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グーグルで探す授業ネタになりそうな世界の興味ある光景03
 グーグルで発見した世界各地の面白そうな光景をあれこれについて紹介します。
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 アメリカの石炭採掘場の列車積込と石炭の鉄道輸送3
 13/02/25掲載 13/03/02修正

 ワイオミング州の石炭の輸送についての話を続けます。ついでにアメリカの鉄道の歴史にも触れて、大陸横断鉄道や現在の鉄道輸送を考えます。

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 7 アメリカの鉄道の発達史2 大陸横断鉄道とその意義-golden・spike国立史跡

 西部に向かって発展してゆくアメリカ合衆国と鉄道にとって、大陸横断鉄道を実現させることが、新たな目標となりました。
 高校の歴史の教科書には、鉄道の話題はあまり多く取り上げられていませんが、この「
大陸横断鉄道」の話題は、ちゃんと取り上げられています。
「一方、西部では、まず1860年前後からネヴァダ・コロラドなどで金銀の採掘がはじまり、ついで牧畜業が栄えて、牛を東部の市場に供給した。その後、農民がミシシッピ川以西の大平原地域に進出し、小麦の生産地帯を形成した。西部の発展にともない、東部と西部を結ぶ通信・交通機関も整備され、有線電信の開通に続き、1869年には最初の大陸横断鉄道が完成した。西部開拓の進展によって、1890年代にはフロンティアが消滅した。」
 また、「
大陸横断鉄道の開通」と題する写真が掲載されており、「東西から建設された鉄道はユタ州プロモントリーで結ばれた。」とあります。
  ※参考資料1 佐藤次高他著『詳説世界史』(山川出版 2004年)P236

 カリフォルニアが州となった1850年代においては、
東部から西海岸へ向かう方法は3つありました。(パナマ運河は20世紀になってから建設され、この時点ではまだありません。)

 内陸の大平原・山地を馬車で向かう。(インディアンの襲撃を受ける危険あり) 

   東海岸から船でパナマ地峡へ行き、地峡を陸路横断し、再び船で西海岸へ向かう。(熱帯病の蔓延る危険なパナマ地峡を通過) 
   東海岸から船で直接西海岸へ向かう。(南アメリカ大陸南端のホーン岬を回る大迂回の危険な海路) 

 アメリカ合衆国という大陸国家が東西バラバラではなく、真の統一国家として成立するためには、大陸横断鉄道はどうしても必要なものでした。
 この結果、1850年代半ばから政府の主導で調査や建設資金援助が行われ、最終的に二つの会社が競って建設を進めることになりました。
 一つは、カリフォルニアのサンフランシスコから東に向かって建設を進める、
セントラル・パシフィック鉄道、もう一つは、ネブラスカ州オマハ(アイオワ州との境、ミズーリ川河岸の都市)から西に向かって建設を進める、ユニオン・パシフィック鉄道です。
 南北戦争中の1862年、
リンカーン大統領が「太平洋鉄道法」に署名し、鉄道会社に資金援助や土地が無償供与されるという政府の援助も整い、翌1863年から建設がはじまりました。

資金援助は、鉄道建設費の融資という形で行われました。平坦な土地は1マイルにつき1万6,000ドル、西部の乾燥地帯はその倍、ロッキー山脈地帯は3倍という金額でした。
また、鉄道路線の片側10マイル(16km)土地の所有権が認められました。

 両社が競争で線路敷設をすすめたため、両社の会合ポイントをどこにするかで手間取りましたが、結局は合意がなされ、1869年5月10日正午に両鉄道は結ばれました。
 最後の儀式では、カリフォルニア州で産出した金でつくられた
金の犬釘(レールと枕木に固定する大きな釘)、および銀の犬釘が打ち込まれました。そのあと、両蒸気機関車がそれぞれ少し前進して、お互いのカウ・キャッチャーが触れて、儀式は終了しました。
 大陸横断鉄道完成の意義は、次のように位置づけられています。
「これは単に鉄道史に残る事件というだけではない。プロモントリー・ポイントで鉄道がつながれた日は、アメリカ史の暦においては、国が統合され、バラバラだった州が真の合衆国になった記念の日だ。今日ではそういう日として祝われているのである。」
  ※参考資料2 近藤喜代太郎著『アメリカ鉄道史 ーSLが作った国ー』P64-73
  ※参考資料3 クリスティアン・ウォルマー著『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』P194-215

