色丹島との草の根交流記20

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


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020 ロシア・オブニンスクでの日本語学習                                

@ワードを使ったメール

 久しぶりに北方領土、色丹島情報です。
 色丹島のナターシャとは、ずっとメールの交換が続いています。昨年、私が、自分が使っていたワードの古いヴァージョンを航空便で送ってプレゼントしてから、彼女のノートパソコンには、日本語変換機能が付きました。

 2006年12月18日、彼女が日本語で書いた、最初の記念すべきメールをもらいました。
こにちは、 ひでのりーさん。まずはとりあえずおしらせまで。これから  ひらがなとカタカナで メール します。
おいそがしいこととはぞんじますが もう いちど おねがいがあるのですが。
Yes, I’d like that site about your visit to Shikotan.., where there are some pages about me and Andrew and Kate.  いいですか。
いま メリ ―クリスマス カード かいています。
ではまた。            ナタリヤ

 それから以後、漢字も交えた、日本語と英語の混ざった文章によるメールの交換が続いています。

 私の役目は、友人であると同時に、彼女の日本語の向上を促すアシスタントです。
 したがって、それ以来、次の二つのことを実行しています。

 ひとつは、彼女の日本語メールの添削です。
 マイクロソフトワードが手に入ったと言っても、正しい日本語をワープロするのは、そう簡単ではありません。そこで、彼女のメールを下のように、添削して送り返すのです。


 次は、こちらからのメールの中の工夫です。
 私はロシア語は分かりませんから、それまでは、英語でメールを送っていましたが、ワードプロセッサが付いてからは、こちらからも、漢字交じりの文章を書くことに努めています。

 最初は、次のようなローマ字を使った懇切丁寧なメールでした。

こんにちは、ナターシャ。誕生日(たんじょうび birthday)のお祝い(おいわい、 o iwai=celebration)のメッセージ(message)を送って(おくって、送る=ouru=send)くれて、ありがとう。今年(ことし kotoshi=this year)の誕生日は、日曜日(にちようび、nichiyoubi=Sunday)だったので、私の父母(わたしのふぼ、watashi no fubo=my parents)も含めて(ふくめて fukumete=contain)、家族(かぞく kazoku=family)全員(ぜんいん zenin=all members)が祝ってくれました。
おいしい、バースデイケーキ(birthday cake)を食べました。(We ate deliciopus birthday cake)
岐阜(ぎふ Gifu)では、桜(さくら)の前(まえ)に梅(うめ)が咲(さ)いています。
(In Gifu flowers of Japanese apricot tree are now in bloom before cherry blossom.)


 しかし、次第に彼女のひらがな読解能力がパーフェクトになってきたため、今では、ローマ字部分は少なくなりました。


Dear Natasha

夏(なつ)の旅行(りょこう)で行(い)った京都(きょうと)、兵庫(ひょうご)の日本海(にほんかい)海岸(かいがん)の名所の写真です。 (These are photos taken at some famous place in Kyoto and Hyogo where we went on our short trip to the coast of Japan sea in summer.)


Aロシアにおける日本語の学習

 彼女は、色丹島にいる時は、色丹島の穴澗小中学校の英語の先生であり、かつ、児童生徒や島民の有志に日本語を教える先生でもありました。
 色丹島では、日本とビザ無し交流も行われており、日本や日本語への興味が高いことは当たり前といえば当たり前です。

 それでは、ロシア本国ではどんなものでしょうか?

 ナターシャの2006年前半の体験から、その一部を知ることができました。
 ちょっとその体験を説明します。
 彼女は、自分の母親が病気になったため、2005年の7月から色丹島を離れて、母親のいる都市オブニンスクへ行っていました。滞在は、2006年の7月まで1年余の長期になりました。その間、夫のダネリアさんは、単身、色丹島に残り、娘のカーチャは、前半途中まで母ナターシャと一緒におり、後半は、父と色丹島にいました。

 ナターシャがいたオブニンスクという都市は、 私もこの時初めて聞いた都市でしたが、普通の高校生が使う帝国書院の『地図帳』には掲載されており、田舎町というわけではありません。モスクワから、ウクライナ共和国の首都キエフに向かう鉄道線路に沿って、南西に100kmぐらい離れたところにあります。
 
 市の公式サイトによれば、この都市は、人口は10万8000人ほどですが、ロシア最初の科学都市として有名な都市だそうです。現在も政府の研究機関や教育機関等がたくさんあって、いわば都市全体として知的水準が高い所と言えるでしょう。 
こちらはオブニンスク市の公式サイトです。ロシア語版です。英語版です。
Welcome to the City of Obninsk, Russia. Known as the First Russian Science City, Obninsk offers many diverse cultural, educational, industrial, and recreational opportunities. As citizens of Obninsk, we are extremely proud of our city. We maintain our small city values and charm while offering big city opportunities.


