一つ前へ 「教育について」のメニューへ 次へ

 039 学校で大切なこと 春雑感1  やりがいのある仕事だから覚悟して取りかかる

 4月は転勤の季節です。教師になって37年目、定年まであと2年を残して、私も転勤しました。残り年数から言うと、最後の職場になります。
 平成17年度から、私の転勤は「優勝旗」並みになりました。その年僅か1年で転勤したのを皮切りに、現在まで、1年・1年・2年・2年・2年と、50歳代の最後の10年を駆け足で職場をめぐってしまいました。
 おかげで、転勤の際も全くとまどわなくなりました。荷物を入れる段ボール箱なんか、6年間連続で同じものを使っています。どの箱にどの所帯道具を入れるのかも決まっていますから、慣れたものです。前の職場の最終日に運び出して、次の日早朝に次の職場に運び込みます。(3月31日夜である今現在は、車の中に眠っています。)

 意外に困るのは、事務所の机のタイプが異なることです。
 前の職場で作った机の下に収納する木製本棚も、新しい職場では机下のサイズがずいぶん狭いことがわかり、使えないとなったので前の職場においてきました。


 前の職場のために作った左の本棚は、後継者に寄付してきました。右のは、引っ越ししました。

 さてさて、今日のお話は、引っ越しについてではありません。転勤にたびに気がつくことについてです。
 
 まずは、
職場の意思の疎通と形成についてです。
 世の中には成功した企業の経営者のあり方として、優れたリーダーによる
トップ・ダウンの経営が模範としてもてはやされます。教育現場においても、1990年代末からはじまった教育改革の時代以降は、それまでの校長像とは違う、強力なリーダーシップの校長の方が理想的と考えられてきました。民間人校長の就任の効果の一つにも、それは期待されていました。
 しかし、上手な
トップ・ダウンというのは、なかなか難しいものです。凡人がトップ・ダウンを行うと、トップ・ダウンではなく、単なる「ワンマン経営」になってしまうからです。
  ※これについては、一度、日記のページで書いています。日記:12/01/08「新年に思うこと、いい組織を作る

 どの職場でもそうかもしれませんが、とりわけ、教育現場には、
トップ・ダウンの導入は慎重ならざるを得ないと思います。その最大の原因は、教育の目標が、企業の利益のような数量的なものではなく、複数の価値観を持つ非数量的なものだということです。入試で高得点をあげ合格者の実績を伸ばすことも目標ですし、また、豊かな心をはぐくむことも、健康で立派な体をつくり健康を指向する日常生活をおくる態度を作ることも同じく目標です。
 このように複数の価値をもつ複雑にからみあう目標を実現するには、組織的・有機的につながった多方面での営みが複数必要であり、工場で製品を生産することのように単純なものではありません。
 単純にトップ・ダウンの命令に従っているだけで、教育目標が十分に達成できるでしょうか?
 私は、
ボトム・アップによって、きめの細かい営みを積み上げていかない限り、およそ教育目標などというものは実現できないと思います。
 時々、個性の強い校長が転勤してきて、いろいろ提案することがあります。もっとも、目標の実現につながる本体の部分はなかなか大きくは変更できないため、それに付属する周辺部分をいろいろ「改革」して、自分のリーダーシップを誇示することも行われます。これによって、学校は見かけ上は「活性化」を起こします。
 しかし、2年・3年経て、次にまた個性派のトップ・ダウン好きの校長が転勤してくると、悲劇がはじまります。もう変更する項目がないため、前の校長の「改革」をまるで手のひらを返すように否定するという現象が起きてしまいます。
 私は、30歳代の中頃、ある学校でこれを経験しました。今も、あちこちで起きていると思います。

 職員のネットワークがうまく生かされ、職員の思いが具体的な行動になっていくという形の
ボトム・アップこそが、学校の目標の実現に近づく秘訣だと思います。


 教員になって30数年を経て、最近やっと、「自分は教員というものすごい職業についているんだ」と思うようになしました。自分のしていることが、「空恐ろしく」感じることもあります。
 教師が何故「
ものすごい」職業なのか?給料も高くない、最近はそれほど尊敬もされてはいない。
 それでも、「
ものすごい」職業なんです。
 私の感じるものすごさは、次の点です。
 私たち人間という生き物は、普通、自分のものを次に引き継がせようとします。一番わかりやすいのは、自分の遺伝子です。孫が生まれたばかりの自分としては、特に実感があります。
 生命の発生以来、ここまでずっと続いてきた命を絶やさずに次に受け継ぐことができたという喜びは、何ものにも代え難いものがあります。
 また人間は、ただ遺伝子を継承させるだけではなく、自分の地位、自分の家業、自分の財産なども受け継がせようと奮闘します。自分が一代で築き上げた会社の跡を自分の子どもが無事に継ぐ、自分と同じ職業に就くなどということは、これまたこの上なく喜ばしいことと思われます。
 
 全く同じではありませんが、教育も、そういう営みに近いところがあります。
 我々教師は、
自分がもっている知的な世界や心を、何らかの形で生徒たちに受け継がせることができます。担任をやっていると特に、生徒たちは、「あの先生の影響を受けた」といってくれます。
 時に嬉しいことに、自分という教師の影響で同じ教師になる道を選んでくれたという望外の幸福に出会うこともあります。
 濃い薄いはあっても、教師は、何かしら
人の知性と心に自分の影響を継承させることができる存在といえるでしょう。
 この点が。私が、教師を「ものすごい」職業と考える理由です。
 小学校なら毎年1クラス分、高等学校では、多い場合は、毎年200人ほどの生徒に影響を与えます。これをものすごいといわずに、なんといえるでしょう。

 だからこそ、逆に教員は、毎日そういうたいそれた仕事をしているということを自覚し、いくつかの努力ポイントを忘れないようにしなければなりません。言い換えれば、教員としての大切な守るべき姿勢です。
   ※これはおおむね、この教育のページの→「高等学校初任者教員の皆さんへ1〜3」で紹介しています。

 1

 自分が常に成長していること、言い換えれば自分自身がクリエイティブ、創造的であることです。成長が止まった存在、化石化した存在では、教師とはいえません。

 2

  リアリティをもっていることです。教えることは現実とつながっているからこそ面白く感動的です。具体的な情報、リアリティのある情報を生徒に提供してください。学校でしか通用しない知識(学校知)や受験でしか必要のない知識(受験知)は、魅力的ではありません。

 3

  謙虚であることです。教育という大変なおそれおおい仕事をやっている以上、その本人が、もし横柄で高慢ちきな意識であったら、その教師は鼻持ちならないまた権力者として危険な存在になります。体罰というのもそういう意識がなせるわざと思います。

 うまい方向に歯車が一斉に動いて、生徒がわくわくする学校を作る。そんな仕事をしたいものです。残りあと2年です。


一つ前へ 「教育について」のメニューへ 次へ