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 045 夏雑感3 「心の理論」と人間の悩み 13/09/08

 私の母親が小さい頃から私に言い続けてきたことがあります。
おまえは、本当に気が利かない
 母親が50数年言い続けているわけですから、これはもうなんと弁解しようが、ほぼあたりです。
 中年になって、
アスペルガーという障害の中味を教えたもらったとき、なんとなく「共感」できてしまった自分としては、母の観察は十分に信頼が置けると納得しています。(*_*)
 
 また、数年前から「空気が読めない」という表現が使われ始めましたが、これも問題点を的確にわかりやすく表現する名句だと思います。私は、「空気が読むことが苦手」です。


 マイケル・S・ガザニガという認知心理学の先生が書いた『人間らしさとは何か』(インターシフト 2010年)という本を読みました。ガザニガ先生は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の心理学の教授です。この本は、注釈も含めて600ページ余りの大著で、心理学のみならず、生物学、脳科学、人類学などいろいろの分野の成果から、「人間らしさとは何か」にアプローチしています。(読むのにはとっても骨が折れました。理解しながらゆっくり読み進めた結果、読了まで半年かかりました。)

 普通、人間らしさというと、道具の使用、脳の発達などの人類学的な特色が最初に思い出されます。しかし、ガザニガ先生は、人間らしさとの重要な一つに、「相手の心を読んで社会集団を形成すること」を挙げています。
 私たちはいつもコミュニケーションの重要性を指摘します。その時大事なのは、当たり前のことかもしれませんが、コミュニケーションというのは、相手との情報のやりとりであり、決して一方通行の情報発信ではないことです。つまり、相手の心の存在やその状況がわからないと、本当のコミュニケーションはできないということです。
 ガザニガ先生は、コミュニケーションこそが人間らしさの源であり、それにまつわる「失敗」もまた、人間らしさであると説明しています。
   ※参考文献1 マイケル・S・ガザニガ著『人間らしさとは何か』(インターシフト 2010年)

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 相手の心の存在がわかることが「人間らしさ」という以上、それは人間独特のものと言うことになります。しかし、類人猿にもそれに近い状況は確認できます。

 類人猿の研究分野からは、つぎのような興味深い研究が紹介されています。
 アフリカのケニアにあるアンボセリ国立公園で霊長類学を研究しているペンシルベニア大学のロバート・セイファースとドロシー・チェイニーの夫妻は、ベルベットモンキーと呼ばれる猿の観察実験を行いました。
 クイズ仕立てで考えてみましょう。
 【観察実験】(猿の名前は、オリジナルの報告から、筆者が勝手に変更しています)
 主役は、花子と名付けられたメスの猿です。彼女には、太郎と呼ばれる息子がいます。柔らかな日差しの降り注ぐある日、花子は他のメス猿、夏子と冬子と連れだって、森の中へ餌を探しに出かけました。すると、そこに突然、太郎の助けを求める叫び声が響き渡りました。これは、もちろん、本当に太郎に危険が迫ったのではありません。
 セイファースとチェイニー夫妻が、茂みのなかに設置した大音響スピーカーで、太郎の助けを呼ぶ声を流したのです。母猿が、息子の姿が見えなくても、その声を聞き分けることができるかどうかを調べるのがこの実験の狙いでした。
 太郎の声が響き渡った瞬間の花子達の様子を撮影したビデオテープを検証した夫妻は、そこに
人間の心の起源を見いだしました。
 太郎の声が聞こえた時、花子は予想通り、確かに気になる素振りで、声のする方に顔を向をむけました。明らかに、太郎の声を認識し、その身に何かが起こったのかと、とまどっている様子でした。ここまでは想定内のことです。
 ところが、ビデオテープには、もう一つ別の事実が映っていました。これが、夫妻の言う、「
人間の心の起源」です。
 それを問題にします。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 つまり、注目すべきは、本来の実験対象の花子ではなく、脇にいた夏子と冬子の行動でした。夏子と冬子は、まるで、花子の心を察するような行動を取ったように思えたというのです。研究者夫妻は、それこそが心の起源、つまり、他人の心の存在がわかるという私たち人間の心のルーツと同じものであると指摘しています。

 それを受けて、この研究を引用した書物の著者でアメリカのジャーナリスト、ウィリアム・オールマンは、次のように解説しています。
「霊長類が、互いに関心を持つことには、なんの不思議もない。なにしろ彼らの、進化上のいとこは、ゴシップや新開、テレビドラマ文化を開花させた、我々人類なのだから。私たちは(この世でもっとも社会性があり、かつ知的な類である)霊長類の中でも、群を抜いて社会性がある知的動物である。
 セイファーストとチェイニーは、アフリカの小さ小さな猿の心を調査しただけかもしれないが、それによってより大きな問題である人間の心の起源に光をあてたのである。」
 ※参考文献2 ウィリアム・オールマン著堀瑞絵訳
   『ネアンデルタールの悩み 進化心理学が明かす人類誕生の謎』 (青山出版社 1996年)P25−27

