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戦艦大和について考える6

戦艦大和について考えます。その実像とは?

 
「戦艦大和神話」確認その3 46cm主砲とアウトレンジ戦法
 46センチ主砲によるアウトレンジ戦法                          | このページの先頭へ |

 大和はこうして、アメリカ海軍の戦艦群の主砲に比べて二廻り大きい、46センチ主砲を搭載しました。
 それはもちろん、
46センチ主砲によるアウトレンジ戦法によって、アメリカ艦隊を屠るためです。
 この戦法は具体的にはどのように行うのでしょうか。また、それは本当にできるのでしょうか?

 こんなことにこだわるのには、理由があります。
  
 大和については、戦後、太平洋戦争を振り返って、むしろその意義を否定的に考える意見が大勢を占めました。
 つまり、大和は
大艦巨砲主義が生んだ産物であり、すでに航空機時代に入った太平洋戦争時には、最早時代遅れの産物であった、換言すれば、「大和は無用の長物」論が、しばしば断定的になされました。
 
 スポーツの試合も戦争も過去を振り返って、結果論を言うのは簡単です。
 太平洋戦争の場合も、確かに、航空機の発達によって、海軍の主役は戦艦から航空母艦に代わりました。しかし、大和が建造された時代、日本はもとよりアメリカもイギリスもどこの海軍も、次に来る戦争がそう言う戦争となることは、分かってはいませんでした。
 それが証拠に、アメリカ海軍も、1941年以降、終戦までに10隻の戦艦を就役させ、2隻の戦艦を建造中でした。

 したがって、
大和の真の価値を考える場合、本来の目的、つまり、46センチ主砲によるアウトレンジ戦法ができたかどうかを検証することこそが、重要だと考えます。

 日本の艦隊がアメリカ艦隊を撃滅できる可能性について、専門家は次のように分析されています。平間洋一編『戦艦大和』からの引用です。
   ※( )内のふりがな、及び注は、私が付けました。また改行も適宜しました。 

「それでは、大和の46センチ砲による砲戦を、日本海軍はどのように考えていたのであろうか。日本海軍の砲術の権威者である黛治夫大佐は次のように書いている。
           
 すなわち、大和の15メートル測距儀(そっきょぎ 距離を測る機器)を使えば、射距離3万メートルの測距誤差は300メートル内外であり、弾丸は発射後、約50数秒で海面に弾着し、数秒間は観測や次回の発射角度などの修正にかかり、初弾発砲の1分後には第2弾が発射される。すなわち、初弾発射2分後には敵艦との距離が確定され、3分後には発射諸元を調整した第3斉射弾が弾着し、この第3斉射で理論的には敵艦を挟む爽叉弾(きょうさだん 複数の弾丸が敵艦を挟むように着弾すること)が得られるはずである。

 しかし、不運のときは第3弾も第2弾と同じく遠方に落下したり、第2弾と反対の近距離に落下することもあり、また爽叉して弾著しても命中しないこともある。しかし、日本海軍の過去の統計では9発の弾丸を発射すると(注 大和が砲塔を横向きにして第1砲塔から第3砲塔まで同時に発射すると弾丸は9発)、弾丸は300メートルから400メートルの範囲に散布していた。これは300メートルの間に9の弾がばらばらに落下し、各弾の間隔は平均40メートルであることを意味している。

 ミズーリ型戦艦を高さ10メートル、幅33メートル、水中有効距離46メートル、命中界を96メートル(落下角31度20分とする)とすると、
毎回の斉射で爽叉弾9発のうちの1発から2発が命中する計算になる。

 これを
大和に当てはめると、第1命中弾までの所要時間は約5分であり、もし観測機を使い順調に敵艦までの距離や弾着地点までの距離を観測し、航空機との通信も円滑ならば、敵機の妨害や錯誤を計算に入れても、3万メートルにおける命中率は5パーセント程度と見るのが適当である。

 もし、5パーセントの命中率として射撃を続ければ、1門当たりの射撃速度ほ一斉に射撃する斉射間隔を40秒とすれば、毎分1.5発、1艦で13.5五発、出弾率を80パーセントと仮定しても、日本海軍の対米作戦計画と大和1艦主砲の射撃速度ほ11発で毎分の命中速度は0.55発、ミズーリが46センチ砲9発で撃破(戦闘カゼロ)されるとすれば、撃破速度は6.1パーセント、撃破時間は16.5分間、
すなわち10分間で敵の勢力は半減されることになる。

 この間の命中弾は5発ないし6発で、そのうち3分の1は水中弾となる可能性があり、そのため浸水が生じ、さらに運がよければ火薬庫に命中して轟沈させることもできる。また、火薬庫に命中しなくとも擢室や主機械室に命中すれば、機関が故障して落伍するであろう。開戦一カ月前に行われた金剛と榛名の射撃成績ほ、射撃距離2万5000メートルで命中率14パーセントであり、
米国海軍の命中率が訓練射撃の傍受電報、報告書などによると日本海軍の3分の1程度であったことを考えると、大和が9門の砲を発射すれば、10分以内に敵の勢力を半減できると期待していたのである。」

