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戦艦大和について考える5
戦艦大和について考えます。その実像とは?
 
「戦艦大和神話」確認その2 大和の主砲と戦艦アイオワ 
06/01/08 12/04/16 記述追加  
戦艦大和の主砲の大きさをどうするか                                 | このページの先頭へ | 

 数で負けるため、個艦対個艦の能力で、アウトレンジ戦法が実現できアメリカの戦艦に負けないより強力な戦艦を作らなければならない、そうなる状況は分かりました。

 では、そんな戦艦は本当にできるのでしょうか。問題が二つあります。
 一つ目は、明治維新以後遅れてスタートした日本に、アメリカを上回る技術があるかどうかです。
 二つ目は、その技術をアメリカが同じように実現してしまわないかという点です。
 いくら、日本の技術が優れていても、アメリカが同じ技術を採用すれば、同じ強さの戦艦となってしまいます。

 幸いなことに、この二つの問題ともに日本は克服することができました。

 まず、日本の技術です。
 前ページの戦艦の一覧にもあるように、日本が自前で戦艦を建造したのは、1914年に完成した比叡が最初です。主砲は、14インチ(36cm)砲でした。
 しかし、1916年には、1門だけでしたが46cm砲を試作し、さらに1920年には48cm砲を作製して試射を行い、好結果を得ていました。
 46cm3連装砲を作る技術はもっていたわけです。

 しかし、二つ目の点はどうでしょうか。
 それと同じ大砲をアメリカの戦艦が装備したら、結局は同じになってしまいます。
 当時の技術者の中には、アメリカ・イギリスをいたずらに刺激するよりも、これまでと同じ16インチ(40cm)砲を搭載する戦艦を建造すべきだという意見もありました。

 しかし、日本海軍は、あえて、46cm砲の搭載を決断します。
 アメリカの戦艦は、決して46cm砲は搭載できないと判断したためです。その理由は下の写真です。
 

 上の2つの写真は、アメリカ大陸の一番くびれた部分にある、パナマ運河です。
 写真Aは全体の写真です。
 
のカリブ海口のクリストバルからの太平洋口のパナマまでの運河です。
 写真Bは写真Aの
の部分の拡大写真で、ガトゥン湖(ガツン湖)に注ぐ部分です。ここにあるのがよく写真に出てくるガトゥン閘門です。
 航空写真にも、狭い通路を船が通っているのが分かりますが、パナマ運河の幅は最小の部分では33.5mしかありません。
 

上の2つの写真は、いつも使っている「NASAのWorld Wind」からの借用写真から作成しました。
「NASAのWorld Wind」の説明はこちらです。


 アメリカ海軍は、太平洋と大西洋の両洋に軍艦を展開しなければならず、それには、パナマ運河を利用することが不可欠です。
 ところが、
パナマ運河は、33.5m以上の幅の艦船が通過することは不可能なのです。

 同じ運河といってもスエズ運河とパナマ運河はずいぶん違います。
 スエズ運河は、海面と同じ高さの水路を通っていくだけです。ところが、パナマ運河はスエズ運河とは違って、運河の水面自体に標高差があります。最も高いガトゥン湖の水面は海抜26mです。この標高差を閘門を通って水面調節をしてあがりさがりして通過しなければなりません。閘門の水路幅は、そう簡単には拡幅できません。


 16インチ(40cm)砲を積載する日本の長門型、アメリカのコロラド型(コロラド、メリーランド、ウエスト・バージニア)は、いずれも、2連装砲塔を4基配備して、合計8門の主砲をもっています。

 しかし、46cm(18インチ)砲を積載する場合は、敵の大砲に対する防御甲鈑を合理的な分量にするためには、2連装4基=8門ではなく、3連装3基=9門とすることが必要となってきます。
 
46cm3連装砲塔を積載するためには、船体の幅は33.5mでは狭すぎるのです。
 無理に作れば作れないことはありませんが、防御力が弱くなり、重くなる船体のわりに艦幅せまいため喫水が深くなり速度が早くなりません。 

