飯田線秘境駅めぐりレポート1 飯田線の魅力 | 先頭へ | |
「春の小旅行その1」として、JR飯田線の秘境駅に行ってきました。日帰り旅行のレポートその1です。
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1 今回の旅行はツアー旅行、おとくな「JR50プラス」 |ページの先頭へ| |
妻
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「今年もゴールデンウィークには、どこか旅行に行きたい。」 |
夫 |
「残念ながら、昨年までと違って、まとめて休みを取ることができないから、日帰り旅行ぐらいしかできない。」 |
妻 |
「そう思って、いいのを見つけといた。以前加入していた、「JR50+(フィフティ・プラス)」のパック旅行。」 |
夫 |
「ほほう、どんなのがあるの。」 |
妻 |
「特に面白いのは、この「飯田線秘境駅めぐり」。これ行きたい。」 |
夫 |
「なになに、鉄道の秘境駅?」 |
我が家では、旅行の行き先の発案は、ほとんど我妻の「あそこ行きたい」「あの町みたい」というごく日常のつぶやきが出発点になっています。しかし、夫が自分の希望のすべてを実現しないことから(当たり前です。そんなことしたら日程的にも予算的にも破綻します。(^.^))、しだいに夫が賛成できそうなプランを薦めるというコツを覚えてきました。
夫の賛成が得られるコツは、当然ながら、その内容に鉄道とミリタリーと歴史の勉強と温泉が含まれることです。また、反対に却下されるのは、グルメやファッション優先の旅行です。(^.^)
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今回の「飯田線秘境駅めぐり」の提案は、そういう点では、実現可能性100%の最良プランです。我が妻ながらよく探したものです。
「JR50+(フィフティ・プラス)」というのは、その名も、「50歳からの旅クラブ」と銘打った、JR東海ツアーズ主宰のパック旅行です。インターネットで登録しておくと季節ごとにツアー・プランを紹介する冊子が送付され、そこには結構お値打ちな旅行プランが満載されています。
めざとい妻は、夫が好きそうなプランを見つけて提案したのでした。早速電話して申し込みしました。
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このツアーの最大の利点は、価格がお値打ちな点です。
この「飯田線秘境駅めぐり」旅行も、もしツアー料金によらずに通常の特急電車を利用すれば、基本的には次の料金となります。
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名古屋ー豊橋(新幹線こだま号自由席)往復 (通常料金 運賃+自由席特急券)×2 |
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(1,280円+950円=2,230円) ×2=4、460円 |
2 |
豊橋ー天竜峡(行きは特別列車、帰りは特急伊奈号)往復 |
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(2,210円+2,490円=4,700円) ×2=9、400円 |
3 |
秘境駅弁当 市販価格 約 1,000円 |
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合計 一人分 14,860円 |
ところが、実際のツアー料金は、9,800円です。およそ、5,000円の割引と言うことになります。 |
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写真-01・02 往復のチケットと秘境駅弁当 (撮影日 13/04/21)
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JR飯田線とはどんな路線なのでしょうか?また、秘境駅とはどんなものなんでしょうか?
まずは、JR飯田線の紹介です。
JR飯田線は、東海道本線の豊橋と、中央本線の辰野との間を結ぶローカル線です。全線で195.7kmの営業キロ数があり、辰野と豊橋を含めて合計94の駅があります。ツアーの列車の車掌さんの案内では、「日本一長いローカル線」だそうです。また、トンネル数も138あり、「地下鉄飯田線」とあだ名されます。
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現在全線を走破する直通普通列車は、1日1往復だけ運行されています。豊橋ー上諏訪(辰野から中央本線に入る)間を走る普通電車です。
この電車は豊橋発10:42、辰野着17:18です。所要時間は、なんと、6時間36分です。195.7kmにある94の駅をめぐるのですから、これだけの時間がかかります。平均駅間距離は、195.7km÷93=2,104mです。2km強に一駅があるのです。ちなみに、この上諏訪ー豊橋間を走る普通列車は、現在の全国の長時間走行ローカル列車の第二位です。(第一位は、北海道根室本線の滝川ー釧路間を走る列車の8時間02分)
そして、上記の普通電車の平均時速は、195.7km÷6時間36分=29.65kmです。ちょっと早い自転車なら、先についてしまいます。飯田線が全線開通した70年前の電車の性能でも、「全線所要時間7時間」となっていますから、電車の性能がよくなっても、この路線にはほとんど関係がないことになります。
つまり、JR飯田線は、長い距離をひたすらのんびりと走るローカル線というわけです。
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飯田線のこの特色を利用して、かの鉄道ミステリーの大家、西村京太郎氏は、「愛と死の飯田線」という作品を残しています。
