3 教育長の願いに関連して
4月の冒頭の新任式で、教育長が、初任者の皆さんへ次のようにお話しをされました。
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@ 教育の目的と手段を間違えてはいけない。
皆さんが持っている知識や技能をそっくりそのまま伝えることが教育の目的ではない。あくまで、教育の目的は、いろいろな手段を使って人を成長させること、人を変えていくことである。高校の先生方というと、知識や技能に偏り、自分が持っている知識や技能と同じものだけを伝えることが目的と錯覚してしまう場合が多いが、決してそうではない。
A 自分が授業をしていたときは、常に次のことを考えていた。
「自分がこの1時間の授業をしなければ、生徒がそんなことを考えもしかなったこと、それを質問したり考えさせたりしたい。」
B 説明責任を果たすことを常に考える。
自分たちがしている教育が生徒にどのように効果が出ているかを検証し、保護者・一般社会に説明できなければならない。必ずしも数値ではかることばかりではないが、効果を自己評価しつつ進めていかなければならない。
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さすが教育長からの課題は、重みがあります。私どもにはそれはよくわかるのですが、とはいっても、皆さんには、そもそも「教育長って何?」という感覚の方もいると思いますので、お話になったことについて、少し解説をします。
教育長は、小学校・中学校と高校との間で、授業の形態について、あまりにも大きな差があることに非常に危機感を持っておられます。小学校・中学校の授業では、児童生徒が主役、児童生徒が授業に参加しているという形が一般的なのですが、高校ともなると、知識や技術の伝授というのが中心になり、教師が一方的に教え込んでいくという画一的・一方的な、大昔と変わらない授業が続いているということへの危惧です。
生徒たちの状況がどうなっているかを理解し、それに適した双方向の授業を構築していくことが、我々の大きな課題です。国際的な調査で、成人の科学的な常識に関しては、日本人の大人があまり成績が芳しくないというレポートが示されていますが、それも高校レベルでの「処理」の問題が関連していると思われます。
※科学的な常識についての調査はこちらです。→http://www.nistep.go.jp/NISTEP_News/news160/news160.html
認知心理学的な常識ですが、ただ教え込んで記憶しなさいという「浅い処理」の授業で身につくことは、その後の中間・期末試験を過ぎればまたまた記憶から消え去ってしまうものです。
また、授業の中には、別にそれを受けていなくても、後で教科書さえ読めばテストで点が取れると言う授業も少なからずあります。知識・技能主体の高校の学習では、ある程度はやむを得ない部分もありますが、できたら、先生方の授業の毎時間毎時間が、生徒にとって「目から鱗」であったら、こんなにわくわくすることはありません。夕食の食卓で思わず、「ねえねえ、お父さんお母さん、今日の授業でこんな面白いことを習ったよ」という会話が生じるような授業、そんな授業を期待しています。
アメリカの有名な教育者の言葉を引用します。
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