2003-2    

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046 2003年1月15日(水) 海の神秘、終戦のローレライ                 メニューへ 

 海は人間の誕生に、どのくらいかかわっているのでしょうか。
 「目から鱗」の「アクア説(水生人類説)」(ご存じない方はこちらへ)では、人類が草原ではなく、水辺で誕生したという説を紹介しました。

 この説はもちろんまだ教科書に載るような市民権を持ってはいません。しかし、私以外にもあちこちにアクア説の「合理性」を支持する人がいます。
 先日、大阪の大学でおもに水泳を教えていらっしゃる女性のS先生からメールをもらいました。

 サバンナ説では明できない謎のひとつに、鼻の下の溝があります。これが一体何のためにあるのか?
 アクア説では、「鼻の下の筋は上唇をふくらませるように動かして、水の中で鼻の穴をぴたっと閉じるためのもの」ということになっています。
 残念ながら、普通の人は、上唇で鼻の穴を閉じるという技はできません。もちろん、私もです。

 大阪のS先生は、小さい頃からそれをやっていたと言われ、何とあのオリンピック選手の鈴木大地さんも当然のごとくできるということです。あれがなければ、バサロスタートはできないとのことでした。
 読者のみなさん、できる人いますか?いたら、メールか掲示板でお知らせ下さい。

 まだ認知されていないアクア人類説を持ち出すまでもなく、もっと太古の昔、まだ人類になる前のずっと昔の我々の祖先は、海の中にいました。
 これって不思議ですよね。
 突然高度な生命体として生まれた生物は絶対存在しなくて、みんな、ずっと何億年も前にさかのぼれば、海の中の単細胞生物かなんかに行き着くのですから。

 そういう意味では、海こそ、われわれ生命の母なる場所なのかもしれません。

 福井晴敏著『終戦のローレライ 上下巻』(講談社 2002年12月)を読み終えました。上下巻3600円、1049ページの大作です。
 
 3年前の氏の『亡国のイージス』を上回る秀作です。
 福井ワールドが思う存分に楽しめます。

 舞台は日本軍に投降した旧ドイツ海軍潜水艦です。日本の潜水艦として、伊507号とよばれます。この潜水艦が、ドイツ海軍が作った他に類を見ない高性能の海中探査装置=新兵器を持っています。そのニックネームがローレライです。
 これを操れば、水中では自由自在に相手を感知でき、自分は身を隠して、攻撃ができるのです。
 それを操作するのは、祖母が日本人という日系クオータードイツ人、亡命したナチス親衛隊少尉Fです。

 この新兵器を利用して、アメリカとの終戦工作を進める日本海軍A大佐がいます。冷静な潜水艦艦長M少佐がいます。
 そして、若干17歳の若き水兵、Oがいます。
 F少尉も、A大佐も、M少佐も、O水平も、みんな運命に翻弄されながら、懸命に生きます。

  呉軍港、ウエーク島、ガダルカナル島、テニアン島、7月下旬の広島・・。少し事情が分かる人には、自然と登場人物の運命が予想できる舞台仕立てです。

 それでも、福井ワールドは、浅薄ではありません。先が読めません。
 登場人物が一人一人が重厚な過去を背負い、それが織りなすストーリーの意外性が、読み手を物語に引き込みます。たとえ憎き敵役でも、敵役たる存在感があるのです。

 潜水艦の運命を大きく左右する壮大な戦略と哲学。それぞれの人々の生き様。すべてを包む海。
 そして、懸命に生きる若者達。

具体的な中味をひと言も書かずに作品を褒めることほどつらいことはありません。ひとセリフ書きます。

「○○だって、○○だって、逃げなかった。最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいったんだぞ!辛いことや悲しいことを我慢して、これでいいのかなんてろくに考える暇もなくて、やれることやって死ぬしかなかったんだぞ!それを無知だって見下げるのか!?そんなふうにしか生きられない大勢の人を殺して、国の将来のためだって言うのか!?・・・」

