという取材の効率から行っても、比較的幸せです。
 
 たとえば、昨年2006年は、最初の四半期は「
戦艦大和」シリーズ、次の四半期は「熊野古道ちょこっと探検記」、秋には「色丹島との交流記」とうまい具合にシリーズ作品を送り出すことができ、本人も満足でしたが、また多くの新しい読者の方との交流もできました。

 それと比較すると、今年2007年は単発ものが多くなっています。
 今年になって、先週までに25ページを新たに書きました。テーマ別では、16となっていますから、25÷16=1.56と、1テーマ2ページ以下になっています。


   ところが、ここに来て、二つのちょっと大物のテーマが具体化してきました。
 東海道東海道線です。
 前の東海道というのは、江戸時代の街道の「東海道」です。
 後の東海道線は、現在の「JR東海道線
 
 
東海道については、一枚の写真がそのテーマを生み出すきっかけになりました。
 さらに、5月下旬と6月中旬、東京に2度、出張することができたのが幸いし、たくさん取材することができ、うまくシリーズ化することができる予定です。
 題して、
目から鱗「街道を歩くです。
 東京は日本橋から、
品川・川崎・生麦・神奈川・横浜と、旧東海道にそって所々歩きました。現地の写真と高校の教科書をつなげます。 


 「街道を歩く」を生むきっかけとなった写真「青木橋」。
 
旧東海道(中央の橋を渡って左右に伸びているのが、旧東海道)と最初の鉄道新橋−横浜線(手前から奥に伸びる鉄道線路、現東海道線です)の交差する部分を写した明治前期の写真です。

長崎大学付属図書館幕末明治期日本古写真メタデータ・データベース」から許可を得て掲載しました。

 写真の青木橋の向こうの海は、現在はすっかり埋め立てられて陸となっています。また、鉄道線路が曲がっている部分の少し先に、現在はJRの駅があります。さて何という駅でしょうか?

 青木橋という地名を知っている方・地元の方は簡単に答えられますが、私ども岐阜県人にはちょっと難しい問題です。正解は、
横浜駅です。
 そうなんです。正面の海の部分は、、現在の横浜駅とその辺の繁華街のあるところになります。


 もうひとつのテーマ「東海道線」とは、岐阜県内の「JR東海道線」の建設についてのテーマです。
 このテーマは、ひとつの本との出逢いから生まれました。


 国鉄に奉職以来長く鉄道建設に従事された戸田清さん(現在岐阜県瑞穂市在住)の著書、『東海道線の発祥から郷土の鉄道を検証する 「穂積駅」開業100周年記念』(自家出版 2006年)です。

 戸田さんが、瑞穂市が学校5日制をきっかけに設定した土曜日の文化講座「瑞穂総合クラブ 鉄道研究」で講演されたことをまとめられたものです。


 


 戸田さんの本からの示唆や、その他いろいろな情報を元に岐阜県内の東海道線を取材していく内に、いろいろ面白いエピソードを写真に撮ることができました。
 たとえば、次の写真です。 


 これは、電車の車内からの撮影です。
 左側のスピードメーターが写っている部分が運転手がいる運転室です。中央の部分から電車の進んでいく方向を写した写真です。
 この写真を見て、「え、なんで?」と思われる方は、「電車の常識」に賢い方です。

 さらに、その謎を解いてこの写真の説明ができる方は、岐阜県内の東海道線に関するプロです。 


 これ以外にも、岐阜から西濃にかけて東海道線を取材した写真をもとに、岐阜・美濃・飛騨の話「岐阜県の東海道線あれこれ」を書く予定です。

 東海道東海道線、つまり、得意の鉄道と、街道についてのテーマを夏休みから秋にかけて、お送りします。乞うご期待。


| 日記のメニューへ | | 一つ前に戻る  | 次へ進む |