色丹島との草の根交流記19

 >これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


| 北方領土訪問記はこちら | | 草の根交流記のメニューページへ | | 前へ | | 次へ |

019 日露交渉 and 4度目の語学研修


@色丹島でのできごと

  今年も、北方領土4島との「ビザなし交流」がはじまりました。14年目を迎えたこの交流は、今年の場合、9月下旬まで行われ、この間に日本側からは、10回に渡り合計610人が北方4島に渡航します。
  ※「ビザなし交流」についてご存じない方はこちらをどうぞ

 その第一陣がこの5月13日根室を出発し、翌日色丹島を訪れました。
 私の居住地、岐阜県あたりでは、このことはあまりニュースになりませんが、北海道では毎年恒例のニュースとして取り扱われます。

 今年の第一陣は、元島民やその2世の方など65人で、4日間の日程で現地のロシア人家庭にホームステイし、対話集会を通して交流したほか、日本人の墓地を訪れました。

 この日程も毎年同じものなのですが、今年は、少々違ったできごとがあったことが報じられました。
 以下は、『北海道新聞』2005年5月18日の記事と、その対話集会に出席した私の友人ナターシャ(色丹島ビザなし交流委員会委員長の妻)のメールから構成しました。

 5月14日(土)色丹島穴澗村(ロシア名はクラボザボツコエ)で、恒例の対話集会が開かれました。
 設定されていた会の時間のほとんどは、昨年までも何度も開かれていたように、特に目新しいことはない、普通の問答が続きました。ナターシャは、「nothing interesting, routine talking」と表現しています。
 しかし、会の最後になって、新聞によれば、日本側からはあらかじめ予定していた、ロシア人からは、予想していなかった質問がなされました。

Would you agree to live and work together with Japanese?」、つまり、返還されるとして、「日本人と一緒に住み働く(つまり、混住する)ことに同意できるか」という質問が、会の日本側主催者の北方4島交流北海道推進員会の方から出されたのです。

 これに対して、ロシア人住民からは、
「日本の元島民のような悲劇的退去を迫られないのなら、返還は可能」「一緒に住むには文化が違いすぎるが、避けられないなら早くやるべき」など、返還を容認し、混住を希望する声が上がりました。

 また、
「日本政府は、なぜ、プーチン大統領の発言に対して沈黙しているのか。次の大統領になれば、提案自体を引っ込めるかもしれない」という意見も出ました。

 ロシア住民側からこのような積極的な意見が出たのは、これまでにはまったくありませんでした。

 上記の、プーチン大統領の発言について、説明します。
 2004年11月15日、ロシアのプーチン大統領は、閣議で、「歯舞・色丹の2島返還をする用意がある」と言及しました。
 これまで、ソ連時代の共産党の指導者、ロシアになってからのエリツィン、プーチン大統領の誰も、ソ連・ロシア国民に対して、領土を引き渡さなければならないと発言したことはなく、4島ではなく、歯舞・色丹の2島であったにせよ、これは、ロシア的には画期的な発言でした。

 この対話集会の最後の質問(テーマ)そのものが、このプーチン発言を意識したものであり、色丹島のロシア住民も敏感に反応している状況が確認できたわけです。
 もともと、国後島や択捉島の島民などとは異なり、色丹島島民には地震のダメージやロシア政府から十分な財政的支援がないこともあって、日本へ「期待」する面があると観測されてきており、それが現実の声となったわけです。
 ※地震や財政支援のことは、すでに説明しています。こちらです。地震 

A2島返還でよいのか

 このプーチン2島返還発言は、ロシアにしてみれば、2005年に計画されているプーチン大統領の訪日を前に、ロシア・日本の双方の「譲歩」によって領土問題を解決することをねらいとしてなされてものです。
 ロシア極東研究所日本研究センターのパブリャチェンコ議長は、「訪日で大統領がメンツをつぶすことがあってはならない。日本からの譲歩がなければ、ロシアは失うだけとのイメージが強まる。そうした状況では、大統領の訪日は難しい」と分析しています。
 ※『産経新聞』(2004年11月18日朝刊)

 以下は私の個人的意見です。
 ここで、日本が譲歩すれば、これまでの「4島一括返還こそが北方領土問題の解決」としてきた日本の主張を曲げることになります。
 2005年5月18日には『日本経済新聞』に町村外務大臣の発言が掲載されました。
「原理原則を貫いても何も生まれない」「両方が納得しし得るということは双方がどこかで譲歩することだ」
 しかし、政府のこのような姿勢は、ロシア政府の思うつぼとという事態を招くでしょう。

 事は、対中国、対韓国問題などとは異なり、戦争末期のソ連の千島列島占領と、その後の4島支配については、日本側に、謝罪したり譲歩したりする点はまったくありません。
 対中国問題で、靖国神社に関してあれだけ強硬な姿勢を貫く小泉首相なのですから、北方領土問題でも、頑張ってもらいたいものです。
 
 TVキャスターの櫻井よしこ氏が意見を述べています。
「首相も外相も、いやしくも自分の名誉のために外交で焦ってはならない。自分の手で北方領土問題を解決して、歴史に名を残そうなどとは考えてはならない。政治家の務めは、時期の来るまで揺るがずに日本の立場を堅く守って、その堅固な立場を次の政権にしっかりと渡していくことだ。そうして日本の主張を堅持すれば、歴史の流れのなかで、必ず、領土奪回の機会は巡ってくる。」
 ※櫻井よしこ著「連載コラム 日本ルネッサンス」
   『週刊新潮 6月2日号』(2005年5月27日発行) 

Bナターシャ、4回目の日本語研修 in札幌
 国と国の政治の問題とは別に、それぞれの場所で、人びとは自分のため、家族のため、自分の地域のために、懸命に生きています。

 色丹島のナターシャが、色丹島の日本訪問団の帰り船に同乗して、北方領土ロシア人日本語研修のために札幌にやってきました。5月16日から札幌のJICA国際センターで毎日研修に励んでおり、約1ヶ月間滞在します。

 彼女にとって、4度目の日本語研修です。
 3度目の昨年は、色丹島の代表でした。
 さらに、キャリアを積んだ彼女は、今回は、国後・択捉・色丹の3島(歯舞諸島には国境警備隊はいますが一般住民はいません)から派遣された10名の研修団全体の団長に抜擢されました。
 あちこちで、挨拶をしなければならないから緊張して大変だとメールしてきました。

 以前にも書きましたが、この研修に参加するには、彼女は自分のおよそ1ヶ月分の給料に匹敵する費用を支払わなければなりません。簡単な気分での参加ではありません。

 彼女はこういっています。
「島の運命は政治家が決めるものです。しかし、最終的に島を返還するという形では、必ずしもそうではないと思います。どんな大統領であれ、そういった結論を下すことはできないと思います。もちろん、日本側も領土返還要求を取り下げると言うことは絶対ないということもわかっています。
 私たちにできることは、島の将来を見据え、何らかの形で領土問題の解決に貢献できることを島民のレベルで考えていくことです。
 私は島で日本語を教えています。日本の子ども達と絵画を交換するため、色丹島を絵で描くことも進めています。子ども達が将来的に、アジアや日本の専門家になれるように、そういうことができる大学に進めるように指導しています。」
 彼女の教え子の中には、日本の大学で勉強し、サハリンのNHK支局で働いている人もいます。

 それぞれの思いで、それぞれの北方領土問題が考えられています。 


| 北方領土訪問記はこちら | | 草の根交流記のメニューページへ | | 前へ | | 次へ |