兵器というのは、当然ですが、それを採用する国と軍の、兵器の使用や自国の将兵の取り扱いに関する思想が色濃く反映されます。また、兵器を開発するその国の経済力が兵器の能力の上限を決定します。
ここでは、太平洋戦争中の日米両軍の戦闘機の比較をしながら、両国の用兵思想・経済力の違いを説明します。
写真1は日本海軍の零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の21型です。ゼロ戦は1940年に制式に採用され、各種改良型が作られ、太平洋戦争の終了時点まで長く日本海軍の戦闘機の主役となりました。
各型とも共通して、小回りのきく運動性能(空中での相手戦闘機との格闘性能が抜群)と、増加燃料タンクをつけると最大航続距離が3350kmにもなるという「足の長さ」という大きな優れた特色を持っていました。武装も主翼に20mm機関砲を2門装備するという強力さです。
しかし、エンジンはほとんどの型で栄12型940馬力、栄21型1130馬力を搭載していたため、最高速度は550q前後でした。軽量化するために、パイロットを保護する操縦席後部の防弾板、燃料タンクの発火防止装置(特殊ゴムのシールドによる防弾燃料タンク)などは装備されておらず、攻撃による被弾にもろい飛行機でした。人命軽視というか、捨て身の攻撃が身上の飛行機でした。
開戦当初のアメリカ軍機は、ゼロ戦より特に優れた性能を持つ飛行機がなく、緒戦では、ゼロ戦は無敵でした。アメリカ軍は、正直なところ、日本軍がこんな優れた戦闘機を開発するとは考えていませんでした。
ところが、米軍は墜落したゼロ戦を捕獲し徹底的に分析した上に、日本より勝る技術をつぎ込んで、ゼロ戦の対抗機を次々と繰り出します。
その代表的戦闘機が、写真2の左側の海軍戦闘機グラマンF6Fヘルキャットです。
F6Fは2000馬力の高出力エンジンを積み、最高速度は600q以上、武装は12.7o機銃6門、航続距離は1750qという性能でした。
写真3はゼロ戦とF6Fの上からの比較写真です。同じ一人乗りの戦闘機なのに、F6Fの方が一回り大きいのが分かります。
操縦席の防弾板・防弾燃料タンクなどを装備して、なお600q以上の速度が出せたのは、2000馬力のエンジンのおかげです。
また、機銃が12.7oと、ゼロ戦の20oに比べて小さいのは、別に20oでなくても、日本機はパイロットの負傷や燃料タンクの発火によって簡単に落とすことができたからです。
12.7oと20oとでは、飛行機に積める銃弾の量も違いますし、また、命中率も違っていました。考えてもみてください、重い機関銃弾の方が、当然ですが、真っすくは飛ばずに、重力の加速度によって落ちていってしまいます。
写真4はアメリカ陸軍のリパブリックP47Dサンダーボルトです。この飛行機に至っては、一人乗りながら、2300馬力のエンジンを積み、対地攻撃用に爆弾を積むこともできました。
そして、写真5が、第二次世界大戦中の究極の戦闘機とまで言われた、アメリカ空軍のノースアメリカンP51−Dムスタングです。最高速度は700qを越え、敗戦までの5ヶ月間、B29とともに日本の空を席巻しました。
アメリカ軍機と、日本軍機の設計・用兵の違いは、今みてきたとおりですが、その相違は、単に発想の問題と言うよりは、技術力・工業力の相違から来るものでした。
日本の飛行機技術者たちも、戦争後半期には、2000馬力以上の出力を持つエンジンの開発に努力を傾けますが、結局は、完全に安定したものを量産することはできませんでした。
撃墜されたアメリカのB29爆撃機のエンジンを分解して調査した日本人の技師は次のように感想を書いています。
「エンジン全体の技術がきわめて常識的で、無理をしていない。減速比を2分の1にするため、遊速ギアの二段にして、外径を小さくコンパクトにまとめてあった。その分のしわ寄せがベアリングにきて、軸の径が小さくなるので、日本のようなケルメットでは面圧がもたない。そこで、銀ベアリングをいたるところに使っていて、誰がみても、これならいけるのではないかという設計になっていました。」
※前間孝則著『マン・マシンの昭和伝説』 (1993年講談社)上P228
専門家の難しい表現ですが、簡単に言えば、強度の高い銀ベアリングをたくさん使うことができたかどうかが、エンジン開発の能力を規定していたのです。
エンジンに以外にも、排気ターボ過給器(今では自動車にも使うターボエンジンのターボ)も、日本では全く開発されていませんでした。高高度の空気の薄いところで、エンジンが額面通りの馬力を出すには不可欠の排気ターボ過給器が、日本の戦闘機にはついていませんでした。この、技術力の差は、パイロットの技量で克服とかいう問題ではなかったのです。
目から鱗「昭和時代前半の日本は何だったのか」へ
※アメリカ海軍機コルセアの説明は、「クイズ世界史戦後世界と対立」にあります。こちらです。
※日本陸軍の飛燕と五式戦の説明は、「岐阜・美濃・飛騨の話 各務原・川崎航空機・戦闘機」にあります。
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