平間洋一編『戦艦大和』(講談社 2003年)P20−22


 この引用文では、もっぱら、日本とアメリカの命中率の差が取り上げられています。命中率の差は、当時の日本海軍の訓練のたまものであり、軍隊の技量としては誇りうるものでしょう。
 しかし、命中率の差だけでは、日本艦隊は確実に敗北を喫します。

 日本海海戦の司令官東郷平八郎は晩年、「
日本海軍の100発100中の大砲は1門、アメリカ海軍の100発1中の大砲100門と同じ価値がある」と訓示したそうです。
 まあ、これは、訓練の重要性を主張する気持ちは分かりますし、数学的には、確かに100/100×1=1/100×100 となりますが、現実には問題外です。
 もし、両者が同時に打ち合えば、両者ともそれぞれ砲弾が命中して、
次の瞬間は、0:99 となり、日本海軍は存在し得なくなります。

 つまり、同じ戦力どうしなら、優れた命中率は確実に勝利につながりますが、数の上で劣勢の場合は、必ずしも、そうはならないのです。

 上記の引用文に当てはめてみましょう。両国の新鋭艦同志が戦ったとします。
 
命中率が3倍優れている、大和型ですが2隻(大和・武蔵)しかありません。命中率が劣っているアイオワ型とサウスダコタ型ですが、各4隻ずつ、合計8隻あります。
 
この艦隊が戦えば、両者の射程内であれば、命中率の合計は、6:8となり、いくら大和の46センチ砲とアメリカ戦艦の40センチ砲(正確には、14インチ砲は40.7センチ砲)の破壊力が違うと言っても、やはり、生き残るのはアメリカ戦艦です。

 したがって、すでに述べたように、基本的には、46センチ砲と14インチ砲の射程距離(砲弾の届く距離)の差が生かされなければ、戦艦の隻数が少ない日本には、結局勝機はないと見るべきです。


46センチ砲の射撃                                          | このページの先頭へ |

 射程距離の差の話の前に、それを理解する前提として、そもそも戦艦の射撃システムというのはどういうものなのかについて確認します。
 
 主砲はどうやって撃つのでしょうか?
 普通の陸軍の大砲なら、何十門並んでいようが、大砲のそばに兵隊が数人いて、一門ごとに操作してねらいを付けて射撃します。
 現在のミサイルなら、艦橋の発射司令室かなんかで、ボタンを押せば飛んでいきます。
 さて、大和の、戦艦の主砲は誰がどこで何をすると発射されるのでしょうか。


<大和の艦橋の構造説明写真>

方位盤室(主砲射撃指揮所)

(射撃の中枢)

電探(レーダー)

測距儀

(距離測定器)

測距所
(測距室)

防空指揮所

(航空機の襲来時は艦長はここで指揮をとる)

第一艦橋

(通常の操艦場所)


 じつは、大和などの戦艦の大砲は、艦橋の「射撃中枢」にいる一人の射手が、射撃装置の引き金を引くことによって発射されました。その射手を正確には、方位盤射手といいます。左右に向けて発射する場合なら、この射手の引き金操作一つで、3×3=9門の主砲が同時に発射されました。

 では、
方位盤射手のいる部署(場所)はどこでしょうか?
 
 上の説明写真をご覧ください。
 写真は呉の大和ミュージアムの10分の1模型の艦橋(前檣楼ともいう。「ぜんしょうろう」と読みます。檣楼はマストのこと。通常戦艦には前の高いマストと後ろの低いマストの二つがあります。)の上半分の拡大写真です。
 下段の方から説明すると、
は通常艦長がいて艦を指揮する、第一艦橋です。映画『男たちの大和YAMATO』では、艦長や第2艦隊司令長官たちをガラス越しに外からとらえているシーンがありましたが、この部署にいるシーンです。

 
は、防空指揮所です。
 ここは、屋根がない露天甲板です。敵機との戦闘に対して、直上から襲ってくる急降下爆撃機をはじめ、いろいろな方向から来る敵機を素早く発見して、爆弾・魚雷を回避する命令を出さなければなりませんから、露天です。

 
の説明です。

 この模型は、大和が沖縄特攻に出撃する前の姿をしていますので、写真の説明
電探(電波探信儀儀、つまり、今でいうレーダー)がついています。

 射撃装置の前にまずこのレーダーについて説明します。
 アメリカはレーダー技術に優れていましたので、現在と同じように闇夜で肉眼では敵を発見できない場合でも、レーダーで距離を測定し射撃するという技術をもっていました。
 日本海軍のレーダーはおおざっぱに敵を発見する程度のもので、それによる射撃は有効にはできませんでした。(一応、電探射撃の研究はしており、レイテ沖海戦では実施したされましたが、成果は上がりませんでした。)

