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 029 本当に必要な学力と受験学力  −未履修問題から思うこと−

1 地歴公民科の未履修問題

 2006年11月現在、全国の高校とりわけ、地理歴史科・公民科の教師は、必履修科目の未履修問題で大揺れに揺れています。
 このような事態が生じた理由は、学習指導要領という縛りがある中で、大学受験の実績を上げようという目的を達成するためには、二重帳簿によるやりくりはやむ得ないという判断が蔓延してしまったからでしょう。
地理歴史科において、本来2つの科目を履修すべきところを1科目履修としていたことの背景には、次の諸点があげられます。

  1.  学校週5日制の中で、ゆとりの中で生きる力を伸ばすという新学習指導要領によって、新課程で入学してきた高校生はそれまでに比して基礎学力(国名・首都名、県名などのいわゆる社会科的な基礎知識や文章を読む力)において劣っており、受験で好成績を残すためには、能力が非常に高い生徒以外は、これまで以上に十分に時間をかけて教える必要がある。

  2.  それにもかかわらず、学校5日制や総合的な学習の時間によって、旧課程に比べて1科目の単位数は減らされている。特に理科系では、地理B・日本史B等の科目を標準単位の4単位のみで学習させなければならず、十分な学習はできない。

 この事態のもう一つの問題点は、このような措置が、校長の強引な命令によるというよりも、地歴公民科の教員の自主的な判断によってなされている例が多いという点です。

2 地歴公民科教師としての思い
 これについての私の思いは、まったく、残念としかいいようがありません。一歩踏み込んでいえば、どうしてそこまで現実に迎合してしまったのかという気持ちです。
昔自分たちが高校生の時がそうであったように、日本史、世界史、地理、政治・経済、倫理・社会、すべて学習しろとはいいませんが、せめて、現在の必履修科目はきちんと教えていくべきだと思います。
 その理由を、学習指導要領に書いてあるからという教条的に答えるのではなく、本音で答えるとすれば、いいたいことは一つです。

 受験に関係ないから勉強したくないとか、やる気がないから勉強したくないとか、そういう生徒に迎合してしまって、何が地歴公民科の教師かという思いです。
 5年前、ある進学高校の世界史の授業を参観したとき、3年生の秋の授業であったこともあり、40人の生徒の3分の2は本来の世界史とは関係ない日本史の教科書や英語の教科書を開いて内職中で、かろうじて残り3分の1が授業を受けているという状況を目にしました。

 「俺の授業はな、とにかく価値があるから、まあ、だまされたと思ってしっかり受けてくれ。内職はさせない、内職をしたよりも得した気分にさせてやるから。」
 昔、進学高校いたときは、そういって、大風呂敷広げて授業をしてきました。今は、そういう台詞は言えないのでしょうか。自分はその台詞を当然のように言うために教師になった、それを目標としてやってきた、今でもそう思っています。

3 学力とは受験学力
 そう一方的に吠えても、今は学校から離れている身です。「現実は甘くない。わかっていないな。」とか、「勝手なことをしゃべっていろ。」とかいう批判が聞こえてきそうです。
 それで終わってしまわないために、ちょっとした提案をして、波紋を投げかけようと思います。
先日、本県の学力向上フロンティア・ハイスクール事業(文部科学省補助事業)の研究指定校A高校の校長先生が、その成果をまとめた発表をされました。


 そこには、「本校における学力とは上級学校進学に対応できる学力」と規定されています。
 2005年、同じ事業の文部科学省主催の全国協議会で、本県のB高校が同じ内容の学力観を説明したら、文部科学省の教科調査官は、非常にご立腹されました。「生きる力」を支える学力は、「進学に対応できる学力」などというような矮小化された学力ではないというのです。
 文部科学省としては、大変もっともな見解です。


 しかし、私は、そこまで杓子定規なことはもうしません。
ある日たまたま査察したら何か不都合が見つかったというのならともかく、わざわざ発表役を任されている高校である、A高校やB高校が、堂々と同じような発想を持っているということは、それが
普通の高校では確信的な発想だということです。それを頭ごなしに否定しては、何も創造的なものは生まれません。

