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 044 夏雑感2 高校野球について思うこと2 −真の勇者−

 高校野球に関しての雑感その2です。
 昨年、第94回全国高等学校野球選手県大会の開会式で、日本高野連会長の奥島氏は、「日本の夏といえば、次の三つです。平和を祈り戦争を考える期間であること、お盆を通して命や祖先に思いをはせること、そして高校野球。」と挨拶されました。
 日本高野連会長の挨拶ですから、高校野球が登場するのは当たり前ですが、この「日本の夏の三つ」は、やはり、本当に重要なものだと思います。

 今年の岐阜県の代表は、大垣市にある学校法人、
大垣日本大学高等学校でした。準決勝戦で下馬評では優勝候補だった県立岐阜商業を、決勝戦で市立岐阜商業を破っての、堂々の勝利でした。
 このチームに関しては、20人のメンバーのうち、岐阜県内の中学校出身者は僅か2名のみということから、「岐阜県の代表としてふさわしいか」という意見もちらほら聞こえてきました。このことについては、私は次の二つの理由から、同校を高く評価しています。
 第一に、現在においては、野球の甲子園やその他のスポーツにおいては、中学生が出身中学の都道府県の枠を越えて、他の都道府県の高校へ行くことは、かなり多くのケースで見られることです。出て行く中学生も受け入れる高校もそれだけで非難されるべき筋合いのものではありません。
 第二に、そうである以上、より多くの他都道府県出身者を集め、移入・移出の数で、「
移入超過」となっている方が、その都道府県のスポーツ振興上、望ましいことであることは間違いありません。
 そんな難しいこと言わなくても、進路選択をする中学生の身になってみれば、もっとごく普通の感慨を抱くことになります。大垣日大高校にもたくさんの他県出身者がいます。彼らは、中学3年生の秋や冬に、大垣日大高校の名前や指導者の阪口監督の魅力に惹かれて、わざわざ遠い岐阜県の学校を選択したわけです。その時点で大垣日大高校が甲子園に行くことを約束されているわけではありません。自分たちが集まってそれをつくっていくわけです。15歳の少年たちがそれだけの決断をする、そういう未来を選択しそれに賭ける、それだけでも、「よく決断した」「よく岐阜県で野球をすることを選んでくれた」と高く評価するべきだと私は思うのです。
 
 前ページ()でこの10年間の甲子園における岐阜県代表チームの成績を紹介しました。この10年間の岐阜県勢の成績は春夏合計21勝16敗です。その中で、大垣日大高校に限って言えば、春3回、夏1回出場し、通算11勝4敗です。つまり、大垣日大高校が、岐阜県勢の中では図抜けていい成績を残しているわけです。
 その重要な要素に、他都道府県出身者の活躍があることは、疑いがないでしょう。


 写真44−01・02  開会式における大垣日大高校      (撮影日 13/08/08)

 2013年8月8日に開催された、第95回全国高等学校野球選手権記念大会の開会式には、私は職務として参加しました。


 県予選決勝の翌日の『朝日新聞』に、大垣日大高校のバッテリーの試合中のエピソードが取材されていました。
 決勝戦の対市立岐阜商業戦、大垣日大は序盤に4点をリードしたものの、中盤に市立岐阜商業反撃を受け、5回表には、2点を返されてなお無死満塁というピンチを迎えます。
 この時、マウンドに駆け寄った捕手で主将の横江君は、投手の高田君に向かって、「こういうピンチを迎え(てそれを乗り越え)たチームこそが甲子園で活躍できる。度胸を決めて投げ込んでこい。」
 なかなか言えるセリフではありません。
 これまで、甲子園で活躍したチームのルポルタージュなどを読んでみると、多くの場合、「県予選から甲子園の各試合において、チームは信じられないぐらい成長した。1試合、1試合、チームは強くなっていった。」という記述が見られます。たとえば、2007年に佐賀県代表として進学校でありながら決勝戦で広島代表広陵高校を、8回に逆転満塁本塁打で逆転して破り、「奇跡の勝利」と呼ばれた佐賀県立佐賀北高校の例があります。
  ※参考文献2 中村計著『佐賀北高校の夏 甲子園史上最大の逆転劇』(新潮文庫 2011年)P10

 甲子園出場だけで舞い上がってしまったチームや、勝って当たり前というチームが、甲子園で勝ち進むことが難しいことは、これまでの歴史が物語っています。(2013年も、春夏連覇をねらった埼玉代表の浦和学院高校が、予想もされなかったエースピッチャー小島君の乱調で、1回戦で10対11で仙台育英高校に敗れ去りました。)
 大垣日大チームは、なかなかいいムードで甲子園の乗り込んだと思います。


 写真44−03・04 大垣日大の対戦校は佐賀県代表有田工業、初出場     (撮影日 13/08/08)