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 さて、さて、ここまでの話なら、どこの本にもサイトにも書いてあります。
 この「目から鱗の話」の売りは、さらに一歩進んだ視点からのお話の紹介です。

 では、一歩進めて、その記念すべき場所は、現在はどうなっているのでしょうか?
 
 現在の
ユタ州プロモントリーは、どの鉄道の営業線路にも含まれていません。1942年にユニオン・パシフィック鉄道のショートカット路線ができたため、正式な鉄道路線からはずれてしまったためです。ショート・カット路線ができてしばらくの間は、線路は放置されていましたが、1965年に国立公園のビジターセンターができ、現在はゴールデン・スパイク国立史跡となっています。
  ※参考資料4 
ゴールデン・スパイク国立史跡のサイトはこちらです。http://www.nps.gov/gosp/index.htm

スパイクspike は普通に日本語で使う場合は、突起のついたスポーツ用の靴を意味しますが、元々の英語はその突起(滑り止めのため靴の裏に撃つ釘)そのものであり、ここでは、鉄道の犬釘を意味しています。 


 ※上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、ユタ州プロモントリーの地図です。

 中央に、歴史的写真に登場する2台の機関車、カリフォルニアから線路敷設を進めてきたセントラル・パシフィック鉄道の機関車ジュピター号と、ネブラスカから線路敷設を進めてきたユニオン・パシフィック鉄道の機関車119号のレプリカがあり、記念写真が撮影できるようになっています。
 写真に見える線路は、左下・右上方向にそれぞれたどっていくと、途中で切れています。この記念すべきポイントの部分だけ線路が残されているわけです。

 1869年当時の路線は、西の方から進んできた線路でたどっていくと、ネヴァダ州の北東角からユタ州の北西角をかすめて、アイダホ州に入り、改めて南進してユタ州に入ってソルトレイク市に至るルートを取っていました。大きな迂回ルートです。これはソルトレイク市の西に、大きな湖、グレートソルト湖があるため、その北側を大きく迂回しなければならなかったからです。
 しかし、後には、この湖を締め切り堤防と橋でわたるショート・カット(短絡)線が作られ、それによって、プロモントリーを通る路線は廃線となりました。
 皮肉なことですが、この鉄道の歴史的記念の場所へは、現在は鉄道ではいけないことになっています。(^.^)

 ちなみに、上の写真から現在の
ユニオン・パシフィック鉄道の路線を地図上で探す方法は、次の通りです。
  ①そのままの位置で地図の-記号を6回クリックして、ズームアウトします。
  ②左(西)側に湖が見えます。湖の中央部分に地図を動かしてください。
  ③湖が中央部分で上と下の色が違っています。その境界部分が締め切り堤防です。
  ④堤防を中央にして、ずっとズームインすると、堤防場の線路が確認できます。

