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グーグルで探す授業ネタになりそうな世界の興味ある光景02
 グーグルで発見した世界各地の面白そうな光景をあれこれについて紹介します。
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 アメリカの石炭採掘場の列車積込と石炭の鉄道輸送2
 13/02/19掲載 13/03/06修正

 ワイオミング州の石炭は、どのようにしてどこへ運ばれていくのでしょうか。ついでにアメリカの鉄道の歴史にも触れます。(こっちがメインだったりして・・・)(^.^)

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 4 アメリカ第一の石炭産出地域 ワイオミング州Powder River Basin

 まず最初に復習です。
 前ページで眺めた、露天掘り炭鉱と列車への石炭積み込み場所は、
ワイオミング州東部のPowder River BasinPRB) でした。そこには2013年現在、13の炭鉱(露天掘り)があって、この地域炭鉱からだけで、年間約4億トンの石炭が産出されています。
 中でも、一番産出量が多い炭鉱が、
PRBの南部にある、North Antelope Rochelle です。
 地図で確認すると次の位置になります。
  ※参考資料1 「GUIDE TO COAL MINES Mines Served by BNSF Railway」
    http://www.bnsf.com/customers/pdf/mineguide.pdf#page=12

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 前ページでは、石炭積載の貨車をわかりやすく示したかったので、上図のDonkey Cleek ジャンクションとShawnee ジャンクションの間のオリン支線の中にある炭鉱の一つ、Cordero炭鉱の地図と写真を紹介しました。

 このページでは、この盆地の
石炭産出量第一位の炭鉱North Antelope Rochelleの地図と写真を紹介します。

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 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、Powder River BasinNorth Antelope Rochelle炭鉱周辺の地図です。

 

 白い線は道路です。中央の薄いねずみ色のループ線が、BNSF鉄道およびユニオン・パシフィック(UP)鉄道(この鉄道の説明は、第4ページにあります→)の支線からつながってきているこの炭鉱所有の引き込み線です。ループの左側(西側)と右側(東側)に合計5基の石炭積み出し装置があります。これはほかの炭鉱にはない規模です。
 写真全体の色が石炭の色、真っ黒でわかりづらいですが、石炭を積む列車は、ループの根元(南側)に2編成見ることができます。
 


 North Antelope Rochelle炭鉱は、2009年の実績で、9800万トンを産出しました。この石炭を消費地へ運ばなければなりません。
 もし石炭の鉄道輸送が存在しない日本なら、この炭鉱の石炭を普通に10トンダンプカーで運ぶとしたら、延べ980万台のダンプカーを動員する必要があります。
 休みなく毎日輸送したとして、980万÷365日で、1日に26,849台のダンプカーが採掘場所に出入りしなければなりません。1日は、60秒×60分×24時間=86,400秒ですから、ダンプカーは3.2秒に1台の割合で出入りすることになります。積み込む時間は・・・・。
 つまり、これはダンプカーを使った輸送ではとても対応できない量ということになります。

 North Antelope Rochelle炭鉱では、これをすべて貨車で運ぶのです。

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 5 ホッパー車への積み込みと輸送ー驚くべき輸送量石炭輸送のメニューへ戻る

 この石炭を運ぶ専用列車は、coal train と呼ばれます。coal石炭のことです。
 この列車は、機関車と貨車から編成されていますが、貨車は
石炭専用のホッパー車です。ホッパー車というのは、基本的には前ページで紹介した石灰石積み込み用の日本の貨車(→前ページへ)と同じ原理で、石炭を上から積み込んで積載し、おろす時は、貨車の下面の排出口(蓋:ふた)が開いて、石炭を線路下に落とす貨車のことです。線路の下には貯蔵庫が作られていて、石炭をそこに落とす仕組みとなっています。石炭はそこから改めてベルトコンベアーなどで、貯蔵室へ運ばれます。
 その様子は、次のYoutubeの映像で確認することができます。(どこの炭鉱のものかはわかりません。)

積み出し
( loading )

