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街道を歩く13 |
江戸時代の街道を歩いてみました。由緒ある街道の今昔、エピソードです。 |
神奈川宿と横浜3 横浜港と横浜駅 1 07/10/14作成 |
横浜港の発展 −地図と景観写真から− | このページの先頭へ | |
「神奈川宿と横浜」シリーズの最後は、横浜港と横浜駅の変遷を、地図や古写真・現在の写真で説明します。 |
幕府は、それまでの寒村であった横浜村は、外国人が住む居留地や貿易のための施設を作る場所としては、最適な所と考えました。海に突き出た砂州と、大岡川等の作る三角州は、新しい町を「隔離」状態に置くことを可能とし、日本人とのトラブルを極力避けることができると予想されたからです。 |
海と運河と川に囲まれた横浜に入るためにいくつかの橋が架けられました。そのうち一番重要な橋は、横浜道から横浜に入る道にかけられた、吉田橋でした。幕府はこの橋の畔に関所を設けました。 |
上の写真は、現在の横浜ランドマークタワーから見た、横浜の中心部の写真です。(デジカメ2枚の合成写真です。北から南の方角を移しています。手前が北、遠い方が南、右は西、海側は東です。)以下のポイントが確認できますでしょうか? |
初期の横浜港 −古写真から− | このページの先頭へ | |
これまでも多く引用してきました、「長崎大学付属図書館幕末明治期日本古写真メタデータ・データベース」から、横浜港の古写真を引用して説明します。 |
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最初の鉄道、新橋−横浜線の初代横浜駅(現在の桜木町駅)を駅西の野毛山方面から撮影した写真。遠く、海上にはたくさんの艦船が望見できます。 |
ちょっと長くなりましたから、ページを変えて、横浜駅を説明します。 |
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