明治末〜昭和初期 |
<問題編> クイズは時代の古い順に並んでいます。答えは各問題のをクリックしてください。 |
最終更新日 2002年05月25日 ※印はこの5週間に新規掲載 |
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番号 | 掲載月日 | 問 題 |
801 |
01/04/28 | 右のマークをクリックすると写真が登場します。写真は、韓国で出版されている児童向けの偉人伝の絵本の表紙です。高校の日本史の近近代史の部分にも登場するその人物とは誰でしょう。(画像からここへ戻る時は、エクスプローラーの「戻る」をクリックしてください。) |
01/06/17 | 大正デモクラシーの時代の政治を象徴するものといえば、政党政治の実現でしょう。しかし、はじめての本格的政党内閣を率いた原首相は、在職中に暴漢に襲われ命を落としました。犯人が原首相を殺した理由はなんだったのでしょうか。 |
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01/12/23 | 日本が大正時代に、ワシントン条約を結んで世界各国と協調して海軍軍縮(新しい軍艦の建造の中止など)を実行します。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と10年おきに戦争をしてきた日本としては、この施策は、「異例」の措置と思われます。日本が軍縮に踏み切った理由は何でしょうか? |
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12/03/10 |
岩手県の一関市一ノ関駅と大船渡市盛(さかり)駅を結ぶ大船渡線は、その形状からドラゴンレールと呼ばれていました。龍がうねっているように途中で路線が曲がっているからです。その特色ある路線が形成されたのは、大正時代後半の政治状況を反映していました。さてその独特の形状はどのようにして形成されたのでしょうか。 |
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807 | 02/05/25 | 1925年6月、東京の帝国ホテルで開かれたダンスパーティーに右翼が乱入し、対応の仕方によっては、あわや大乱闘という緊急事態となりました。その時、ホテルの責任者は、機転をきかせて、その会場にいた「○○○に○○○の○○」を命じ、右翼集団の高ぶる気持ちを鎮めて、「大事件」にならずに事なきを得ました。さて、その機転をきかせた命令とは何でしょうか。 |
01/06/17 | 大正時代に完成した東京駅は、それ自体が立派な文化財ですが、完成以後これまで80年余の間に、二つの不幸な歴史的な事件の舞台となりました。それを記念して、駅構内のフロアーには、ポイントが埋められています。さてその不幸な事件とはなんでしょうか。 |
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01/09/02 | 戦前は、文部省が小学校の児童たちに歌わせる文部省唱歌というのがありました。次の歌は、1911(明治44)年に作られた文部唱歌です。□□□□□の中には、全て同じ人物名が入ります。誰のことを歌っているのでしょう。 |
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02/05/04 | 明治時代後半から、「勤勉・節約」などの代名詞として「二宮金次郎」が尊崇の対象となり、教育の場で重要な扱いを受けました。その象徴として、明治末から昭和の初めにかけて、各小学校に「二宮金次郎」像が建立されました。さて、現代の小学校にその「像」はどのくらいの割合で残っているでしょうか? |
<解説編>
高校の日本史Bの教科書で、全国的に最も多く使用されているのは、
石井進・笠原一男・児玉幸太・笹山晴生『詳説日本史』(1999年山川出版)です。そのP272には、日本による韓国植民地化、韓国併合が記述されています。
私は、教師になって以来、歴史を教える時の大事な視点として、「生徒が日本や日本の歴史に興味を持ち、好きになってくれること」を掲げて教育を進めてきました。 |
写真01・02 盛岡市の中心部にある岩手県公会堂敷地内にある原敬像(撮影日 10/11/05) |
赤煉瓦の東京駅は1908(明治41)年から6年の歳月をかけて建設が進められ、1914(大正3)年に完成しました。設計者は当時建築界の第一人者であった辰野金吾氏です。第二次世界大戦中に空襲で3階部分は焼失してしまいましたが、現在でも当時の部分をそのまま活かし、2階建ての美しい姿を保っています。 |
写真01 建設当時への復元前の東京駅 (撮影日 01/05/17) |
上の写真の中央は、東京駅丸の内口中央です。その右手の丸の内南口の改札口の前の床に、左下の写真のような、プレートが埋められています。 |
写真02・03 左:原敬暗殺現場を示すポイント 右:浜口雄幸首相の遭難現場を示すポイント(01/05/17) |
犯人は中岡は、短刀を構えて原首相に体当たりする形で凶行に及びました。刃先は、肋骨の隙間から心臓を一突きし、原首相はほとんど即死の状態でした。原の故郷、岩手県盛岡には、その時彼が着ていたワイシャツが保存されていますが、血痕は胸の部分にほんの少し付着しているだけです。 |
写真01・02 原首相・浜口首相の遭難を説明するプレート (撮影日 01/05/17) |
もう一つの事件は、1930(昭和5)年11月に起こった、浜口雄幸首相銃撃事件です。 |
正解は、二宮金次郎です。1911年の文部省唱歌で次のように歌われました。
二宮金次郎は正式には二宮尊徳といいます。1787年、相模国栢山(かやま)村(現在の神奈川県小田原市)の農民の子として生まれ、はやくに父母と死別したため伯父にあずけられ、農作業を手伝いながら独学で読み書き・算術をおぼえました。夜なべ仕事や荒れ地に菜種を植えることで、少しずつ財をためて田畑を持ち、20歳のとき生家を再興しました。しかし、自らは耕作せず、田畑は小作人に貸し、自分は奉公人となって、効率よく現金をかせぎました。 |
戦艦長門。竣工当時の姿で、2本煙突です。太平洋戦争前には、近代化改装が行われ煙突は1本となります。(戦前の写真はがきから) |
他地域のみなさには、申し訳ありませんが、このクイズのデータは、我が郷土岐阜市に関するものです。
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事件は、大正13(1924)年6月7日に起きました。 |