アメリカ独立・発展その2
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<解説編>
 

805 新渡戸稲造の『武士道』を読んで感動したアメリカ大統領は?    | 問題編へ |

  ※新渡戸稲造の『武士道』を読んでいない方は、こちらを先にどうぞ。(現物教材『武士道』)

 この物語は、日露戦争前の日米関係のところのものです。
 新渡戸稲造が、英文で『武士道』を著したのは1898年、アメリカの出版社によって刊行されたのが1900年のことです。
 正解 この本を読んで日本の精神についていたく感心し、日本贔屓になったアメリカ大統領は、第26代セオドア・ルーズベルト Theodore Roosvelt (ローズベルトとも表記)大統領(1858〜1919年 任期1901〜1909年)です。

 第二次世界大戦期にもう一人、フランクリ・ルーズベルト大統領がいますので、それぞれファーストネームの頭文字を取って、T・ルーズベルト、F・ルーズベルトとよばれます。
 ※アメリカの高校の歴史の教科書には、もっと省略して、”TR”と書いてあります。
 
 どうしてこういうことになったか、その前後の事情も含めて説明します。

1 19世紀末から20世紀初頭のアメリカ
 19世紀のアメリカは、「西部開拓」(もちろん原住民であるインディアンの土地と権利を否定すると言う意味です)の時代でした。
 しかし、それも1890年頃には終了し、それに代わって、自国の裏庭であるカリブ海や、はるか太平洋をこえた東アジアを見据えて、国家戦略がスタートします。

で き ご と

1893年

ハワイで革命。王制が倒れ親米政権樹立。

1898年

アメリカがハワイを併合。

キューバの支配を巡って、アメリカとスペインが対立。米西戦争起こる。

アメリカが勝利し、キューバは独立国となり(のち1901年保護国化)、フィリピン(16世紀以来スペインの植民地)・グアム・プエルトリコがアメリカ領となる。

1899年

マッキンリー大統領政権の国務長官ジョン・ヘイ、中国に対する門戸開放宣言を発表。中国に対する各国の排他的な独占地域設営に異議を唱える。


 アメリカの基本的な外交姿勢は、次の2点です。

  1. カリブ海は自国の裏庭のごとく、強力な支配を樹立する。

  2. 太平洋に拠点を確立して東アジア・東南アジアへの進出ルートを確保するとともに、中国に対しては、自国の進出が遅れた分、ヨーロッパ諸国や日本の排他的な独占を否定し、「自由競争」の原則のもとで、圧倒的な資本力を持つアメリカが主導権を握る。

2 セオドア・ルーズベルト大統領とは
 T・ルーズベルトは、 1858年ニューヨークの名門の家柄に生まれました。1880年ハーバード大学を卒業したあと、共和党のニューヨーク州議会議員となり、政界に入りました。
 1897年共和党のマッキンリー政権のもとで海軍次官となり、折から生じていたキューバのスペインからの独立問題では、キューバ支援に積極的な姿勢を取ります。
 1898年米西戦争がおこると、彼は、なんと海軍次官を辞し、「荒馬騎兵隊」と称する義勇隊を率いて、キューバに渡り、アメリカ正規軍に協力して戦います。
 戦争後、ニューヨーク州知事に当選。
 1900年の大統領の選挙では副大統領候補に指名され、マッキンリー大統領の再選によって、1901年副大統領に就任します。
 ところが、就任直後に、マッキンリー大統領が暗殺され、T・ルーズベルトは、43歳の若さで大統領に就任しました。

 彼は、マッキンリーの外交路線を受け継ぎ、「棍棒を手に、穏やかに話せ」という外交姿勢で、積極外交を展開します。
 1903年にはパナマ独立革命を扇動して成功に導き、パナマ運河地帯を獲得します。ここにパナマ運河が開通するのは、1914年のことです。

3 日露戦争とアメリカ
 このごろ日本は、満州でロシアとの対立を深め、1902年に日英同盟を締結して、対ロ開戦路線を進めていきます。
 伊藤博文や桂太郎などこのころの日本の指導者は、昭和の時代の指導者と違ってきわめて冷静なリアリストであり、日露開戦になった場合の見通しについて現実的に考えていました。

「開戦を決意したというものの、軍事的にも、財政的にも限界があり、短期・局地戦で勝利し、イギリス・アメリカの調停で矛を収め、朝鮮の植民地化とひきかえに、満州を列国に開放する、と言う筋立てで戦争に踏み切ることになった。」
 ※海野福寿著『集英社版日本の歴史18 日清・日露戦争』(集英社 1992年)P149

 具体的には、膨大な額になると予想される戦費を調達するためにアメリカ資本に日本の軍事国債を引き受けてもらうことや、アメリカ大統領に講和条約締結の調停役を依頼しなければなりませんでした。