 A高校やB高校で必要な学力は、進学できる力、イコール受験学力と定義(正確には、推薦入試、AO入試などもありますから、完全にイコールではないと思います)して、その中で、よりよい方法は何かを考えていきたいと思います。

4 本当に必要な受験学力
 地歴公民科において、本当に必要な受験学力とは何でしょうか。
 それは次の3つの力が身に付くことであると考えます。
 まず、
基本的に、ある程度読み書きができなければなりません。現代社会や政治・経済の時間に「日本国憲法」の条文を生徒に読ませると、なかなかうまく読めない生徒がいるのに気がつきます。
 
 とりわけ日本史などは、漢字が多く登場しますから、「漢字の読み方・書き方指導」が必要です。古墳時代で、はじめて、出雲・武蔵などの旧国名が登場した際、あわせて、都道府県名とその位置の学習をしますが、ここでも漢字指導が必要です。
 都道府県名でも、鳥取、愛媛、茨城、宮城、新潟、埼玉、栃木などは、分かっていても、漢字が正しく書けない県名で、多くの生徒が間違えるからです。

鳥取(取鳥と反対に書く)、愛媛(媛を姫と書く)、茨城(大阪の茨木と間違える)、宮城(宮崎と区別がつかない)、新潟(潟の字を知らず「新湯」と書く)、埼玉(崎玉と書く)、栃木(栃の字が書けない)などなど。ちなみに、岐阜県人の私たちは岐阜は書けますが、他県の人は苦手なようです。何しろ、「阜」という字は、「岐阜」と書く以外、他には使わない字ですから。


 次には基本的な事実の理解と記憶です。
特に地歴公民科の場合は、細かい地名・人名・事項名などが山ほど登場しますから、これらを根気よく位置付けして記憶してゆくことが不可欠です。地歴公民科(社会科)が暗記科目といわれる所以です。
 
 しかし、どんな場合においても、訳も分からずに闇雲に暗記しろというのは、正しい学習とは言えません。
 
いかにうまく理解し、ストーリーの中で記憶していくかが問題です。これには、現象のパターンの認識、違いの認識など、理解に必要な手順を教えていくことが必要です。

 さらに、3番目の、大学受験で最も必要な学力は、「
転移」を可能なとする学力です。転移とは、別の表現をすれば、応用が利く学力です。

転移」の詳しい解説はこちらです。
「地歴公民科のよくわかる授業とは何か」の「3わかる授業をつくるための基本の基本05」


 高校の授業で習うことが単に「
学校知」(学校を卒業するだけに必要な知識、試験を通るためだけに必要な知識)や「受験知」(同じく受験のためだけに必要な知識)のみであれば、その授業も学習内容も、さぞつまらないものになるでしょう。転移する力を身につければ、もっている一定の知識は、それ以上に生きた存在となり、「学校知」を越えていきます。

 転移を促す基本は2つあると思います。
 ひとつは、転移のパターンをしっかりと教えることです。
 もうひとつは、転移を促すような学習に対する意欲を育むことです。

 
 転移を促すパターンについては、たとえば、「身分制度の理由は何ですか」(被支配者の団結を妨げるため)、「国内統一の完成後の外征が行われるのは何ですか」(統一戦に活躍した軍団の活躍の場所)、「危地にたった権力者が極端な譲歩する理由は何ですか」(批判の矛先をかわし優位に立つため)「封建制度の共通点は何か」(ヨーロッパ、中国、日本の封建制度の共通点、領主権の保護と臣下の義務)などなど、教える側が実際に転移する場面を把握していて、転移するようなジョイントを作っておくことが重要です。

 転移への意欲については、他の学習事項とのつながりに常に目を向け、疑問を持って謎を解いていくことがいかに重要でおもしろいことかを常に意識させておくことにつきます。
具体的には、「
学校知」を越えて、現代のいろいろな出来事と常に結びつけていくことが必要です。「新聞を教育に」(NIE)はその最も分かりやすい方法ですが、そこまで行かなくともネタはいっぱいあります。2006年11月の現時点なら、イラクのこと、アメリカの中間選挙のこと、教育改革のこと、いざなぎ景気を越える成長持続となったことなど、学習と現実を結びつける事項はいくつも存在しています。

