2003-15
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066 2003年12月07日(日)  映画「The Last Samurai」 と武士道    

 昨日、日米同時公開となった、映画「The Last Samurai」を見てきました。
 結論を先に言います。
 私と息子2名と妻の評価(友人へのおすすめ度)は次の通りです。

おすすめ人

おすすめ度(3点満点)

コメント

★★★

発想がよい

次男Y(17歳)

★★

スケールが大きい

三男D(13歳)

★★

背景を知らないと単なる戦い映画

妻N(?)

戦いが怖かった

 

満点ではありませんが、相当高いおすすめ度です。
 
映画が終わって、観客が拍手をすると言うのも久しぶりでした。 

 家族4人で、夕食・風呂(我が家が愛用しているショッピングモールには、温泉もある)・映画で、おおむね1万円の大散財をしましたので、それに見合うだけの文章量を書きます。おつきあいください。
 

タイトル

The Last Samurai

製作会社

ワーナー・ブラザース

監督

エドワード・ズウィック

主演

トム・クルーズ、渡辺 謙、真田広之、小雪


 ○映画のストーリー
 ○歴史的背景
 ○どういうメッセージを送りたかったのか
 
○気になる細かい点(これからご覧になる方は、見てからのほうがいいかも

○映画のストーリー
 ネイサン・オールグレン(トム・クルーズ)は、南北戦争やその後インディアン掃討戦でも活躍した、元第7騎兵隊所属の陸軍士官(大尉)。
 インディアン掃討作戦で罪もないインディアンを殺戮したことから、失望して陸軍を退役し、ウィンチェスター社(銃器会社)と契約し新しい連発銃の宣伝をしつつも、満ち足りない日々を酒で紛らしている。

 そこへ、徴兵制を実施したばかりで正規軍の訓練の指導者求めている日本政府から、破格の高給で雇い入れる話があり、1876年に日本へ渡航する。

 当時の日本は、明治新政府の樹立(1868年)以来9年がたっていたが、新政府の政策に不満を持つ元武士階級(不平士族)が多くなっていた。
 その中の一人、勝元(かつもと、渡辺謙)は、明治新政府を作った立役者で、天皇の信頼も厚かったが、領地に跋扈して、反乱を繰り返していた。

 この年秋、勝元軍を征討に向かった政府軍は、逆に敗北を喫し、オールグレンは勝元軍に捕われ、彼らの領地に連行されてしまう。

 政府から、反逆者の武士たちのことを「頑迷固陋の用無し」と聞かされていたオールグレンは、彼らの村で暮らす中で、しだいに彼らの生き様や武士道に感銘を受けていく。

 そして、反乱軍との最後の戦いでは・・・。
  ※トム・クルーズの記者会見のサイトはこちらです。


○歴史的背景
 この映画は、アメリカと日本のそれぞれ大きな歴史的問題を背景に持っています。

 アメリカのそれは、南北戦争後のインディアンとの戦いです。
 南北戦争後、アメリカ政府とインディアンは新しい局面を迎えていました。

 移住者の西部進出によって次第に居住地域を狭められて行きつつあったインディアンでしたが、一度確定した居留地にも、金鉱目当ての白人たちが次々と侵入してきます。これに怒った彼らは、ついに大規模な武力反抗を起こします。

 南北戦争の終結によって手柄を立てる場所を失っていた軍人の中には、インディアンの掃討を新しい働き場所と考える者もいました。
 その結果、カスター将軍(その時は降格されていて正確には中佐)の第7騎兵隊の全滅や、反対にその「報復戦」としての、スー族やシャイアン族への殺戮も行われたのです。

 日本のそれは、新政府の政策とそれに反発する不平士族の反乱です。
 映画の日本側主人公、渡辺謙演じる勝元なる武士が、西郷隆盛をモデルとしていることは言うまでもありません。

 明治政府は、近代国家建設を急ぐため、家族も含めて200万ほどいた武士階級(当時の人口の7%ほど)を切り捨てました。
 廃藩置県の断行、徴兵制の実施、秩禄処分(武士がもらっていた俸禄(領地や給料)の処分)、廃刀令などにより、武士階級はその存在を否定されていきます。

 その結果起こったのが、不平士族の反乱です。
 その最後で最大の規模のものが、1877年の西南戦争です。
 これは、西郷隆盛を中心とする旧薩摩藩鹿児島の士族が起こしたものです。西郷は陸軍大将の現職のまま、政府を辞して鹿児島に戻り、反乱を起こしました。

