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各地の鉄道あれこれ23
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 東京駅から一番近いトンネルその312/07/30
 JR東京駅から在来線に乗って行ける1番目に近いトンネル御所トンネル
 JR中央線のルーツ、甲武鉄道と御所トンネル
 御所トンネルの長さ・位置
 ついでに紹介、四ツ谷駅は面白い駅です
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 JR東京駅から在来線に乗って行ける1番近いトンネル 御所トンネル

 そして、JR東京駅から在来線に乗って行ける一番近いトンネルは、中央線四ツ谷駅(地名は四谷、駅名は四ツ谷駅)と信濃町駅の間にある、御所トンネル(正確には旧御所トンネル新御所トンネルも含む)です。
 「中央線のトンネル」といっても、近くに山なんかないし・・・。」
と疑問に感じられる方は、寧ろ常識的な方です。私も、アドバイザーから指摘されるまでは、トンネルではなく、道路を越えるための単なるガードと思っていました。

 しかし、ちゃんとトンネルがあるんです。
 まずは、
御所トンネルの位置です。

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 御所トンネルは、ある意味東京の真ん中にあります。
 東京の地理を理解するのには、山手線のループがどの辺をめぐっているかを押さえることが肝心ですが、御所トンネルは、山手線の中央を横切る中央線の真ん中にあり、そういう意味では、山手線のループの真ん中に位置するのです。
 それにしても、そんなところに高い丘陵が存在しているのでしょうか?  

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 写真23-01 旧御所トンネル(撮影日 12/07/06)

 写真23-02 新御所トンネル(撮影日 12/07/06)

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 左は、現在は、新宿方面行き中央線緩行線(総武鉄道につながる各駅停車の遅い電車)の線路となっている旧御所トンネルです。
 右は、
秋葉原方面行き中央線緩行線上下急行線(オレンジ色の電車)の3本が通る、新御所トンネルです。いずれも四ツ谷駅側の出入り口です。

 
旧御所トンネルは、1895(明治28)年に開通した当時の私鉄、甲武鉄道の新宿-飯田橋線のトンネルとして掘られました。最初から複線トンルとして掘られましたので、現在はゆとりのあるトンネル幅の中央を緩行線が1本だけ走っています。
 
新御所トンネルは、中央線の複々線化にともない、1927(昭和2)年に新しく掘られたものです。

 この二つのトンネルの上に丘でもあるのか?
 いえ何もありません。下の地図・写真をご覧ください。

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上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、JR四ツ谷駅周辺の地図です。

 トンネルの上にはごく普通に道路と建物があるだけです。
 上の写真23-02 
新御所トンネル手前の線路面の標高値は、20.0mです。
 一方、右の写真23-03、トンネル直上の道路の最高標高値は、30.4m、地図に記載されている地図上の三角点の数値は、32.7mです。
 いずれにしても、たった、10mあまり高い「丘陵」を通過するのに、トンネルを掘ったわけです。 
 何故その様なトンネルを掘る必要があったのでしょうか?
 JR中央線の前身、私鉄
甲武鉄道の創設の時代の歴史をひもとく必要があります。

 写真23-03 トンネル上(撮影日 11/08/08)

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 JR中央線のルーツ、甲武鉄道と御所トンネル

 明治時代の東京市内鉄道は、官営資本ではなく民営資本主導で進められました。
 「東京駅に一番近いトンネル その2田端トンネル」も、もともとは、日本鉄道の上野-高崎間鉄道がルーツとなっています。
 中央線の元々のルーツとなった路線は、八王子-新宿間に計画された馬車鉄道です。最初の敷設免許(許可)は1886(明治19)年に与えられました。1887年には、新しい社名
甲武鉄道として、八王子-新宿間に鉄道敷設免許がおり、」1889年には36.9km全線が開通しました。
 ついで同社は、中央乗り入れの市街線計画を立て、1895年4月に
新宿-飯田橋間を単線開通させ、年末までには複線工事を完了しました。

 この市街地乗り入れ線にはいろいろ建設上の苦労がありました。
 会社の当初の計画では、旅客が多く見込まれる四谷の坂町や市ヶ谷の本村町などの市街地を経て飯田橋へ向かう路線が検討されました。現在の
地下鉄都営新宿線が通っているあたりです。
 しかし、用地買収が難しいこと、新宿駅で八王子方面からの直通列車を迎え入れて線路をつなぐには不都合であったこと、そして陸軍の要求で青山練兵場(現在の国立競技場のある場所)の近くに路線を通す必要が生じたことなどから、別の路線が選択されました。
 それが、当時としては人家が少なかった、
千駄ヶ谷信濃町四谷見付を経て、外堀沿いに飯田橋までつなげるという路線です。

 しかしこちらはこちらで、またいろいろな障害が発生しました。
 外堀沿いを通過するため、いわゆる景観保護のため、なるべく土手を削らずトンエルを掘ること、さらには、
赤坂御所(現在迎賓館等がある)の一部をかすめるためそこにもトンネルを掘ることでした。この後者のトンネルこそが、今に残る御所トンネルなのです。
 上記前者の外堀沿いには、飯田橋側から順に、
四番町隧道((牛込-市ヶ谷間)、三番町隧道四ツ谷隧道(市ヶ谷-四ツ谷間)の3つのトンネルが掘られ、4番目のトンネルが御所隧道でした。
 
