岐阜県の東海道線あれこれ13 |
岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。 |
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穂積駅建設と高架(盛り土)2 高架(盛り土)の話 |
「穂積駅建設と高架(盛り土)1 踏切の話」では、踏切の考察を通して、木曽川鉄橋−長良川鉄橋−揖斐川鉄橋間の高架(盛り土)について基本的な知識を説明しました。
では、また地図や写真や黒板を使って説明しましょう。 |
最初は建設された年代です |
まずは単純な質問です。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
下に関連の年表を示します。 |
岐阜県内の東海道線建設に関する年表 ※青字は岐阜県に関する記述
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長良川鉄橋と揖斐川鉄橋の間の高架(盛り土)工事が完成したのは、明治の末年、1908年です。(明治41年) |
写真13−01 (撮影日 07/11/05) |
現在の穂積駅。 |
写真13−02 (撮影日 07/12/30) |
穂積駅のプラットフォームの西端から、穂積駅に近づく上り線(岐阜方面行き)の電車を撮影したものです。 |
なぜ高架(盛り土)に?その理由は? |
では、なぜ高架(盛り土)にする必要があったのでしょうか。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
下の地図をご覧ください。現在の東海道線と江戸時代の中山道のルートを比較したものです。 |
中山道のルートは、現在の岐阜駅南にあった加納城下を出たあと、そのまま西に進み、河渡で長良川を渡河し、旧巣南町(現瑞穂市巣南)まで進んで、そこから南下していました。 |
写真13−03 (撮影日 05/03/05) |
旧名鉄揖斐線沿線にあった、旧東山道跡。旧政田駅東。(岐阜・美濃・飛騨「名鉄揖斐線・廃線物語」はこちらです。→) |
東海道線が通っているこの地域は、岐阜県の南部地方の地理上の話題として有名な木曽川・長良川・揖斐川に挟まれた輪中地帯の最北部に当たります。
高架(土盛り)化は、洪水対策においても、また橋梁を越えるために短い区間でアップダウンをくり返すことへの対策においても、絶対必要だったのです。 |
下の地図は、長良川・揖斐川間にある主な河川を示した写真です。 |
これは大事な「遺跡」です |
次の写真を見てください。 |
写真13−04 (撮影日 07/12/30) |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
写真13−05 (撮影日 07/11/03) |
上の写真13−04の池を瑞穂市立図書館から撮影したものです。いつ見ても誰かが魚釣りをしています。 |
写真13−06 (撮影日 08/01/02) |
前方右に見える池も鉄道池。下り線大垣方面行き電車から撮影しました。上の写真13−05の写真よりもさらに少し西で、こちらは線路の北側です。 |
写真13−07 (撮影日 1987年) | ||
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上の写真13−05と写真13−06の鉄道池を空から見た写真です。斜めに横切るのが東海道線です。右上端に穂積駅があります。右手の川は中川、左手の川は五六川です。 |
では最後に高架(土盛り)部分の紹介写真です |
それでは、最後に、高架(土盛り)部分の紹介写真をいくつか掲載します。 |
写真13−08 (撮影日 07/11/03) |
上り線(岐阜方面行き)の先頭車両からまもなく到着する穂積駅手前を撮影しました。線路間隔が広がっているのは中川鉄橋の部分です。その先、直線部分から少し右に曲がると穂積駅です。 |
写真13−09 (撮影日 08/02/11) |
五六川鉄橋と中川鉄橋の中間部分ですれ違う上下線です。 |
写真13−10 (撮影日 08/01/02) |
犀川鉄橋手前の下り線を走る電車の先頭車両から対向してくる上り線電車を撮影しました。上り線電車は、五六川鉄橋の東を通過中です。 |
写真13−11 (撮影日 08/01/02) |
揖斐川鉄橋の東から鉄橋への勾配を登ってくる下り大垣方面行き電車を撮影しました。 |
写真13−12 (撮影日 07/11/19) |
犀川鉄橋から揖斐川鉄橋を撮影しました。上り岐阜方面行き電車がやって来ます。 |
写真13−13 (撮影日 08/02/11) |
五六川鉄橋の向こうに夕陽が沈みます。 |
これで、「穂積駅建設と高架(土盛り)」を終わります。つぎは、「岐阜駅の変遷」です。 |
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