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5000円札の新渡戸さん |
2004年から日本の紙幣が新しいデザインに変更され、10000円札の肖像は福沢諭吉のままですが、5000円札は新渡戸稲造から樋口一葉へ、1000円札は夏目漱石から野口英世に変更されます。
今の紙幣は、1984年に登場しましたから、20年ぶりに変更となるわけです。
その1984年のデザイン変更の前に、5000円札に「新渡戸稲造」の肖像が採用されるということを聞いたとき、正直言ってびっくりしました。
はっきり言って聞いたことがない人物だったからです。
そのころはまだ20代だったとは言え、高校の日本史の教師になってすでに6年目でした。でも、新渡戸稲造のことは知りませんでした。
いいわけですが、福沢諭吉はもちろん、夏目漱石も、樋口一葉も、野口英世もみんな高校の日本史の教科書には掲載されていますが、彼新渡戸稲造一人は、掲載されていません。そのくらい、知名度が低い人物だったのです。
その後、マスコミ等によって、次に掲げたような新渡戸稲造の経歴も、次第に有名となっていきました。
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新渡戸稲造 |
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1862(文久2)年生まれ。南部藩(現在の岩手県)の藩士の子。教育者、農学者。札幌農学校を卒業し、東京大学中退後、アメリカやドイツに留学し農業や経済を学び帰国。帰国後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、京都帝国大学教授、一高校長などを歴任。1926年国際連盟事務局次長。1933(昭和8)年、カナダで病没。 |
多くの功績の中で、日本史や世界史の授業に関係することとして特筆すべきは、英文による書物『武士道』の著述です。
新渡戸がこの本を著すことになったきっかけは、博士とベルギー人の高名な法学者ド・ラブレーとの次の会話です。
ラ「あなたの国の学校には宗教の教育はないのですか」
新「ありません。」
ラ「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」
このときは結局、新渡戸は驚くラブレーに満足な解答を示すことができませんでした。
「日本には、西洋のキリスト教に代わる、人々の精神の支柱となり、道徳心の源となるような思想はないのか。」
新渡戸はこの問いに答えるようと悩んだ結果、「幼年の頃から空気のように入ってきて、いつの間にか自分の道徳の根底になっている武士道」こそがその答えであることに気づきました。
※右掲の三笠書房版『武士道』のP218奈良本辰也の解説より。
新渡戸は、この日本人の崇高な精神を外国に紹介する目的で、1898年、アメリカ滞在中にこの『武士道』を英語で執筆しました。
1900年フィラデルフィアの出版社から出版され、1905年には増訂版が出されています。
刊行以来、アメリカはもとより多くの国で日本を理解しようとする人々に読まれ、ドイツ・フランス・ロシア・イタリア・ノルウェー・ポーランドなど様々な国の言葉に翻訳されて出版されました。
日本語訳版は1909年に最初に出され、1938年には矢内原忠雄訳の岩波文庫版が刊行されて、広く普及しました。
現在でも、数カ国語で出版されています。
紀伊国屋のブックウェブの検索でいくつか探せました。右は、その英語版とフランス語版です。
『武士道』の中味は、次のように構成されています。
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第1章 |
武士道とは何か(以下は主な内容) |
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人の道を照らし続ける武士道の光 |
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武士道は「騎士道の規律」である |
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壮大な倫理体系の要 |
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第2章 |
武士道の源をさぐる |
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仏教と神道が武士道に与えたもの |
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武士道の源泉は孔子の教えにあり |
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武士道は知識のための知識を軽視する |
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第3章 |
「義」 武士道の光り輝く最高の支柱 |
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「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である |
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「正義の道理」こそが無条件の絶対命令 |
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第4章 |
「勇」 いかにして肚を錬磨するか |
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「義を見てせざるは勇なきなり」 |
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平静さに裏打ちされた勇気 |
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第5章 |
「仁」 人の上に立つ条件とは何か |
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民を治めるものの必要条件は「仁」にあり |
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徳と絶対権力との関係 |
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「武士の情け」に内在する仁 |
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いつでも失わぬ他者へのあわれみの心 |
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第6章 |
「礼」 人とともに喜び、人とともに泣けるか |
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礼とは他人に対する思いやりを表現すること |
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優雅な作法は力を内に蓄えさせる |
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礼儀は優美な感受性として表れる |
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第7章 |
「誠」 なぜ「武士に二言はない」のか? |
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真のサムライは「誠」に高い敬意を払う |
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武士道と商人道とは何が違うのか |
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第8章 |
「名誉」 苦痛と試練に耐えるために |
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武士道はなぜ忍耐強さの極致に達したのか |
