先週、私の誕生日でした。未年で今年が歳男ですから、48歳です。
前の日に妻が、
「明日は誕生日でしょう。誕生日ぐらい早く帰って来て、一緒にケーキを食べよ。」
「いいよ。いまさら。無理して早く帰ってくると次の日が大変だから。」
「来年は、K(長男)が大学へ行ってしまうと、家族バラバラになるし、もう最後かもしれないし・・・。」
「う〜ん、分かった、早く帰ってくる。」
ケーキは、定番のイチゴケーキでした。
「私の誕生日に22本のローソクを立て、ひとつひとつがみんなきみの人生だねっ言って、17本目からは一緒に火を付けたのは・・・・」って思わず口ずさむと、
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でっかいローソク4本、ちっこいローソク8本 |
「はいはいでは、ちょうど20年前の、おとーさんが28歳から一緒にいますから、ちょうど大きなローソク2本に火を付けましょう。」
まあ、48本も立てるわけには行きませんから、それぐらいでちょうどいいでしょうか。
「とーチャン、いつもあんまり食べないから、僕に頂戴。」
余った部分は、イチゴごと強奪されました。
ある友人から、
「誕生日ってのは、いくつになっても誰かに祝ってもらうためにあるんですね。今そこにある、その人の存在を言祝ぐ日。頑張って生きてきたね、よくぞ今生きているね、あなたと出会えてうれしいというメッセージを発信してもらう日なんですね。」
っていう名言をもらいました。
まあ、そう頑張ってはいないけれど、祝ってもらって、ちょっとぐらい過去と未来を考える日にはなりました。
今日、3月1日は、長男Kの高校の卒業式です。
30年前、自分が卒業した学校と同じ学校を、今度は彼が卒業して行きます。
高校の卒業式は、中学校の合唱ありとかいろいろ手の込んだ式とは違って、卒業証書授与と式辞と送辞と答辞のだけの簡素なものです。
式辞や答辞には、いつの時代でも、卒業して出てゆく社会が困難で満ちた社会となっています。自分たちの時も、20年前も、そして、あのバブルの時も、いつも決まり文句は「この激動の時代」です。
平穏な今など、いつの世にもありません。
困難を乗りこえて、自分の夢に向かって、積極的にまた謙虚に、努力していってくれることを願うばかりです。
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卒業生退場の時、暗幕がさっとひかれて、窓には生徒手製のステンドグラスが登場。 |
長男は、父の姿を見たからか他の理由からか、将来「教師になる」といって、遠隔地の大学へ行く予定です。すでに一つ受かった私立大学も、今発表待ちの国立大学も、いずれもそういう関係の遠隔地の学部です。
私の母が目を細めて言いました。
「あんたもそうやって、18歳の時、初めて家を離れて下宿したんだねー。もうあれから、30年か。」
春はいつでも、別れる時、そして次の希望へ向かって進む時。
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