 ①機関車がゆっくり牽引しつつ、連続的に石炭を積み入れます。
 https://www.youtube.com/watch?v=SBJP_zYRsdw
 ②摘み入れ口のアップです。
 https://www.youtube.com/watch?v=aDilZdaD9aE 

積み下ろし
( unloading)
 

 ③Tampa Electric 発電所の積み卸し施設の完成記念式典の様子です。
 https://www.youtube.com/watch?v=Ts0nP9Rvcao
 ④ユニオン・パシフィック社のホッパー車ごとひっくり返して石炭をおろすとんでもない装置です。
 https://www.youtube.com/watch?v=vznuT9VfZ0U&list=PL2177D54B10AF8D8E&index=13
 

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 このホッパー車はどのぐらいの大きさで、どれぐらいの石炭を積載できるんでしょうか? 
 次は、日本の石灰石積載用の
ホッパー車と、アメリカで石炭積載用に普通に使われている、Freight Car AmericaFCA)社のアルミニウム製ホッパー車の比較です。 

Freight Car AmericaFCA)社というのは、1901年の鉄道貨車製作メーカーです。アルミニウム、ステンレス、鉄製の貨車を製作しており、石炭の運搬車両(ホッパー車)では、市場占有率は93%です。
ちなみに、同社のサイトに、「Coal and
Coke Cars」という見出しのページがありました。「coke」というのは一瞬、コカ・コーラのことかとおもいましたが、よく考えてみると、違いました。「Coal and Coke」は石炭とコークスのことでした。 

参考資料2 Freight Car America 社 http://freightcaramerica.com/Index.htm  


 写真02-01・02・03 
 日本の石灰石輸送ホッパー車ホキ9500形とアメリカ
FCA社のホッパー車 Aluminum BethGon

 ホキ9500形(株式会社グリーンマックス製)
 日本製9mmゲージの模型 

 Aluminum BethGon(株式会社KATO USA製)
 アメリカ製9mmゲージの模型 

 左:ホキ9500形 
   全長9.05m 
積載量(荷重)35トン 自重15トン
 右:
FCA Aluminum BethGon
   全長16m18 高さ 3m90
   石炭積載スペースの容量 長さ14m55×幅3m×高さ2m65(両端の部分は、一部カットされている)
   
積載量 243,500lbs(ポンド)=110,305.5kg つまり1両約110トン 

 

上記の写真の模型は、いずれも9mmゲージの鉄道模型です。
実際の車両の大きさの比較では、
BethGonの方がもう少し大きいと思われます。ホキ9500形は、日本の1,067mm(世界的には狭軌)を9mmゲージにしたもの、BethGonは、アメリカの1,435mmの標準軌を9mmゲージにしたものです。縮小比が異なります。
もし車体部分も同じ縮小率で小さくしてあるとしたら、
BethGonの方が、1,435÷1,067=1.34倍の大きさととらえないとイメージが狂ってきます。 

FCA社の最新型石炭ホッパー車、Aluminau BethGonⅡは、上記モデルのBethGonより800ポンドほど最大積載量が増加しています。 

参考資料2 Freight Car America 社 http://freightcaramerica.com/Index.htm  

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 それでは、この coal train のFCA社製のホッパー車を連ねた1編成の列車は、一度にどれぐらいの石炭を運ぶのでしょうか?

 西濃鉄道乙女坂駅から新日本製鐵名古屋製鉄所へ向かう
石灰石列車は、長い編成の方は、1編成24両で、35トン×24=840トンを運びます。10トンダンプ84台分ですから、これでもすごい迫力です。

 ところが、アメリカの1編成は、鉄道会社
BNSF社のサイトによれば、110両から150両となっています。Youtubeの映像などでは通常135両前後を牽引していますので、1編成=110トン×130両=14,300トン(約1万4000トン)となります。
 10トンダンプトラックの1430台分です。

 これだけの積載量=運搬量でも、North Antelope Rochelle炭鉱の2009年の
産出量実績9800万トンを全部運ぶには、135両編成の列車が、9800万トン÷1.43万トン=6,853編成(本)必要となります。毎日休みなく365日運行するとして、この炭鉱だけで毎日18編成(本)が必要となります。