 人の命の重さ、運命のはかなさに涙また涙、そして海に涙。でも、一生懸命やれば、やっぱり明日はあるんですよ。

 最後は、夕陽の沈む海辺の情景を思い浮かべ、主人公のメッセージを受けながら、満ち足りた気持ちで、読み終えることができる本です。
 「後悔はありませんよ・・・」、と。 


047 2003年1月22日(水) ギロチン、TVデビュー                    メニューへ 

 私の現物教材の中でも、至宝中の至宝であるギロチン模型が、なんとTVデビューをすることになりました。
  ※ギロチン模型の説明はこちら

 ことの発端は、1月6日に舞い込んだメールです。

  • 「はじめまして。
    私はテレビ番組を制作しているT社のものです。(原文はもちろん正式名称です)
    少し相談させていただきたいことがありましてメールいたします。

    私どもの制作している番組の中でTV朝日系で放送されている「運命のダダダダーン!」というものがございます。
    2月21日放送予定のテーマは「マリー・アントワネット」なのですが、そこで貴方様の制作なさったギロチンを撮影させていただきたいのです。
    大変唐突な話で驚かれていることと思いますが、番組趣意書を添付しますのでご確認下さい。(中略)

    どうか御協力を賜りますよう何とぞお願い申し上げます。」

と書かれていました。

 誰かのいたずらかもしれないと、半信半疑で、添付ファイルを開くと、次のような番組趣意書が書かれていました。


●番組名 『世界痛快伝説 運命のダダダダーン!』
●放送挙行 朝日放送(テレビ朝日系列 全国ネット)
●放送日時 2003年2月21日(金曜日) 夜9時〜9時54分
●司会 三宅裕司・中島和子
●パネラー 伊東四郎・加賀まり子・YOU・恵俊彰・酒井彩名ほか
●撮影予定時期 1月8日〜15日の間(雨天延期)
●番組内容

信じられない仰天事件、想像を超えた痛快人生、心温まる感動秘話・・・
日本にも世界にも、まだまだ私たちの知らない「伝説」はたくさんあります。
この番組では、そうした伝説が生まれる”運命の瞬間”に焦点を当て、実際にあった出来事を、関係者のインタビュー・再現VTR・記事・ニュース映像などを交えたVTRにてご紹介し、スタジオにてクイズの出題を交えながら、パネラーの方に考えていただく番組です。

今回は「悲劇の王妃 マリー・アントワネット」をテーマにお送りします。付きましてはその再現ドラマの一部を、撮影させていただきたく、お願い申し上げます。
撮影内容はギロチンの刃が落ちるところをカメラにおさめたいと思います。
ご迷惑になりませんよう、充分の配慮の上撮影を行わせていただきますので、ご多忙中誠に恐れ入りますが、御協力を賜りますよう何とぞお願い申し上げます。


 これは、どう見ても、まじめな依頼です。
 次の日早速、T社へ電話しました。交渉相手は、担当のOさんです。

  • 私「どうやって、私のギロチン模型のことが分かったのですか?」

  • O「何とかギロチンの撮影ができないかと、インターネットで検索をしました。そうしたら幸いにもMさんのサイトを発見できました。何とぞ御協力を御願いします。」

  • 私「番組の趣旨は了解しました。しかし、私のギロチン模型は、高さ50pぐらいのちゃちなもので、しかも、本物と厳密に照合したものではない、イメージ上のものですよ。」

  • O「はい、それでもかまいません。刃が落ちるところが撮影できればいいのです。」

  • 私「なんか、おもちゃっぽくなりません。」

  • O「いえ、大丈夫、撮影のことはお任せ下さい。」

  • 私「では、了承します。でも、ギロチン模型をそちらに郵送するわけにはいきません。壊れるといけませんから。私が東京へ持っていきましょうか?」

  • O「いえ、こちらから伺います。」

 かくて、1月中旬の某日、某所でギロチンの刃が落ちるところ
カメラは右下です。向こうに見えるのは岐阜県庁。

の撮影が行われました。
 撮影というので、車かなんかで来るのかと思ったら、なんと、大きなビデオカメラを抱えた担当のOさん一人が新幹線でやってきました。
 
 刃が落ちるところをとるわけですが、回りにいろいろなものが映ってしまっては台無しです。

私「どのアングルからとるのですか?」
O「青空をバックに、刃が落ちるところです。」

 天気がいい日を撮影日にした理由はこれだったのです。
 かくて、慎重にセッティングがなされ、右の写真のようなセットができました。
 ビデオカメラは、右下から上方へ向けてセットされています。

