現物教材 世界史9

 現代005  大統領専用車リンカン・コンチネンタル ケネディ暗殺時版           | 目次へ

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  ※世界史クイズ「民主党が南部諸州の支持を失った理由は?」
  ※現物教材「南部連合旗」
  ※現代社会クイズ「2004年選挙へ向けて民主党大統領候補が南部の支持を得るためにしたことは?」

 この現物教材は、1963年11月22日、アメリカ合衆国テキサス州ダラスで、ケネディ大統領が暗殺された時に乗車していた、フォード社の
リンカン・コンチネンタルの模型です。

<以下の説明の目次>
 
○この現物教材の入手について
 ○Kennedy Car について
 ○暗殺後のX−100
 ○ケネディ暗殺と伊藤博文暗殺の共通点

 

   
○この現物教材の入手について | 先頭へ |

 これは、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市にあるヘンリー・フォード・ミュージアムのミュージアムショップで売られているもので、インターネット上で購入しました。

 ヘンリー・フォード・ミュージアムには、フォード社の歴史、ヘンリーフォード自身の収集の展示はもちろん、自動車や乗り物に関係するアメリカの事件や庶民の生活をテーマにした展示もあり、アメリカでも有数の総合的な博物館です。
 ※こちらはヘンリー・フォード・ミュージアムのトップページ

 たとえば、一台の古びたバスが展示されています。
 これは、1955年12月1日、アラバマ州の州都モントゴメリーで、ロ−ザ・パークス(Rosa Parks)という黒人婦人が勇気ある行動をおこなった記念すべきバスです。

 当時のバスは当たり前に白人席と黒人席が区別されていました。がら空きの白人席に座っていたローザ・パークスさんに白人運転手が黒人席への移動を命令しました。彼女はこの移動「命令」を拒否したため、当時のごく普通の常識に従って逮捕されました。
 これをきっかけに、黒人のバス乗車ボイコット事件が起こり、さらには、このあと1960年代の公民権運動への発展へとつながる歴史的な事件でした。
 ※こちらは、ローザ・パークスさんが差別を訴えたバス

【05/11/13追加記入】

 ローザ・パークスさんが、2005年10月24日(現地時間)に亡くなりました。
92歳の高齢で、最近では痴呆症を患っていたと伝えられていました。
 悲報の知らせを聞いたブッシュ米大統領は25日に声明を出し、「(ロ−ザ・パークスは)20世紀で最も(人々を)啓発した女性の一人だった。彼女はこれからも常にアメリカ史で特別な位置を占める存在であり続けるだろう。彼女と彼女の愛する人々のために我々合衆国全体は祈っている」と述べました。


 さて、この
大統領専用車リンカン・コンチネンタルケネディ大統領暗殺時版、通称「Kennedy Car」は、大統領夫妻やコナリーテキサス州知事夫妻等のフィギュアも含めて、43分の1の模型で、長さ15センチほどです。
 価格は、63ドルです。ホームページ上で申し込むと、受付のあとに、船便・飛行機便のどちらにするかの問い合わせのメールが来て(やりとりはすべて、もちろん英語です)、どちらかの手段を選択して申し込むことになります。
 船便は45ドル、航空便は98ドルです。

 「ものは小さく、値段は高く」、とてもとても貴重な現物教材です。 

 
 

荷物は、NGO つまり、名古屋空港経由で来ました。
 購入費用は、送料を含めて、161米ドル、この時のレートは、1$=111.121円でしたので、合計17,890円でした。


○Kenedy Car について       | 先頭へ |

 この車は、1961年フォード社で生産され、大統領のパレード専用に改造されました。シークレットサービスからは、X−100と呼ばれていました。
 改造され主な点は、次の通りです。 

  1. 2機の自動車電話の設置

  2. 予備の乗員のための補助椅子の設置(ケネディ夫妻と運転手のシークレットサービスの間、テキサス州知事のコナリー夫妻が座っている席)、

  3. 夜間のパレードの際に大統領を照らす投光器の設置

  4. 車体の外にシークレットサービスが足をかけて載るための引き込み式のステップの設置

  5. 周囲の人から大統領がよく見えるように、後部座席を水圧で30センチ弱上昇させる装置の設置

 しかし、この車は、防弾鉄板や防弾ガラスなどの「兵器」は装備していませんでした。今から思うと信じられないことですが、この車のコンセプトが、「大統領を多くの人に見せる」ことにあったからです。

○暗殺後のX−100
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 「暗殺後、この車はどうなったか?」というクイズを出したとすると、大統領が暗殺された車なんて忌まわしいものは、「廃棄された」というのが日本的な感覚です。

 ところが、この車は、暗殺後も活躍します。
 暗殺の翌月、1963年の12月に再び改造を担当する会社に戻されたX−100は、次の改造が施されました。

  1. 車体色をもともとのミッドナイト・ブルーから黒に塗り替え

  2. オープンカーから、防弾鉄板付きの屋根付き車へ

  3. 大統領を守るためのチタン製の防弾鉄板、防弾ガラスの装備など銃弾に対する後部座席の徹底した保護

  4. 通常装備のエンジンと比べると17%も馬力をアップした特別製エンジンの搭載

  5. 特別製のアルミニウムのリムを内蔵したタイヤへの変更

  6. 弾丸が貫通しても爆発しないように特別な気泡入りゴムで守られた燃料タンク

  7. 通信設備の改良

  8. さらなる防弾装置の追加を可能とする車体フレームの強化

 この結果、X−100の重量は、改造前に比べて、1トンも増加しました。

 そして、1964年5月に改造を終えたX−100は、再び大統領専用車に復帰し、以後、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーターの各大統領の専用車として活躍しました。
 引退は、暗殺から14年後の1977年です。

