岐阜県の東海道線あれこれ22
 岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 岐阜駅とその周辺4 JR・名鉄線と旧街道

 前ページで加納駅や茶所駅を取材・撮影している間に、中山道や名古屋街道など、旧街道の現状についてレポートすべきだと思いつきました。
 
 そこでこのページは、
JR及び名鉄加納駅・茶所駅界隈と旧街道について、いつものとおり写真と地図で紹介します。前ページまでの鉄道ファン的要素は減って、純粋に旧街道・歴史のお勉強です。(^_^)


 復習です 岐阜の町と昔の街道の解説です

 以前、「東海道線あれこれ14」岐阜駅の変遷1初代岐阜駅・2代目岐阜駅こちらです→)でも説明しましたが、もう一度詳しく、古い時代の岐阜と加納の町と、通っていた街道の説明をします。
 まず、復習になりますが、下の
地図22をご覧になっていただいて、旧岐阜町と旧城下町加納の位置関係をご確認ください。



 次は、街道の種類の解説です。
 下の
地図41をご覧ください。
 現在の岐阜市市街地を通っていた主要街道といえば、城下町加納を東西に横切っていた
中山道と、岐阜町と名古屋を結んでいた岐阜街道です。岐阜街道は、言い換えれば中山道東海道を結ぶ街道にもなります。
 地図でも分かるように、
岐阜街道の一部は中山道と重複しています。

 地図の@からHまでの番号をクリックするとその場所の下の写真の解説へジャンプすることができます。 

上の地図は、グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)の写真から作製しました。次の地図41も同じです。
 加納の城下町は、概ね東北東から西南西にはしる中山道に沿って市街地が形成されています。加納城は、中山道に面した大手門から南に下がった場所に築造されていました。 

| 地図22(岐阜町と加納町)へ | 地図41(岐阜駅南東部の旧街道と現在の道路 |

 @中山道と茶所踏切

 岐阜市東部を走る名古屋鉄道の本線と各務原線は、旧中山道と岐阜街道の双方といくつも交差しています。その現状を例によって写真で紹介します。

岐阜街道については、郷土のみなさんが編集した次の冊子を参考にしました。
御鮨街道景観まちづくり実行委員会編『御鮨街道』(2004年 岐阜県図書館で見つけました)
御鮨街道」とは、岐阜街道の別名です。
この街道は、尾張徳川藩が尾張藩領だった岐阜町と本藩を結ぶために整備したものですが、長良川で捕れた鮎を「なれ鮨」に加工して江戸まで運ぶルートに使われたため、「御鮨街道」という別名が生まれました。

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 写真22−01                                    (撮影日 08/05/17)

 ここは旧中山道にある茶所1号踏切です。
 左手の名鉄岐阜行き普通電車は、今まさに
茶所駅を出発するところです。写真中央、商店の手前に石碑が建っています。 

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 写真22−02                                     (撮影日 08/05/17)

 写真22−01の石碑のアップです。茶所駅の下り線ホームへの入口に立つ「中山道加納宿」の標柱です。   

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 写真22−03                                     (撮影日 08/05/17)

 茶所1号踏切を西側の八幡神社前から撮影した写真です。東から踏切を渡った所までは真っ直ぐ中山道が走っていますが、写真中央の横断歩道の所で中山道は写真の左手に曲がります。
 したがって、この写真を撮影した八幡神社前は旧中山道ではありません。
 また、右手の自転車が止まっているお店の向こうに南へ延びる道があって、これが次で説明する
岐阜街道です。 


| 地図22(岐阜町と加納町)へ | 地図41(岐阜駅南東部の旧街道と現在の道路 |
 A茶所と岐阜街道分岐

  茶所駅のすぐ西に中山道から分岐して、名古屋へ通じる街道が南へ通っています。これを岐阜街道といいます。

 写真22−04                                     (撮影日 08/05/17)

 茶所1号踏切のすぐ西にある中山道岐阜街道が分岐する交差点すぐ南にある道標。「東海道いせ路」と「江戸木曽路」と刻まれています。

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 写真22−05                                     (撮影日 08/05/17)

 茶所駅の下り線ホームから撮影した名古屋方面の線路と茶所検査区に入ろうとする回送電車です。旧岐阜街道はこの線路のすぐ西側を真っ直ぐ南に向かっています。この線路が旧街道に沿って敷設されたことがわかります。また、茶所駅は両街道の分岐地点という、当時としては交通上極めて重要な場所に作られた駅です。
 この駅は、何年後かの名古屋鉄道本線高架事業では廃止されます。