 これらを意識して、
転移をうながす意欲を醸成することが必要です。
転移する力が十分に身に付く課程は、最後は、
自分で課題や疑問点を見つけ、自分で回答を見つけていく力です。
 
この3つの力は、これがワンセットになった時は、単なる受験学力を越え、社会科学としての地理歴史を学び、それを活かしていく本当の学力につながっていくと考えます

5 本当に必要な学力を現実に育むための工夫1
 上記で説明した3つ力(地歴公民科の受験学力でありかつ本当の学力)の地歴公民科におけるこれらの学習のポイントは、今までも、各科目において、熱心な先生によってそれぞれ努力されてきたでしょう。
 しかし、今のままの方法では学力不足は大きくは解消されなかったのが現実です。そして、それが、時間数増加のための裏履修等のルール違反につながりました。

 それでは、本当に必要な受験学力を現実に育むためには何をしなければならないでしょうか。

 もちろん基本は、各教科のにおける、これまで以上の研究と工夫です。ここで重要なのは、ただ時間数をかければ解決するという発想からの脱却です。地歴公民科でいうなら、世界史Bを標準単位の4単位で教えるには相当の努力が必要です。しかし、だからといって、6単位、8単位と無限に必要かというとそうではないでしょう。時間さえかければ何とかなるという発想は、より大きな工夫を生むことにはならないでしょう。

 上でお話しした、
転移を生む学習を実現するために何をすべきなのかが重要です。
 具体的には、
関心や意欲も含めて生徒の学力の把握が前提となります。心理学における「発達の最近接領域」における学習の重要性を認識する必要があります。発達の最近接領域、つまり、生徒が持っている力の少し先の部分から学習をはじめさせていくことが、生徒の力を最も伸ばすことにつながるということです。
 野球の守備練習ではノックが不可欠ですが、上手なノッカーは、守備者がとれるかとれないかぎりぎりのところへノックを打ち、守備者の技量を高めていきます。
興味関心の程度、知識内容などがあまりにも学習者の力とかけ離れていては、身のある学習にはなりません。

発達の最近津領域」の詳しい解説はこちらです。
「地歴公民科のよくわかる授業とは何か」の「3わかる授業をつくるための基本の基本03」


 また、先のも述べましたが、
転移は基本的には、知識や理解のパターンのつながりによって生じます。授業をするものがそれを意識して授業を構成していなければ、転移につながる学習にはなりません。
つまり、換言すれば、
教科の学習内容におけるネットワークの整備が重要であるということになります。

6 本当に必要な学力を現実に育むための工夫2
 教科の内部での工夫に加えて、さらに、新たに、縦と横のネットワークを仕組むことが必要でしょう。

 
縦のネットワークとは、中学校の学習内容とのつながりです。横のネットワークとは、高校の中での教科を越えた学習内容つながりです。

 工夫その2として、まずは
縦のネットワークについて説明します。
 生徒にとって、小学校から中学校へ入学したときもいろいろカルチャーショックがあるでしょうが、中学校から高校へ入学したときはより大きな断絶を感じるのが一般です。

 それを少なくするために、中学校と高校の接続をうまく仕組んでいかなければなりません。この仕組みをおおざっぱな言い方で呼ぶと、高校における「
初期指導」です。内容的には、学習内容、学習方法、学習動機(目標)の3点の接続が必要です。
 
学習内容については、およそ、小中高の各校種の教員は、自分の担当分野の学習内容は熟知していても、他の校種の内容はあまり知らないものです。
高校の教員なら、自分の教科の中学校や小学校の教科書をよく読んでいると思えそうですが、実は違います。中学校の教科書を読んでいる人は、おそらくは、教員の2〜3割もあればいい方でしょう。


