○Kenedy Car について | 先頭へ |
この車は、1961年フォード社で生産され、大統領のパレード専用に改造されました。シークレットサービスからは、X−100と呼ばれていました。
改造され主な点は、次の通りです。
2機の自動車電話の設置
予備の乗員のための補助椅子の設置(ケネディ夫妻と運転手のシークレットサービスの間、テキサス州知事のコナリー夫妻が座っている席)、
夜間のパレードの際に大統領を照らす投光器の設置
車体の外にシークレットサービスが足をかけて載るための引き込み式のステップの設置
周囲の人から大統領がよく見えるように、後部座席を水圧で30センチ弱上昇させる装置の設置
しかし、この車は、防弾鉄板や防弾ガラスなどの「兵器」は装備していませんでした。今から思うと信じられないことですが、この車のコンセプトが、「大統領を多くの人に見せる」ことにあったからです。
○暗殺後のX−100 | 先頭へ |
「暗殺後、この車はどうなったか?」というクイズを出したとすると、大統領が暗殺された車なんて忌まわしいものは、「廃棄された」というのが日本的な感覚です。
ところが、この車は、暗殺後も活躍します。
暗殺の翌月、1963年の12月に再び改造を担当する会社に戻されたX−100は、次の改造が施されました。
車体色をもともとのミッドナイト・ブルーから黒に塗り替え
オープンカーから、防弾鉄板付きの屋根付き車へ
大統領を守るためのチタン製の防弾鉄板、防弾ガラスの装備など銃弾に対する後部座席の徹底した保護
通常装備のエンジンと比べると17%も馬力をアップした特別製エンジンの搭載
特別製のアルミニウムのリムを内蔵したタイヤへの変更
弾丸が貫通しても爆発しないように特別な気泡入りゴムで守られた燃料タンク
通信設備の改良
さらなる防弾装置の追加を可能とする車体フレームの強化
この結果、X−100の重量は、改造前に比べて、1トンも増加しました。
そして、1964年5月に改造を終えたX−100は、再び大統領専用車に復帰し、以後、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーターの各大統領の専用車として活躍しました。
引退は、暗殺から14年後の1977年です。
しかし、当然ながら、大統領がオープンカーから手を振りながら笑顔を振りまくという光景は、二度と見られませんでした。
※以上、「The Kennedy Car」のパッケージの解説を和訳
X−100は引退後、旧Kennedy Car として、ヘンリー・フォード・ミュージアムに展示されました。しかし、前の形に戻されたわけではありません。屋根付きの状態で展示されています。
しかし、それ以降の大統領専用車は、警備上の秘密を守るため、引退後は破壊されてしまい、今は残っていません。今後もその方針は堅持されます大統領専用車の展示となります。
※『朝日新聞』(2003年11月15日)朝刊 |