岐阜県の東海道線あれこれ2
 写真を題材に、岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 JR「中山道線」と県境1

 勝手にネーミングしてしまいました、岐阜県の東海道線のことです。

 下の地図をご覧ください。
 
白い線は岐阜県内のJR東海道線と駅名。
 
オレンジの線は旧中山道、黄色い文字は旧宿場町です。
 
 「あれこれ1」でも経緯を説明しましたが、この地図を見れば、二つのルートが非常に重なっていることがよく分かります。岐阜県内のJR東海道線は、ますます「東海道線」とは言い難いと思いませんか?
 「東海道線」というよりは、率直に「
中山道線」です。


上の地図は、NASAのWorld Wind( NASA World Wind http://worldwind.arc.nasa.gov/index.html)の写真から作製しました。

 JR西日本は、東海道線を勝手に分割して、「JR神戸線」「JT京都線」とか言っています。地方分権の時代ですから、岐阜県分だけ、JR「中山道線」というのはどうでしょうかね?

 というわけで、このページでは、
JR「中山道線」という言い方をしばしば使用して、話を進めます。


 JR「中山道線」の外観 まずは、岐阜市の旧中山道と「中山道」線

 このページでは、旧中山道と「中山道線」の交差、クロスについて他の話題を含めて紹介します。
 まずはクイズです。 

 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

 美濃地方を東進してきた旧中山道と、愛知県木曽川町から北進してきた現JR東海道線が初めて出会うのは、旧中山道の加納宿の入口、岐阜市茶所においてです。
 しかし、ここには、現在は踏切は存在しません。

 岐阜市内のJR東海道線は、昭和50年代後半の貨物駅移転から始まった
駅周辺高架化事業が1996年に完成したことによって、完全に高架鉄道となりました。
 このため、以前には2カ所存在した岐阜市内の旧中山道とクロスする踏切は、いずれも必要なくなってしまいました。


 消えた踏切の1つ、茶所踏切。上の地図は、高架事業着手前の1982年の航空写真を元に作りました。
 ○A地点が
JR東海道線の茶所踏切です。

上の地図は、国土交通省のウェブマッピングシステム(試作版)のカラー空中写真から作成しました。国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)はこちらです。


 現在の茶所のクロス
 東西に走る旧中山道を南北に通過する高架のJR東海道線。
 高架事業によって、この少し南から東海道線は2階に上がりました。
(中山道上を東から西を向いて撮影 撮影日 07/12/09)  

 こちらは、上の地図の○B地点にある、名鉄名古屋本線茶所踏切です。
 名鉄の方は高架になっていませんので、未だに踏切が健在です。
 東から西を向いて撮影しました。電車の向こう側に、「
これより加納宿」の標柱が立っています。
(自動車内より 撮影日 07/12/09)

 この踏切については、名鉄本線高架事業でまた紹介します。こちらです。→ 

 駅前を整備中の現在の岐阜駅。
 (岐阜市の新しいらんどまーくたわー、
岐阜シティ・タワー43の43階スカイラウンジから撮影。
 写真の奥、東の方に伸びているのはJR
高山線、途中で右(南)にカーブしているのが東海道線
(撮影日 07/10/28)  

 夜の岐阜駅南口
 高架は高架でも、3階建てです。
 1階は飲食店、市立図書館、2階はコーンコース、3階はホームです。6番線に大垣方面行き快速電車が停車しています。(岐阜駅南を並行して通過する旧中山道より撮影 撮影日 07/12/08) 
 
なぜ3階建てなのかは、またページを改めて説明します。「岐阜駅の変遷」 


 3カ所の踏切はどこにあるのでしょうか 一つは垂井町内にある出屋敷踏切です

 旧中山道は、河渡で長良川を渡った後、瑞穂市巣南町の北部にある美江寺宿を経て、少し南下し、呂久で揖斐川を渡り、大垣市北部の赤坂宿にいたります。
 このルートは、岐阜市から南西方向の大垣市に向かうJR東海道線のルートより大幅に北にそれているため、両者の交差はありません。

 大垣駅を出た東海道線は、
旧新垂井駅周りの下り線真っ直ぐ関ヶ原とを結んでいる上り線とに別れますが、このうち、下り線は、赤坂の宿の西端を横切ります。
 しかし、ここも、東海道線の方が中山道を高架でクロスしています。
  ※旧新垂井周りの東海道線下り線については、ページを改めて説明します。
「垂井線の謎」 


 旧新垂井駅経由のJR東海道線下り線を行く、名古屋発富山行きしらさぎ9号の最後尾部分。
 写真の左中央の白いガードレールが見える道が
旧中山道。ちょうど最後尾が高架ガードを通過中。中央の茶色い壁の家の真後ろに当たります。

 高架の土手の向こうは、
赤坂(大垣市)の町です。石灰の原石を採掘するために切り取られた金生山。セメント工場の蒸気が見えます。 


 赤坂を出た中山道は、美濃国分寺跡の南を通って、南西方向、垂井宿に繋がります。
 垂井宿を越えた後、ようやく、岐阜県ではじめての
中山道とJR東海道線との踏切があります。
 お待たせしました。
垂井町の出屋敷踏切です。(場所は次ページの地図をご覧ください。)

 垂井町内の旧中山道が現国道21号線とクロスする地点の手前にあります。電車の向こうの白いガードレールは、国道の端です。この出屋敷踏切は東京から419.633Kmの距離にあります。(撮影日 07/08/19)
 この踏切の向こうには、国指定史跡中山道「垂井の一里塚」があります。  


 出屋敷踏切に関ヶ原方面から近づく、JR東海道線上り線の特別列車。奥の陸橋は日の出橋です。(撮影日 07/08/04) 
 写真でも列車が急勾配を下っているのがおわかりでしょうか?
 垂井駅と関ヶ原駅の間は、JR東海道線屈指の
急勾配区間です。これについては、またページを改めて説明します。
 
→こちらです「垂井線の謎」


 残る二つの踏切は、次のページで紹介します。

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