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 046 卒業生へ贈る言葉 2014 −困難に打ち克って前向きに−

 岐阜県の公立高等学校の多くでは、2014年3月1日に平成25年度の卒業式を挙行しました。
 この日は、いつもの年のような、少し寒さを感じる凛とした雰囲気の中での開催ではなく、天候は薄曇りでしたが、ずいぶん暖かい気候での開催でした。外勤務の駐車場係の方は苦労しませんでしたが、体育館に置かれたストーブのそばにいた方は、むしろ「暖かすぎた」と言われるぐらいの穏やかな日でした。


 私の勤務する学校でも、360名の生徒が卒業していきました。生徒諸君にとっては、2月下旬に国公立大学の2次の前期試験を受験し、まだ結果待ちの身ですから、晴れて卒業という感覚ではないかもしれませんが、致し方ありません。
 卒業していく生徒諸君に贈る言葉です。


 いつの時代でも、若者が羽ばたいてゆく先は、「困難に満ちた社会」であり、「激動の時代」です。
 皆さんの多くはあと数年間、大学等で学びを続けるわけですが、これまでと違って、その学びは社会の困難や時代の動きとより結びついたものとなるでしょう。
 今後、皆さんが遭遇する困難とは、どのようなものでしょう。

 そのひとつは、高度情報化が一層進む中で、情報の収集という点に置いてこれまでとは比較できないほど多岐にわたる努力が求められることです。
 まず、高校時代に苦労して学習した知識の何割かは、「時代の激動」によって、すぐに陳腐なものとなってしまいます。つまり、数学の定理は一度学習したらいつまでも変わらないかもしれませんが、現代社会・歴史・地理・生物・家庭・保健・情報などの教科で身につけた知識の一部は、時代の変化によって、すぐに更新することを迫られるでしょう。
 必然的に、新しい情報収集の方法を身に付け、確かな情報源から正確な情報を獲得する必要が生じます。インターネットの普及によって、情報は氾濫しており便利といえば便利ですが、その匿名性こそが諸刃の剣であることは皆さんよく知っているとおりです。
 また、情報の収集に関して、これまでの時代と大きく異なるのは、インターネット等の使用によって、情報を集める本人が情報源に直接アクセスすることが可能なことです。このため、それがうまくできるできない、それを熱心にやるやらないという個人の能力や努力の差が、情報の取集や加工、さらには創造的な発信の成果に直接結びつく点です。高校までの勉強のように、みんなが教室で同じように情報を与えられるのではなく、それぞれが個人で情報にアクセスし、自分の能力でその価値や正邪を判断し、蓄積していかなければなりません。
 これまでの生活では、「情報は誰かに与えてもらうもの」という発想でした。しかし、これからは「情報は自分で獲得するもの」という意識を持たなければなりません。その上で、情報リテラシーを磨きつつ情報の更新をし続けなければなりません。

 次にグローバル化の問題です。グローバル化の進展もまた、皆さんに難しい判断を迫ります。
 グローバル化という言葉の直接の意味は、「国家や地域などの境界に関係なく、物事が地球的規模で展開する」ことです。このことから学校教育では、国際言語である英語によるコミュニケーションに堪能であることがこれからの有為な人材の必須条件であるとの認識に立ち、新学習指導要領のもとで、日本語を使わない英語の授業の実現へ向けて努力をしています。
 このグローバル化という言葉には、そういう皮相的な現象だけではなく、もっと奥深い現実が含まれていることに気づかねばなりません。
 グローバル化は、国際経済の面から考えると、企業同士が国境を越えて経済競争を展開することを意味します。そして、収束する先は、勝者となった力のある企業が世界の経済を支配することです。結果的には、彼らが作り出すスタンダード(標準)に、世界全体が動かされていくということに他なりません。
 このため、現実には、企業におけるいわゆる勝ち組と負け組の格差、ひいては社会全体として、富裕層と貧困層の二極化という問題が生じています。また、中央と地方の地域格差も大きくなっています。
 市場原理が支配することによるこのような新たな課題は、決して豊かな未来のイメージにはつながりません。以前から用いられてきた「インターナショナル」という言葉の背景には、「交流する」=「仲良くなる」というイメージがありました。しかし、「グローバル化」のイメージは、むしろ「競争と格差、強者の論理の貫徹」であり、心温まるイメージとはかけ離れています。