 2006年1月のオブニンスク。ロシア正教会の教会堂の前です。

 ナターシャは、ここで、生活のために、日本語教室や日本語の個人レッスンの先生をしていました。日本からはるか遠く離れた人口10万8000人の都市ですが、日本語を習おうとする大人や子どもが意外に多かったのです。

 この都市では、学校の授業として日本語が教えられているわけではありません。あくまで、民間の日本語教室として日本語の学習が行われているのです。それでも、突然やって来たナターシャに日本語教師の働き口があるくらい、この都市での日本語学習への関心は高いのです。

 ただし、ここでの日本語学習の広がりは、それほど長い歴史があるわけでありません。
 1993年に、キムさんという、韓国出身のロシア人で日本へも行ったことがある男性が、この都市で日本語教室を始め、それがきっかけで広がっていったと言うことです。

 次は、ナターシャの紹介キム先生とメール交換が実現して、キム先生からいただいた日本語のメールの一部です。(原文のままです。)

 1993年にモスクワからObninskに移住しました。新聞に広告をのせたり掲示板を張ったりしましたが1995年だけから日本語の先生の活動をはじめることができました。1999年から2000年まで学生が一人しか残っていませんでしたのでやめようかと思って最後に1ヶ月只で日本語を教えると広告しました。ふしぎに75人が集まりました。新学年、9月に35人来ました。2001年には14歳の学生フェジャ・ステパネンコをモスクワへ能力試験をうけに連れて行きました。2002年に試験に7人が行きました。その中には5人は11歳からの子どもでした。2003年には、Mila Vakhowa はモスクワ・スピーチコンテストで優勝しました。賞として翌年日本へ二ヶ月の旅行しました。去年、学生の人数は22人をナタリア・ダネリア先生のお陰様で二つのグループに分けることができました。今度 Nataliya先生ともう一人の Galina Kriventsowa先生は一番小さい8歳から12歳までの生徒らに教えることになっています。


 キム先生の日本語教室の生徒と関係者。
 中央、青と白のストライプのシャツの方がキム先生。
 向かってその左の金髪の方がガリーナさん。
 ナターシャは一番右端です。


 韓国出身の先生の日本語教室だからでしょうか、教室の雰囲気は「純粋日本文化」という感じではないですね。


今では、市内のいくつかの教室の生徒が集まって、日本文化や日本語についての学習の成果を確かめるために、「日本語フェスティバル」も行われています。

 ナターシャに聞いてみました。
 「オブニンスクの子どもたちは、なぜ、ロシア人にとって簡単ではないはずの日本語を学ぶのですか?子どもたちに聞いてくれますか。」 


 書道の練習をしているキム先生のクラスの生徒。
 衣装は、中国的です。ロシア人にとって、中国、韓国、日本の区別は難しいでしょうね。
 キム先生はこう言っています。
「外国人にとって東洋語を習うには漢字を覚えるのはひとつの苦手です。勉強をはじめてからしばらく漢字を覚えるのはだれにもめんどうになります。特に子どもは我慢できないから大体その理由で日本語の勉強をやめる場合が多いです。

それで今年は関心を呼び起こすために漢字書道コンテストを行ってみました。」

 ナターシャは、5人の生徒に日本語学習の動機を聞いてくれました。

男12歳

日本へ旅行したい。将来、日本語を使って企業で働きたい。

女13歳

空手を習っていたので日本語に興味をもった。

女11歳 4年前から合気道をならっており、日本語に興味をもった。
女12歳 日本に行きたいと思っているから。
男11歳 母が勧めてくれたから。


 ナターシャ自身は、日本語を使えることによって、「All of the pupils believe they'll have a well-paid job in future.」と分析しています。


 もうひとり、別の生徒の日本学習の動機を紹介します。
 
 左は、キム先生の生徒で、モスクワのスピーチコンテストで優勝した生徒からもらった手紙の一部です。

 優勝するだけあって、日本語の実力は、相当なものです。
 なまじの日本人高校生よりきちんとした文章です。(--;)
 
 彼女は、セーラームーン美少女戦士を見て、日本語に関心を持ったと言っています。


 動機はいろいろあるでしょう。
 でも、自分の国の言葉にあこがれをもってくれる人が多くいることは、とても嬉しいことです。
 みんな、頑張って。


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