<用語解説>

防御甲鈑

 戦艦は、通常、自艦と同じ主砲をもつ敵艦と対戦し、その弾丸が主砲に命中しても、致命的な事態にならないように設計されます。いくら大きな大砲を積んでいても、敵の弾丸が主砲塔を貫いて弾薬庫に入れば、大爆発が起きて一挙に沈没ですから。
 大和の場合、46センチ主砲塔の砲塔前面の甲鈑は、なんと厚さ650mm特殊な鋼材でできていました。
 下の写真は第2主砲塔の前面部分です。
 この角度からの写真は、まるで本物と見まごうばかりの迫力です。
 しかし、これは尾道の大和セットの写真ですから、実際には鉄骨と薄い鉄板と強化プラスチックと木材でできています。(^.^)


 かくて、日本海軍は、あえて46cm主砲を9門装備する巨大戦艦の建造に踏み切ったのです。
 


 アメリカ海軍戦艦アイオワ                                        | このページの先頭へ | 

 これに対して、アメリカ海軍は、やはり、主砲の大きさを変更することはありませんでした。
 無条約時代となって以降、アメリカ海軍は、次の10隻の戦艦を建造しましたが、主砲はいずれも
16インチで、3連装3基=9門の搭載でした。

艦名

基準排水量トン 速度

就役年

ノースカロライナ級2隻

ノースカロライナ、ワシントン

35,000ton   27knot 

1941年

サウスダコタ級4隻

サウスダコタ、インディアナ、
マサチューセッツ、アラバマ

35,000ton 27.8knot 

1942年

アイオワ級4隻

アイオワ、ミズーリ、
ニュージャージ、ウイスコンシン

48,500ton   33knot 

1943年
1944年


 アメリカが最後に完成させた戦艦がアイオワ級です。
 もし、大和がアメリカ海軍の空母艦載機による攻撃で沈まずに、無事沖縄に到着できた場合、実際に艦隊決戦を行うアメリカ側の主力艦は、このアイオワ型でした。

 プラモデルで確認します。
 上は大和の模型です。下は、アイオワ型の3番艦、ニュージャージです。
 全長はアイオワ型の方が少し長いですが、艦幅は大和の方が広いことが分かります。
 大和の艦幅は、38.9m、アイオワ型の艦幅は、パナマ運河ぎりぎり一杯の32.97mです。 

 アメリカ海軍戦艦の3つの級について補足します。
 アメリカは条約時代の代替艦として、上表にある
ノース・カロライナ級とサウス・ダコタ級を建造しました。これは「大和型に対抗するもの」という位置づけがされますが、実際には、次に示すように日本のことも考え、ロンドン海軍軍縮条約を続行するイギリスとの関係も考えての両にらみの建造計画となりました。
 ノース・カロライナ級は日本が1936年のロンドン軍縮条約に加わるかどうか微妙な時期の計画でしたが、結果的にはアメリカとしては、条約の制限内での16インチ、35,000トンの戦艦として完成させました。
 サウス・ダコタ級は当初は英国の高速戦艦に対抗するため、14インチ砲12門搭載する戦艦として計画されました。しかし、1938年の段階では、すでに日本が建造を進めている大和型が16インチ砲または18インチ砲を搭載していることが明らかとなったため、当初の計画を変更して、45口径16インチ砲9門を搭載しノース・カロライナ級の防御を強化する戦艦としました。
 