○どういうメッセージを送りたかったのか
 映画では、武士道とそれを象徴するものとして刀が、意図的に強調されています。

 オールグレン大尉は、勝元の領地の村で暮らすうち、武士の生き方と武士道に共鳴していきます。

 ここで言う武士道とはどういうものなのでしょう。

 映画では、
名誉、欲望を抑えた自律した態度、質素な生活などが描かれます。
  ※武士道の詳しい説明は、現物教材新渡戸稲造著『武士道』へ

 オールグレン大尉が酒におぼれていたのは、じつは、罪もないインディアンの村人たちを虐殺したシーンが悪夢となって、彼の神経を苛んでいたからです。
 彼は勝元に聞きます。(勝元さんはなぜか英語ぺらぺらです。)
「あなた方はたくさんの人間を戦場で殺してきて、その悪夢を見ることはないのか?」
「悪夢?我々は誇りある正義の戦いをしてきた。戦場で敵を殺すことは、名誉あることだ。」

 これは、単にインディアン虐殺だけではなく、ひょっとしたら、現代アメリカの戦争への非難が込められているのではないでしょうか。
 
正義ではない戦い、名誉なき戦いはすべきではないと。

 明治時代とサムライ・武士道について、司馬遼太郎はこう書いています。

「ではサムライとは何か、と問われれば、自律心である、ひとたびイエスといった以上は命がけでその言葉をまもる、自分の名誉を命を賭けてまもる、敵に対する情け。さらには私心をもたない、また私に奉ぜず、公に奉じる、ということでありましょう。それ以外に、世界に自分自身を説明することはなかったのです。そしてそれは、立派な説明でもありました。すくなくとも日露戦争の終了までは、内外ともに、武士道で説明できるのではないか、あるいは、武士道で自分自身を説明されるべく日本人や日本国はふるまったのではないか、と思います。」
 ※司馬遼太郎著『明治という国家』(日本放送出版協会 1989年)P254

「西南戦争を調べていくと、実に感じのいい、もぎたての果物のように新鮮な人間たちに、たくさん出くわします。いずれも、いまはあまり見あたらない日本人たちです。かれらこそ、江戸時代がのこした最大の遺産だったのです。そして、その精神の名残が、明治という国家をささえたのです。」
 ※司馬前掲書P270

 別角度の話です。
 アメリカ人がこのように武士道に興味を持ち、共感を覚えるのには、実は思想的な理由があります。それは、キリスト教の
プロテスタンティズムと武士道の共通性です。
 
 司馬遼太郎はこうも書いています。
「明治時代は不思議なほど新教の時代ですね。江戸期を継承してきた明治の気質とプロテスタントの精神がよく適(あ)ったということですね、勤勉と自律、あるいは倹約、これがプロテスタントの特徴であるとしますと、明治もそうでした。」
 ※司馬遼太郎前掲書P160

 監督は、この映画で、今のアメリカが忘れているもの、今の日本が忘れているもの、これをサムライを通して描こうとしたのではないでしょうか。
   

○気になる細かい点(これは、これからご覧になりたい方は、見てからにしてください
 さて、最後に、地歴公民科の教師ならではの、細かな見所、気になる点をお話しします。

 まずは、面白い点です。

  1. ハリウッド映画ならではの泣かせるセリフ(日本映画で日本人には言いにくいセリフ)もあちこちにあります。
    映画の最後の場面で明治天皇が、オールグレン大尉に聞きます。
    「勝元はどんな最後だったか教えてほしい。」
    大尉は答えます。
    「どんな風に生きたかなら、喜んでお話ししましょう。」

  2. 銃砲史上は、なかなか面白いシーンがあります。オールグレン大尉は、最初はウィンチェスター社との専属契約を結んでいてその連発銃の売り込みの宣伝役者という設定です。また、勝元軍と政府軍の戦いの最後で、政府軍はガトリング砲という連発銃を盛大に撃ち放って、勝元軍を撃破します。

  3. 横浜港や、江戸城を描いたセットとCGの組み合わせは見事です。

  4. 余談ですが、刀で人を切る音が、日本映画やTVとハリウッド映画では違います。日本映画ではキャベツを切る擬音がやたら豪快に使われますが、この映画では、人の肉を切る擬音はきわめて控え目になっていて、いつ切られたのかわかりません。