 それからが大変でした。
 テレビや映画の撮影は、とにかく時間がかかるということは知っていましたが、ちょっとのことで何度もやり直しです。

 やり直しといっても、別に私が演技するわけではありません。

 ただ、ギロチンの刃をつなげている鎖を手で引っ張って、ゆっくりと一番上まで引き揚げて、「はい」という合図で、手を離して、ギロチンの刃が下に落ちる。それだけです。

 ところが、鎖の引っ張り具合が悪くて刃が同じスピードで上がらないとか、ギロチンの本体が揺れて動くとか、いろいろ微妙な点からNGの連続です。

 担当のOさんは、ちょっと心配な点があると、携帯電話で東京のディレクターと連絡を取って確認です。
「あのー、ギロチンの刃が・・・・・。」

 おかげで、撮影は午後2時30分から始まりましたが、瞬く間に時間は過ぎ
青空をバックに、マリーアントワネットの首の上にギロチンの刃が・・・。

、僅か3カット撮影するのに、何と2時間もかかってしまいました。その一つが、右の写真です。

 さすがプロです。
 このアングルは雰囲気がでてるでしょう。
 バックの青空が何とも言えません。

  • 私「これで、番組では、ほんの少し登場するだけなんでしょうね。」

  • O「はい、東京へ戻ってどんな写真が撮影できたか確認してからにもよりますが、3カットで数秒です。」

  • 私「T社は、ギロチン場面だけでなくこの番組すべてを制作するのですか。」

  • O「はいそうです。」

  • 私「なら、結局全部ボツというみっともないことはないでしょうね。」

  • O「もちろん、それはありません。こうやってわざわざ経費をかけて撮影したのですから。」

  • 私「この撮影の様子をホームページで紹介してもいいですね。宣伝にもなりますよ。」

  • O「ええ、どうぞ。」

 経費といっても、岐阜へ来たのはOさんひとり、ギロチン模型にも、私にもギャラは払われていません。たいしたことはありません。(手みやげのケーキをいただきました。ごちそうさま。)

 とにかく、かくて、わがギロチンのTVデビューが確定しました。

 みなさーん、2月21日(金)夜9時ですよ。途中でトイレに行ってはいけませんよ。数秒ですから。  


048 2003年2月21日(金) ギロチン、ついにTV登場                   メニューへ 

 さて、いよいよギロチンのTV登場の日です。
 これから、「世界痛快伝説 運命のダダダダーン!」が始まります。「Weekly ザ・テレビジョン」によれば、サブタイトルが「処刑された王妃マリー・アントワネットの禁じられた恋の行方」という面白そうな内容です。
 我がギロチンは、いつ頃登場するのでしょうか。

 番組は、アントワネットの生涯を面白いエピソードで紹介しながら、クイズを進めていく方式です。
 司会者は、三宅裕司・中島和子。
 回答者は、伊東四郎・加賀まり子他。

 1770年5月16日、アントワネットは、フランスに嫁ぎます。
 まずは、不遇な王太子妃時代。
 妻をかまってくれない夫、のちのルイ16世との新婚生活は彼女にとって面白いものではなく、ストレスがたまる一方でした。しかも、フランス・ブルボン家とは宿敵のオーストリア・ハプスブルク家の出身ですから、周りから白い目で見られることは容易に想像されます。(まるでダイアナのよう)

 ところが、結婚して4年目、1774年に夫が国王に就任すると、当然王妃となり、

ヴェルサイユ宮殿の裏庭。プチトリアノンはずっと向こうにある。2001年のパリ旅行では、時間がなくてそこまではとても行けなかった。
 ※ヴェルサイユ宮殿鏡の間などの写真はこちら。

待遇が変わります。
 彼女は、誰に気兼ねすることなく、うっぷんを晴らします。
 ネックレスとブレスレットとで3億4000万円、毎年豪華なドレスを170着、なんと10億円も購入、賭けトランプで一晩で2億3000万円もすった、などなど。

