安土桃山時代4
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<解説編>
 
409 織田信長の「天下布武」印の形状の楕円形は、どの文明から継承したものか?

 問題の趣旨をもう一度説明します。
 織田信長が使用した「
天下布武」の文字が刻まれた印は、3種類の形が確認されており、最初に登場した形は、楕円形です。さて、この楕円形という形は、世界の印の歴史上、どの文明のものを継承しているでしょうか?次から選んでください。
   @黄河文明  Aインダス文明  Bメソポタミア文明  Cエジプト文明 
 
日本史の安土桃山時代と世界史の古代4大文明のつながりという、壮大な歴史的テーマを設定した問題です。2013(平成25)年度からの高等学校新学習指導要領には、世界史と日本史のつながりを考えるというのが重要な課題となっています。これはそういう発想を具体化する一つです。
 説明が長くなりますから、次の章立てて説明します。
信長の「天下布武」印の形状の確認
日本の印章文化
4大文明と印章文化
正解です


信長の天下布武印の形状の確認          | このページの先頭へ |

 まずは、ここで話題の信長の「天下布武」印の形状の確認です。
 次の図1が信長が使用した「天下布武」印の印影です。この印影は、以下の参考文献所載のものを参考に作製しました。

参考文献1 立花京子著「信長天下布武印と光秀菱形印」有光友學編『戦国期 印章・印判上の研究』 (岩田書店 2006年)P271

 3つの印のうち、楕円形印は、一つだけです。残りは、馬蹄形印(ばていけいいん、馬のひづめの形)と円形印です。
 これらの
「天下布武」印の文字の意味や使用上の相違、使用期間などについては、別のページで紹介しています。
  ※こちらをご覧ください。→現物教材日本史:「織田信長「天下布武」印」


 上記の参考文献に掲載されている印影を元に描いたのが上の図面です。印影は、はっきり読み取れない部分もあります。したがって、図面の細部は実物とは異なっている部分もあります。
 また、円形印は、周囲に枠がなく、文字の回りを2匹の龍が囲っている図柄です。これは参考文献からははっきりとは読み取れませんので、上図では雲のように誤魔化して描いてあります。
 したがって図1は全体に、「イメージ図」ととらえていただければ幸いです。


 この図1では、あまり細部にとらわれずに、信長の使った天下布武印の中に、@の楕円形印が使用されているのが確認できれば幸いです。楕円形印馬蹄形印は、小学校・中学校・高等学校の歴史・日本史の教科書や副教材の資料集に掲載されています。
 ただし、@の
楕円形印は、厳密には数学的な楕円の定義、「2定点からの距離の和が一定の点の軌跡」とは異なる図形となっていますが、常識的な通念にしたがって、楕円形という表現を使っています。(立花前掲論文、前掲書P247)