 これらのトンネルがもしそのまま現在まで残っていたら、御所トンネルは東京駅に一番近いトンネルにはなりませんでした。
 しかし、前者の3つのトンネルは、1927(昭和2)年の中央線複々線化の際には、線増部分の敷地を確保するため、いずれも撤去されてしまいました。
 
赤坂御所学習院初等科が上にある御所トンネルの場合は、低い丘陵といえども削って電車を通すというわけにはいかず、四ツ谷駅の改良にともなって線路位置を移動させるために、新たに開削方式で3線の分のトンネルが掘られ、これが新御所トンネルとなりました。
 ※参考文献2 守田久盛・高島通著『鉄道路線変せん史探訪 真実とロマンを求めて』P249-261
 ※参考文献3 守田久盛・大八木正夫・福田光雄著『鉄道路線変せん史探訪パートⅢ』P133-143
 ※参考文献4 長谷川裕著『五反田駅はなぜあんな高いところにあるのか』P61-66  

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 写真23-04 (撮影日 11/08/08)

 写真23-05 (撮影日 11/08/08)

 左上:トンネルの真上、四谷中学校前交差点から撮影。
 正面が
赤坂御用地です。赤坂という以上、こちらは港区赤坂です。
 交差点の右手前が四谷中学校、その西南側に
学習院初等科があります。こちらは新宿区四谷です。
 
 右上:現在の赤坂御用地のメインは、
迎賓館です。
 
 左:赤坂御用地西門の警備の状況(警察官に向かってカメラを向けるのは、横須賀米軍基地ゲート前事件のトラウマがあって、ちょっと緊張します。
 →旅行記:「横須賀軍港めぐり見聞記09ゲートで憲兵」

 写真23-06 西門(撮影日 11/08/08)

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 御所トンネルの長さ・位置

 では、肝心の御所トンネルの位置や長さはどうなっているのでしょう。
 今までの、第2位田端トンネル、第3位中里トンネルとも、トンネルの入り口に表示板がありました。この御所トンネルはどうなっているのでしょうか?


 写真23-07 表示(撮影日 12/07/06)

 写真23-08 表示(撮影日 11/08/08)

 残念ながら、両トンネルの南北の入り口のどこにも、位置表示はありませんでした。。  

 残念ながら、両トンネルともトンネルの長さは表示されていますが、位置は示されていません。
 文献でも調べることができるでしょうが、こういう時に役立つのが線路知識です。


 写真23-09 8という表示(撮影日 12/07/06)

 写真23-10 7-6表示(撮影日 12/07/06)

 左:旧御所トンネル手前20mにある、「」のキロポスト表示です。
 右:四ツ谷駅ホームのトンネルよりにある、「
7-6」のキロポスト表示です。
 時刻表で確かめると、東京駅-四ツ谷駅間の営業キロ表示は、「
6.6km」です。ということは、右の表示は、このキロポストが、東京駅から6.7kmであることを示しています。
 必然的に、左の表示は、
6.8kmということになります。ということは、御所トンネルは、東京駅から、6km820m地点にあるトンネルと言うことができます。
 田端トンネルが
7km476mでしたから、この御所トンネルの方が600m以上東京駅に近いトンネルと位置づけることができます。東京駅から在来線で行ける一番近い踏切と定義する所以です。
 ちなみに直線距離では、
約3.3kmとなり、田端トンネルの約6.3kmと比べると、圧倒的に近いトンネルということになります。 

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 写真23-11  東京駅1番線・2番線          (撮影日 12/04/29)

 写真23-12 0kmポスト(撮影日 11/08/08
 中央線の快速電車は、東京駅1番線・2番線から出発します。
他の路線とは違って、一段高い3階建て部分にあります。
 ただし、
0kmポストは、京浜東北線大宮方面行きホームの横にあります。
 また、キロポストは、東京駅が0kmになっていますが、路線の計算上は、神田駅が起点となっているそうです。東京神田間が、京浜東北線と重複するためです。

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 ついでに紹介、四ツ谷駅は面白い駅です

 ついでに、JR四ツ谷駅の面白さを紹介します。
 まず、その前に、トンネルの西口の写真です。 


 写真23-13  御所トンネル西口(信濃町駅側)          (撮影日 12/05/09)

 4本の線路がやや曲がってトンネルにつながります。市場右が旧御所トンネル、次の二つは、新御所トンネルです。新宿から秋葉原へ向かう普通電車の先頭からの撮影です。
 上の青い橋は道路橋で、朝日橋といいます。ここから撮影したのが次の写真です。


 写真23-14 御所トンネル西口           (撮影日 11/08/08)

 御所トンネル西口を通過する中央線の電車群です。右は旧御所トンネルをから出てくる新宿方面行き各駅停車電車、真ん中は新御所トンネルに入る秋葉原方面行き各駅停車電車、左は、新宿方面行き快速電車です。

