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各地の鉄道あれこれ08
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 地下鉄、地上に出る その1銀座線・渋谷 08/11/30

 前回までの「東京駅と踏切5題」シリーズの最後で、地下鉄銀座線上野車庫を紹介しました。地下鉄が地上に出てくるというだけでなかなか面白いネタです。
 今回は、それをシリーズにしようと考えています。
 ただし、わが地元岐阜市には当然地下鉄などはありませんので、地元で取材というわけにはいきません。大都市に出かけていった時に取材したことを貯金して掲載と言うことになります。
 シリーズ全部の取材が仕上がるのを待っていてはいつ完成するか分かりませんので、とりあえず、10月25日に取材した、東京渋谷について最初のレポートします。

 地下鉄が地上に出ると言っても、どの都市の地下鉄でも、普通は路線の末端部分では、車庫や整備工場を設置する関係上、地下鉄は地上に出ています。そういう意味での「
地下鉄の地上化」はあまり面白くありません。ここはあくまで、この未来航路の原点を忘れずに、授業の中味として取り上げられるような「何かをもった場所」を紹介します。 


 この項目の作製に当たっては、以下の書籍を参考にしました。

 宮脇俊三著『昭和八年渋谷駅』(PHP研究所 1995年)

 青木栄一監修『読む・知る・愉しむ 東京の地下鉄がわかる事典』(日本実業出版社 2004年)

 小野昭三著『西武vs東急 戦国史』(KK野良ブックス 1987年)

 宮田順一・林順信著『鉄道と街・渋谷駅』(大正出版 1985年)

 全国地理教育研究会監修・東京都地理教育研究会編著『エリアガイド 地図で歩く東京U 東京区部西』(古今書院 2002年)

武田晴人著『集英社版日本の歴史R帝国主義と民本主義』(集英社1992年)

中村建治著『メトロ誕生』(交通新聞社 2007年)

佐藤信之著『地下鉄の歴史』(グランプリ出版 2004年)

林順信編『玉電が走った街 今昔』(JTB 1999年)

10

帝都高速度交通営団編『営団地下鉄五十年史』(帝都高速度交通営団 1991年)

| 地図08 地下鉄銀座線の路線と標高へ || 地図10渋谷の地形 現代へ | 
 地下鉄銀座線の特色

 東京メトロ銀座線は、日本の地下鉄の中では一番古い路線で、浅草渋谷を結んでいます。主な停車駅は、浅草から出発すると、浅草上野日本橋銀座新橋虎ノ門赤坂見附青山一丁目外苑前表参道、そして渋谷です。
 この路線は、戦前に建設された日本最初の地下鉄だけに、戦後の高度経済成長期以降に建設された他の多くの路線とは、技術的にいろいろ違う点があります。(銀座線の渋谷駅開通は、1938(昭和13)年12月です。)
 いくつか挙げてみます。

 集電方式は、第3軌条方式。(これは、目から鱗:各地の鉄道あれこれ「 東京駅と踏切5題その7 特別編 地下鉄銀座線の踏切」 で説明しました。)

 電圧が直流600Vである。(通常は1500V)

 車両1両の長さが16mと短い。(通常は20m)

 車両のサイズが小さい。(車高3485mm×車幅2600mm、通常サイズの都営新宿線車両は、4030mm×2760mm)

 最初に掘られた地下鉄ですから、トンネルが道路のすぐ下を通っており、銀座線の駅は、一般的に地下の浅いところにある

 この最後の5の部分が、このページのテーマに関係があります。
 地表面に沿ってできるだけ浅いところをトンネルが掘られているということは、
地表の地形によっては、線路が地上に出ることもあり得ると」いうことになります。
 それが、
渋谷駅の「地上化」を生みました。 


 「次は終点、渋谷」

 浅草から上野、銀座、新橋と巡った銀座線は、それまでの東京湾口の低地帯から離れて、西の山の手へ向かいます。
 右の路線図をご覧ください。路線図上に示された数値は駅のある地点の地表面(道路面)の標高です。
 
新橋までは、標高はすべて5m以下です。
 新橋からJR東海道線の下を通って西の
山手へ向かうと、徐々に標高は上がります
 
赤坂見附から青山通りの下に入ると標高は急激に高くなり、赤坂御用地前の坂を上がると30m以上となります。
 そのまま、
外苑前表参道と同じ高さが続きますが、渋谷に近づくと状況が一変します。
 