 さらに、
ワイオミング州全体では、年間約4億トンを生産しますから、年中やすみなく列車を動かすとして、
  4億トン÷1.43万トン÷365日=
約77本(編成)
 つまり、
毎日77編成のcoal trainが、ワイオミング州から石炭を運び出している計算になります。
 もし、常識的に朝から晩までの12時間営業ぐらいとすれば、1時間に6編成、10分間に1編成という高密度です。とんでもない輸送力です。 


 6 アメリカの鉄道の発達史1 アメリカの鉄道の意義石炭輸送のメニューへ戻る

 「そんな貨物を運ぶ鉄道会社ってどんな会社?」
 私の頭に素朴な疑問が浮かびました。
 そこで、
アメリカ合衆国の鉄道史ちょっと覗き込むことにしました。
 すでに、イギリスの鉄道については、いろいろ調べてレポートしましたが、今度はアメリカ合衆国です。
  ※イギリスの鉄道については、→旅行記「マンチェスター・ロンドン研修記 07」

 アメリカ合衆国最初の鉄道は、1830年に営業を始めた
ボルチモア&オハイオ鉄道です。
 この1830年は、イギリスでは、
リヴァプール-マンチェスター鉄道が開通した年ですから、アメリカ合衆国の鉄道は意外と早くスタートしました。ただし、開業当時の距離と、蒸気機関車による輸送の頻度は、まだ初歩的なものでした。
 この鉄道の最終目的地は、
オハイオ州Wheeling(ホィーリング)です。この町はオハイオ川沿いの河港です。オハイオ川を下れば、ミシシッピ川に通じることができ、この鉄道は、ミシシッピ川流域と東部を結ぶ重要な路線として開発が始められました。完成までは時間がかかり、ボルチモアホィーリング間が全通するのは、1852年のことです。

 広い国土を鉄道で結ぶ有効性と経済的効果が理解されると、アメリカ合衆国における鉄道はヨーロッパ大陸を上回る勢いで敷設が進み、1840年には、住民10万人あたりの鉄道延べマイルは、イギリスの3マイルに対して、アメリカ合衆国のそれは20マイルを記録していました。
 ただし、同じ鉄道でもイギリスと大きく異なった点は、アメリカ合衆国では、すでに
1840年代に貨物輸送の利益が旅客輸送を上回っており、この「貨物=主、旅客=従」という構造は、今日に至るまでのアメリカ合衆国鉄道史の一貫した特色となっています。
  ※参考資料3 近藤喜代太郎著『アメリカ鉄道史 ーSLが作った国ー』(成山堂書店 2007年)P43-45

 現代のアメリカ合衆国の鉄道が、日本とは異なる貨物主体であるため、日本におけるアメリカ合衆国の鉄道に関する一般的評価は高くありません。
 しかし、次のような位置づけが正当というべきでしょう。(赤字は引用者が設定)
「今日では想像するのも難しいが、国をまとめるうえでも、経済発展を刺激するうえでも、19世紀の鉄道の登場によって
最も大きな影響を受けたのはアメリカ合衆国だ。簡単に言ってしまえば、鉄道がなかったら合衆国はアメリカ合衆国にはなれなかっただろう、ということなのだ。それなのに、自動車や航空機への偏愛のせいで、アメリカ史において鉄道の果たした役割はおおむね無視されている。なにしろ国土が広大だから、あの国では今日でも貨物輸送に鉄道は重要な枠割りを果たしているのだが、そのことはろくに認識されていない。」
  ※参考資料4 クリスティアン・ウォルマー著『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』P110

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 写真02-04・05北海道の官営幌内鉄道に輸入されたアメリカ製の蒸気機関車弁慶号模型(撮影日 13/02/15)