 しかし、当然ながら、大統領がオープンカーから手を振りながら笑顔を振りまくという光景は、二度と見られませんでした。
  ※以上、「The Kennedy Car」のパッケージの解説を和訳
 
 X−100は引退後、旧Kennedy Car として、ヘンリー・フォード・ミュージアムに展示されました。しかし、前の形に戻されたわけではありません。屋根付きの状態で展示されています。

 しかし、それ以降の大統領専用車は、警備上の秘密を守るため、引退後は破壊されてしまい、今は残っていません。今後もその方針は堅持されます大統領専用車の展示となります。
  ※『朝日新聞』(2003年11月15日)朝刊
 


○ケネディ暗殺と伊藤博文暗殺の共通点    | 先頭へ |

 2003年はケネディ暗殺から40年目です。
 事件の日に当たる11月22日前後には、アメリカで多くのイベントが開催されました。もちろん、ケネディ暗殺への疑惑が、アメリカ国民をしてケネディの記憶を風化させないでいるのです。

 ケネディ暗殺後、副大統領から昇格したジョンソン大統領は、調査委員会(ウォーレン委員会)を設置して、真相の究明を当たらせました。
 1964年、ウォーレン委員会の調査報告書が出されましたが、その結論は、元海兵隊員リー・オズワルドの単独犯行説でした。
 
 しかし、事件直後も今も、多くのアメリカ人は公式報告に満足していません。
 1998年にアメリカ3大TVネットのひとつ、CBSが行った世論調査でも、公式報告を信じる米国民は非常に少ない結果となりました。
 回答者の4分の3が何らかの謀殺だと考え、単独犯行を支持した人は、僅か1割でした。

 そもそも、犯人オズワルドが事件直後にあっさりと逮捕されてしまったことや、さらに、その2日後にダラス警察署の地下通路で、衆人環視の中で暗殺されてしまう不自然さが、疑惑の出発点でした。

 事件当初は秘密扱いされていましたが、現場で市民のひとりザクルーダ氏が撮影したフィルムが、TVでも公開されて、不審を明白なものにしています。これを見ると、報告書が真実でないことは、初めて見たものでも分かります。

 報告書では、犯人オズワルドはライフルを用いて、大統領を右後方から狙撃したことになっています。
 しかし、フィルムを見れば、大統領にとって致命傷となった頭部に命中した弾丸が、後方からではなく、前方から撃たれたことが明白です。

 大統領は、前方からの衝撃で後ろにのけぞり、銃弾が貫通した後頭部からは脳と骨が飛び散って、自動車の後部ボディの上に落下します。

 映像では、その肉片を、妻のジャクリーヌさんが「拾い集める」という行動をしていることが映し出されています。
 本論からはずれますが、彼女がとっさに、撃たれた夫を看病すると言う行動よりも、失われた大切な夫の肉片を集めるという行動をとったと言うことが、その場の凄惨な状況をよりリアルに示していて、痛ましい限りです。
 
 撃たれた弾丸を3発とすることにも無理があります。
 3発に限定すると、1発目の弾丸は、ケネディとその前の席のテキサス州コナリー知事に、通常では考えられないような複数の傷を負わせたことになってしまいます。操縦でもしない限りあり得ない弾丸の軌跡となるのです。 
 
 犯人が複数いたこと、オズワルドは犯人に仕立て上げられたこと、撃たれた銃弾も3発ではなく、6発または7発であること。これらは、すべて、1991年のオリバー・ストン監督のワーナー・ブラザース映画『JFK』に見事に描かれいます。
 わたしは、この3時間以上の長い映画を3度も見ましたが、なぜケネディが狙われたのかと言う設定も含めて、何度見ても興味が尽きない映画です。

 今年になって、歴史家のロバート・ダレク著『未完の人生 ジョン・F・ケネディ』がアメリカでベスト・セラーになりました。
 また、暗殺命日には、ペンシルバニア州ピッツバーグのデュケンス大学で、公文書公開などの明らかになった真実を加えて、真相に迫ろうという大がかりなシンポジウムが開かれました。
  ※『朝日新聞』(2003年11月15日)朝刊
 これらは、やがて、日本語訳になって読むことができるでしょう。

 最後に、ひとつ、関連した日本史の事件を紹介します。
 それは、1909年に満州(現在の中国東北部)のハルビンで起こった伊藤博文暗殺です。
 
 この事件の犯人は、日本史の教科書にも登場する安重根で、朝鮮独立の運動家であった彼は、これによって韓国史のスーパーヒーローになっています。
 ※安重根については、日本史クイズを参照ください。

 通説では、暗殺は安重根の単独犯行で、彼は、7連発のピストルから、自殺用の1発を残して6発発射し、伊藤に3発命中させました。

 しかし、これもケネディ事件と同じように、弾丸の体内への入射角の問題、現場の証言との矛盾等から、複数の犯人説が妥当であるという意見が出されています。
 その場合、謀殺の黒幕は、ロシア人高官説、日本人高官説、朝鮮人複数犯人説など、これまたいくつかの可能性が考えられます。
 ※海野福寿著『集英社版 日本の歴史Q 日清・日露戦争』(集英社1992年)P245〜249
 ※大野芳著『伊藤博文暗殺』(新潮社 2003年)


 以下、関連する項目があります。ご覧ください。
  ※世界史クイズ「アメリカでその誕生日が国の祝日となっている大統領は?」
  ※世界史クイズ「民主党が南部諸州の支持を失った理由は?」  
  ※現物教材「南部連合旗」
  ※現代社会クイズ「2004年選挙へ向けて民主党大統領候補が南部の支持を得るためにしたことは?」
 


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