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 話を大陸横断鉄道に戻します。
 最終的に、
北アメリカ大陸の大陸横断鉄道は、アメリカ合衆国だけで5本が完成しました。(そのほかにカナダに3本完成)
 この5本は、
ユニオン・パシフィック鉄道のように、若干の路線変更はありますが、現在も旅客・貨物輸送に利用されています。下図の、 のそれぞれの色で示されて路線が、その5本の大陸横断鉄道です。で示した路線は、それ以外の主な路線です。
 誤解が生じないようにちょっと解説です。
 一般に「
大陸横断鉄道」というと、北米大陸の東海岸と西海岸を結ぶ、たとえば、ニューヨークとサンフランシスコを結ぶ路線と考えがちです。
 しかし、東部には、1830年代から60年代にかけてすでにいくつもの鉄道会社によって路線が敷設されていましたので、狭い意味での
大陸横断鉄道は、「既存路線の西の端からさらに大陸の中央部を横断して西海岸に至る路線」という意味で使われます。従って、地図にあるように、北から、ダルース、セントポール、オマハ、セントルイス、ニューオーリンズが東の起点となり、そこから先が「大陸横断鉄道」の部分となっているわけです。
 もちろん、実際の列車の運行は、ロサンゼルスからシカゴまで直通の列車(テキサス・イーグル)があるなど、旧大陸横断鉄道の路線を超えた運行がなされています。
  ※松尾よしたか・佐々木也寸志著『アメリカ鉄道大全 アメリカ本土48州鉄道完全ガイド』P240-249

  アメリカ合衆国の現在の旅客列車の運行については、下のアムトラックおよびロサンゼルス・ユニオン駅の説明の部分をご覧ください。


 前ページで、鉄道敷設後のシカゴ(イリノイ州)の発展に触れました。
 この路線図を見ると、シカゴの鉄道ハブ都市状況がよくわかります。 

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 5本の鉄道のうち、ロッキー山脈の大陸分水嶺の高さや、冬の雪の季節の困難さなどを考慮すると、ルートとして一番建設が容易なのは、一番南のサザン・パシフィック鉄道の路線でした。分水嶺は1600mほどの高さであり、トンネルの必要がないルートでした。
 にもかかわらず、
セントラル・パシフィック鉄道ユニオン・パシフィック鉄道の路線が最初の大陸横断鉄道路線とされたのは、もちろん、その決定の時期が南北戦争の途中であり、大統領がリンカーンだったことと結びついています。南部を起点とするルートなど選択の対象ではなかったのです。
 テリー・ピンデルは、アメリカの鉄道史における歴史の「もしも」について、次のように書いています。ロスからニューオーリンズへ向かう紀行の一説です。
「午後二時五十四分、大陸分水界を渡る。ほとんど気づかないほどだ。古代の山脈が寄り集まるあいだの果てしなく平らな砂漠の中で、浅い谷を抜け、ほんの僅かなのぼりを越えると、もう最大の難関は越えてしまったことになる。もし、サザン・パシフィックのいわゆるサンセット・ルートが最初の大陸横断鉄道になっていたら、国の発展はどんなふうにちがってきただろうかと思いをめぐらす。ニューオーリンズが国の中枢としてのシカゴの役割を占めるだろうか?アトランタは支線の集合地の役割をシンシナティから奪うだろうか?中西部の玄関口になるのはセントルイスではなくメンフィスだろうか?カリフォルニアは北部とではなく南部と連合を結んだだろうか?きょう、このなだらかな路線を高速で走る列車に乗っていると、最初の大陸横断鉄道の道筋としてユニオン・パシフィック・ルートを採用したリンカン大統領の選択の重要性に重いがおよぶ。」
  ※参考資料6 テリー・ピンデル著宮脇俊三・小林理子訳『アメリカ鉄道3万マイル』(角川書店 1993年)P132

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 8 アメリカの鉄道の発達史3 アメリカの鉄道の現状

 アメリカの鉄道は、総延長キロ数においては、第一次世界大戦中にピークを迎えます。
 1916年には鉄道の総延長距離は254,000マイル(40万8,773km)になり、都市間旅行者のほぼ100%、また貨物の77%(運河輸送も含む)を運びました。現在の日本の鉄道総延長は2万7000kmほどですから、さすがは、アメリカ合衆国です。桁が違います。
 しかし、この時代は同時にライバルが実力を発揮し始めた時代でした。T型フォードの量産に代表されるアメリカ合衆国の自動車利用は急速に拡大しつつあり、1920年には、政府の積極的な整備政策によって、全米に100万マイル以上の自動車専用道路が建設されました。鉄道の4倍です。
 さらに、第一次世界大戦後は、飛行機輸送も、まだ揺籃期ながら、しだいにライバルになっていきました。

