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街道を歩く11
 江戸時代の街道を歩いてみました。由緒ある街道の今昔、エピソードです。
 
 神奈川宿と横浜1 青木橋 07/09/30作成 
 はじめに                                            | このページの先頭へ |

 初めからシリーズでご覧になっている方は、ずいぶんお待たせしました。
 
生麦事件薩英戦争にちょっと時間がかかりましたが、ようやく、神奈川宿と横浜にたどり着きました。

 2007(平成19)年の「東海道を歩く」シリーズは、日記:2007年7 月17 日(火)「東海道と東海道線−これからの予告です−で説明したように、もともとは、明治時代初期の神奈川宿の一部、
現在の横浜市神奈川区青木橋の写真を見たのがきっかけでした。下の写真です。

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 これが「街道を歩く」を生むきっかけとなった写真「青木橋」。

 
旧東海道(中央の橋を渡って左右に伸びているのが旧東海道です)と最初の鉄道新橋−横浜線(手前から奥に伸びる単線鉄道線路、現東海道線です)の交差する部分を写した1871年の撮影の写真です。『ザ・ファー・イースト』紙の1871年10月2日号に掲載されたものです。
 新橋−横浜線の開通は、1872年9月(陽暦10月)でしたから、この写真は開通の約1年前の写真です。


長崎大学付属図書館幕末明治期日本古写真メタデータ・データベース」から許可を得て掲載しました。

ザ・ファー・イースト』はイギリス人ブラックによって、横浜で敢行された写真入り新聞です。1870年5月から隔週新聞として発行され、1873年からは月刊誌となりました。
 ブラックは、これとは別に1872年日本語新聞『
日真新事誌』を発行しました。この新聞は、板垣退助が政府に提出した「民撰議員設立建白書」を掲載した新聞として有名です。日本史の教科書の同建白書の資料の出典は、『日真新事誌』となっています。


 写真の青木橋の向こうの海、古くは「袖ヶ浦」(そでがうら)といいましたが、これは現在はすっかり埋め立てられて陸となっています。そして、鉄道線路が曲がっている部分の少し先に、現在のJR横浜駅があります。

 
青木橋といっても、横浜市民以外にはあまりなじみはないかもしれませんが、今年の春、上の写真を見て、理由は分かりませんが、「現在のこの場所に行ってみたい」と思いが強くこみ上げてきました。「今はさぞかしこの写真と違っているだろうな。」と思うと、謎解きにもにた思いも湧いてきてわくわくしてきました。

 その背景には、昔から何気なく授業で教えていた、
通商条約の開港地として指定された神奈川と、実際の開港地横浜の「違い」についての確認をしてみたいという思いもありました。

 「
授業の確認」と「趣味の鉄道」、この二つの条件が揃えば、これはなんとしても、行かねばなりません。
 2007年5月・6月・8月と、3度この地を歩きました。


神奈川宿と横浜村                                      | このページの先頭へ |

 神奈川県や近辺の住民ならともかく、他の日本全国の方々は、現在の神奈川県にもともと神奈川という地名と、横浜という地名が別々にあり、江戸時代は、神奈川の方が圧倒的に有名で大きな町だったということも、あまりご存じありません。
 かくいう私も、教師になって日本史を教えるまでは知りませんでした。(高校では、教科書以上のことは、教えられませんでした。)
 
 岐阜県人の私が、なぜ、住んだこともない
神奈川横浜にこだわるのか?何も理由がありません。(^_^) ただ、そこに神奈川横浜があるからです。(^_^)

 まず、まったくの地理不案内の方のために、
東京湾周辺の地図です。ポイントを確認しておいてください。




 では次に、全国のみなさんが学習する、教科書の記述です。
 教科書には、
神奈川と横浜の関係は、次のように記述されています。(下線は引用者が施しました。)


 
 これではよく分かりませんね。
 そこで、現在と当時の地図で、
昔の神奈川宿と横浜村現在の横浜市中心部を比較してみましょう。

 今は埋め立て地の拡大によって旧海岸線はどこか分からなくなってしまいましたが、生麦から神奈川にかけては、旧東海道が旧海岸に沿って通っています。
 
旧東海道、それとほぼ重なりつつ通っている国道15号線(第1京浜国道)、そして、JR東海道線京浜急行線更にその北に国道1号線(第2京浜国道)が並行して走っています。
 