 このため、中学校で学習しているはずというという思いこみによって生徒に難解なことを詳しく説明せずに教えてしまったり、また、反対に、すでに十分学習したことをもう一度やり直すという無駄につながることがしばしばあると考えられます。
 社会科の分野で前者の例を挙げます。本県中学生が使用している東京書籍の新しい社会「地理」「歴史」「公民」という教科書中に、次の、封建制度、ローマ帝国、イスラム教、社会主義の4つの用語のうちいくつかは記載されていませんが、どれでしょう。
 正解は、封建制度とローマ帝国です。ただし、イスラム教も歴史の教科書には登場せず地理の教科書のみに記載されています。また、社会主義は、公民の教科書には登場せず、歴史の教科書のみに登場します。封建制度と、ローマ帝国は、どこにも登場しません。
別にこれは、東京書籍の教科書が特に問題があるわけではありません。指導要領上そうなっているのです。学習量の削除を行ったゆとり教育の弊害です。

 一方で、歴史の日本史の分野については、ずいぶん詳しく習っています。担当の先生によって違いがありますが、「山上憶良の貧窮問答歌」「柳生の徳政碑文」「慶安の御触書」「足尾銅山と田中正造」「野麦峠と製糸女工」などは、中学校の学習でよく取り上げられる内容で、高校生になった生徒の記憶にもよく残っている題材です。
 これらの内容をできるだけ重複を避け、しかも学習していない部分は必ずふれるようにするには、通常の授業中での発問による確認の他、プレテストによる学力の調査が必要でしょう。また、1年生段階で最低レベルの学力をそろえるために、入学前のつなぎ課題として、学習させるということも必要です。

 英数国はもちろん、地歴公民科でも入学前のつなぎ課題を設定している学校がありますが、学習内容を確認せず、ただ難しい知識を調べさせると言った形式的なものも見られます。昨年の我が息子3男Dの学校がそうでした。これでは意味がありません。
 続いて、
学習内容、学習方法、学習動機(目標)の中の、学習方法です。
中学とは違って学ぶ知識量が極端に増加する高校での学習の在り方、ノートの作り方から予習の仕方、テスト勉強の仕方など、事前にガイダンスしておかなければならないことは多くあるでしょう。忘れてはいけないのは、時々、テストの反省として、「時間をかけたけどだめだった」というのが見られることです。

 要因はいろいろあるでしょう。ノートづくりに時間をかけすぎた、理解していたつもりが分かっていなかった、などなど。
 小学校段階の単元別のテストはともかく、定期テストで点を取るということはどういうことか、中学校段階から今ひとつイメージができていない生徒もいると思います。自分が分かったかどうかを確認する意識、つまり、認知心理学でいう
メタ認知について、事前に教えておかなければなりません。たとえば、パターン化すること、つながりを考えること、違いを意識することなど、素朴な「記憶術」と、その確認の方法を知らない生徒はかなり多く存在しています。

メタ認知」の詳しい解説はこちらです。
「地歴公民科のよくわかる授業とは何か」の「3わかる授業をつくるための基本の基本05」

 こんな例もあります。例えば教科書P30を学習していて、これはのち、教科書P140とつながるというとき、普通の生徒はそれを指摘すると、教科書P30の方に、矢印かなんかを書いて結びつきを書き残そうとします。しかし、これではたぶん意味はありません。何ヶ月か経てP140を学習したときは、そんなことはとっくに忘れてしまったいるからです。逆の発想をすれば、未来の自分を考えて、P140に矢印を書いて「P30を見なさい」としておくことこそが意味のあることです。小さな工夫ですが、「知のネットワーク」を自分で作るという視点からは重要なことです。(例中学校の教科書の荘園について、P49荘園成立、P52荘園侵略、P78荘園的土地支配関係の消滅=太閤検地)

 さらに、
学習内容、学習方法、学習動機(目標)の最後の学習動機(目標)です。
 入学したばかりで少しはのんびりしたい生徒に、次に何をしなければならないのかを示すのはちょっと過酷なような気がします。しかし、スタートこそが肝心です。それぞれの学校の卒業生の卒業後の典型的な姿に重ね合わせて、生徒各自がおおむねの目標の像を描けるように、最初に指導することが重要です。これは、校内の担当という点からいえば、ライフプランの作成というキャリア教育的な視点になるでしょうから、主役は進路指導担当ということになります。いずれにしても、入学したばかりなのにもうすでに、卒業後の目標に向かってあなた方は進んでいるんですよという意識を持たせることは重要です。同時に、
不安も多少感じている生徒諸君に向かって、学校側は君たちの指導に関して先を見ていますよという、生徒を安心させるメッセージを送ることが重要です。
 これが、学力を育む現実の工夫その2,縦のネットワークです。


