これが、かの有名な?糞石、つまり、当時の人間のウンコの化石です。鳥浜貝塚で大量に発見されました。その数は3000点以上にのぼります。
糞石はすでに調査の最初の段階から発見されていましたが、研究が進むのは、1975年の第4次調査からです。
その理由は、この時に糞石が大量に発見されたことと、もうひとつ、千浦美智子さんという一人の若い女性研究者がこの糞石の研究に熱心に取り組んだからです。
鳥浜の紹介の最後は、糞石と千浦さんの話で締めくくります。
千浦さんは、ちょっと異色の研究者でした。
東京の高校を出たあと、カナダ留学を希望し、トロント市の高校に編入したあと、トロント大学の人文学部に入学しました。ここで考古学を専攻し、その当時日本ではまだ行われていなかった研究方法を学びます。それは、ウォーター・フローテーション法と呼ばれ、いろいろな目の大きさのふるいを使って発掘した土や資料をふるい分けて研究する方法でした。
彼女は、大学院を出たあと、東京に戻り、一時文化庁の仕事を手伝ったあと、国際基督教大学のキダー教授の考古学研究室の助手となりました。1974年、27歳の時です。
その翌年、鳥浜の調査に参加したのです。
彼女は、貝塚の泥をステンレス製のふるいにすくい、水をかけて洗って微細な遺物を拾い上げる調査を担当していた時、大量に出現する糞石に興味を持ちました。
そして、この時点では、日本ではまだ誰もやっていなかった、糞石に含まれる花粉や種子から原始人の食生活を再現する研究に着手しました。それまで他の研究者にはあまり目にとまらなかった糞石が、彼女によってスポットライトを浴びることになったのです。
彼女はまず糞石、つまり、ウンコの形状に名前を付けます。
「ハジメ」(排泄の時の先頭部分のうんち)、「シボリ」(同最後の部分)、「バナナ」(中間の湾曲した部分)、「チョク」(中間のまっすぐな部分)、「コロ」(固いころころしたやつ)、「チビ」(小さなバラバラのやつ)。
まあ、このネーミングを聞いただけで、千浦さんの人柄が分かりそうです。
正式な分類ではないそうですが、固まる前に踏まれてつぶれたうんちは、「フミクソ」、火にあぶられた痕跡のあるものは、これはわかりますね、もちろん「ヤケクソ」と呼んだそうです。愉快愉快。
ところが、ことはそう簡単ではありませんでした。このころの分析技術では、人間のウンコと犬などのウンコを明確に区別する方法がなかったのです。
彼女は、愛犬と同じものを食べて、ウンコがどう違うかを比べるという「比較研究」までおこなって、真理に迫りました。
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のち、この難問は、動植物の脂肪の研究をする中野益男帯広畜産大学助教授らの研究グループによって解決されました。動物と人間とでは腸内細菌の種類が違い、その結果、うんちの中に含まれる脂肪分も異なるということがわかったからです。
うんちの中の脂肪の研究は、現在ではさらに進んでいます。食物固有の脂肪酸の化学組成の違いによって、うんちの残存脂肪酸を分析すれば、どんな動植物を食べたかがおおむね明らかになるようになったのです。
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しかし、千浦さんは、鳥浜で糞石の研究に着手されてから3年目、31歳の時(1978年)に娘さんを懐妊されます。しかし、この時すでに、結腸癌に冒されていました。その後手術による摘出も甲斐がなく、癌は、脊椎や肺に転移し、1982年10月、35歳の若さで帰らぬ人となりました。
千浦さんが初めてスポットライトをあてた研究は、縄文時代人の食性の研究を大きく進めました。
鳥浜米塚出土の糞石の多くは、現在も、福井県立若狭歴史民俗資料館に保存されています。
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岩田一平著『縄文人は飲んべえだったーハイテクで探る古代の日本』(1992年朝日新聞社)P58
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森川昌和著『鳥浜貝塚 縄文人のタイムカプセル』(未来社 2002年)P84−87
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日野原重明著『死をどう生きたか』(中公新書 1983年)P12−30
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