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 030 どのような授業を目指すべきか −地歴公民科の授業から−

 
 先日、放送局の取材を受けました。
 この未来航路をアップロードしてから、いろいろな方から反響をもらいましたが、放送局からは2回目です。

1度目は、現物教材のギロチンが、マリーアントワネットとフランス革命をテーマにした番組『世界痛快伝説 運命のダダダダーン!』の中の小道具として使われました。その記事はこちらです。
また、現物教材:ギロチン模型自体の説明はこちららです。


 前回の取材は、現物教材が番組へちょい役で出演するという、教育の内容の本質とは何の関係もない取材でした。
 しかし、今回は、東京の放送局の教育番組制作担当者からの取材申し入れであり、授業をどうするかという本質的な問題についての取材になると予想されました。

 3月上旬、関西方面取材の帰りにやってこられたのは、番組担当のディレクターA氏でした。
 A氏の取材は、予想のとおり、単なる現物教材についてとかクイズについてではなく、「生徒が納得できる『分かる』授業をどうやって作るのか」という番組を作るためのもので、教師の「授業力」つまり、その目指す方向性や具体的な手法についての質問が中心でした。


「先生が目指しておられる地歴公民科の授業というのはどういうものでしょう。」

「簡単に説明するのは難しいですが、あえて、スローガン風に簡単にいいましょう。
暗記科目といわせない地歴公民科の授業』、『
生き字引ではなく生き字引き引きを育てる授業』です。」

「最初の方ですが、なるほど歴史や地理というと『暗記科目』というイメージがあります。」

「学習というものはどの教科であっても、知識を覚える部分と、思考力などによって解決をしていく部分があると思います。国語だって文法はあるでしょうし、数学だって、現実には、二次方程式の根の解法は暗記しなければなりませんし、正弦定理や余弦定理も暗記していなければ問題は解けないはずです。」

「そうであるにもかかわらず、地歴公民科だけが、暗記科目と言われてきたと。」

「その原因は、思考力や判断力や表現力を使わなければならない場面がいくつもあるのに、教師が全部説明して、一方的に暗記しなさいという授業を展開してきたことによります。これを打破することが目標の第1です。」

「そのためにはどうするのですか。」

「誤解せずに慎重に言わなければなりませんが、まずは、基本的な知識の理解です。これは暗記です
 旧国名に日向の国と豊前の国というのがあることを知っていなければ、JR九州『日豊本線』というネーミングを聞いても何の世界も広がりません。基礎となる知識のベースを作ることが第1です。
 それができたら、いや正確にはそれを作る過程においてもそうですが、関連性のある知識の類似性・違い指摘、具体的な知識の確認、比喩的な話(たとえ話)、事項の普遍性や転移するパターンの認識など、生徒が考えて気が付いて、『うん、うん、分かる、分かる』と納得できるような授業の内容を工夫しなければなりません。
 その結果として、生徒が知識のネットワークを作っていくことの重要性に気付き、それを作っていけることや、そのことを面白いと感じることが授業の目的の一つです。」

「クイズとか現物教材とかは、そのためのものですね。」

「そうです。
 このHPではクイズといっていますが、あれは実は授業中の発問集です。しかも、ちゃんと考えるための発問集です。
 テレビの番組で言うのなら、クイズタイムショック的な「脊髄反射」で答える問題ではなく、昔の大橋巨泉の「クイズダービー」のような、知恵をしぼって考えるタイプの質問集です。
 それから、現物教材は、ただのマニア的な収集ではなく、『生徒が驚く、目を輝かす』ものが大事です。煩わしくて、細かなものは、あまり効果はないと思っています。」

 

「最初に言われたスローガンのもう一つ、『生き字引きではなく生き字引き引きを育てる授業』というのは、どういうことですか?」

「どんな質問にも耐えうるような豊富な知識量をつくるため、膨大な知識の完璧な暗記を求めるのが、『生き字引き』を育てる授業です。
 『生き字引き引き』というのは、分からないことがあったら、辞書を引いて自分で調べて答えを見つけるという人間です。
 現代では、『字引を引く』というのは死語ですが、今流なら、インターネットで上手に検索する力と言っても良いでしょう。
 現実に生徒相手に試してみると分かりますが、同じヤッフーの前に座らせても、ある程度の知識と検索できる知恵がある生徒とそうでない生徒とでは、必要な情報を得られるかどうかで大きな違いが出ます。
 先に述べた、『暗記ではない』ための学習ができていれば、生徒には自ずと知識のネットワークを作る力や意欲が備わっており、後はそのためのスキルを伸ばせば良いことになります。」

「視点を変えます。
 地歴公民科を教える場合には、その先生の思想や世界観が出てしまいますが、いかがですか。」

「21世紀を生きる児童生徒には、一つのイデオロギーを「絶対」なものとして教えるより、複数の価値観、複数の評価尺度(スケール)を身に付けさせる方が重要だと思っています。
 高校1年生に、『江戸幕府第8代将軍吉宗は、よい将軍ですか?』と質問すると、多くの生徒は『よい将軍』と答えます。
 高校では、そこで止まらず、『では誰にとってよい将軍だったのか』と質問を重ねます。
 そこで生徒諸君は、考えなければなりません。
 『良い悪いはどれかスケールがあって判断されるもので、スケールが変われば良い悪いも変わるものである』ということをです。
 太平洋戦争を教える場合も、同じことが言えると思います。」 