 鉄道の延長キロ数は1916年がピークでしたが、旅客輸送数はその後も伸び続けました。1929年の大恐慌後の不況でダウンしましたが、第二次世界大戦時には、ガソリン不足・タイヤのゴム不足や、政府の統制もあって、
鉄道による旅客輸送数は、9,560万旅客マイルの最高値を記録しました。

 しかし、戦後は凋落の一途をたどります。利用者の減少によって、日本の鉄道の常識、普通電車がたくさん走っていて、その中に特急電車が走るという状態とは異なる状況となっていきました。つまり、各鉄道会社には名前の通った豪華な特急列車が走っていましたが、都市間近距離を結ぶ普通列車はほとんどなく、貨物列車が走る合間に、長距離の特急列車のみが走るという状況です。
  ※参考資料2 近藤前掲書P126・127、134-136

 ここでクイズです。
 アメリカ合衆国の国内旅客輸送で、
飛行機と鉄道の割合(シェア)が逆転し、飛行機が上位となったのは西暦何年でしょうか?

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 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

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 ちなみに、日本の場合は、2004年段階で、国内旅客の輸送人員実績(人・キロ)のシェアは、次のとおりとなっています。



 ごらんのとおり、日本では今現在も、飛行機より鉄道の方が多くなっています。
  ※参考資料7 総務省統計局・政策統括官・統計研修所 http://www.stat.go.jp/data/chouki/12.htm
    「輸送機関別国内輸送」

 アメリカでは、とうの昔、
1957年には飛行機が鉄道を追い抜きました。翌1958年の数字では、両者は一気に差がつき、飛行機40%、鉄道31%となっていました。
  ※参考資料2 近藤前掲書P134-136  

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 とてもおおざっぱに表記すれば、1960年代から1990年代にかけては、アメリカ合衆国の鉄道史においては、凋落と再編の時代が続きます。
 この結果、カナダを含めた北米大陸では、次のように鉄道会社の統合がなされました。
 
 まず、旅客部門は、
1971年に設立されたアムトラックに統合されました。これは、カーター大統領の時代に制定された「国有旅客鉄道公社法によって設立されたもので、鉄道各社から車両の現物供与を受け従業員も移管して発足しました。
 現在では、アメリカ合衆国46州(アラスカ・ハワイ・
ワイオミングサウスダコタを除く)とカナダ2州の33,800kmの区間で列車を運行していますが、自前の鉄道路線は北東部(通称、北東回廊)に一部にあるだけで、ほとんどの部分は、次の説明する別の貨物鉄道会社の路線に乗り入れて運行しています。
 採算がとれる路線は、ボストン-ニューヨーク-ワシントンDCを中心とした東部の一部しかありませんが、連邦政府から多額の補助金をもらって、経営が成り立っています。
 アムトラックの実際の列車の紹介は、下の
ロサンゼルス・ユニオン駅の説明の部分をご覧ください。
  ※参考資料5 松尾よしたか・佐々木也寸志前掲著 P84-96、240 

 一方、貨物輸送は、
クラス1と呼ばれる次の7つの鉄道会社(アメリカ合衆国5社、カナダ2社)が全国の輸送を担っています。

 ユニオン・パシフィック(UP)鉄道
 上記で説明した、大陸横断鉄道完成の際に東からプロモントリーに路線を敷いた鉄道会社。xミシシッピ川流域から西海岸かけての中緯度以南23州において自社路線43,500kmを保有し、他社線乗り入れも含めて、51,500kmの区間で列車を運行。これは、全米最大の規模。 

 

