教員になって30数年を経て、最近やっと、「自分は教員というものすごい職業についているんだ」と思うようになしました。自分のしていることが、「空恐ろしく」感じることもあります。
教師が何故「ものすごい」職業なのか?給料も高くない、最近はそれほど尊敬もされてはいない。
それでも、「ものすごい」職業なんです。
私の感じるものすごさは、次の点です。
私たち人間という生き物は、普通、自分のものを次に引き継がせようとします。一番わかりやすいのは、自分の遺伝子です。孫が生まれたばかりの自分としては、特に実感があります。
生命の発生以来、ここまでずっと続いてきた命を絶やさずに次に受け継ぐことができたという喜びは、何ものにも代え難いものがあります。
また人間は、ただ遺伝子を継承させるだけではなく、自分の地位、自分の家業、自分の財産なども受け継がせようと奮闘します。自分が一代で築き上げた会社の跡を自分の子どもが無事に継ぐ、自分と同じ職業に就くなどということは、これまたこの上なく喜ばしいことと思われます。
全く同じではありませんが、教育も、そういう営みに近いところがあります。
我々教師は、自分がもっている知的な世界や心を、何らかの形で生徒たちに受け継がせることができます。担任をやっていると特に、生徒たちは、「あの先生の影響を受けた」といってくれます。
時に嬉しいことに、自分という教師の影響で同じ教師になる道を選んでくれたという望外の幸福に出会うこともあります。
濃い薄いはあっても、教師は、何かしら人の知性と心に自分の影響を継承させることができる存在といえるでしょう。
この点が。私が、教師を「ものすごい」職業と考える理由です。
小学校なら毎年1クラス分、高等学校では、多い場合は、毎年200人ほどの生徒に影響を与えます。これをものすごいといわずに、なんといえるでしょう。
だからこそ、逆に教員は、毎日そういうたいそれた仕事をしているということを自覚し、いくつかの努力ポイントを忘れないようにしなければなりません。言い換えれば、教員としての大切な守るべき姿勢です。
※これはおおむね、この教育のページの→「高等学校初任者教員の皆さんへ1〜3」で紹介しています。
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自分が常に成長していること、言い換えれば自分自身がクリエイティブ、創造的であることです。成長が止まった存在、化石化した存在では、教師とはいえません。
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リアリティをもっていることです。教えることは現実とつながっているからこそ面白く感動的です。具体的な情報、リアリティのある情報を生徒に提供してください。学校でしか通用しない知識(学校知)や受験でしか必要のない知識(受験知)は、魅力的ではありません。
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謙虚であることです。教育という大変なおそれおおい仕事をやっている以上、その本人が、もし横柄で高慢ちきな意識であったら、その教師は鼻持ちならないまた権力者として危険な存在になります。体罰というのもそういう意識がなせるわざと思います。
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うまい方向に歯車が一斉に動いて、生徒がわくわくする学校を作る。そんな仕事をしたいものです。残りあと2年です。 |