 この弁慶号にはアメリカで発達したアメリカ独特の蒸気機関車の特色が引き継がれています。
 イギリスと違い気候の変化が激しい長い路線を長時間運行するため、
機関士室が設けられています。また大きめのテンダー(石炭・水補給車)がついています。
 前部のアップにも、これまたアメリカの蒸気機関車の特色が詰まっています。
 放し飼いの牛を守るために設けられた最前部の車輪前の
カウ・キャッチャー(cow catcher)、石炭ではなく薪を燃やすことが多かったため火の粉が飛び散るのを防ぐようにと先が太くなった煙突、鏡付き灯油ランプのヘッドライト、そして危険を知らせたのは汽笛ではなくです。
 ※参考資料3 近藤喜代太郎前掲書P186
 ※参考資料4 C・ウォルマー前掲書P114・123・124

 ※この北海道の官営幌内鉄道の弁慶号については、→現物教材日本史でも紹介しています。

 ちょっと余談ですが、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ペリー提督は、日本との和親条約を結ぶにあたって、1854年の2度目の来航の時には、将軍への土産を持参して行きました。その中で日本人を驚かしたものの双璧が、蒸気機関車の模型と本物の有線電信装置です。これはいずれも1840年代から50年代にかけてのアメリカで、急速に発達しつつあるものでした。鉄道はここで説明の通りですし、また電信は当時基本的に単線だったアメリカの鉄道で、列車の行き違いや優先順位を確認するには不可欠のものとして発展しつつありました。
 そういう意味では、ペリー提督は、時代の最先端の技術を土産として持って、日本へ向かったのでした。
  ※参考資料4 リスティアン・ウォルマー前掲書P126 


 ちょっとここでクイズです。
 鉄道が広いアメリカの西へ向かって伸びて行くにつれて、それまでにはなかった混乱が生じました。それを調整するため、今日の仕組みの元が作られました。次の黒板に沿って考えてください。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 アメリカ合衆国は、ハワイとアラスカを除いた、本土48州でも、広大な広がりを持っています。
 一番東の
東部諸州は西経75度、一番西カリフォルニア州は、西経120度であり、経度で45度の幅があります。
 とはいっても、カリフォルニア州が合衆国31番目の州となった1850年頃は、東部からの移動手段は馬車でしたから、何日もかけて移動している状況では、「時差」が生じたとしても、問題にはなりませんでした。

 鉄道で、短時間に遠距離を移動すると、時差が問題になったというわけです。
 1883年11月18日に「
鉄道標準時」が設定され、東経75度、90度、105度、120度を中心に、アメリカ全土は4つの時間帯に区分されました。この東部、中部、山岳、西部が、現在にも受け継がれ、東部、中部、山岳、太平洋の標準時に分かれています。
 テレビ番組の表記も、『8/7c/5p』などと表記されます。東部時間8時、中部時間7時、太平洋時間5時という意味です。
  ※参考資料3 近藤喜代太郎前掲著 P51

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 話を本題の戻します。
 鉄道の発達によって、新しく交通の中心となる町が現れました。
 その代表的な都市が、イリノイ州の州州都シカゴです。
 鉄道が開通する前の1850年には、僅か人口3万の地方都市に過ぎなかったシカゴでしたが、1852年に初めて鉄道が開通したあと、10年後の1860年にはなんと11の鉄道で各地と結ばれ、以降鉄道網のハブ都市として発展していきます。
  ※参考資料4 リスティアン・ウォルマー前掲書P139


 さて、このページはここまでです。
 大陸横断鉄道の話、現在の石炭輸送等の話は、次回このテーマの最終回で説明します。

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 【アメリカの石炭と鉄道 参考資料一覧】
  このページ2の記述には、主に次の書物・論文・ウェブサイトを参考にしました。

GUIDE TO COAL MINES Mines Served by BNSF Railway
  http://www.bnsf.com/customers/pdf/mineguide.pdf#page=12

Freight Car America 社 http://freightcaramerica.com/Index.htm 

近藤喜代太郎著『アメリカ鉄道史 ーSLが作った国ー』(成山堂書店 2007年)

クリスティアン・ウォルマー著安原和見・須川綾子訳『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』(河出書房新社 2012年)


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