7 本当に必要な学力を現実に育むための工夫3
 では、もう一つ、横のネットワークとは何でしょうか。
 
 これは、
高校における各教科・科目間の関連・つながりを意味します。
 高校の各教科は専門性が高いものでそれぞれ独立していますが、項目によっては、異なる教科で同じような内容を学習することがあります。典型的な例が、家庭基礎と現代社会です。どちらも「消費者の権利」を学習し、場合によっては、クーリングオフなど全く同じ内容の授業をしている場合があります。その他、微分(平均変化率)と現代社会の経済分野、国語の漢文と世界史の中国史、枕草子などと日本の平安文化などもそうです。

 また、こういう必然的なつながりとは別に、現代文や英語の教科書の題材が他の教科とりわけ地歴公民の分野の話題と関連があるという場合もごく普通にあります。
 たとえば、A高校が現在使用している英語Uの教科書は、東京書籍の「Prominence English」です。この英語Uの教科書は、全10章から構成されていますが、そのうち、第1章国際連合と言語、第3章水不足と環境問題、第4章オーストラリアのアボリリニジと民族問題、第5章チェルノブイリ原発事故と環境問題、第8章日本文化に対するアメリカの見方と、現代社会や世界史の学習内容と関連する項目が5項目もあります。

 そして、極めつけは、第9章です。それは「ジョン万次郎、アメリカと日本の架け橋」です。この中には、山内容堂や咸臨丸の写真など、日本史教師が説明すべきものまで掲載されています。
 
 このような題材については、英語の時間には大きな背景として日本史が、日本史の時間では個別のエピソードとして英語の題材が、それぞれつながりとして想定できます。もちろん、英語の題材と日本史の幕末を全く同じ時期に学習するわけではありませんから、どちらか一方向のみの学習という形になるかもしれません。しかし、いずれにしても、授業者同士の教科の壁を越えた打ち合わせや分業、わざと同じ部分を違う視点から授業するなどの仕掛けがあると学習のレベルが上がると思われます。

 このような
双方向の視点で学習内容をつなげておくこと、仕掛けをすること自体が重要です。教師が典型的な事項について仕掛けを意識して授業を進めれば、その他の細かいことについては、生徒がそれこそ自分の力で、あれもつながりがあるこれもつながりがあると、知のネットワークを作ってくれると思います。
 そういう力こそ、まさに求められるべき学力です。
 
 最後に、
センター試験の英語の問題について触れます。
 このところずっと、少なくとも10年以上、センター試験の英語の出題形式はワンパターンになっています。平成18年から始まったヒアリングの部分を別にすると、問題1・2・3でいわゆる文法的なことを学習し、問題4・5・6は長文読解の問題です。問題4には、必ずグラフが登場します。この、問題4・5・6の題材は、純粋に日常会話文という場合もありますが、半分ぐらいは、地歴公民・理科・家庭・保健などの題材を含んでいます。そもそも問題4のグラフの読み取りという学習は、英語が受け持つ分野ではなく、上記の科目の分野といえます。英語の読解力は、英語のみの力ではないことは、良識あるものなら当然と思っています。しかし、生徒諸君は、考えが短絡的すぎてそれに気がつかない場合もしばしばです。


8 おわりに
 本稿では、目指す「本当に必要な学力とは何か」「受験で必要な本当の学力とは何か」について私見を披露してきました。
 急がば回れ」ではありませんが、「
単なる知識よりネットワーク」です。ただ闇雲に覚えなさいではなく、「発達における最近接領域」や「メタ認知」の重要性を認識した上で、「転移する力」を育てなければなりません。
 
本当に必要な学力は実は受験をも成功に導く学力であることを認識させ、本当の学力の基盤となる「知のネットワーク」とそれを作る発想を学習させることが肝要と考えます。


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