※参考文献1 『最果てのブルートレイン』(カッパノベルス 1986年所収)P110-210
この作品では、飯田線がアリバイトリックに使われています。
二人の女性が知り合ったばかりの男性と辰野発の飯田線電車に乗ります。当時は存在していた、始発電車の辰野発04:48に乗車し、終点まで行きます。豊橋着は11:16です。
二人とも電車に乗っていたと思わせておいて、女性のうち片方が途中の飯田駅で電車を降り、まず中央高速道路を使って中津川へ行き、そこから中央本線の特急電車で名古屋へ向かいます。
名古屋で下車して短時間に殺人を犯した後、新幹線で豊橋駅へ向かい、逆に飯田線の豊橋発の電車に乗って途中まで行きます。そして、途中駅で下車してやってきた辰野発の始発電車に乗り込み、知り合いの男性に、ずっとこの電車に乗っていたと思わせるのです。
これは、飯田線のこの電車が始発の辰野から終点の豊橋駅まで6時間28分もかかっていることを利用したものです。まあ、急ぎの用のある人なら、こんなに時間がかかる飯田線を全線乗車しようとは思いませんね。
この物語は、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、沢口靖子主演の鉄道警察官シリーズの第4作「愛と哀しみの飯田線」として放映されました。(2004年9月11日)
もうひとつ、別のドラマもありました。
同じく辰野から乗った女性が車内に録音機をおいて途中下車し、再び辰野へ戻って中央本線で東京へ行き、そこで殺人を犯します。すぐさま東海道新幹線のぞみ号で名古屋まで行き、こだま号で豊橋へ戻って、そこから飯田線で途中まで行き、最初に乗っていた電車に再び乗車して、ずっと乗っていたふりをするというものです。車内においておいた録音機を再生して、「どこどこ駅で遠足の小学生が乗り込んできたなどと、さもずっと飯田線の乗っていたかのように証言し、アリバイをつくるというドラマです。これは題名を忘れました。
殺人事件のトリックに利用できるぐらい、のんびり走る路線なのです。
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写真-03 豊橋駅の飯田線・名鉄線の発着案内(撮影日 13/04/21)
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飯田線のマイナーな魅力としては、豊橋駅における名古屋鉄道本線(名鉄本線)との線路・駅舎の共有です。
JR豊橋駅の3番線が、名鉄専用ホームとなっています。
また、豊橋から平井信号所までは、飯田線と名鉄線は、複線の線路を共有して使っています。途中にある豊川放水路の鉄橋も、下流側は名鉄鉄橋、上流側は飯田線鉄橋となっています。
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写真-04 豊橋駅3番ホームから発車する名鉄電車、名鉄岐阜行き急行(撮影日 13/04/21)
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飯田線のもう一つの魅力は、このツアーのテーマになっている秘境駅です。
もともと飯田線は、それぞれ異なる意図によって建設された4つの私鉄がつながってできた路線です。
4つの私鉄とは、南から、豊川鉄道(豊橋ー豊川ー新城ー長篠)、鳳来寺鉄道(長篠ー三河川合)、三信鉄道(三河川合ー天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡ー飯田ー辰野)です。
このうち、最も早かった豊川鉄道の一部路線が開通したのは1897(明治30)年のことであり、最後の区間、三信鉄道の小和田ー大嵐間の開通は、1937(昭和12)年のことでした。幸いにもこの4鉄道の軌道は、すべて同じ1,067mmであったため、各鉄道間の列車乗り入れが容易にできました。そして、列車輸送の効率化が叫ばれた第二次大戦中の1943(昭和18)年には、4線そろって国有化がなされました。
飯田線の交通史上の位置づけは、南信州の地域を直接東海道本線に結びつけ南信の森林資源等を市場に運ぶ鉄道であり、また信濃(長野県)・遠江(静岡県)・三河(愛知県)の国境(県境)における電源開発のための資材運搬のための鉄道であったといえるでしょう。
※参考文献2 東海旅客鉄道株式会社飯田支店監修『飯田線ろまん100年史』(新葉社 1997年)P16-33
この路線のうち、最後に開通した長野県の最南部地域は、沿線中では最も自然豊かな地域です。
西から中央アルプス(木曽山脈)が東から南アルプス(赤石山脈)が迫り、狭隘部を天竜川(諏訪湖を源流とし遠州灘に注ぐ)が南下する三県県境地帯は、鉄道建設の難所でもありましたが、それゆえ過疎化が進んだ現在では、駅の周りに極端に人家が少なく道路も通っていない駅がいくつも存在します。
それらが秘境駅と呼ばれており、このツアーは、ローカル線のそうした珍しい駅をめぐるツアーなのです。
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写真-05・06 特別列車 飯田線秘境駅号とヘッドマーク (撮影日 13/04/21)
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飯田線秘境駅号は、9時51分に豊橋駅を出発し、次の旅程表に従って、南信濃へ向かいます。 |
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行きの行程は、途中何度も停車して秘境駅を7駅めぐります。
秘境駅での停車時間は、最大20分ほど、短い場合は5分で発車です。これは通常の列車ダイヤでは不可能なことです。もちろん特別仕立ての列車「飯田線秘境駅号」ならではの技です。