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名誉はこの世で「最高の善」である |
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第9章 |
「忠義」 人は何のために死ねるか |
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命令に対する絶対的な従順が存在した |
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武士道では個人よりも国を重んじる |
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第10章 |
武士道は何を学び、どう己を磨いたか |
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行動するサムライが追求した「品性」とは何か |
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武士道は損得勘定をとらない |
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第11章 |
人に勝ち、己に克つために |
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サムライは、感情を顔に出すべからず」 |
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なぜ「寡黙」がよしとされるか |
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心を安らかに保つために |
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第12章 |
「切腹」生きる勇気、死ぬ勇気 |
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腹切りの”ハラ”は何を意味するか |
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「四十七士」の仇討ちにみる二つの判断 |
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第13章 |
「刀」なぜ武士の魂なのか |
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刀は忠誠と名誉の象徴 |
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第14章 |
武士道が求めた理想の女性像 |
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家庭的であれ、そして女傑でもあれ |
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自己否定なくしては「内助」の功はありえない |
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第15章 |
「大和魂」いかにして日本人の心となったか |
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一般大衆を引きつけた武士道の徳目 |
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サムライは民族全体の「美しき理想」 |
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「エリート」の栄光、憧れ、そして「大和魂」へ |
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第16章 |
武士道は甦るか |
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武士道は日本の活動精神、そして推進力である |
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自己の名誉心、これが日本の発展の原動力 |
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日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない |
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第17章 |
武士道の遺産から何を学ぶか |
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武士道はその姿を消す運命にあるのか |
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名誉、勇気、そして武徳のすぐれた遺産を守れ |
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武士道は不滅の教訓である |
これを日本史の授業でどう取り扱うべきか。
高校の日本史の教科書では、武士道に関する記述は、はっきり言って多くはありません。
鎌倉時代の部分に、
「武士の生活は簡素で、みずからの地位を守るためにも武芸を身につけることが重視されて、つねに流鏑馬・笠懸・犬追物や巻き狩りなどの訓練をおこなった。彼らの日常生活のなかから生まれた「武家のならい」とか「兵の道」「弓馬の道」などとよばれる道徳は、武勇を重んじ主人に対する献身や、一門・一家の誉れを尊ぶ精神、恥を知る態度などを特徴としており、構成の武士道の起源となった。」
とあります。
※石井進他著『詳説 日本史』(山川出版 2003年)P98
江戸時代の部分では、数カ所に武士道やそれに関する記述があります。
○身分秩序」の説明
「武士は政治や軍事を独占し、苗字・帯刀のほかさまざまの特権を持つ支配身分で、将軍を頂点に大名・旗本・御家人などで構成され、主人への忠誠や上下の別を厳しく強制された。」
※前掲書P170
○元禄時代の説明
「1683年に綱吉の代がわりの武家諸法度が出され、代々からの第一条の「弓馬の道」が改められた。これは武士に、主君に対する忠と父祖に対する孝、それに礼儀による秩序をまず第一に要求したものであった。」
※前掲書P180
○元禄文学の説明
「武士出身であった近松は、現実の社会や歴史に題材を求め、義理と人情の板ばさみに悩む人々に姿を、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本によって描いた。」
※前掲書P192
しかし、全体として、武士道や江戸時代の思想をまとめて説明した部分はありません。
これでは、近松の作品の本当の魅力や、赤穂浪士の討ち入れ事件=忠臣蔵が人々を感動させる理由は説明できません。
また、商業蔑視(貴穀賤金)・禁欲主義などの概念も体系的には教えられず、松平定信の寛政の改革などの位置づけが曖昧となってしまいます。
なにより、武士道が近代・現代日本において、すべて否定されるべきものなのか、部分的に継承されていくべきものなのか、それが全くわかりません。
私の授業では、教科書に依存しすぎると必然的に生じてしまうこれらの欠点を補うため、近世前半の幕藩体制の構築を説明する部分の最後で、上記の内容を説明する項目として、「江戸時代の基本的思想と武士道」という設けて説明します。
何も今の時代に武士道を復活させようというアナクロニズムの意図はありません。
しかし、今まさに自分の人生をアイデンティファイしようとしている高校生の諸君にとって、武士道にある徳目のうちの多くは十分考える価値のあるものであることを教えることができたら、理想的だと思っています。
※新渡戸稲造『武士道』とアメリカ大統領との関係については、世界史クイズを参照。
※2003年末公開の映画「ラスト・サムライ」については、日記を参照。
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