1941年からはじまった太平洋戦争中に、日本海軍が保有していた戦艦は、以下の合計12隻です。
ちょっと専門的ですが、今後のストーリーの展開上、細かく掲載します。
そして、ここでクイズです。
この表からは、高校の日本史の教科書にも登場する事項が2点読み取れます。どれとどれでしょう?
第1表 旧帝国海軍の太平洋戦争時の戦艦一覧
形式 |
型名 |
艦 名 |
完成年 |
主砲の大きさ×数 |
建造場所 |
巡洋戦艦
(太平洋戦争時は戦艦に区分) |
金剛型 |
金 剛 |
1913年 |
36cm×8 |
イギリス |
比 叡 |
1914年 |
36cm×8 |
横須賀海軍工廠 |
霧 島 |
1915年 |
36cm×8 |
三菱重工長崎造船所 |
榛 名 |
1915年 |
36cm×8 |
神戸川崎造船所 |
戦艦 |
扶桑型 |
扶 桑 |
1915年 |
36cm×12 |
呉海軍工廠 |
山 城 |
1917年 |
36cm×12 |
横須賀海軍工廠 |
伊勢型 |
伊 勢 |
1917年 |
36cm×12 |
神戸川崎造船所 |
日 向 |
1918年 |
36cm×12 |
三菱重工長崎造船所 |
長門型 |
長 門 |
1920年 |
41cm×8 |
呉海軍工廠 |
陸 奥 |
1921年 |
41cm×8 |
横須賀海軍工廠 |
大和型 |
大 和 |
1941年 |
46cm×9 |
呉海軍工廠 |
武 蔵 |
1942年 |
46cm×9 |
三菱重工長崎造船所 |
※泉江三著『軍艦メカ図録 日本の戦艦上』(グランプリ社 2001年)などより作成
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<用語解説> |
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戦艦・巡洋戦艦 |
戦艦は、その時代ごとに最も強力な大砲を積載した、海軍の最強力の軍艦のこと。巡洋戦艦は、戦艦に比べて、砲力・防御力は劣るが、航続距離・速度で勝る艦種。 |
まず一つは、完成の年次です。
長門型の長門・陸奥が完成したのが1920年21年(大正9年、10年)、大和の完成が、正確には太平洋戦争が始まった直後の1941年12月です。
この20年の空白がいわゆる、海軍の軍縮を定めたワシントン海軍軍縮条約によるネイバル・ホリデイ(naival holiday 海軍の休日)です。
ワシントン条約は、1921年のワシントン会議で締結され、戦艦を含む主力艦の保有と条約締結以降10年間の新艦の建造禁止を定めました。
この結果、アメリカ・イギリス・日本の戦艦の保有比率は、5:5:3となりました。
詳しい取り決め事項は次のとおりです。
艦種 |
合計排水量 |
1艦あたりの
基準排水量 |
|
戦艦 |
(米英)52万5000トン
(日)31万5000トン
(仏伊)17万5000トン |
3万5000トン |
主砲16インチ以下
※ |
1インチ=2.54cm 16インチ=40.64cm
|
|
空母 |
(米英)13万5000トン
(日)8万1000トン
(仏伊)6万トン |
2万7000トン
2艦に限り3万3000トン |
8インチ以下
6インチ以上を装備する場合
5インチ以上の砲を合計10門以下
先の2艦に限り5インチ以上の砲を合計8門以下 |
巡洋艦 |
制限無し |
1万トン以下 |
5インチ以上8インチ以下 |
|
※ |
この条約の結果、軍縮条約下においては、最も大きな口径の主砲、16インチ砲をもつ戦艦は、日本の長門、陸奥、イギリスのネルソン、ロドネー、アメリカのコロラド、メリーランド、ウエスト・バージニアの7隻でした。 |
そして、1930年のロンドン海軍軍縮条約によって主力艦の建造禁止は5年間延長され、1935年まで継続されました。
つまり、この時列国は、第一次世界大戦期から戦後にかけて進めていた軍艦の建艦競争をやめ、国際協調による軍縮を選択したのです。
ちなみに、以下の表は、軍縮条約が日本が進める予定だった、