 ベルモット・モンキーは、他猿の心の存在がわかるかのような行動を取ったと言うことになります。他の類人猿に見られることは、人類がずっと大昔の時代にその能力を獲得できていたと考えていいでしょう。
 人類は、
進化心理学的立場から考えれば、かなり昔から、「人の心がわかる」能力をもち、いわゆる、「空気が読める」ような行動を取り、コミュニケーション能力を持っていたと言うことです。

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 それでは、人間そのものは、他人の心がわかる能力(言い換えれば自他の区別がわかる能力)をいつ頃から身につけるのでしょうか?


  自他の区別と他人の存在と言えば、1978年にデイヴィッド・プレマックが提案した「心の理論」です。
 「
心の理論」とは、次のように定義されます。
「人間には生まれつき、他者が異なる願望,意図、信念、心的状態をもっていることを理解する能力があり、他者の願望、意図、信念、心的状態がどんなものかについて、ある程度正確な「理論」を作る能力を持ち合わせている。その理論を総称して「心の理論」という。」
  ※参考文献1 マイケル・S・ガザニガ前掲書 P75
 この能力は正確には、「生まれながらもっている」わけではなく、幼児期に形成されます。「心の理論」の実験によると、おおむね、4歳・5歳児には、自他を区別する能力が形成されるとされています。
 3歳児と5歳児に次のような実験をすると、自他の区別ができているかいないかによる次のような違いが生じます。

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 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 つまり、こういうことです。
 3歳児は、まだ自分の他にA子という別の心があることを認識していません。その結果、人形がB子によって青い箱に移されたとしても、それを見てわかっている自分と同じように、A子もわかっていると思い、A子も人形が移された青い箱を探すと考えるわけです。
 
心の理論が形成され自他の区別がわかる5歳児は、普通の大人と同じように、A子が探すのは、A子自身が人形を入れた赤い箱であるとごく自然に答えるのです。
 人間は、4・5歳になると、自分の心の他人に別の心が存在することを理解し、他者の願望、意図、信念、心的状態がどんなものかについて、ある程度正確な「理論」を作る能力をもっているというのが、心理学上の結論です。


 では、普通の大人は、ごく自然に心の理論が働き、他人の心がわかるのでしょうか?

 これについては、他人の心がわかりづらい私が言うのも恐縮ですが、個人的な意見としては、基本的には、「わかる能力は持っているものの、実はわからない場合が多い」というべきではないではないかと思います。
 確かに、ピンポイントでかなりの観察や思考を働かせれば、相手の行動を読むことはできます。トランプのポーカーや麻雀のような勝負事の場合は、相手の顔色やちょっとした動きから相手の状況を読み取ることは勝利の必須条件となります。
 しかし、ごく日常的なレベルの行動や思考の中では、なかなかそううまくはいきません。
 人は、日常的な会話の中で、自分の勝手な思考によって他人を傷つけたりがっかりさせ、また、人を好きになり人を愛し過大な期待を抱いて、その思いが叶えられず、悲しみに落ち込みます。
 また、人が期待を抱くことを利用して、人に嘘をつき、人をだますことも平気でやるようになりました。それは、人の優れた能力であるとも言えますが、人を幸福にする能力ではありません。このような人を操る能力が生存上の利点となり、人の脳を大きくしてきたという仮説もあります。進化心理学では、「
マキャベリ的知能仮説」と呼んでいます。
   ※参考文献3 J・H・カートライト著鈴木光太郎・河野和明訳『進化心理学入門』(新曜社 2005年)P164
 
 しかし、多くの嘘や欺瞞は、そのうち破綻します。嘘をつくには、非常に優れた記憶力と、高次の心の理論を持続的に保有する能力が必要です。ところが、人間、残念ながら完璧に嘘をつきつづけるだけの記憶力も高次の心の理論の維持も、そううまくはできないのです。

 妻と暮らして30年になります。
 彼女の心がわかるいくつかのパターンはわかってきましたが、それでも、時々怒りを買います。不思議なことに、妻の「私の気持ちがわかってくれない」と私の「俺の気持ちがわかってくれない」のセリフの回数は、圧倒的に、
前者>後者です。
 なぜでしょう?悲しい現実です。

