色丹島との草の根交流記18

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


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018 色丹島の自然と子ども 

 2002年9月20日に、初めて色丹島に渡り、ナターシャと会ってから、丸2年がすぎました。色丹島の美しい情景は今でも、瞼に焼き付いています。

 前回、2004年の4月にサハリンの大学に英語の短期講座の勉強に行っていたナターシャからメールをもらって、オホーツク海の流氷に驚いたところまで書きました。
 今回はそれ以後、2004年夏の彼女との交流について書きます。

 最初の手紙は、5月の下旬に来ました。
「今年、クリル諸島から札幌へ日本語研修に行く団体は、3つ計画されています。
 第1団(5月15日〜6月15日)は初心者対象10名、第2団(6月15日〜7月15日)は継続学習の中級者対象、第3団(8月下旬)は初心者対象の10日間短期研修です。

 今年も、私は第2団に参加できることになりました。喜んでください。
 希望者が多くてとても厳しい選考になりましたが、何とか日本語の学習を続けることができます。

 現在は学年末ですから、テストの準備、卒業者の進級等のための推薦書類の作成、成績処理の準備、”The Last Bell”(これは日本で言う終業式です)の準備等々、学校のことと、自分の札幌行きの準備で大忙しです。

 海はまだとても冷たいです。
 しかし、気候は暖かくなったので、私の趣味のダイビングを始めました。水が冷たくて、気持ちいいと言うよりはきついですが、ストレス解消、リフレッシュには最適です。私は、ダイビングでエネルギーをもらい、健康を維持しています。」

 北の海に、5月にダイビングする彼女は、すごいすごい。私なら凍え死んで溺れ死んで、二度死にます。

 
 「この写真は色丹島のものではありません。
 あなたの手紙に、色丹島の春はいろいろな花が咲きますかという質問がありましたが、色丹島は、花という点では、あまり恵まれていない島です。僅かに黄色や青色の小さい花が丘に咲く程度です。
 この写真は、2002年の4月にモスクワの近くのオプニンスクという町で撮影したものです。」


 札幌に彼女が来れば、またメールで連絡ができます。
 楽しみに待っていると、果たして、6月15日にメールがやってきました。
 以下は、それから1ヶ月間の彼女とのメールのやり取りの抜粋です。(彼女は、よほど時間がない時以外は、ローマ字でメールを送ってきました。そこからも上達の様子がわかります。

「6月11日に色丹島を船で出て、択捉島に行きました。2日間日本人のビザなし交流団と過ごし、一緒に国後を経由して、14日に根室に入りました。
 そして、今日、札幌に着きました。宿泊施設は、昨年と同じJICAの北海道国際センターです。明日、テストを受けて、日本語のレベルに応じて、3つの段階に分かれます。」

「久しぶりですナターシャ。
あなたの日本語の勉強がうまく進むように、できるだけ応援します。
 たまたま、私のHPを見た人からメールをいただきました。送り主のAさんは、2002年の6月、あなたがちょうど1回目の札幌日本語研修に来ている時、反対に色丹島へ日本語教師として派遣されて、島で日本語を教えたそうです。
 HPの交流記を見て、カーチャ(ナターシャの娘)のことが書いてあったので、メールを送ってくれたのです。
 あなたは、不在でしたから詳しくは知らないと思いますが、カーチャは、毎日日本語教室へ通って、それはそれは熱心だったそうです。
 あなたも、また、昨年と同じように頑張ってください。スケジュールは昨年と同じですか?」

「スケジュールは昨年と同じで、1ヶ月間研修して、7月16日に札幌離れ根室に行き、18日に色丹島へ向けて出発します。
 今年は漢字も習います。昨年あなたがプレゼントしてくれた漢字と英語の辞典が役に立ちます。
 ところで、色丹島の生徒たちは、熱心に日本語を勉強しています。3年前に、日本語の本をたくさんもらったのですが、ひらがなとカタカナしか書いてありません。
 生徒は、今はもうそのレベルを超えてしまって、困っています。広告チラシなんかも利用して、学習しています。新しい教科書があるといいのですが、何かいい知恵はありませんか。」

「それでは、小学校の教科書をプレゼントしましょう。1年生から6年生分まで送ります。1年生はあまり漢字は使われていませんが、学年が進むに連れてどんどん難しくなります。
 話は変わりますが、今年はロシアの大統領選挙が行われ、プーチンさんが再び当選しました。あなたの島では、プーチン大統領の評判はどうですか。」

「教科書を送ってくれてありがとう。これなら、ずっと使えます。6年間にずいぶんたくさん漢字を習うのですね。
 プーチン大統領は、夢の人です。私は政治の話はあまり得意ではありません。島へ帰って、夫のアンドレイに聞いて、また手紙に書きます。ごめんなさい。
 色丹島の日本語の学習の成果として、わたしたちは、島の自然の景色を撮した写真と子どもたち説明を日本語で書いた本を作ろうと思っています。うまく行くと思いますか?その出版はどうすればいいですか?
 ところで、この夏は、私たちは会うことができますか?」

「政治のことはアンドレイに聞いて手紙ください。待っています。
 色丹島の自然を説明した本は、きっと評判になると思います。私が見た限り、クリル諸島の自然は大変魅力的です。それとあなたの生徒の日本語の説明を組み合わせれば魅力的な本ができるでしょう。
 ただし、出版については、私では詳しくはわかりませんから、あなた方の研修を主宰している北方4島交流北海道推進委員会か北方圏センターの方に尋ねた方がいいでしょう。
 約束を破って言いにくいのですが、仕事と家の都合で、私は今年は札幌へは行くことができません。本当に残念です。」


 あっという間に、1ヶ月がすぎ、すぐに最後の日が来てしまいました。
 最後の分だけ、ナターシャの生のローマ字メールの一部を示します。ずいぶん上手な日本語です。

「 Kombanwa, Saigo no e-mail des. Kotoshi no kenshu wa mainiti taihen deshita ga sensei wa totemo shinsetsu des kara kurasu no fun iki mo atatakakute furendori deshita. Sensei wa hitori hitori ga wakaru made ni teinei ni oshiete kudasaimashita. Senseitachi wa totemo ii senmonka de, deriketo des. Sensei no shidoo no okage de Nihon go ga hanasu koto ga dekimas. Shima de shujin to isshyoni nihon jin no biza nashi tokoo no tsuyaku o tetsudaitai to omotte imas. Mata seitotachi to otona no guruppu o oshietai to omoimas. Nihon go ga jyodzu ni naru shi, Nihon no bunka ga wakaru yooni naru shi, tomodachi to aeru shi. mata Sapporo ni kitai des.  Perhaps rainen anatato to oai shimas.
   O-hon arigato godzaimas. O- Ningyoo mo arigatoo.
   Thanks for your advice about putting  my idea of publishing a book 」

>2001年、カーチャが旭川の日本人家庭にホームヴィジットした時に撮影。

 
 (おっと、お人形とはいうけど、お本とは言わないよ、ナターシャ。日本語は難しい。(^_^))

 そして、 そのあと、7月16日の消印がある、彼女が札幌を発って道東の中標津空港へむかう直前に書いた手紙が来ました。

 彼女は、色丹島の自然の景観の本を出版することを、札幌の最後のスピーチで話したそうです。
 小さなひたむきな努力が、何か形を残しつつ、大きな成果に育っていくといいですね。

 頑張って、ナターシャ。


色丹島マタコタンの入り江に遊ぶ水鳥。こんな自然がこの島にはいっぱいある。

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