渋谷駅の一つ手前の表参道駅と渋谷駅との距離は、およそ1.1kmです。電車は表参道駅を出て、ほぼ同じ標高で走った後、少し登りに入り、そして、・・・・。

 写真08−01 表参道駅から渋谷駅へ                     (撮影日 08/10/25)

 表参道を出て、渋谷へ向かって700mあまり走ると、電車はトンネルを出て地表に出ます。写真の正面に見えるビルが、銀座線渋谷駅です。但しこの写真は、渋谷へ向かう電車の先頭からの撮影ではなく、渋谷を出て表参道へ向かう電車の最後尾からの撮影です。


 急に前が開けたと思うと、地下鉄電車は地上に出ます。 


 写真08−02        (撮影日 08/10/25)

 写真08−03       (撮影日 08/10/25)

 左は、青山通りが二手に分かれるうちの北側の宮益坂から、トンネルを出たばかりの銀座線電車を撮影しました。
 右は、反対に南側の
金王坂からの撮影です。 


 写真08−04        (撮影日 08/10/25)

 写真08−05       (撮影日 08/10/25)

 左は、地下から出てきた渋谷行き電車です。
 右は、渋谷を出発してトンネルを入ろうとする
浅草行き電車です。電車の背後の高層ビルは、渋谷駅南西にあるセルリアン・タワーです。 

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 電車はどこを走って、渋谷駅に向かうのでしょうか?渋谷駅はどこ?

 写真08−06 渋谷駅手前                              (撮影日 08/10/25)

 トンネルから出た電車は、そのまま直進して行きます。向かう先は・・・・・。 

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 写真08−07         (撮影日 08/10/25)

 写真08−08         (撮影日 08/10/25)

 写真08−09     (撮影日 08/10/25)
 
 トンネルを出た銀座線電車は、地上からの高さ約12mの高架上を300m程走って、また「穴」に入ります。
 この建物が、渋谷の
東急東横百貨店です。地下鉄銀座線渋谷駅は、この建物の中にあります。 


 写真08−10 地下鉄銀座線渋谷駅から出発する電車           (撮影日 08/10/25)

 夕暮れの渋谷駅を出発する浅草行き電車。 


 写真08−11  渋谷駅構内          (撮影日 08/10/25)

 地下鉄銀座線渋谷駅構内。ホームに乗客が少ないのは、この写真が、乗客が乗り込んで発車した浅草行き電車の最後部からの撮影だからです。 


 写真08−12 地下鉄銀座線渋谷駅 北側から           (撮影日 08/10/25)

 渋谷駅に到着する銀座線電車。東急東横百貨店の3階に入ります。


 写真08−13 地下鉄銀座線渋谷駅 南側から           (撮影日 08/10/25)

 渋谷駅に到着する銀座線電車。右手は明治通り。中央は渋谷駅東口のバスターミナルです。中央、電車下はターミナルと明治通りを渡る歩行者通路です。左手は東急東横店東館です。左手手前は、東急東横線の渋谷駅です。 


 つまり、銀座線の路線は、青山台の台地の坂の途中から地上に出て、そのまま高さをほぼ変えずに直進し、東急東横百貨店の3階部分に入って、そこに渋谷駅があるという構造になっています。
 銀座線渋谷駅は、
百貨店の東館の東側から、高架線(2階)のJR山手線・山手貨物線をまたいでそのまま西館まで貫通して作られています。
 写真08−11
は、その一番西端の部分を撮影したものです。 

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 なぜ? その1渋谷の地形

 どうしてこんな事が起こったのでしょうか。
 理由としては、ふたつが考えられます。ひとつは、渋谷の地形です。(次ページでお話しするもう一つは、渋谷駅の開発の問題です。)
 それではまず、渋谷駅周辺の地形を理解するために古い地図から作ったイメージ図を見てください。
 

 渋谷という場所は、江戸城(皇居)からみて、北西方向の郊外にあたり、江戸時代には江戸府内ではなかったのはもちろん、明治になってから東京市が成立した時も、当初はその15区には含まれていませんでした。
 1885年に鉄道が開業した当初は、南豊島郡上・中・下渋谷村であり、その後、豊多摩郡渋谷村、渋谷町を経て、


 地図を見ながら、渋谷の地形を説明します。

 渋谷は、西の関東山地(東京都・埼玉県と山梨県境)のから張り出した武蔵野台地が河川の浸食によって削られたひとつ、渋谷低地(谷)の谷底を中心とする地域です。周りの台地は、30−35mの標高がありますが、谷底は10m−15mとなっています。

