この道具は、特別支援学校の生徒のうち、神経や骨の病気等の理由で立って身長を測定することができない生徒が、横になったまま身長を測定するための器具です。私はかってに、「仰臥身長測定器byM」と名付けました。
学校では、学校保健法によって、毎年春には身体測定をしなけれなりません。その際、特別支援学校では、横になったままで測定しなければならない場合があることは想像できます。
職員 |
「横になったままで身長を測定する器具を作ってくれないかな」 |
私 |
「えっ、それってどういう原理なの?」 |
職員 |
「病気が理由で、立って身長が測定できない生徒のために、寝たまま身長を測定する器具。」 |
私 |
「普通の板の上に寝っ転がるという発想でいいのかな。」 |
職員 |
「おおむねそのとおり。ただし、生徒の頭の位置を固定する部分と、可動式で足の位置を決めて、身長の数字を読みとる部分とからできている。普通の身長測定器は、頭の部分に測定具が動いてきて測定するんだけど、この器具は反対に、足の部分で測定する。」 |
私 |
「どうして反対なの?」 |
職員 |
「頭の位置を固定しておいて、こわばった体を揺すったりしてほぐしながら、足を伸ばしていって、伸びたところで、足の位置で測定する。 |
とういうわけで、写真09でいうと、左端の部分が頭を固定する部分で、ここに寝てもらって、体を伸ばしていき、そこへ足の部分の位置決めをする装置を動かして、身長を読み取るというわけです。
私 |
「ところで、去年までは、そういう不自由な生徒さんの身長を測定する場合は、どうやっていたの?」 |
職員 |
「床に普通の巻き尺をテープで貼っておいて、そこに寝てもらって、測定していた。」 |
私 |
「その方法では、固定もできなし、かなり不正確じゃないの?」 |
職員 |
「しょうがない。測定器具がないのだから。」 |
私 |
「それって、特別支援学校でちゃんと身体測定をするには必要な道具でしょう。普通の身長測定器が学校の備品としてあるように、こういう生徒さんの測定器もちゃんと備えておかなければならないんじゃないの。」 |
職員 |
「もちろんそのとおり。だけどこの器具は、普通の器具よりは大がかりで、価格が10万円以上する。」 |
私 |
「だから購入してもらえないってか?」 |
職員 |
「事実上、後回しになってしまっている。」 |
聞けば、普通の身長計は、2万円から5万円で購入できますが、この器具は10万円以上するとのこと。しかし、価格は高くても、必要なものは必要だと思いますが、現実にはそうはいかないようです。
「仰臥身長測定器byM」は、木の材料費とメジャー部分の購入費(安い身長計のメジャー部分を使った)と諸経費(戸車、ねじ、サンドペーパー等)の合計7,000円の費用と、私の3時間の日曜大工労働で完成できました。
そして、ちゃんと4月下旬の身体測定で活躍したそうです。
私自身は、特別支援学校に勤務したことはありません。
しかし、「特別支援教育は教育の原点」という発想は、とても大事であることはわかります。また、その視点をもってこそ、実りある教育が実現できると信じています。
1980年1月に国連総会決議で採択された「国際障害者年行動計画」では、次のように述べられています。
「 社会は、今なお身体的・精神的能力を完全に備えた人々のみの要求を満たすことを概して行っている。社会は、全ての人々のニーズに適切に、最善に対応するためには、今なお学ばねばならないのである。社会は、一般的な物理的環境、社会保健事業、教育、労働の機会、それからまたスポーツを含む文化的・社会的生活全体が障害者にとって利用しやすいように整える義務を負っているのである。これは単に障害者のみならず、社会全体にとっても利益となるものである。ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。障害者のための条件を、改善する行動は、社会のすべての部門の一般的な政策及び計画の不可欠な部分を形成すべきであり、また、それは、国の改革プログラム及び国際協力のための常例的プログラムの一環でなければならない。」
障がい者を特別のニーズをもった人たちと思っていては、特別なニーズにこたえるべきなのかという疑問につながってしまいます。障がい者が、健常者と同じくごく普通のニーズを持ち、それを実現するために特別の困難があり、その困難を克服するための支援が不可欠であるという視点に立つことこそ、すべての障がい者サービスに必要な考え方になるわけです。
もちろん、いろいろな障がいにおいて、障がい者と健常者の区別は必ずしも明確ではなく、障がいをあくまで「連続したスペクトラム」と考えれば、自分も困難の克服を支援する場合もあれば、反対に困難を抱えて支援してもらう場合もあるという、双方向的な関係にあることが、理解できるわけです。
すべての方が、普通の人間的なニーズを満たすことができるように、祈って止みません。 |