現代の世界その2 |
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<解説編> |
1202 民主党が南部諸州の支持を失った理由は? | 問題編へ | | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これはちょっと重い問題です。そして、世界史を教える側にちょっと錯覚もあると思える部分なので、より複雑です。
結果はご存じの通り、リンカンが勝利し、第16代大統領となりました。しかし、南部諸州はこれを認めようとせず、ジェファーソン・デイビスを大統領とするアメリカ連合国(Confederate states of America)を結成し、アメリカ合衆国から分離します。 そして、南北戦争となるわけです。 ここで政党とその支持基盤に注目してみましょう。 ![]() 右は、1860年の大統領選挙の結果(州別の選挙人獲得状況)です。 一目瞭然、南部諸州のほとんどでは、民主党が勝利しています。 つまり、北部は共和党、南部は民主党の図式がこの時できあがります。(両党の色以外の州は、第3、第4党の候補者が勝利した州です。) この傾向は、20世紀になっても続きます。 下の左は、1924年の選挙結果です。 1920年代、アメリカは空前の繁栄の時代であり、1920年選挙時のハーディング、1924年選挙時のクーリッジ、そして1928年選挙時のフーバーと、共和党が3期連続で勝利しました。 つまり、1924年の選挙では、民主党は全体では敗北したのですが、強固な地盤であった南部諸州では、勝利しているのが分かります。
この時の選挙は、2代続いたアイゼンハワー大統領の共和党政権の後を受けたものでした。政権継続をねらう共和党のニクソン候補を、民主党の若きケネディー候補が破った選挙です。 ここでも、民主党は、南部を地盤とし、東部や中西部にも勢力を広げて勝利しました。 ここで、ちょっと注目しておきたいことが一つあります。 任期途中の1963年11月、ケネディー暗殺の場所となったダラスがあるテキサス州は、民主党が勝利した州です。意外には思われませんか?このことは、またあとでお話しします。 さて、右の地図は、まだ記憶に新しい2000年の選挙結果です。 ![]() いかがでしょう。まるで、これまでの色が逆転したかの印象を与えるのではないでしょうか。 南部は、「最後の決戦」の舞台となったフロリダを含め、ことごとく共和党が勝利しています。 では、1960年と2000年、この間に何があったのでしょう。長くなりましたが、ここがこのクイズが問題にしているところです。 ちなみに、以下に、南部諸州が、第二次世界大戦後の選挙で、どのような動きを示したかを一覧 ![]() まずは南部諸州の略号です。
それぞれの選挙で共和党・民主党のどちらが勝利したかを示しています。どちらの色でもない欄は、別の政党が獲得しました。
The American Presidency Project の Presidental Elections のページ ![]() 上表を見れば、民主党にとっては、1960年までは、南部は盤石な地盤であったといえるでしょう。ところが、1964年には半数を共和党に奪われ、それ以降は、南部ジョージア州出身のカーター大統領の時の例外を除いては、南部は、共和党が圧倒的に優勢な地域となっていることが分かります。 正解は、1960年代に起こった、黒人に対する差別を撤廃する公民権運動によって、民主党はケネディ政権の時代に公民権法の制定に動き、彼の暗殺後、1964年には公民権法が制定されました。 これによって、南部諸州の白人保守層は、南北戦争以来の民主党支持をやめ、共和党支持へと変わったのです。 そもそも、1932年、それまで12年続いた共和党政権に代わって、民主党のF・ルーズベルト大統領が当選して以来、アイゼンハワーの2期を除いては、民主党が大統領の座を占め続けました。アイゼンハワーは、第二次世界大戦で活躍した将軍として人気絶大でしたから、これはむしろ例外といえます。 民主党がこれほど長く安定して指示を受けたのは、いわゆる「ニューディール連合」の形成に成功したからです。 「ニューディール連合」とは、F・ルーズベルト大統領のリーダーシップの下に、労働者、南部の白人、イタリア系・ユダヤ系等の白人マイノリティーズ、カトリック、黒人等のさまざまな集団を、社会的弱者の福祉と権利を増進したリベラルな公共政策でまとめあげたものであり、その当時における広い意味でのマイノリティーズの大連合でした。 「しかし、60年代に入って、ニューディール連合は次第に分裂傾向を示すようになった。 この連合絡まず離脱したのは、南部の白人層であった。民主党が黒人の権利を擁護する公民権法案への支持を強めたことに反発した彼らは、1964年の大統領選挙で、「偉大な社会」計画を推進するジョンソン大統領に反対し、共和党右派のゴールドウォーター候補を支持した。南北戦争以来民主党の強固な地盤であった南部諸州は、この64年選挙以降、南部出身のジミー・カーターが最初に立候補した1976年選挙を除いて、もはや民主党の大統領候補を支持しなくなってしまった。(中略) アメリカ社会の豊富化と福祉社会の進行も、ニューディール連合を弛緩させるものであった。マイノリティーズの地位から脱却し中産階級化した人々にとって、リベラルな福祉政策や弱者の権利保護は、かつてのような魅力を持ちえなかった。とりわけ一方で、福祉政策の整備によって関連支出が膨張を続け、他方、石油危機を直接的契機とする70年代の世界的不況にともない歳入増がそれに伴わず財政赤字が累積するにいたると、中産階層化した人々は、増税によって高福祉を維持するよりも、福祉関連支出の削減を求めるようになった。つまり、ニューディール以来金看板となってきたリベラルな公共政策とそれを担保する「大きな政府」は魅力を減じ、自由競争と市場経済を信頼し、経済活動への政府に介入に反対し、「小さな政府」を主張する共和党的保護主義が支持を集めるようになったのである。」 ※佐藤誠三郎編「文明としてのアメリカC 自由と連合」(日本経済新聞社1985年)P286〜288 さて、ケネディ大統領暗殺はそれ自体興味ある「事件」ですが、このような流れの中で位置づけることができれば、学習に対する理解は深まります。 以下、次に続編があります。続けてお読みください。 ※現物教材「南部連合旗」 ![]() ※現代社会クイズ「2004年選挙へ向けて民主党大統領候補が南部の支持を得るためにしたことは?」 ![]() ※現物教材「ケネディ暗殺時の大統領専用オープンカー・リンカーンの模型 輸入版」 ![]() ※世界史クイズ「アメリカでその誕生日が国の祝日となっている大統領は?」 ![]() |
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