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 B加納大橋と加納宿

 中山道に沿って、加納宿に入ります。

 写真22−06                                     (撮影日 08/05/17)

 これは写真22−03の横断歩道の手前の交差点から、北の方角、中山道が直角に曲がって北に向かう方向を撮影したものです。途中の橋は、荒田川に架かる橋、加納大橋です。はるか向こうに茶所3号踏切が見え、赤い普通電車が通過中です。中山道は、その踏切の手前でもう一度左手(西)に曲がって、加納の城下に入っていきます。 

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 写真22−07                                     (撮影日 08/05/17)

 加納大橋の南詰めにある加納宿と中山道の説明板です。後方を名鉄本線が通ります。さらにその向こうには、JR東海道線の高架橋が見えます。

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 写真22−08                                     (撮影日 08/05/17)

 加納大橋の南詰めにある加納宿を説明する案内板です。下の絵は、歌川広重の描いた「加納宿」の模写です。

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 写真22−09                                     (撮影日 08/05/17)

 加納宿と中山道の地図の案内板です。私の地図と違って、上が東、左が北になっています。中山道は点線で示されています。


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 C中山道と名古屋道

 またまた道標があります。中山道はここで西に曲がります。真っ直ぐ進むと名古屋道です。

 写真22−10                                     (撮影日 )

 写真22−07の橋を越えてさらに進むと左手に伏屋米穀店があります。中山道はここで左に直角に曲がり、もういちど西へ向かいます。写真の駐車場に止まる車の手前に自然石に掘られた道標(安良町道標)があります。地図41の道標Bです。
 奥の踏切は
茶所3号踏切です。
 この曲がり角から、北へ向かって真っ直ぐ岐阜市の中心部へ向かう道路ができたのは、明所初年の明治天皇の岐阜行幸の時でした。できた当時は、その直線道路は
名古屋道と呼ばれました。現在の安良田町踊りです。

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 写真22−11                                     (撮影日 08/05/17)

 自然石の安良町道標に刻まれた文字は、「右岐阜・谷汲」、「左西京」です。
 この道標が置かれたのは、名古屋道ができてからということになります。

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 写真22−12                                     (撮影日 08/05/17)

 茶所3号踏切から北北西の方向、旧名古屋道(現安良田町通り)を撮影した写真です。安良田町の北部で加納城下から北上してきた岐阜街道と繋がり、市の中心部である元町へ向かいます。
 写真の遠方の高架橋は上段がJR東海道線、下段がJR高山線です。
 その下に見える赤いものは、さらに遠方の
名鉄各務原線安良田町踏切を横切る普通電車です。その踏切の北西に、東海道線初代岐阜駅が開設されました。


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 D広江の道標

 広江には中山道と岐阜街道の分岐地点があります。

 写真22−13                                     (撮影日 08/05/18)

 この写真は、安良町道標から西南西に進んだ中山道が加納城大手門に向かって、南に曲がる交差点です。写真の右手の交差点のあるところが安良町道標から来た道(新町通り)が、撮影者の私が立っている方向(南)へ90度曲がります。
 奥は、
広江1号踏切で、この交差点で分岐して踏切を渡って北へ向かう道が、現岐阜市の中心部(旧岐阜町)へ続く旧岐阜街道です。
 この踏切の左右には、旧広江駅のホーム跡が残っています。
 また、写真左手の太田薬局のシャッターと木の間に、
道標が立っています。  


 写真22−14(撮影日 08/05/18)

 写真22−15         (撮影日 08/04/28)

 左 写真22−13の道標のアップです。 右 その説明板です。 


   写真22−16                                     (撮影日 04/11/13)

 上の道標の北にあるのが写真の広江1号踏切です。
 この踏切の東西には、かつてそこにあった
旧広江駅の「残骸」が残っています。赤い電車の先頭車両の先の草地の部分が上り線(名古屋方面)のホーム跡です。


   写真22−17                                     (撮影日 08/08/30)

 広江1号踏切(写真上左角)と広江2号踏切(中央上白い建物の左)を過ぎて北にカーブし、名鉄岐阜駅へ向かう普通電車。

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 E高砂町と旧給炭所・給水所

 加納から岐阜街道を北上すると、現在では、JRの高架をくぐって、高砂町に入ります。

 写真22−18                                     (撮影日 08/05/18)