最終目的地の天竜峡で下車してそこを見物し、帰りは天竜峡からは、豊橋行きの通常の特急列車「伊那路4号」に乗って、まっすぐに豊橋へ戻るという旅程です。
豊橋を出発してまもなく、車内放送での車掌さんの案内がありました。その一つに面白いくだりがありました。
放送
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「なお、秘境駅での停車時間はそれぞれ異なっております。皆様に提示する発車時間までには必ずお席にお戻りください。観光バスと違って人員の点呼等は行わず、発車時間がになれば列車は発車いたしますので、ご協力よろしくお願いします。」
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私 |
「ちゃんと戻ってこないと置いてけぼりを食うと言うことだね。」 |
妻 |
「写真撮影に夢中で、乗り遅れないでね。」 |
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写真-07・08 新城駅。単線ですからいろいろあります。反対方向の普通電車とすれ違い、後発の特急電車に追い越されました。(撮影日 13/04/21)
左の写真の黄色いパーカーを着た方は添乗員さんです。10:40出発のプラカードを持って案内です。すべての駅で乗客への乗車時間案内をしていました。
私「ほんとうに置いてけぼりと言うことはありますか?」
添乗員「今年の開催ツアー(この日で6回目)ではまだ一度もありません。」
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写真-09・10 新城駅にある長篠合戦の両軍配置図 (撮影日 13/04/21)
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新城駅から長篠駅にかけての地域は、1573年に織田信長軍と武田勝頼軍が戦った長篠の合戦の古戦場です。左は新城駅にある説明版。右は列車内から撮影した旧長篠城跡。
長篠合戦については次のページで通説の鉄砲三段撃ちを批判する学説を紹介しています。
※目から鱗の話 「銃砲の歴史2 長篠の戦い01「通説」への疑問」
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豊橋を出発した飯田線電車は、新城、本長篠、三河川合と豊川沿いに愛知県三河地方を北東に進んだあと、愛知県北設楽郡東栄町にある東栄駅を最後に愛知県を離れて静岡県に入ります。
静岡県の最初の駅は、浜松市天竜区佐久間町浦川にある出馬駅です。
しばらく東進すると、天竜川の本流沿いにある駅、中部天竜に到着します。開通当時の飯田線は、ここから天竜川の本流沿いに長野県へ向かっていました。
しかし、1952年に佐久間ダムの建設が決定されると、佐久間ー大嵐間の13kmがmダム湖の湖底に水没することになってしまいました。このため、天竜川本流沿いの中部天竜と大嵐駅間の路線を、東の水窪(みさくぼ)川沿いに作り替える工事が開始され、1955年に完成しました。
この時に現在まで飯田線の名物となっている橋梁が新線に建設されました。城西ー向市場間にある第六水窪川橋梁は、通称「渡らずの鉄橋」と呼ばれています。
本来橋梁とは、川を渡るものとして建設されます。ところがこの橋梁は、水窪川左岸から川の中央へ向かい、そこからまたカーブして川の左岸に戻ってきてしまう鉄橋なのです。
このような不思議な鉄橋が建設された理由は、この場所の地盤のもろさにありました。当初は、急峻な断崖が迫る水窪川左岸をトンネルで通過する路線設定でしたが、トンネルを掘るに耐えうるだけの地盤の堅さが期待できず、ついに、現在のような鉄橋を架けて迂回するという方法となったわけです。
※前掲『飯田線ろまん100史』P73-76
※参考文献3 岡田文士著『東海ロ-カル線の旅』P64
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第六水窪(みさくぼ)橋梁(渡らずの鉄橋)
上は行きの車内の座席からの撮影。
下は、帰りの先頭車両からの撮影です。書物によってはS字橋と表現されていますが、形状はむしろ「円弧形」の鉄橋です。
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上の写真は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、「渡らずの鉄橋」周辺の地図です。
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【飯田線秘境駅レポート1 参考文献一覧】
このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。
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西村京太郎著「愛と死の飯田線」『最果てのブルートレイン』(カッパノベルス 1986年)所収
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東海旅客鉄道株式会社飯田支店監修『飯田線ろまん100年史』(新葉社 1997年)
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3 |
岡田文士著『東海ロ-カル線の旅』(風媒社)
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よくあるパターンですが、「秘境駅レポート」といっておきながら、秘境駅の紹介は次のページになってしまいました。乞うご期待。
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