 
旧御所トンネルは、1927年に新御所トンネルが新造されて複々線化がなされた時、それまでの複線時代からのトンネルから27m延長されて、現在の317mとなりました。
 写真23-01と比べると、トンネルの入り口の形が違います。
旧御所トンネルは元々複線用でしたから、写真23-01の四ツ谷駅側口は、そのまま複線用が使われています。
 しかし、上の写真は、延長された部分が、単線用に創られたものだったので、
新御所トンネルと同じ形状の単線用のトンネルとなっています。つまり途中から細くなっているわけです。
 旧御所トンネルがなぜ延長されたのかというと、上の写真の緑の木々の向こうにある
学習院初等科が運動場を拡張するため、トンネル上の敷地面積を増やす必要があったからです。
 通常とは反対に、トンネルの上の「丘」が、増幅したわけです。
  ※参考文献3 守田久盛・大八木正夫・福田光雄著『鉄道路線変せん史探訪パートⅢ』P140

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 さて、御所トンネルの東北側、四ツ谷駅側はきわめて面白い地形となっています。
 下の写真をご覧ください。


 写真23-15 四ツ谷駅(撮影日 11/08/08)

 写真23-16 御所トンネル(撮影日 11/08/08)

 左:JR四ツ谷駅です。新宿へ向かう新宿通が外堀をまたぐ場所にあり、道路面から下に降りると、2面4線のホームがあります。上で説明のように、中央線の元になった甲武鉄道の市街線が外堀に沿う路線となったため、駅もそのように設置されました。背景の高いビルは上智大学です。
 右:緩行線ホームから
新御所トンネルを出て四ツ谷駅ホームに近づきつつある電車を撮影しています。問題は、ホームとトンネルの間にある大きな構造物です。電車のガードと橋脚のように思えます。
 ここにも別の鉄道が走っているのでしょうか? 


 トンネルの入り口上の鉄道が、この駅を面白くさせている要因です。この鉄道は何でしょうか?

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 写真23-17 四ツ谷駅(撮影日 11/08/08)

 写真23-18 JRの上の駅up(撮影日 11/08/08)

 左:JR四ツ谷駅緩行線ホームに停まる新宿方面行き。その先のガードの上に、赤いラインの別の電車が止まっています。
 右:アップにすると、あれあれこの電車は・・・・。


 写真23-19 上の駅のホーム(撮影日 08/10/25)

 写真23-20 JRの上の駅(撮影日 08/12/11)

 左:JR四ツ谷駅を発車した新宿方面行きオレンジの快速電車が新御所トンネルに入るところです。上の駅のホームからの撮影です。
 右:上の駅のホームに停まる電車とJR四ツ谷駅-旧御所トンネルの間の線路です。道路側から撮影しています。背景は上智大学の建物です。


 この赤い帯の電車は、なんと東京メトロ地下鉄丸ノ内線の電車です。つまり、JR四ツ谷駅旧御所トンネル新御所トンネルとの間の頭上にある駅は、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅でした。

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 写真23-21 地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅           (撮影日 11/08/08)

 左手前下が、旧御所トンネルへ向かう緩行線の線路上です。奥のオレンジ色電車は、快速電車です。


 写真23-22 丸ノ内線(撮影日 11/08/08)

 写真23-23 丸ノ内線(撮影日 11/08/08)

 上智大学前のソフィア通りの旧外堀側にある土手の上からの撮影です。
 左:中央に
旧御所トンネルの上部がかすかに見えます。地下鉄丸ノ内線そのものは、左手のトンネルから駅の部分だけ地上に登場します。
 右:
地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅の向こうに、新御所トンネルの上部構造がかすかに写っています。これを見ると両トンネルの上は丘陵ではないことは確かです。
 この部分では旧外堀は完全に埋められています。写真左のテニスコートは、上智大学の施設です。

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 地下鉄の駅がJRの駅の上にあるというのは、丘陵地・谷地が多い東京でもそうたくさん存在しているわけではありません。
 渋谷駅に次いで、面白い駅です。
  →目から鱗:「各地の鉄道あれこれ 08地下鉄、地上に出る その1銀座線渋谷駅」


 これで、東京駅から在来線で行ける一番近いトンネルのシリーズを終わります。
 ただし、在来線は紹介しましたが、実は
新幹線のトンネルについては書いていません。現在取材中ですが、そう簡単には東京には行けませんので、少し時間を下さい。取材が終わりしだい、アップロードします。


 【東京駅から一番近いトンネルその3 御所トンネル 参考文献一覧】
  このページ3の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。
  皆川典久著『東京「スリバチ」地形散歩 凹凸を楽しむ』(洋泉社 2012年) 
  守田久盛・高島通著『鉄道路線変せん史探訪 真実とロマンを求めて』(集文社 1978年) 

守田久盛・大八木正夫・福田光雄著『鉄道路線変せん史探訪パートⅢ』(吉井書店 1982年)

  長谷川裕著『五反田駅はなぜあんな高いところにあるのか』(草思社 2010年) 


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