 このため、伊藤博文は、開戦直後に貴族院議員金子堅太郎をアメリカに派遣しました。金子は、ハーバード大学法科の出身で、T・ルーズベルト大統領とも旧知であったからです。
 ※金子とTDはハーバード大学法科の同窓生というのは俗説です。  

4 『武士道』とT・ルーズベルト
 金子は、騎士道と武士道の共通性を指摘するなど、これまでアメリカ人からみて不可解でエキゾチックな国ととらえられていた日本を、できるだけ理解してもらおうとつとめました。
 ※佐々木隆著『日本の歴史21 明治人の力量』(講談社 2002年)P302

 この時、金子が持って行ったのが、新渡戸稲造の著書『武士道』だったのです。
「さらにはローズベルトは、日本びいきでもあった。かれに日本を印象づけたのは新渡戸稲造(1862〜1933)の英文の著作『武士道』(1900年刊)だった。刊行早々これを読み、60部ほど買って友人に送ったといわれている。」
 ※司馬遼太郎著『アメリカ素描』(新潮文庫 1989年)P316

「金子堅太郎はルーズベルト大統領へのみやげに、新渡戸稲造著『武士道』を持参した。大統領はその晩に一気に読了して、感激の余熱が残っているうちに、50冊ほど買い求めて、ヘイ国務長官以下の主要閣僚や友人に配った。この史実を私は2002年9月、ボストンで、ルーズベルト大統領の曾孫のトゥィード・ルーズベルトにあって確かめた。」
 ※霍見芳浩著『アメリカのゆくえ、日本のゆくえ 司馬遼太郎との対話から』(NHK出版2002年)P186

 2002年にブッシュ大統領が初来日した際も、2月19日の国会での演説で次のように語りかけています。
「いまから1世紀前、日米両国は、それまでの長きにわたる猜疑や不審を抱いていた時期を経て、お互いについて学び始めました。
 日本が生んだ偉大な学者にして政治家、新渡戸稲造は日米両国民のことを理解しており、『太平洋の架け橋とならんと欲す』と記しております。」
 ※アメリカ大使館のサイトにブッシュ大統領の演説日本語訳があります。
 
 2000年夏、岩手県の盛岡市で、「『武士道』発刊100年記念・日米友好の集い」が開かれました。
 そこへ、上記のT・ルーズベルト大統領の曾孫のトゥィード・ルーズベルト氏が招かれ、特別講演をしました。
 その中で、次のように言っています。
「なぜ大統領はとりこになったか。武士道とヨーロッパ中世の騎士道の中に共通点を見いだしたということもいえるが、私はそうは思わない。
 『武士道』を読んだアメリカ人は、侍の道とカウボーイの道が非常に共通していることに驚いた。」
 ※Mainichiサンデー時評 岩見隆夫のホームページより
 
 トゥィード・ルーズベルト氏によれば、サムライもカウボーイも、非常に控え目で慎み深い、礼儀正しくて、人を思いやる心があるということが共通点として共感できるとのことです。

5 アメリカの教科書の記述
 かくて、T・ルーズベルトの斡旋でニューハンプシャー州の軍港ポーツマスで日露講和会議が開かれました。
 T・ルーズベルト大統領は、その功績で、ノーベル平和賞を受賞しています。
 但し、現代のアメリカの教科書には、『新渡戸稲造』の話は出てきません。

「In that part of the world Russia’s 
great rival was Japan. When these two
powers began to fight, Roosevelt drew
the United States to the side of Japan.
But Roosevelt did not want to see 
Russia driven out of the Far East, for Russia could keep the lid on Japan. 
Roosevelt aimed to insure a balance of power of there.・・・・ So Roosevelt helped 
bring the Russo−Japanese War to close before Japan could crush Russia.」
 ※Boorstin Kelley 『A History of the United States』(Prentice−Hall,Inc 1992)P540  

「その地域(満州)ではロシアの最大の敵は日本だった。この両国が戦争を始めたとき、ルーズベルトはアメリカを日本側に立たせた。しかし、ルーズベルトはロシアが東アジアから脱落してしまうことを願っていなかった。なぜなら、ロシアは日本の動きを牽制できる可能性があったからである。ローズベルトは、あくまで、東アジアにおける力の均衡を意図していた。・・・・だから、ルーズベルトは、日本がロシアをやっつけてしまう前に日露戦争を終結させることに援助した。」

 国によって、事実を見る視点は、いろいろです。


 2003年12月には、トム・クルーズ主演のワーナーブラザーズ映画「ラスト・サムライ」が日米同時公開されます。
 アメリカ映画は、サムライをどんなふうに描いているでしょうか?

  ※2003年末公開の映画「ラスト・サムライ」については、日記を参照。
     →「日記雑感:2003年12月7日 The Last Samurai」
 

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