T字路で写真を撮影して、さてどちらへ行ったらよかろうとうろうろしていると、写真の角の材木店の中から声がかかりました。
主 |
「 大変立派なカメラをもっておられますが、旧東海道の撮影ですか?」 |
声の主は、材木店のご主人(正確にはご隠居さんというべきかもしれません)で、牛頭(ごず)昭二さんという方でした。
私 |
「 はいそうです。
生麦事件の現場を撮影したいと思っています。岐阜から来ました。
あのー、ご存じでしたら教えてください。事件のゆかりの場所が2カ所あるということですが、どちらに行けばいいのでしょうか。」 |
主 |
「 そうですか、岐阜からですか。ご苦労様です。
はい、それはちょうどよかった。私は、以前は、生麦事件碑顕彰会の会長をやっておりました。今、冊子をもってきますから、お待ちください。」 |
あれれ、まったくの偶然ですが、なんとも頼もしい方に声をかけていただいたものです。
主 |
「 これが生麦事件の概要を示した冊子です。もとは、『横浜市史』に掲載してあった文章ですが、顕彰会の方で許可をもらって分冊にしました。
このページにあるように、現在、最初にイギリス人が薩摩藩士に斬りつけられた場所には、生麦事件発生現場の説明板が掲げられています。
ここから500mあまり東の方角です。
そして、反対側、キリンビールの工場に沿って西に500mあまりいくと、国道15号線との合流点があり、そこに、1983(明治16)年に立てられて以来、守り続けられている、生麦事件の碑があります。」 |
私 |
「 説明板の所は、最初の発生場所ですね。では、碑のあるところはどういうところですか?」 |
主 |
「 イギリス人が傷を負ったまま逃げて、最終的に絶命したところとされています。」 |
私 |
「なるほど、そういうことですか。この道を、イギリス人は斬られたあと逃げたのですね。」 |
地図にまとめると、以下のようになります。
A地点が薩摩藩士が最初にイギリス人に斬りつけた現場です。
B地点がイギリス人の死亡現場、事件碑が立っているところです。
ちょうど中間に、牛頭材木店があります。
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