  5. 描かれた日本文化や日本人の仕草については、これだけの分量がありながら、おかしな所はそれほど多くはありませんでした。これは、真田広之をはじめ日本人出演者が、自分の出番以外の部分についても、いろいろアドバイスした結果だそうです。
      ※2003年12月6日16:30CBCTV放映
        『ラスト・サムライ ついに日本上陸』の中の真田広之の発言

  6. 戦いのシーンは、さすがハリウッド映画。日本のそれとは金のかけ方が違います。

  7. この映画のロケは、京都と姫路とロサンジェルスの他、2003年1月からニュージーランドでも行われました。ニュージーランド北島には、日本の富士山にとてもよく似たタラキナ山(エグモント山)があって、それが利用されました。 
      ※エアーニュージーランドのページに紹介されています。

  8. 日本の本州の気候は、Cfa(温帯多雨夏高温気候)です。ニュージーランド北島は、Cfb(西岸海洋性気候)です。つまり、両者の気候は基本的にはよく似ていて、植生も似ています。映画の中の雰囲気は、おおむね日本という感じです。

  9. ついでにちょっと調べてみましたが、ニュージーランドでは、在住の日本人に対して、エキストラの大募集が行われました。ワーキングホリデイで滞在している人が多く参加したようです。
       ※ ギャラ 週給 NZ$800 (税金含む20%)、他雑費手当て週 NZ$350 (無税)
         10週間以上の最後まで仕事を続ければ、撮影終了後にはボーナスNZ$2000


 
次に、全体としてはよかったものの、それでも日本人として違和感を感じる点を列挙します。

  1. 天皇の忠臣にしてかつ反逆者が、「勝元」という姓になっていますが、これは、日本的な感覚では武士の姓としてはなじめないものです。武士はあくまで領地の支配者なのですから、地名のにおいがする姓を持たなければなりません。

  2. 江戸城が、えらく高い石段を登った所にあると設定されています。アメリカ人には、日本の城というと山城または平山城というイメージがあるのでしょうが、江戸城・皇居にはそんな石段はありません。

  3. 明治天皇が、臣下と会見するとき、室内に特別に設定された誠に変な空間から登場します。具体的に表現できなくて申し訳ないですが、イメージ的には、御簾の奥、実際の映像では、部屋の中に布で囲まれた玉座があってその中からの登場です。(^.^)それはないでしょう。

  4. 明治天皇が、臣下に対して感情を露わにして話をするのですが、実際はどうであったにしろ、私たちは、そういうシーンをこれまであまり映像で見たことはありませんので、ちょっと違和感を覚えます。アメリカなら、「ホワイトハウス」や「大統領」もの描いた映画はたくさんあり、全然違和感はないのでしょうが、日本では、現人神だった天皇ですから・・・。言い換えれば、これは、ハリウッドならではの、映像です。

  5. 戦場で勝元が壮絶な死に方をしたとき、周りにいた敵方の政府軍の将兵でさえも、その死に敬意を表します。その方法が、映画では、立っていた将兵が次々と土下座していくと言う形で表れていました。最後のクライマックスの大事なシーンですが、ここに違和感を覚えました。といっても、私にも他にそれを表現するいい名案はありません。

  6. 勝元の村へ、政府軍派遣の勝元暗殺部隊がやってきます。これが、なんと忍者です。明治時代に忍者はないでしょう。でも、これがアメリカ人が持つ日本のイメージです。

  7. きちんとしつけられているはずの武士の子どもが、ご飯を茶碗を持たないで食べるシーンがあります。これも、日本の習慣にそこまで気がつかなかった部分でしょう。

  8. 最初の部分で、日本が僅か2年間で1600キロの鉄道を敷設したとかの表現がありますが、それは、全く事実無根です。

  9. 勝元軍が列車を襲撃したと言うところから戦いが始まりますが、これはまるで、インディアンの駅馬車襲撃です。不平士族は、列車など襲いません。なにしろ、この時代は、東海道本線すら全通していません。(全通は、1889年)

  10. 気候的にはロケ地ニュージーランド北島と日本本土は似ていますから、勝元の村の雰囲気はおおむね良好です。ところが、ひとつだけ、決定的に欠けているものがありました。水田、稲穂がないのです。代わりにあるのは、牧草地。まあ、ニュージーランド北島ですから、やむ得ません。


 日記にしては、ずいぶんの超大作になってしまいました。
 辛抱して、最後までお読み頂いた方、ありがとうございました。   
    


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