八・八艦隊計画(戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を建造する)による建艦計画です。16隻のうち、戦艦長門と陸奥は完成しましたが、残りの16隻は、建造中のものも含めて廃棄または中止されました。(戦艦加賀と巡洋戦艦赤城は、、航空母艦へ改造されて完成。)
第2表 旧帝国海軍の第一次世界大戦後の八・八艦隊計画建艦予定一覧
形式 |
型名 |
艦 名 |
起工年 |
主砲の大きさ×数 |
建造場所 |
巡洋戦艦
|
天城型 |
天 城 |
1920年 |
41cm×10 |
横須賀海軍工廠 |
赤 城 |
1920年 |
41cm×10 |
呉海軍工廠 |
愛 宕 |
1921年 |
41cm×10 |
神戸川崎造船所 |
高 雄 |
1921年 |
41cm×10 |
三菱重工長崎造船所 |
戦艦 |
加賀型 |
加 賀 |
1920年 |
41cm×10 |
神戸川崎造船所 |
土 佐 |
1920年 |
41cm×10 |
三菱重工長崎造船所 |
紀伊型 |
紀 伊 |
中止 |
41cm×10 |
呉海軍工廠 |
尾 張 |
中止 |
41cm×10 |
横須賀海軍工廠 |
駿 河 |
中止 |
41cm×10 |
三菱重工長崎造船所 |
近 江 |
中止 |
41cm×10 |
神戸川崎造船所 |
巡洋戦艦 |
|
13号艦 |
中止 |
|
横須賀海軍工廠 |
|
14号艦 |
中止 |
|
呉海軍工廠 |
|
15号艦 |
中止 |
|
三菱重工長崎造船所 |
|
16号艦 |
中止 |
|
神戸川崎造船所 |
v※八・八艦隊16隻のうちの14隻分。戦艦長門・陸奥は八・八艦隊のうちの2艦
※泉江三著『軍艦メカ図録 日本の戦艦上』(グランプリ社 2001年)などより作成
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そして、逆に言えば、大和と武蔵は、軍縮時代が終わり、「無条約時代」となってから建造された戦艦というわけです。
1931年の満州事変の開始以降、日本は欧米との協調路線を捨てて、武力膨脹外交を進めます。そして、日本は、ロンドン海軍軍縮条約によって1935年まで延長されていた主力艦の建造禁止の協定を破棄して自由に建造することを表明します。
こういうと、日本が積極的に軍艦建造に乗り出し、それが日本に有利に働くという雰囲気の表現に聞こえますが、実は、そうではありません。
「無条約時代」となれば、アメリカとの建艦競争が再開されることは必至ですが、そもそも国力が異なるアメリカと日本です。自由に競争すれば結果は明らかなのです。無論、建造数では、アメリカの圧勝となるはずです。
具体的にしてきします。
国力の違いというのは、いろいろな点から論証できるでしょうが、先に指摘したクイズ「第1表から読み取れる点その2」をもう一度考えてみてください。
同じことは、第2表の中にも示されています。
正解は、日本では、戦艦を建造できる造船所は、僅か4カ所しかないと言うことです。
呉海軍工廠、横須賀海軍工廠、三菱重工業長崎造船所、神戸川崎造船所の4カ所です。
複数の造船所で、一斉に建造できるアメリカとはわけが違うのです。
その結果が、以下の表です。
第3表 太平洋戦争中の日米建艦数一覧
|
日 本 |
アメリカ |
艦 種 |
戦艦 |
正規空母 |
小型・改造空母 |
戦艦 |
正規空母 |
小型・改造空母 |
開戦時保有数 |
10 |
6 |
3 |
17 |
7 |
1 |
開戦後完成数 |
2 |
5 |
11 |
8 |
17 |
123 |
合 計 |
12 |
11 |
14 |
26 |
24 |
124 |
|
日本とアメリカの建艦能力の差は歴然です。5対3どころではありません。
こうなることが分かっていたため、日本海軍は、「無条約時代」の戦艦として、個艦対個艦の戦いではアメリカ戦艦に決して負けない、大きな大砲を積んだ戦艦の建造を目指しました。
つまり、数では負けても一騎打ちでは決して負けない、一点豪華主義の強力な戦艦の建造です。
第3表をもう一度ご覧ください。
開戦後完成した大和と武蔵は、現実には、同じく開戦後に完成したアメリカの新型戦艦8隻と「勝負」しなければならない勘定となりました。
建造される新戦艦、すなわち大和型のコンセプトは、こうして決定されました。 |