 したがって、敵を発見し、敵までの距離を測定し、大砲を敵へ向けてセット(照準)する手段の根幹は、日本の場合、光学器械と人間の目でした。
 
電探が乗っている部分の下、艦橋から左右に突き出た棒状のものが、大和が誇る15m測距儀です。敵艦との距離を測る機器です。
 日本光学(現在のニコン)が開発したもので、レンズがいくつも組み合わされていて、左右端の両「目」の部分から敵艦を視認し、三角測量の原理で距離を測りました。
 測距儀の間の
の部分が測距所で、ここに測距手がいて、測定しました。4000mから50,000mまで目盛りがついてたそうです。

 沖縄特攻の生存者の測距手の証言では、敵が5万メートル以内に近づくと、「測距始め」と命令が出て、敵との距離の測定がなされました。測距儀の長さが長ければ長いほど、測定誤差は小さくなります。冒頭の引用文によると、3万mで、約300mの誤差でした。

大和の測距手として沖縄特攻に参加し、無事生存したのが、現在もなお語り部として活躍をされている八杉康夫氏です。(当時上等水兵)

 
 
測距所測距儀は、艦橋本体とは別に、敵に向けて360度回転しました。発見された敵の方へ「眼」を向けなければ測距はできませんから、当然の仕組みです。
 
 そして、測距所
の上にある、つまり、艦橋(前檣楼)のトップにあるのが方位盤室方位盤射撃所主砲射撃指揮所ともいう)で、ここに、大和の主砲の引き金引き、方位盤射手が配備についていました。大和の一番高いところにある部屋であり、方位盤室の床の高さは、海面から38.4mもありました。
 ここで、方位盤射手によって敵艦へ向けて照準がなされ、「撃ち方始め」の命令のあと、引き金を引けば、主砲弾が発射されたのです。

もう少し詳しく補足します。
直径約3mの円筒形の
方位盤室の中央には、1辺約60cmの方位盤があり、各壁面には双眼鏡と示針版とハンドルが取り付けられていました。
 この4つの壁面の前には、方位盤射手の他、方位盤室の指揮官の砲術長、旋回手(敵艦との左右照準を合わせる担当)、動揺手(自艦の左右動揺を修正する担当)が配置につきます。
 それそれが分担して操作をするわけですが、最終的には、方位盤射手が望遠鏡を覗きながら、ハンドルを操作し、望遠鏡の中の敵艦の甲板と艦橋の中心軸、つまり敵艦の中心の位置に、望遠鏡の○の中に+のデザインの基線をあわせて照準を行いました。
 
 この操作は、艦橋の下の
発令所という部署にある、射撃盤という装置で「計算」(この装置は、現代ならコンピュータにあたるものですが、当時は、人間の操作で歯車を動かしてデータを処理しました)され、各主砲塔に伝えられました。この操作には、200人ほどの人員が必要でした。

 各主砲塔では、送られてきた情報は表示盤の針の位置によって示されます。これを元針といいます。たとえば、発射仰角40度であれば、その位置に針が示されます。すると、兵員がすみやかにハンドルを操作して砲塔側の針(これを追針といいます。)を元針に合わせて、射撃準備をするのです。
 元針の位置と、追針の位置がピタリとなっていないと、いくら
方位盤射手が引き金を引いても、砲弾は発射されない仕組みでした。

そもそも、戦艦の主砲を射撃するには、次のデータが必要でした。


1自艦の進路

2時間の速力

3大気の湿度

4大気の温度

5その地点における地球の自転速度

6使用砲弾の種類

7発射火薬の種類

8発射火薬の温度

9発射火薬の量

10発射火薬の効率係数

11風向

12風速

13砲身の消耗度

14各砲塔の高さの修正値

15照準装置と砲塔の関係

16敵艦の進路

17敵艦の速力

18敵艦との距離

19自艦の上下動揺角

20時間の左右動揺角

 

 このうち、1〜15までは、敵を発見する前に調整が可能ですが、16〜20は敵が発見されてから決めなければなりません。
 これを、測距儀と方位盤を使って行い、最終的に敵艦に照準を合わせて射撃するわけです。

上記の情報は、児島襄著『戦艦大和』上・下(文藝春秋 1973年)を参考にしました。
この本は、大和が完成以来沈没まで方位盤射手を務め、沖縄特攻からも生還した山口県出身の
村田元輝(沈没時大尉)の証言により構成された本で、大和の主砲射撃に関しては、貴重な記録を掲載しています。

方位盤室
(主砲射撃指揮所)と発令所(射撃盤室)については、戦艦大和神話11「漂流者と人種差別」1でも取り上げています。


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