 このような状況の中で、皆さんはどのような価値観を大切にして生きていきますか?何を正義として生きていきますか?
 正義とはどうあるべきかについて、「ハーバード白熱教室」で有名な哲学者マイケル・サンデル教授は、『これからの「正義」の話をしよう』の中で、ひとつの提案をしています。
   ※マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房2010 年)P334−336
 彼は、生命も含めて価値を単一の尺度で考えようとするベンサムやミル以来の功利主義的な発想や、自由競争や選択の自由を絶対視するリバタリアンの発想からは、正義は生まれないと言っています。
 サンデル教授の白熱教室で有名になった、1人が死ぬか5人が死ぬかという選択を迫られた場合に、1人を殺すという立場を選ぶことを正当化する立場が功利主義です。しかし、多くの人はこれがすべての場合に置いて合理性をもつかという点においては、疑問を持っています。
 また、リバタリアンはいわば尊重に値する権利の実現、つまり正義を人々の選択の手にゆだねるものであり、本当の正義を実現することはできないということです。
 これに対して、サンデル教授は、公正な社会はただ効用を最大化したり選択の自由を保証するだけでは達成できず、「避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない」と主張しています。
 先の時代の政府の過ちを後代の政府や国民が謝罪すべきかどうか、同性婚を認めるべきかどうか、格差を拡大を許さずに公共的基盤を維持していくにはどうしたらいいかなどなど、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、人々が道徳的な「共通の善」を共有し合える社会こそが、正義を実現する社会であると提案しています。

 私は、「共通の善」の発想のひとつとして、「持続可能な発展」が重要だと考えています。これは、環境・資源・生物多様性・民族共生・国際交易などの視点において、「持続可能」に重点を置いて我々の生活を考えていこうという発想です。新学習指導要領の内容においては、今ひとつアピールは弱めですが、上で述べたグローバリズムを経済における単なる効率化手段としないためにも、「持続可能」という発想を根付かせることが必要だと思っています。
  ※「ESD」(持続可能な発展のための教育」については、→旅行記「マンチェスター・ロンドン研修記 2」を参照。

 また、東日本大震災以来、人と人とのつながり、「絆」が改めて見直されています。しかしこれも、「絆」という言葉が持つ情緒的な響きに酔っているだけでは、何の解決にも至りません。
 作家の曾野綾子さんは、もっと現実的な対応を提案しています。
   ※曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書 2013 年)P60
 「絆の条件は、絆を結んだ相手の、悪い運命をも引き受ける覚悟をすることだ。被災者のために小説を書くことではない。今年震災後、一年目の状態で言えば、絆とは、被災地の瓦礫を受け入れることだ。。絆は二つの条件を伴う。
 第一は、自分に近い人との結びつきから始めることだ。親や兄弟を大切にすることだ。遠い他人にいっときの親切を尽くすことは簡単で誰にでもできる。しかし身内の人に、生涯を賭けて尽くす決意をすることの方がずっとむずかしく意味のあることなのだ。それこそ絆の本質である。
 第二に、絆は、長い年月、継続することである。震災記念日や何かの催し物のある時にだけ、人道的な行為をすることではない。この世の仕事というもの、すべて淡々と長い年月日常的に継続してこそ本物なのである。」

 さて、皆さん。
 視野が広くなればなる程、諸課題に対する答えは簡単には出せなくなります。高校までの勉強と違って、学問の本質的な部分だけの学習とは異なり、社会とつながった学問をしていくと、簡単にはっきりと正解が出る状況ばかりではなくなります。いや、むしろ、正解がでる場合は多くはないかもしれません。こんな時は、難問に苦しみつつ、どちらとも断言できず、確信の持てない答えを胸に悩みぬくことになるでしょう。
 これは非常に大切なことです。これに耐えることも大事にしてください。
 医師の鎌田實さんは言っています。「本当の民主主義は、○と×の間にお互いが納得できる『別解』を探すことなんです」と。
   ※鎌田實著『〇に近い△を生きる』(ポプラ新書 2013 年)P69
 人は、難しい場面に直面すると、確かな指導力を持つリーダーに従いたくなります。しかし、そのリーダーとて、魔法のように素晴らしい考えや提案をもっているわけではありません。まるで魔法のように瑕疵のない提案をして人々を導いていく指導者には、何かしらデマゴーグのような胡散臭さを感じます。
 いろいろ悩んでぎりぎりの提案と決断をする方が、人間らしくて、共有できる「正義」のような気がします。

 新しい旅立ちを助ける話をするつもりでしたが、結果的に皆さんをより一層悩ませる内容になったかもしれません。
 これから皆さんは、華々しい活躍をすると同時に、きっと幾つもの壁に直面し、これまでにない苦悩をも経験することになるでしょう。しかし、ひるんではいけません。
 いつの時も、感謝の気持ちと謙虚さを忘れずに、自分の能力を信じて、皆さんが理想に燃えつつ夢に向かって進んでくれることを期待します。


【参考文献一覧】
 1 マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房 2010 年)
 2 曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書  2013 年)
 3 鎌田實著『〇に近い△を生きる』(ポプラ新書 2013 年)


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