 渋谷の谷を形作ったのは渋谷川(地図中央を北から南に流れています)です。この川は、新宿御苑や明治神宮の池を水源とし、1635年の玉川上水完成後はその余水をも合わせて、恵比寿、南麻布、東麻布、赤羽橋、芝を経て、竹芝桟橋南で東京湾に注ぎます。

 渋谷という地名は、直接には、この地域の地下水が、鉄分を多く含んでいたことに由来します。古来人々は、サビ臭のする水の出る土地について、「渋」という名前を冠してきました。その原因は、この地域の地層が関東ローム層の下に、透水性の悪い渋谷粘土層を含んでいるためです。

 この地域には、江戸時代には、北東から南西へ、谷底を通って、幹線道路が通っていました。この道を大山街道(おおやまかいどう)といい、現在の国道246号がそれにあたります。行き先の大山は神奈川県中央部の丹沢山系の南東部にあり、別名「雨降山、阿夫利山」とも言われ、雨乞いの山として信仰を集め、古代以来豊作、豊漁の守護神と崇められ、また、山岳信仰の修験道の山としても有名でした。
 江戸中期以降は、江戸から1泊2日と気軽だったこともあって、「
大山詣」がさかんとなり、その沿線は、参詣人で賑わいました。この道はその一つです。

 大山街道は、青山の台地から20m程を下って渋谷の谷底へ下ります。この東側の坂が宮益坂です。東京にいくつもあった「富士見坂」のひとつでした。
 渋谷川を渡り谷を西へ横切ったあと、また、20m以上の坂を上ります。この西側の坂が
道玄坂です。

 1885年に開通した渋谷駅は、谷を横切る街道よりは300m程南の田地の中に作られました。30年以上そのままでしたが、おそらくは、道玄坂の商店街や旅館などの要望があったのでしょう、1920(大正9)年の鉄道高架化とともに、北よりの現在地に移動しました。

 さて、これだけ説明すれば、地下鉄銀座線の渋谷駅が地下駅ではなく、東横百貨店の3階部分となっている地理的な理由は、お分かりいただけると思います。
 まとめれば、

 1 宮益坂の途中で地上に出ると、そのままの標高を維持すれば谷底を渡って百貨店の3階へ入ることになる。
 2 東急東横百貨店自体が、珍しいことに、渋谷川の川の上に築造されており、地下駅の築造は無理があった。

ということになるでしょう。

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 写真08−14  渋谷貨物駅          (撮影年 1974年)

 この航空写真は、1974(昭和49)年に撮影されたものです。写真一番上が渋谷駅で、左上から右下に写っているのがJR山手線の線路です。中央の白い屋根の建物から右下へ伸びている線路は、東急東横線です。
 この写真の中央部分、線路が何本も広がっているところは何でしょうか?
 この部分は今では存在していませんが、この当時の
渋谷貨物駅です。東側の線路に貨物列車が写っています。そして、この渋谷貨物駅こそが、1885年の開業当時の渋谷駅の位置です。
 この部分は、現在は、埼京線・湘南新宿ラインの渋谷駅となっています。下の写真をご覧ください。
 渋谷川は、駅に南側では、東急東横線の東側に沿って流れていますが、上の写真では蔭になっていてわかりません。川は東急渋谷駅下から北は、暗渠となっているため地表からは見ることはできません。幻の川です。

上の写真は、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムのカラー空中写真閲覧から引用しました。こちらです。→国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)


 写真08−15 埼京線渋谷駅 南側から           (撮影日 08/08/13)

 埼京線の渋谷駅ホームは、上の写真08−14の旧山手貨物線渋谷駅の位置にあり、山手線渋谷駅とは連絡通路で繋がっています。この写真は、埼京線ホームの南側(恵比寿側)からホームに入ろうとしている電車の先頭車両から撮影しました。東急東横線のガードをくぐったばかりの地点からの撮影です。前方の道路橋は猿楽橋です。奥に東急東横百貨店が写っています。


 写真08−16 埼京線渋谷駅                   (撮影日 08/08/13)

 埼京線渋谷駅に停車しようとする電車の先頭車両からの撮影です。対向してくるのは山手線内回り電車、渋谷駅を出たばかりです。左側高架道路は高速3号渋谷線で、その向こうは東急東横百貨店の西館です。

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 さて、もう少しレポートが必要です。
 地形的な理由はわかりましたが、現在の
渋谷の谷の様子をもう少し説明しなければなりません。
 また、デパートの3階に入ると言っても、そのデパートは地下鉄の経営するデパートではなく、
東急の百貨店です。なぜそうなっているのか、それも説明したいところです。
 次のページに続きます。 


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