 アイオワ級が計画された1939年段階では、日本海軍が建造中の新戦艦は16インチまたは18インチ砲を搭載した4万5000トンを越える巨艦であることが判明しており、アメリカ海軍は二つの案のどちらを選ぶか、大きな選択を迫られました。
 案のうちのひとつは、16インチ砲12門または18インチ砲9門を搭載した6万トンを越える巨艦(ただし速度は低速)を建造するものであり、もうひとつの案はサウス・ダコタ級の搭載砲を50口径16インチ砲(砲身が長大になる)に換え、速度を上げて33ノットで空母機動部隊と行動を共にできる高速戦艦を建造する案です。
 アメリカは、すでにこの時点で、日本との艦隊決戦は、古典的な戦艦対戦艦のみの決戦ではなく、空母機動部隊による制空権を確保した元での戦艦対戦艦の砲戦を想定していました。このため、第一に優先すべきは、日本の機動部隊を護衛する金剛級日本戦艦4隻を圧倒的に上回る戦力を持った戦艦部隊を空母機動部隊に随伴することと考えました。
 この結果、1939年には、アイオワ級の高速戦艦の建造が優先され、戦争後期にはアメリカ海軍最新最強の戦艦として4隻が次々と就航します。
モンタナ級と呼ばれた巨大戦艦建造は大戦途中で中止されたため、結果的には、このアイオワ級が大和と戦う戦艦となったのです。
 ※阿部安雄・戸高一成編『福井静夫著作集 世界戦艦物語』(光人社 2009年)P239−249
 ※歴史群像太平洋戦争シリーズ『アメリカの戦艦 「テキサス」から「アイオワ」級まで40余年にわたる発達史』
                                                  (学習研究社 2007)P035−153 
 

 ハワイオアフ島の真珠湾に記念艦として繋留される直前の戦艦ミズーリ。手前は、真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの煙突部分と、その上に作られているアリゾナ記念館。
 この画像は、「U.S.Navy Photo Gallery(アメリカ海軍の写真集)」(パブリック・ドメイン)からコピーしました。以下の2枚も同じです。
  ※アメリカ海軍の写真集のサイトはこちらです。

 ヴァージニア州ノーフォークの海軍基地の波止場に、ナショナル・マリタイム・センターの記念艦として繋留されている戦艦ウイスコンシン。 


 現役引退後、記念館となるため、フィラデルフィアへ向けてデラウエア川を曳かれていく戦艦ニュージャージー。
   この写真は、1999年11月の撮影ということです。

 アイオワ型の4隻の戦艦は、いずれも太平洋戦争終了後一度は引退しましたが、その後、また現役に復活し、朝鮮戦争に参加しました。

 その後2度目の引退をしましたが、戦艦ニュージャージだけは、現役のままであり続け、ベトナム戦争にも参加しました。
 
 それで終わりかと思いきや、なんと4隻とも1980年代の中頃から後半にかけて、3度目の現役復活を果たします。

 レーガン大統領の「強いアメリカ」戦略のひとつとして、トマホーク巡航ミサイルやハープーン対艦ミサイルを装備して再登場しました。
 4隻のうちミズーリとウイスコンシンは、湾岸戦争にも参加しました。
 ハワイのミズーリ記念館の説明板によれば、湾岸戦争の時には、戦艦ミズーリは289発の主砲弾を発射しています。

 1990年代初めには、4隻とも最終的に退役しました。

 【追記記述】2012年8月11日 アイオワ記念艦のオープンについて
 ニュージャージ、ミズーリ、ウィスコンシンに続いて、戦艦アイオワも記念館として公開されることになりました。
 他の3艦も含めて別のページで紹介しています。
  →旅行記・海外交流「アイオワとの草の根交流18 戦艦アイオワ、博物館になる」


 戦艦大和と戦艦アイオワの諸元を比べると次のようになります。
 これで、アウトレンジ戦法は可能だったでしょうか?
戦艦大和と戦艦アイオワの比較
戦艦大和 戦艦アイオワ
1937年11月 起工 1940年6月
1940年8月 進水 1942年8月
1941年12月 就役 1943年2月
65,500トン 基準排水量 48,500トン
263.0m 全長 270.43m
38.9m 全幅 32.97m
10.4m 吃水 10.69m
27ノット 最大速 33ノット
45口径46cm砲×9 兵装 50口径40.6cm砲×9
 次のページでは、46cm主砲について、いろいろなデータを元に考えます。


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