飛鳥~平安時代6 |
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<解説編> |
215 この写真の木製遺物は何に使われたのか? 12/05/21記載 12/05/26追加記述 |
細い木がたくさん固まって出土しました。この細い木の用途はなんでしょうか? |
写真215-01 平城宮資料館の展示物です (撮影日 09/03/07) |
このまま下に正解と説明が続きまず。
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1 | 木簡ではありません 正解は「籌木」です | このページの先頭へ | |
古代の遺跡から出土する薄っぺらな木製品といえば、木簡ですが、これは木簡ではありません。文字が記載されているものもありますが、無いものが多数です。 |
写真215-02 平城宮資料館では、上の展示によって籌木の正体を説明しています (撮影日 09/03/07) |
この籌木というのはいつまで使われたのでしょうか? |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
鎌倉時代以降は、人糞尿を下肥として利用することがはじまり、教科書の記述にあるように、室町時代には広く普及します。つまり、人糞尿を土坑や甕の中にためておいて、田畑に運んで柄杓等で巻くわけです。その時に、木でできた籌木が混じっていては、いちいち取り除かなければなりませんから困ります。そこで、先の菅江真澄の引用文にあるように、使用済み籌木は、穴に捨てるのではなく、箱か何か別のものに回収して、再利用またはまとめて廃棄するという方法に変化したと考えられます。 |
ついでですから、平城宮跡についてもう少し、紹介します。 |
写真215-03・04・05 |
下左の「呪いの人形」とタイトルされている人形は、木簡が発見される前年の1960年に発見されたものです。平城宮の大膳職の跡とされる部分の井戸から出土したものです。両方の目と胸に釘を突き刺し、さらに胸の部分に何か呪文が書いてあります。 |
以下は、復元された朱雀門、大極殿の写真です。 |
写真215-06 平城京の中央の道路、朱雀大路と朱雀門 (撮影日 09/03/07) |
写真215-07 復元された朱雀門 (撮影日 09/03/07) |
写真215-08 復元された大極殿、近鉄電車の車窓から (撮影日 11/11/17) |
※上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、平城宮跡の地図です。 |
これで、出土木製遺物シリーズ、Ⅰ「刀筆の吏」・Ⅱ「籌木」・Ⅲ「越前一乗谷朝倉遺跡トイレ遺構」の二つ目を終わります。 |
【クイズ215 籌木に関する参考文献一覧】
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