 高砂町清住町の交差点です。左手が広江加納)方面です。広江1号踏切を渡って岐阜街道を北上すると、JRの高架線をくぐって、この交差点に出ます。ここで岐阜街道は、一旦東(手前の方角)にまがり、幸ノ町に向かいます。
 写真奥には、単線部分のJR高架下をくぐって名鉄岐阜駅に到着する寸前の急行電車が映っています。先頭車両の下の古い石組みの「トンネル」は、この高架ができた時から存在している由緒ある
高砂町のトンネルです。
 この交差点は、鉄道好きの私にとっては、思い出の深い交差点です。小さい頃、祖父に連れられて何度もこの交差点に来ました。ここにあった
加納道踏切(通称広江踏切)を通過する列車と、蒸気機関車を見るためです。
 実は、高山線にまだ蒸気機関車が走っていた当時は、この交差点の南西側(写真左手の平屋の建物から名鉄線の高架にかけて)には、蒸気機関車の給炭所・給水所がありました。また、ちょうど平屋の建物のあたりには、方向を変えるターンテーブルがあり、私はわくわくしながら、蒸気機関車を見ていたものでした。
 おどろおどろしい大きな汽笛や蒸気と石炭の臭い匂いがまだ記憶に残っています。 

| 地図22(岐阜町と加納町)へ | 地図41(岐阜駅南東部の旧街道と現在の道路 |
上の写真は、国土交通省のウェブマッピングシステム(試作版)のカラー空中写真から引用しました。国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)の写真から作製しました。

 ※上の写真は、岐阜シティ・タワー43の展望室から撮影しました。 

| 地図22(岐阜町と加納町)へ | 地図41(岐阜駅南東部の旧街道と現在の道路 |
 写真22−19                                     (撮影日 08/05/18)

 写真22−01の撮影場所より東、岐阜街道がもう一度北側へ曲がる手前から、高砂町トンネル方面を撮影しました。岐阜街道はここから幸ノ町を北上して、安良田町へ向かいます。


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 F旧岐阜街道と元町通り1

 現在の清住町通りを真っ直ぐ南へ下ると、加納から北上してきた旧岐阜街道とつながります。

 写真22−20                                     (撮影日 08/05/18)

 旧加納道踏切(広江踏切)方面を、北側の岐阜中央郵便局から撮影した写真です。(正確には中央郵便局隣の駐車場ビルからの撮影)
 手前は名鉄各務原線清住町踏切です。奥の高架はもちろん、JRの高架橋です。その手前の青信号は、写真22−01の交差点のものです。 


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 G旧岐阜街道と元町通り2

 旧岐阜街道は、幸ノ町を北上した後、やや東に向かって、現在の名鉄各務原線安良田町踏切手前で、元町通りと合流します。明治になって、この道が真っ直ぐ延長された道が築かれ、名古屋道と呼ばれました。

 写真22−21                                     (撮影日 08/05/18)

 元町通りから安良田町茶所方面を撮影しました。
 手前の長住町通りとこの元町通りの交差点の西(この写真の右手)に、
初代東海道線の加納停車場(のち岐阜駅と改称)が建設されたのは、1887(明治20)年んことです。
 写真中央のご夫婦が渡った踏切は、名鉄各務原線の安良田町踏切です。後ろの高架橋の上をJR東海道線の上り電車が通過中です。写真一番奥には、名鉄本線の茶所3号踏切があります。岐阜街道は、各務原線の踏切の少し向こうで、幸ノ町から来てこの道に繋がります。この写真の直線道路は、明治初年に建設された名古屋道です。写真22−12とまったく反対の位置からの撮影です。


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 H旧岐阜街道と元町通り3
 だんだん長くなってきましたので、この辺でこのページを終わりにします。
 
岐阜街道は、2筋の道が結ばれて1本となり、現在の元町通りとなていま。  
 写真22−22                                     (撮影日 08/05/18)

 元町にあるY字路です。
 左は
安良田町通り、右は清住町通りです。旧岐阜街道はここからは左の道となっていますが、途中で、右の清住町通りの延長線上に繋がります。右の延長に、広江の名鉄本線広江1号踏切、広江の道標があります。

| 地図22(岐阜町と加納町)へ | 地図41(岐阜駅南東部の旧街道と現在の道路 |

 岐阜街道は、上のY字路から北上(手前側)し、美園町・金屋町を経て、旧岐阜町の市街地へ入っていきます。

 ここまでで、岐阜駅周辺の岐阜街道と中山道の説明を終わります。 


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