 写真44−05・06 6回までに3点をリードし、これはひょっとしたら・・・・と思い始めた頃  (撮影日 13/08/08)


 写真44−07 前半戦は圧倒的に有利でした。しかし、・・・。        (撮影日 13/08/08)

 5回までノーヒットに抑えていた投手の高田君は、疲れが出た7回以降、急速に球威が衰えてしまい、有田工業打線に捕まりました。結果的に1点差の惜敗でした。


 甲子園には勝利の女神がいて、その女神がほんの少しいたずらをしたとしか思えないプレーが、時々起きます。
 ちょっとした違いで、信じられないようなファインプレーが生まれ、また、逆に選手にとっては奈落の底に突き落とされような悲劇的な結果が待ち受けています。

 あの桑田真澄氏が興味深い「野球論」を提唱しています。
 桑田氏と言えば、高校時代はPL学園の投手として、甲子園通算20勝3敗(夏・春・夏・春・夏と5回出場して、2回は優勝)の「不滅の成績」を挙げており、プロ野球でも、読売巨人軍に在籍し、通算173勝を挙げた大投手です。
 氏は、社会人枠で入学した早稲田大学大学院スポーツ科学研究科での研究によって、高校野球や野球のあり方についていくつかの書物を書いています。
 基本は古い「
野球道」に変わる、新しい「スポーツマンシップ」の提唱です。
 【旧来の野球道(武士道的野球道)】

精神の鍛錬 例 「水は飲まない」

絶対服従 例 監督の指示は絶対

「練習量」の重視 例 長時間の練習への絶対的な信奉


 【新しいスポーツマンシップ=新しい野球道】

心の調和「バランス」 野球・勉強・遊びでの精神鍛錬 自律精神の修養 バランスのとれた人間へ

尊重「リスぺクト」 指導者・選手相互のリスペクト 審判や相手選手へのリスペクト 自分へのリスペクト

練習の質の重視「サイエンス」 効率的・合理的な練習 最新のスポーツ医学の活用 失敗の奨励

 ※参考文献3 桑田真澄・平田竹男著『新・野球を学問する』(新潮文庫 2013年)P74・P107
 ※参考文献4 桑田真澄・佐山和夫著『野球道』(ちくま新書 2011年)P65

 そして、桑田氏は、そういう理論の基礎に、練習や掃除などにおける日々の献身的な努力(氏は「努力の楽しさへの気づき」と表現)や、道具に対する感謝の気持ちを提唱しています。誰に見せるのではなく、自分の未来のために行う小さな努力の継続です。そこには、スター選手というイメージから私たちが勝手に誤解する、「わがまま」「横柄」な存在とは対照的な、「謙虚さ」を土台とした深い人間性が感じられます。
  ※参考文献5 桑田真澄著『心の野球』(幻冬舎 2010年)P17・38
 
 私は、この桑田氏の思考に、自分の努力だけではどうしようもない、野球の勝負のあやや運命のはかなさを熟知しているからこその深みを感じます。 


 2013(平成25)年8月8日の第95回全国高等学校野球選手権大会の開会式で、日本高野連会長の奥島氏は、励ましの言葉として次の趣旨のメッセージを送られました。
「1915(大正4)年、全国中等学校野球選手権大会が初めて開かれました。現在の甲子園大会のルーツです。その時アメリカの野球の試合にはなかったものを、日本の野球は始めました。試合開始と終了の際に、ホームプレートを挟んで行う「礼」です。武士道の系譜を引くこの礼こそが、スポーツの試合といえども相手を敬うという日本の大事な心を表現しています。
 甲子園という舞台は、なにも勝者と敗者を決めるために存在しているものではありません。真の勇者をつくるための舞台です。真の勇者とは何か。勝利して相手を敬い、敗北して自分を誇ることができる者こそが、真の勇者です。皆さん、野球を通して真の勇者たらんことを目指してください。

 高校生の皆さんは、高校野球を通して何を学ぶことができるでしょうか?何を得ることができるでしょうか?何を感じることができるでしょうか?
 野球を通して、自分の在り方生き方に思いをはせ、さらには自分の命を慈しむことに気づいてくれれば、皆さんが費やした努力と膨大な時間もそれに見合う価値があるというものです。
 高校野球、その可能性に感謝。


 【夏雑感2 高校野球について2 参考文献一覧】
  このページ44の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

『朝日新聞』2013(平成25)年7月27日朝刊 

中村計著『佐賀北高校の夏 甲子園史上最大の逆転劇』(新潮文庫 2011年)

桑田真澄・平田竹男著『新・野球を学問する』(新潮文庫 2013年)

  桑田真澄・佐山和夫著『野球道』(ちくま新書 2011年) 
  桑田真澄著『心の野球』(幻冬舎 2010年) 


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