戦後世界と対立その2
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<解説編>
 

1105 中国人民義勇軍の戦いぶりは、何を鳴らして?          | 問題編へ |

 正解は次のとおりです。

「中国軍の戦法は、多正面で突破を図り、突破した地区に後続部隊を投入して縦深深く昼夜連続の突撃を反復するという波状攻撃を行った。この攻撃は、国連空軍の航空攻撃を回避するため主として夜間に行われたが、旧日本軍の夜間攻撃とは異なり、ドラやチャルメラを鳴らし、歓声を揚げて突撃を繰り返し、その損害を顧みない突撃は国連軍兵士に恐怖すら感じさせた。」
 ※田中恒夫「朝鮮戦争における軍事作戦の諸相」赤木完爾編『朝鮮戦争』(慶應義塾大学出版会 2003年)P286

 もともと軍楽隊というのは、そのルーツを探ると、兵士が怖じ気づかないように、リズムをとるものからスタートしました。
 中国人民義勇軍は、それが、
ドラとチャルメラだったというわけです。

 以下に、朝鮮戦争の概要を示します。詳細は、前掲論文等を参考にしました。
 また、
韓国映画「ブラザーフッド」(2004年6月公開)の紹介は、日記・雑感にあります。こちらです。


 日本の敗戦(1945)後、朝鮮半島は、北緯38度線を境に、北半分をソ連が、南半分をアメリカを中心とする連合軍が分割占領しました。
 米ソが、それぞれ支持する政権の樹立を意図した結果、48年10月には、朝鮮民主主義人民共和国が、翌49年1月には、大韓民国が成立します。
 T34型戦車などソ連からの武器援助を得て韓国軍に数倍勝る軍事力を保有した北朝鮮は、密かに武力統一計画を進めます。
 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍は、38度線全線で武力侵攻を実施。
 不意を打たれ兵力も少なかった韓国軍は総崩れとなります。特に韓国軍が戦車をもっていなかったことが致命的でした。

 ソウルは、開戦3日後の6月28日に陥落。破竹の勢いで韓国全土を蹂躙します。
 北朝鮮の当初の甘い予想に反して、アメリカの反応は早く、6月27日に海空軍の参戦を、30日には地上軍の投入が表明されます。日本にいたアメリカ軍部隊が続々と派遣されました。
 また、7月には、国連安全保障理事会の決議で国連軍が派遣されることが決まりました。(16カ国が軍隊派遣)
  
 当初、北朝鮮軍の勢いは、韓国軍はもとより、準備不足のアメリカ軍・国連軍をしても止めることはできず、北朝鮮軍は、釜山の東の洛東江の線まで後退を余儀なくされます。
 ところが、アメリカ海軍・空軍が制海空権握り、また、陸軍も戦車をはじめ北朝鮮軍に対抗できる兵器がそろうと、北朝鮮軍の進撃も、8月には停止せざるを得なくなりました。 

 朝鮮戦争は、当初は、北朝鮮・韓国、どちらが先に侵略したのかをめぐって論争が続きました。
 日本でも、共産主義・社会主義に賛同する勢力が強かった時代は、現在のような、北朝鮮=悪といった認識は、必ずしも常識的ではなかったのです。

 また、1990年代になって、韓国が旧ソ連から入手した文書によれば、北朝鮮は、戦争の既決についてきわめて楽観的な見通ししかもっていなかったことが分かりました。


 北朝鮮は、ソウルが陥落すれば、戦争は終結すると予想していたと考えられます。そういう北朝鮮にとって、アメリカ軍の予想外の素早い反応は、当初の目論見を狂わせるものとなりました。


 北朝鮮軍の苦しい状況を察知した国連軍は、北朝鮮軍前線後方の仁川に上陸作戦を決行。この方面の北朝鮮軍の兵力は少なく、9月28日にはソウルを奪回しました。
 釜山周辺の国連軍・韓国軍も北朝鮮軍への反抗を開始し、北朝鮮軍は総崩れとなります。
 国連は38度線突破を議決し、10月19日ピョンヤンを占領。総司令官マッカーサーは、中華人民共和国との国境である鴨緑江への進撃を命令します。北朝鮮軍は、次第に、北部に追いつめられていきます。
 ところが、中国は、朝鮮戦争への積極介入を決め、中国軍(正式には中国人民義勇軍)は、10月19日から鴨緑江を越えて、北朝鮮に進出しました。夜間にのみ部隊を移動させるという隠密行動でした。

 中国人民義勇軍は、10月25日から、当初、西部地域で戦闘を開始し、国連軍・韓国軍を追い返し始めます。この時点では、東部戦線では、まだ国連軍も有利な状況が続いており、国連軍は、10月25日以降も、北進を続けます。
 ところが、11月25日から中国人民軍の大兵力による本格的な介入が開催され、今度は国連軍・韓国軍が総崩れとなります。

 ソウルは、再び北朝鮮軍の手に落ちます。


 北緯37度線地域に後退した国連軍・韓国軍は、火力と機動力を整えて反撃を開始。
 中朝軍と数度の激戦が展開されました。
 この結果、ソウルは再び国連軍・韓国軍が奪回します。
 1951年7月から、休戦のための会談が始まると、両軍とも大きな攻勢を行わず、戦闘は局地戦となります。
 両軍は陣地を構築し、その一方で自軍の陣地の安全を図るために、相手軍陣地を攻撃するといった戦いが、2年ほど続きました。
  2年間の長い交渉の末、ようやく休戦が成立し、現在に至る国境線の確定、非武装地帯の設定等が決定されました。