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 「気が利かない」私が、「気が利くとはこういうことか」と驚いた話があります。この話は、実は一度この「教育を考える 017 民間人校長の登用 その3 共感」で書いたことがありますが、敢えてもう一度、前回よりも詳しく、再掲します。
 1998(平成10)年に、筑波の教育研修所で5週間研修を受けました。長い研修でしたので、堅いものは教育法規の研究から柔らかいものは東京の歌舞伎座における歌舞伎文化の研修まで、いろいろなメニューがありました。今となっては覚えている内容は少なくなりましたが、10年以上経ても記憶に残っているものの一つに、金平敬之助氏(スミセイ・リース(株)相談役 当時)の講義、「企業における人材育成」(8月19日実施)があります。
 テーマは、企業において上司となっていくものにはどのような資質・能力が求められるべきかというものですが、氏はその一つとして、部下に「共感できる能力」、換言すれば部下に気配りできる能力が重要であると指摘され、そこで紹介されたある実例が今でも記憶に残っているのです。
 講義の時は金平氏はスミセイ・リースの相談役でしたが、そこに至るまでは、住友生命保険会社の支社長として苦労をされてきていました。生命保険会社のいわゆる女性外交員がたくさんいる職場で部下の女性たちを掌握するには、部下の立場に立って気配りできること、彼女たちと以下に共感できるかがポイントになります。次の例を挙げられました。

「みなさん、こういう場面を考えてみてください。
30代の女性が中心の生命保険会社の外交の職場で、夕方、勤務時間がまもなく終わる5時頃にあるクライアントから電話が入りました。緊急に自宅に来てほしいというわけです。上司の課長としては、担当のAさんに、残業覚悟でその対応を命じなければなりません。Aさんは、命じられれば、まあ、予定外の労働とはいえ、ケースとしては時々はあることですから、「課長、そのまま直帰します」といっていやな顔一つせずに、出かけてくれます。
 ここまでは上司として誰もがすることです。
 それでは、皆さんに質問です。次の日の朝、出社してきたAさんに、課長はなんと声をかけるべきでしょうか?
 もちろんねぎらいの言葉は必要ですね。
 「昨日は、ご苦労様でした。」
 この次になんと言うべきでしょうか?
 「クライアントはどうだった?」「契約はうまくいった?」
 いえ、そうではありません。Aさんがうまくクライアントと接することは、その能力・経験からいって当然です。
 かけるべき言葉は、
 「突然の夕方出張だったけど、子どもさんの保育園のお迎えは、大丈夫だった?」です。
 このことこそが、前日4時半に電話があった時以来、Aさんが最も対応を悩んだことだと思われます。仕事の内容のことではなく、彼女に立場になって、一番困ったことについて、心配やねぎらいをするべきです。そうすることが、本当に相手の立場に立つことであり、つまり、共感することなのです。」

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 これを聞いて本当に驚きました。
 指摘をされればその通りですが、自分とは違う相手の立場をそこまで理解し、共感するということを、「テクニック」ではなく自然にできる人がいたとしたら、もうそれは、私にとっては神のごとく驚くべき存在です。ここまで共感してくれる人物が、わざとらしくではなく、自然と自分のそばにいたら、それはなんと幸福なことでしょう。


【追加説明1】 13/11/03 追記記述「宗教と心の理論」
 さてさて、人間はどういう時に、信仰心を持つのでしょうか。
 私は9月に自動車のお祓いに行ってきました。この時の私の場合は、自分にだけ起こるあり得ない不幸の連続を経験し、自分の何かが神の摂理やデザインに反していて、怒りを買っていると考え、その怒りを静めるために神の加護にすがると言った心境です。
 ジェシー・ベリング著鈴木光太郎訳『ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能』(化学同人 2012年 2,300円)は、そのタイトルのごとく、人間がなぜ神を信じるのかという疑問に、進化心理学の分野から答えを出した面白い本です。もっとも、アメリカ人が書いた本ですから、その神は、日本的多神教の神ではなく、キリスト教的一神教の神です。そして、著者のような進化論者から見て、創造論者(「世界はすべて神が創りたまい、現在もそのデザインに従って動いている」と信じる人々)がそのような信仰を持つ理由を、進化心理学
心の理論から考察しているのです。

 この本についてはいつか詳しく解説しようと思っていますが、とりあえず、次のページに簡単に触れました。
  →日記・雑感「ついに観念、愛車アリオン神頼み、『ヒトはなぜ神を信じるのか』」


 【夏雑感3 学校で大切なこと 夏雑感3 「心の理論」と人間の悩み 参考文献一覧】
  このページ45の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

マイケル・S・ガザニガ著『人間らしさとは何か』(インターシフト 2010年)

ウィリアム・オールマン著堀瑞絵訳『ネアンデルタールの悩み 進化心理学が明かす人類誕生の謎』
 (青山出版社 1996年)

J・H・カートライト著鈴木光太郎・河野和明訳『進化心理学入門』(新曜社 2005年)

  ジェシー・ベリング著鈴木光太郎訳『ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能』(化学同人 2012年 2,300円) 


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