 ヴェルサイユ宮殿の一角にプチトリアノン宮殿を造り、劇場まで作って、自分でへたくそな芝居をして、喝采を揚げさせました。
 彼女は、湯水の如く税金を浪費したのです。

 こうした彼女の浪費は、フランスの国家財政を傾かせてしまいます。
 彼女についたあだ名は、「赤字夫人」。

 彼女の生地カタログが現存しています。彼女は、フランス宮廷のファッションリーダーでもありました。

ここで最初のクイズです。

  • Q1 彼女がファッションリーダだったのは、髪型においてもでした。ある時フランスがイギリスに戦争で勝利したことを記念にして彼女が考えた髪型とは?

 何と軍艦(帆船)の模型をてっぺんに載せる髪型でした。しかし、これは、重すぎて、後ろでいつも誰かが支えていなければなりませんでしたとさ。(嘘くさいけど、TVには、ちゃんとその姿が描かれた絵が登場しました。)

 1774年1月、アントワネット18歳の時、仮面舞踏会で、スウェーデ貴族、伯爵アクセル・フォン・フェルセンと会い、恋に落ちてしまいます。(この証拠は、スウェーデン大使の本国宛ての報告書)
 しかし、その彼は、身の程を自覚して、アメリカ独立戦争に志願していってしまいました。

 彼のいない間に、王妃は、王太子ルイ・シャルルを生みます。

 ところが、フェルセンがアメリカから無事帰ってきて、また、禁断の恋が、再燃しました。ホントかどうか知りませんが、このフェルセンの日記が残されているというのです。

  • Q2 アントワネットがフェルセンと宮殿で会うために、プチトリアノン宮に作った施設とは何か。

 答えは、「裏山の岩肌に、洞窟を作った」でした。(面白くない答えです。これはクイズにするのには無理があります。)  
 この洞窟は、プチトリアノン宮殿に現存し、一般には未公開で、TVに言わせると、この取材で、「200年以上の時を経て、初めて公開される」洞窟となっていました。(ほんと?)
 その内部は、意外と広く、二人で座るベンチもります。

 1789年7月、フランス革命が勃発。
 王妃一家は、ヴェルサイユ宮殿からパリ市内のチュイリュリー宮殿に移されます。
 1791年6月国王医一家は、フェルセンの導きでオーストリア亡命を実行。ところが、国境を前に、革命軍に捕らえられてしまい、以後は、幽閉状態となります。

 この間に、当時の議会である国民公会では、急進派のジャコバン派が台頭。
 ついに、 国王ルイ16世の処刑が決定されます。
 1793年1月21日、コンコルド広場から大砲が2発とどろき、ルイ16世の処刑が執行されます。
 テュィルリー宮殿に幽閉中の王妃に耳にもその砲声が届きます。

  • Q3 夫ルイ16世の死を知った彼女は、一体何をしたでしょうか?

 これは、まあ泣かせる問題です。
 彼女は、王子ルイ・シャルルをルイ17世と呼び、断固王位を守る覚悟をするのでした。

 しかし、ジャコバン派の独裁政権となった革命政府は、マリーアントワネット自身の処刑も決定します。
 それまでももう幾多の血を吸ったコンコルド広場のギロチンで、彼女は、処刑されます。
 時に、1793年10月16日12時15分。
 
 さて、待ちに待った我がギロチンの登場です。
 再現フィルムでは、白装束のアントワネットがコンコルド広場の群衆の前に引き出され、ギロチンへの階段を上ります。どこで撮った、もしくはどこかの映画かなんかの映像か、ギロチン上の彼女のバックの空は、曇っています。
 そして、ギロチン台上に彼女が寝かせられ、いよいよ処刑。
 執行人がレバーを動かして・・・。
 出ました、我がギロチンです。刃がおちて、刃をつるしている金の鎖が揺れて、バックは抜けるような青空。
 
 我がギロチンのデビューは、2003年2月21日午後9時49分15秒。
 映っていた時間は、1秒ほどでした。

 お疲れさまでした。(-_-;) 


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