「授業で身に付けさせるなければならないことは、いろいろあると思いますが、他にはどのようなものを意識して教えられますか?」

知識の理解を中心とした学習をレベル1思考力・判断力・表現力を中心とした学習をレベル2とすれば、さらに、広い意味で知的再生産活動のノウハウを学習=レベル3、さらに、自分の在り方生き方につながる学習=レベル4と、もっともっと学ばなければならないこと、教えるべきことはたくさんあります。
 理屈も分からずに暗記しなさい、という学習から見れば、ずいぶん高度な学習が実現できるのです。」

  ※詳しい説明は下表を参照ください。ただし、これはあくまで私案です。




 


「生徒は地歴公民科の学習をして、どんなおもしろみを感じるのでしょうかね。」

「地理・歴史・公民では、それぞれ面白みが異なります。歴史を例にお話しします。
 第1に、歴史はすべて人が織りなしたドラマですから、因果関係やその時の人々の判断や、そして結果的にどうなっていったかを理解することは、それ自体、そこらの小説よりも面白いものです。
 たとえば、3月4日(日)の夜9時から、NHKスペシャルとして江戸時代後半の浮世絵師、喜多川歌麿についての番組をやっていました。
 これまでも有名な歌麿ですが、この番組は、アメリカのボストン美術館に秘蔵されていた作品のコレクションを新たに研究することによって判明した、彼の作品に対する思いを、寛政の改革と江戸時代の庶民の感情を背景に描いたものです。
 いくつかの浮世絵のレプリカさえあれば、これはそのまま、授業として使えます。この授業はきっと面白くなる。つまり、歌麿の生き方そのものが感動的なのです。 

「作者と作品を覚えさせる薄っぺらな授業では無理ですね。」

「そうです。
 第2の面白みは、現代をひいては未来を謎解く醍醐味です。
 歴史というのは、基本的に、古いことが好きでそれを知ることのみが目的で学ぶというのはむしろ少ないと思います。
 サスペンスドラマ、刑事ドラマでもそうですが、事件が起きれば誰しもそこに至る「歴史」を探ります。そして、犯人はこれから何をするかという現在や未来にわたる判断をします。
 この過去を調べる部分が、「歴史」の学習と考えれば、これこそ、現在や未来を考えるスタートラインです。」

 

「最後の質問です。先生が先生たり得るのは、どういう条件が必要ですか?知識の量ですか?」

「いえ違います。」

「知識も含めた総合的な力?」

「そういえばそうかもしれませんが、厳密には違うと思います。
総合的な力、つまり教師力という言葉をつかうとして、それがあるなしというのなら、若い先生などは、新任から何年も教師ではありません。今年52歳になった私でも、まだまだ教師力は十分ではなく、勉強しなければならないことはいっぱいあります。
 それでも、恥ずかしながら、教壇に立って教えなければなりません。」

「では、失礼ながら、余りよく分かっていないのに、教師面して教壇に立っていられる理由、その行為を正当化している要因は何ですか?」

「教師自身が、誰よりも学ぶと言うことについて、プラスのベクトル、強いポテンシャルをもっていることだと思います。
 自分が学んでいるからこそ、人に教えられるのです。」

「なるほど、数値はいくつでも、その時点で微分した場合に、プラスの傾きがあるかないかですね。」

「そうですね。総合力があっても、その上にあぐらかいている人は、魅力はないと思います。
 プラスのベクトルというのは、何も、一生懸命本を読んでいると言うことだけではありません。
 いやむしろ、生徒にアピールするという点では、そういう静的アプローチよりも、もっと動的なものが必要です。私はこれまでの人生で、お酒でも女でも博打でも、しくじったことはありません。しかし、ひとづだけ、いままで何度もしくじったことがあります。
 上司や偉い立場の人と約束していても、つい、他ごとに時間を費やして忘れてしまうという失敗です。それが何かというと、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのような釣りと化の趣味でも、ありません。
 簡単に言えば「好奇心」です。
 約束の時間にぎりぎりという時でも、そこへ向かう途中に何か面白いものを見つけると、寄り道してしまいます。「小学生が、お使いの途中でアリの行列を見つけて眺めているうちに時間を忘れてしまう」というのと同じ現象です。
 しかし、自分ではこの好奇心を大事にしたいと思っています。失敗なく社会生活を送るには諸刃の剣でもある危ないしろものですが、これこそ、地歴公民科教師としての大事なエネルギーだと思っています。」

「なるほど。」

 

「ところで、今は、学校現場におられないと言うことですから、先生の授業を見ることはできませんが、同志というか、同じような考えで授業をしている方を推薦していただけませんか。」

「分かりました。A高校のB先生とC先生、D高校のE先生がいいでしょう。」

「早速連絡を取って取材してみます。」

「よろしくお願いします。教員の地道な試みにスポットライトを当ててもらって、ありがとうございます。これからも、お願いします。」


 本県のどなたかが、全国放送デビューとなるかもしれません。頑張ってください。


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