 BNSF鉄道
 このシリーズの主役。ワイオミング州の石炭を主として運んでいる鉄道会社です。頭文字を正式名称としていますが、
BNSFとはバーリントン・ノーザン・サンタ・フェBurlington Northern Santa Fe)鉄道の頭文字です。ミシシッピ川流域から西海岸へかけて、38,600kmの自社路線を持っています。 

 

 CSXトランスポーテーション
 ミシシッピ川より東の23州に、33,800kmの路線を持ちます。その昔東部で名をはせた、ペンシルバニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の路線の約4割を継承。
 

 

 ノーフォーク・サザン鉄道
 アイオワ・ミズーリ・ルイジアナとミシシッピ川以東の合計22州とカナダ・オンタリオ州に34,600kmの路線を持っています。その昔東部で名をはせた、ペンシルバニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の路線を、上記のCSXトランスポーテーションと分割して継承。 
 

 

 カンザス・シティ・サザン鉄道
 アメリカ合衆国のクラス1鉄道の中では最小。カンザスを中心に中部10州に5,150kmの路線を持っています。
 

 

 カナディアン・ナショナル鉄道
 1918年創立のカナダ最大の鉄道会社。カナダ国内とアメリカのミシシッピ川流域に路線を持っています。
 

 

 カナディアン・パシフィック鉄道
 カナダ第二の鉄道で、1885年に大陸横断鉄道を完成させました。アメリカ合衆国北部にも路線を持っています。
 

  ※参考資料5 松尾よしたか・佐々木也寸志前掲著 P33-48

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 最後に私が実際にアメリカで撮影した写真をネタに、ロサンゼルスのユニオン駅を舞台にアムトラックなどの紹介をします。


 写真03-01 ロサンゼルス・ユニオン駅 南側が行き止まりとなっています。 (撮影日 00/08/22)

 このページの写真は、ずいぶん前の写真になります。
 2000年8月に家族でアメリカ旅行に行った時に、ロサンゼルスの
ユニオン駅に探検に出かけた時に撮影したものです。この時家族はユニバーサル・スタジオ・ハリウッドで遊んでおり、私だけが、地下鉄乗ってユニオン駅にやってきました。


 写真03-02 12番線に停車するアムトラックディーゼル機関車F59PHI   (撮影日 00/08/22)

 ロサンゼルス・ユニオン駅からは、アムトラックの長距離列車が5本出ています。
  ※↑地図02で路線を確認できます。
  ①サウスウエスト・チーフ :シカゴ・ユニオン駅行き(旧
サンタフェ鉄道経由)
  ②コースト・スターライト :シアトル行き(西海岸を北上して、ワシントン州のシアトルへ向かいます)
  ③サンセット・リミッテド :ニューオーリンズ(ルイジアナ州)行き(旧
サザン・パシフィック鉄道経由)
  ④テキサス・イーグル:サンアントニオ経由 シカゴ・ユニオン駅行き(途中まで旧
サザン・パシフィック鉄道経由)

 地図で確認していただければわかりますが、西海岸南部のロサンゼルスからは、南の方の二つの旧大陸横断鉄道サンタフェ鉄道サザン・パシフィック鉄道(現在の
ユニオン・パシフィック鉄道の路線)とを使って、シカゴとニューオーリンズが結ばれています。
 アムトラックによって、古くからの鉄道が利用されているわけです。
 ちなみに、ロサンゼルスと東海岸とを直接に結ぶアムトラックの直通列車は、現在はありません。
 たとえば、
ロサンゼルスからワシントンへ列車で向かうには、次の二とおりがあります。いずれも、乗り換えです。



 ※料金・時間の検索は次のサイトで行いました。
 アムトラック http://www.amtrak.com/home     デルタ航空 http://www.delta.com/
 サンセット・リミテッド http://www.amtrak.com/sunset-limited-train
 クレッシェント http://www.amtrak.com/crescent-train
 テキサス・イーグル http://www.texaseagle.com/  
 キャピトル・リミッテッド http://www.amtrak.com/capitol-limited-train


