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街道を歩く11 |
江戸時代の街道を歩いてみました。由緒ある街道の今昔、エピソードです。 |
神奈川宿と横浜1 青木橋 07/09/30作成 |
はじめに | このページの先頭へ | |
初めからシリーズでご覧になっている方は、ずいぶんお待たせしました。 |
これが「街道を歩く」を生むきっかけとなった写真「青木橋」。
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写真の青木橋の向こうの海、古くは「袖ヶ浦」(そでがうら)といいましたが、これは現在はすっかり埋め立てられて陸となっています。そして、鉄道線路が曲がっている部分の少し先に、現在のJR横浜駅があります。 |
神奈川宿と横浜村 | このページの先頭へ | |
神奈川県や近辺の住民ならともかく、他の日本全国の方々は、現在の神奈川県にもともと神奈川という地名と、横浜という地名が別々にあり、江戸時代は、神奈川の方が圧倒的に有名で大きな町だったということも、あまりご存じありません。 |
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今は埋め立て地の拡大によって旧海岸線はどこか分からなくなってしまいましたが、生麦から神奈川にかけては、旧東海道が旧海岸に沿って通っています。 |
江戸時代の神奈川は、東海道の江戸から数えて3番目の宿場町でした。(品川−川崎−神奈川の順)
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青木橋 | このページの先頭へ | |
では、本題に入ります。 |
この橋の下には、最初は、新橋−横浜鉄道線の単線だけが通っていただけでしたが、現在では、8本の線路が通っています。 |
現在の青木橋を北西側の高台から南東に向けて撮影した写真です。 |
青木橋の上から、川崎方面を写した写真。右の駅は京浜急行線神奈川駅。(撮影日 07/08/11) |
同じく青木橋の上から、横浜駅方面を写した写真です。かなたに、横浜都市高速道路三ツ沢線の白い橋脚が映っていますが、そのすぐ向こうが、横浜駅です。(この写真ではよく分かりません。) |
これは青木橋の北詰の交差点から本覚寺(幕末のアメリカ領事館)を撮影したものです。(撮影日 07/05/23) |
その昔の青木橋の西には、海が広がっていて入江でした。 |
そうですね、もう少し、神奈川宿全体を説明しなければなりませんね。さらに、現在の横浜駅ができるまでの話も興味ありますね。 |
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