 ところで、韓国映画「ブラザーフッド」では、画面にいろいろな戦闘場面が登場し、その中に、飛行機に詳しい人なら「おっと、なるほど」というシーンが登場します。
 ここは余談ですが
、朝鮮戦争中の戦闘機について、付録説明します。

ミグ15ジェット戦闘機
かかみがはら航空宇宙博物館の展示模型です。

 第二次世界大戦末期に、ドイツは、他国に先駆けてジェット戦闘機メッサーシュミットMe262を実戦に投入します。
 これによって、戦闘機の歴史は、ガソリンエンジンのプロペラ機(レシプロ機)からより高速な、ジェット戦闘機の時代へと移り変わったわけです。

 朝鮮戦争では、第二次世界大戦後アメリカが開発した、海軍の
F2HバンシーF9Fパンサー、空軍のF−80シューティングスターなどが投入されます。
  ところが、北朝鮮軍が、ソ連製の
ミグ15を登場させ(北朝鮮軍とはいうもののパイロットは実はソ連人が多かった)ると、アメリカ戦闘機は、その高性能に一気に不利な状況に置かれます。
  アメリカ軍機は、大戦末期からアメリカが開発していた直線翼(レシプロ機と同様、翼が胴体から直線に伸びている)戦闘機で、後退翼戦闘機(翼が後方へ伸びている)の
ミグ15の方が、より高性能だったのです。
 
 第二次世界大戦中日本軍戦闘機が手こずった
B29爆撃機も、ミグ15は簡単に撃墜してしまいました。
 そこで、アメリカがあわてて開発したのが、日本でもかの有名な、
ノースアメリカンF86セイバー戦闘機です。
 のちに航空自衛隊でも使われ、
映画『ゴジラ』の初期のシリーズでは、あえなく「撃墜」されたり、活躍したりといろいろ登場する名機です。
 同じ後退翼の
F86セイバーの登場によって、アメリカ軍(国連軍)は、優位に立つことができました。

 さて、
映画「ブラザーフッド」では、もう一つ別の戦闘機がCGで登場します。

チャンス・ボートF4Uコルセア戦闘機
かかみがはら航空宇宙博物館の展示模型です。識別マークはアメリカのそれではなくイギリスのものを付けています。

 右の戦闘機、チャンス・ボートF4Uコルセアです。
 映画の後半場面の迫力の戦闘シーンの時に、上空から北朝鮮軍陣地を攻撃するのが、この
F4Uコルセアです。
 見た通り、ジェット戦闘機ではなくプロペラ機です。
 このアメリカ海軍の飛行機は、1940年に初飛行した、アメリカ軍初の2000馬力エンジン搭載機でした。
 初飛行で、時速650kmを越えるスピードを出し、これまたアメリカ初の時速400マイル突破軍用機の栄誉を勝ち得ました。
 1939年初飛行の日本海軍のゼロ戦が、エンジン940馬力、最高時速533kmだったのと比べると、アメリカの技術と工業力の差は歴然です。
 海軍はこの
コルセアを制式機として採用し、航空母艦搭載の艦上戦闘機として、すぐさま大量生産を命じました。
 ところが、翼の形状が逆ガル型(ガル、つまりカモメのの羽と逆の形状)であったため、前下方向の視界が悪く、実際に飛んでみると、航空母艦の離艦・発艦には問題があることが分かり、そのため当初は陸上の海軍基地での利用となってしまいました。

 これによってアメリカ海軍は、同時期に開発されていたかの有名な
グラマンF6Fヘルキャットを艦上戦闘機として大量生産します。こちらは、同じ2000馬力エンジン搭載機でも最高速度は600km/hほどでしたが、無難な形でうまくまとまっていて大量生産しやすく、しかも使いやすかったことが取り柄となりました。
 この結果、太平洋戦争後半期のアメリカの海軍戦闘機といえば、グラマンF6Fヘルキャットと言われるくらい、この飛行機が主役となりました。

 しかし、第二次世界大戦後、再び、チャンス・ボートF4Uコルセアに活躍の舞台が回ってきます。
 高速生かした
対地攻撃用艦上戦闘機として現役の座を守り続け、朝鮮戦争では、ロケット弾発射装置を付けて、対地攻撃の主役となりました。
 結果的に、第2次世界大戦後はジェット戦闘機の出現で引退することになったグラマンF6Fヘルキャットは、合計生産機数
12,275機でしたが、しぶとく現役を続けたチャンス・ボートF4Uコルセアの合計生産機数12,571機となり、こちらの方が上回りました。
  ※野原茂著『図解 世界のレシプロ軍用機集 1909〜1945』(グリーンアロー出版社 2002年)P186、P190

 かくて、史実のとおり、チャンス・ボートF4Uコルセア
映画「ブラザーフッド」の中でも活躍します。 
  ※韓国映画「ブラザーフッド」(2004年6月公開)の紹介は、日記・雑感にあります。こちらです。

  ※現物教材日本史「太平洋戦争中の日米軍用機」に戦闘機の解説があります。こちらです。


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