 テキサス・イーグルは、シカゴに着くだけで、所用62時間弱、丸々2泊3日の長旅です。よほど暇がないと利用できません。

 ちなみに航空機で行く場合との比較もしてみました。
 航空機の料金と比べると、確かに列車はやすいですが、単純な算数では、料金は航空機が約3倍、所用時間は10分の1です。やはり、ロサンゼルスからワシントンへ列車で行く人は、あまりいないでしょうね。


 上の写真03-02に戻ります。
 写真の
ディーゼル機関車F59PHI-461を撮影したのは12年前のことですので、あまり確かなことはいえませんが、この機関車は大陸横断の長距離用の列車を牽引するタイプではありません。
 この列車は、
サンタバーバラ-ロサンゼルス-サンディエゴを結ぶ、パシフィック・サーフライナーです。ところで、この機関車がこの位置にいる光景は、何気ない光景ですが、日本の鉄道の普通の常識とは異なった光景です。機関車がホームのエンド側に位置していますが、これは日本の鉄道とは違って、アメリカの鉄道においては、近距離の場合、「Push・Pull」方式が使われるからです。
 つまり、ディーゼル機関車を終点でスィッチバックして付け替えるのではなく、引っ張ってきたら、次に出発する時は、反対方向へ押して出発するのです。つまり、この461号は、客車を押して出発する前と言うことです。
  ※
アムトラック・カリフォルニアの宣伝VTRです。 http://www.youtube.com/watch?v=UwvrBMnuMaw
  ※参考資料5 松尾よしたか・佐々木也寸志著『アメリカ鉄道大全 アメリカ本土48州鉄道完全ガイド』P89・218

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 写真03-03・04 (撮影日 00/08/22) 

左:

パシフィック・サーフライナーの客車です。右はアムトラックの2階建て客車スーパーライナー、左奥は、アムトラック・カリフォルニアの2階建て客車カリフォルニア・カー。 

 右:

 ユニオン駅に停車するユニオン・パシフィック鉄道の有蓋貨車。 

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 写真03-03・04 近距離旅客鉄道 Metro Link(撮影日 00/08/22)

 ロサンゼルス・ユニオン駅には、アムトラックユニオン・パシフィック鉄道とは別の鉄道が入っています。ロサンゼルスとその近郊を結ぶ、Metro Link メトロ・リンクです。
 右は
ディーゼル機関車F59PHです。左は2階建ての客車です。この列車もPush・Pull」方式で運行されています。
  ※参考資料8 スティーブ・バリー著『RAILPOWER 機関車の歴史-北米編-』P182・183
 

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 次ページは、この項目の最終ページ、もう一度、石炭輸送とBNSF鉄道およびユニオン・パシフィック(UP)鉄道の状況を説明します。


 【アメリカの石炭と鉄道 参考資料一覧】
  このページ3の記述には、主に次の書物・論文・ウエブサイトを参考にしました。
  佐藤次高他著『詳説世界史』(山川出版 2004年) 

近藤喜代太郎著『アメリカ鉄道史 ーSLが作った国ー』(成山堂書店 2007年)

クリスティアン・ウォルマー著安原和見・須川綾子訳『世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革』(河出書房新社 2012年)

ゴールデン・スパイク国立史跡のサイトはこちらです。http://www.nps.gov/gosp/index.htm

松尾よしたか・佐々木也寸志著『アメリカ鉄道大全 アメリカ本土48州鉄道完全ガイド』(旅行人 2010年)

テリー・ピンデル著宮脇俊三・小林理子訳『アメリカ鉄道3万マイル』(角川書店 1993年)

 

総務省統計局・政策統括官・統計研修所 http://www.stat.go.jp/data/chouki/12.htm 「輸送機関別国内輸送」

  スティーブ・バリー著『RAILPOWER 機関車の歴史-北米編』(スタジオ タック クリエイティブ 2008年) 


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