京浜急行線には神奈川駅はありますが、JR東海道線には、神奈川駅しかありません。
 
 上の写真の青木橋は、上図では、幕末・現在とも、白い横線で示してあります。幕末の地図では、卍本覚寺のすぐ隣です。また、京浜急行神奈川駅すぐ南です。


 江戸時代の神奈川は、東海道の江戸から数えて3番目の宿場町でした。(品川−川崎−神奈川の順)
 江戸に近い場所として開港地に選ばれましたが、幕府は街道の宿場町に外国人居留地や新しい開港地を作るのは無理と考え、神奈川の「
対岸」にあたる横浜を新しい開港地としました。

 上で「
対岸」と表現したのは、上の左の地図を見ていただければ一目瞭然です。
 現在では埋め立てによってすっかり陸続きとなっている
神奈川横浜ですが、昔の横浜村は、神奈川宿から見れば、帷子(かたびら)川の三角州、大岡川の三角州という二つの低湿地帯にさえぎられた向こう側の、しかも、南から延びた砂州の付け根にあった村でした。
 
神奈川宿から見れば、海の南の、「対岸」の村でした。
 
 当時の
横浜村は戸数100戸ほどの寒村で、村の自慢といえば、中国向けの輸出品、海鼠(なまこ、その内臓を取り除きゆでて乾燥したものがいりこで、これは長崎貿易の輸出品として教科書にも登場します。)の生産量が、江戸湾西海岸の18の漁村で、3位であったことぐらいでした。

図説・横浜の歴史編集委員会編『市政100周年 開港130周年 図説横浜の歴史』(横浜市市民局市民情報室広報センター 1989年)P182


青木橋                                             | このページの先頭へ |

 では、本題に入ります。
 まず、上の写真「
青木橋」の現在の様子の説明です。

 
青木橋は、神奈川宿の西部にある旧東海道の道路に、鉄道線路の開通に伴って作られた跨線橋です。

 この橋の下には、最初は、新橋−横浜鉄道線の単線だけが通っていただけでしたが、現在では、8本の線路が通っています。

 
京浜急行線(写真の赤い電車、上下線2本)とJR線6本(東海道線京浜東北線横須賀線各上下)です。右の旧写真の右手の木々は、本覚寺(開港時のアメリカ領事館、生麦事件の際、負傷したマーシャルとクラークが逃げのびた場所)のものです。

 上の現在の写真では、右手の高台の建物が
本覚寺です。また、京浜急行線の白い建物の駅は、神奈川駅です。(撮影日 07/05/23) 

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 現在の青木橋を北西側の高台から南東に向けて撮影した写真です。
 橋の下を赤い電車、
京浜急行の普通電車が神奈川駅を出発したばかりのところです。「次の停車駅は、横浜〜」です。
 

 旧東海道
は、橋の南東詰めの左側にある白い11階建てのマンションの向こう側から青木橋にでて、橋を渡って左に折れ、手前右の屋上に「グリフィン」の看板がある茶色のマンションの裏側へと通っています。この橋の上の部分の道路は、現在の国道1号線です。

 背景には、
ポートサイド地区の高層ビル群がそびえ立っています。
 江戸末期なら、
ここから横浜港に停泊する船を遠望できたはずですが、今は海も見えません。(撮影日 07/08/11)

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 青木橋の上から、川崎方面を写した写真。右の駅は京浜急行線神奈川駅。(撮影日 07/08/11)


 同じく青木橋の上から、横浜駅方面を写した写真です。かなたに、横浜都市高速道路三ツ沢線の白い橋脚が映っていますが、そのすぐ向こうが、横浜駅です。(この写真ではよく分かりません。)
 右手の赤い
のマークは、横浜駅南西口にある高島屋です。(撮影日 07/06/13)


 これは青木橋の北詰の交差点から本覚寺幕末のアメリカ領事館)を撮影したものです。(撮影日 07/05/23)
 本覚寺下の広い道は、国道1号線(第2京浜国道)です。1号線は、ここで左折して青木橋をわたり、国道15号線と合流します。右手に折れて、そのまま横浜駅正面へ向かいます。

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 その昔の青木橋の西には、海が広がっていて入江でした。
 右の明治初期の写真の奥は、帷子川が作った三角州とその後は富士見ヶ丘などの丘陵群です。
 
新橋ー横浜間の鉄道は、その真ん中を埋め立てて作られました。入江の真ん中で曲がっているのは、上の地図を見ていただければ分かるように、開港場横浜は、神奈川宿から見て南の「対岸」にあったからです。
 横浜駅については、
街道を歩く13「神奈川宿と横浜3横浜駅」で説明します。
 えっ、神奈川宿の町全体はどのような様子だったですかって?

 

 そうですね、もう少し、神奈川宿全体を説明しなければなりませんね。さらに、現在の横浜駅ができるまでの話も興味ありますね。
 では、まず、次回は神奈川宿の説明です。


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