 
日本の印章文化           | このページの先頭へ |

 日本の印章で最も有名なものは、歴史の教科書に登場し、しかもインパクトが強い、漢委奴国王」印です。(→これについて現物教材:「漢委奴国王」印へ
 これは、中国の後漢の光武帝が日本の小国家に付与したもので、江戸時代に現物が出土したおかげで、今に至るまで特別に有名な印章となりました。
 しかし、だからといって、日本の印章文化、印章使用がその時代から進んでいたというわけではありません。
 日本における印章の使用は、律令国家の成立後、奈良時代において唐から印章の制度が伝わって来てからということになります。その時代の官印(政府の印)は今日と同じ
スタンプ印(現在のスタンプのように押す印。あとで説明しますが、違うタイプの印もあります)で、形状は中国と同じく方形印(正方形・長方形)でした。
 最初は私印は禁止されていましたが、奈良時代後半には私印も許されます。最初に私印を許可された人物は歴史の教科書にも登場する、藤原仲麻呂が改名した恵美押勝(えみのおしかつ)であったとされています。
 平安時代になると私印の使用は奈良時代以上に広がり、貴族の家印、蔵書印、文書や宝物を封印する印章などとして利用されました。
 この印章文化の広がりは、しかしながら、今日の日本の「ハンコ文化」にすぐにはつながりません。
 鎌倉時代になると、平安時代後半から広がっていた
花押(サイン、花のようにきれいに書かれた署名のこと)が主流となり印章文化は後退します。
 ところが、また南北朝時代以降、各地域で武士が権力を握るようになると、守護大名・戦国大名によって、再び、印章が使用され始めます。領国統治の文書に自分の権威を示す印章を用いるという発想が登場したのです。例として、北条氏の「トラの印判」武田信玄の「龍の図柄の印章」などが有名です。
 しかし、これらの印章は
方形印円形印です。
 そういう点で、織田信長の
楕円形印は、日本の文化の中で継承されたものではなく、信長の時代に外国から伝播した文化の影響を受けていると考えられます。
 それを解く手がかりは、安土桃山時代に使用された、他の
楕円形印にあります。
 同じ戦国大名でも、あるグループの大名は、信長と同じ楕円形印を使用しているのです。
 それは、
キリシタン大名です。有名なキリシタン大名の大友宗麟は、洗礼名フランシスコの文字を彫ったスタンプ印を使用していましたが、その形状は楕円形でした。
 そしてこのキリシタン大名の楕円形印は、彼らが信仰したキリスト教会(具体的には
イエズス会)を通して日本にもたらされたと考えられます。たとえば、教科書にも登場する宣教師ヴァリニャーニは、「VISITADOR」(特別監察使という意味で彼の肩書き)と彫られた楕円形の印章を使っていました。
 織田信長は、イエズス会宣教師とも接触をしており、その中から楕円形印という日本の伝統にはない形状の印を採用したと考えるのが妥当と思われます。
 この記述は、以下の文献、特に立花京子氏の論文のお説を拝借しました。
  ※参考文献1 立花京子前掲論文、前掲書P249−250
  ※参考文献2 新関欽哉著『ハンコロジー事始め 印章が語る世界史』(NHKブックス 1991年)P120−184

 なお、現在では、
官印・団体印は方形印私印は円形印私印の中でも「三文判」といわれるより安価で権威のないものは円形印または楕円形印となっています。楕円形印のランクが何故低いのか、ちょっと興味がありますが、まだそこまでは調査していません。また謎がわかったら、どこかで紹介します。

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4大文明と印章文化            | このページの先頭へ |

 さてそうなると、宣教師が日本への布教を行った16世紀のヨーロッパの印章文化の中に楕円形印の文化が含まれていたことになり、それがどこにルーツを持つかということが正解に行き着く次のステップと言うことになります。
 では、正解の選択肢となっている、いわゆる世界史の4大文明における印章の使用状況、印章文化について概略を説明します。これがわからないと、どの文明から伝承したかの判断はできません。この記述は、以下の文献を参考にしました。
  ※参考文献3 新関欽哉著『東西印章史』(東京堂出版 1995年)P14−164

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世界4大文明における印章の文化


黄河文明

 殷墟(殷王朝の旧都)から発見された印章、「殷璽」とされる印章が伝わっているが、確証はない。
 一般的には、春秋・戦国時代の戦国時代(紀元前8世紀から5世紀)からおもに銅製の印章が使用されたとされる。形状は官印・私印ともに
方形印が多く、一部に円形もある。文字印が大部分で、肖形印は少ない。
 紙の発明後、朱肉を使って文字印を押す文化が確立する。印面に漢字を描く特性上、
方形印が主流となる。


インダス文明 

 インダス文明(紀元前2300年〜同1800年)の有名な遺跡であるモエンジョ・ダロ遺跡からは、1230点もの印章が出土。材質はほとんどは滑石で、正方形のスタンプ印(ただし紙ではなく粘土板に押す印)である。
 中国と違って文字印よりも肖形印が多く、動物が描かれている場合が多い。ただし、動物等の図柄の上部に1行だけ古代インダス文字を印した印章も多い。
 


 メソポタミア文明 

 メソポタミア文明における印章使用は、すでに同文明の古い時代のものに当たるハラフ文化(紀元前6000年期末〜5000年紀)の時代のものが確認されている。スタンプ印で形状は方形・円形のものが出土している。
 時代が下がってシュメール文化時代(紀元前3500年〜同24世紀)の時代になると独特の
円筒印章が使用される。これは円筒型の回りにぐるりと図柄が彫ってあり、これを柔らかい粘土の上にローラーのように転がしていくと、粘土板の上に帯状の印影が付くものである。円筒にはメソポタミア文化の文字であるくさび形文字、人物・動物などが彫られていた。
 円筒印章はバビロン王朝時代を経てアッシリア帝国(前7世紀)時代まで使用されたが、同帝国の時代には
スタンプ印が復活し、次の新バビロニア王国の時代には、スタンプ印が主流となった。形状は円形印もしくは方形印である。  


 エジプト文明 

 エジプトでは、紀元前3000年頃には、メソポタミアより早く統一国家が作られたが、印章文化そのものは、メソポタミアの印章文化を受け入れ、初期には円筒印章が用いられた。もちろん、刻まれた文字は、くさび形文字ではなく、エジプトのヒエログリフである。
 しかし、古王国第6王朝時代には、円筒型印章に変わって
スタンプ印が主流となった。
 そして、その派生型として、エジプト独特の
スカラベ形の印章が使用された。これは、直径1cm〜3cmの石を加工したもので、上面にスカラベ(コガネムシの一種、別名ふんころがし)を彫刻し、印面にヒエログリフなどを刻んだものである。 


正解です            | このページの先頭へ |

 さて、正解です。
 ちょっともったいぶって黒板クイズをします。
 次の黒板に貼ってある印章は、織田信長の「天下布武」印の楕円形印のルーツとなった、
4大文明のひとつのある文明の印章です。さて、上の説明からするとどの文明の何という印章でしょうか?

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  ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

黒板の図は、新関欽哉著『ハンコロジー事始め 印章が語る世界史』(NHKブックス1991年)の挿入カラー写真4より作製したイメージ図です。


 こうやって話をもってくると、みなさんおわかりですね。
 正解、
楕円形印のルーツは、エジプト文明のスカラベ形印章にあります。
 
 
スカラベというのは、コガネムシの一種、エジプトに存在するフンコロガシのことです。あのファーブルが『ファーブル昆虫記』でも紹介した有名なフンコロガシです。この虫は、らくだや羊の糞を自分の体より大きいぐらいの丸い玉にして、コロがしていくという奇妙な修正をもっています。
 エジプト人はフンの玉を転がしていく姿をまるでフンの玉を恭しく捧げ持つようにとらえ、
フンコロガシが自分たちが信仰する太陽神を渇仰する姿であると考えました。そのため、古代エジプト人はこの虫を神聖視しました。
 この虫が、印章のデザインにされ、さらに発展して
スカラベ形の回転式指輪がつくられ、それが日常に使う印章として利用されたのです。
 そういえば、ハリウッド映画の『
ハムナプトラ』(ユニバーサル映画)には、ピラミッドを守る肉食凶暴で巨大なスカラベが集団で登場し、何人もの人が襲われます。あんな昆虫はいないにしても、基本的モチーフは、本物のスカラベから発展させたものです。 
 ※参考文献2 新関欽哉著『ハンコロジー事始め 印章が語る世界史』(NHKブックス 1991年)P41−49

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 このスカラベ形印章は、エーゲ文明を通して古代ギリシア文明に受け継がれました。
 もっとも、エジプトと違って、ギリシア人はスカラベという昆虫自体には何の思い入れもありませんでしたから、次第にスカラベのデザイン部分は意味をなさなくなりました。
 そのため、
平べったい楕円形の指輪形印章として使われるようになり、これをスカラベ風の印章という意味でスカラボイドと呼びます。
 イタリア半島に先住したエトルリア人は、エジプト人と同じ
スカラベ形印章を使用し、続いて興隆したローマ人は、スカラボイドを継承しました。西ローマ帝国が滅亡したのちは一時印章文化は衰退しますが、フランク王国のカロリング朝によって印章文化は復活し、以降キリスト教会や神聖ローマ帝国・フランス王国・イギリス王国等を通して、ヨーロッパに継承されていったというわけです。市民社会にも次第に広がっていきました。
 ※参考文献3 新関欽哉著『東西印章史』(東京堂出版 1995年)P127−184  


 【クイズ日本史 安土桃山時代4 参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

立花京子著「信長天下布武印と光秀菱形印」有光友學編『戦国期 印章・印判上の研究』 (岩田書店 2006年)P271

 

新関欽哉著『ハンコロジー事始め 印章が語る世界史』(NHKブックス 1991年)

新関欽哉著『東西印章史』(東京堂出版 1995年)