2003-4

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053 2003年4月20日(日)  今年もサッカー、しかしいきなりの故障            メニューへ 

 今年も私のシニア・サッカーのシーズンが始まりました。
  ※シニア・サッカーのことは、以前に詳しく、「なんだこりゃ 趣味はサッカー1」に書いています。
 
 昨年の、我がチーム「Gノース」の戦績は、10チームのリーグ戦(1試合ずつの総当たり)で、3勝5敗1引き分けの第8位と全く振るいませんでした。
 まあ、順位が一つ上がったからといってどうだとか、賞金がもらえるわけではありませんから、何位でもいいのですが、やはり、勝負事はよい成績の方がいいに決まっています。

 今年になって最初の公式戦である、リーグ戦前のトーナメント戦が、3月16日にありました。この時は幸先よく準優勝でした。
 もっとも、優勝戦は、この地区ではダントツに強い川重シニア(各務原にある川崎重工各務原工場の企業チームのOBで構成)との対戦になり、惨敗を喫しました。
 雨中の土グランドでしたので、相手の早いパス廻しが封じられて、我がチームにも勝機はあるか?と、試合前ちょっとは甘い期待しましたが、昨年度のリーグ戦優勝、8勝1分けの無敵の川重シニアは、そんな安っぽい代物ではありませんでした。
 結果は、5−0の完敗でした。
 
 この無惨な結果と同時に、私にとって面白くなかったのは、試合中の接触プレーで自分が軽傷を負ってしまったことでした。
 前半終了間際、中盤で相手の動きを読んで、相手ミッドフィルダーのパスをインターセプトしたのはよかったのですが、頭に来た相手に後ろから上手にユニフォームを掴まれ、引き倒されました。
 敵は、若い時からの百戦錬磨の強者で、こういうことを審判に見られないでやるのはお手の物です。
 しかも、あろうことか、倒れる時に相手のスパイクであごを蹴られました。
 さすがに、審判は反則フリーキックの判定は下してくれましたが、イエローカードはなしです。倒されてあごを蹴られた私の実質の被害は、フリーキックをもらうぐらいでは釣り合わないものです。
 うまい選手というのは、いろいろな面でうまいものです。
 
 おかげで、翌日から3日間、あごが腫れて堅いものが食べられない状態となってしまいました。今度対戦する時は、覚えていろ!!

 さて、今年度のリーグ戦の開幕は、本日4月20日でした。
 今年から新しいチームが増えて、11チームによるリーグ戦で、1年で10試合の対戦となります。

 初戦は、新参加の「井の口」チームです。
 岐阜の古い呼称をチーム名にするなんざ、ちょっとしゃれたチームです。そういえば、先月には、岐阜城のある金華山の東麗をぶち抜くトンネルが完成し、「井の口トンネル」と命名されました。

 今日も朝から雨でしたが、前回と違って芝生グランドのため、コンディションはまずまずです。
 私のポジションはいつもの左バック、4・4・2の布陣です。

 新参加の相手チームは、まだまだフォーメーションができておらず、我がチームのチャンスの連続。ところが、再三のシュートチャンスにも得点は入りません。
 こういう時は、えてして・・・・。
 
 案の定、後半の15分、敵のカウンターが一発決まって、0−1で破れました。相手のシュートはたった2本、そのうち1本が決まってしまいました。

 私はというと、前半で退きました。
 前半終了時、またもや負傷してしまったからです。


 気持ち悪いもの見せてゴメンなさい。左足首がこんなに腫れてしまいました。痛い痛い。
 明日、整形外科に行きます。

 敵の甘い攻撃を次々と跳ね返した自信から、前半の半ば以降は、私も含めて我がバック陣は気持ちに余裕があり、何とかパスカットして前線に決定的なボールを送る機会を虎視眈々と狙っていました。

 前半終了間際、そのチャンスがめぐってきました。
 相手の長いクロスパスをカットした私は、敵をかわして前jにスペースをあけて待っている右フォワードへのパスを考えていました。
 ところが、ちょっとトラップが大きかったのが不運の始まりでした。敵に取られまいと突進したところ、なんと、敵の横から出て私をフォローしようとした味方と接触してしまったのです。
 味方と接触してケガなんて、情けないことこの上ありませんが、ケガする時はこういうものです。予測できない状態だからこそ、ケガが発生します。
 ぶつかってねじれた左足で着地した時、「グキッ」と大きな音がしたのを、自分と味方と敵と3人が聞きました。

 痛みといい、歩けない状況といい、重傷です。
 復帰は、そうすぐにはできないかもしれません。
 残念・無念です。 


054 2003年4月26日(土)  久しぶりの整形外科通い          メニューへ 

 先週の日曜日のサッカーの際に痛めた左足首の治療日記です。

 痛めた日曜日は、氷で冷やした後、夜はとりあえず湿布して寝ました。上の4月20日の項の写真は、その寝る前の足首に写真です。
 次の日は、職場に電話して午前中休暇をもらって、朝から整形外科に行きました。
 私は、若い頃からずっと運動をしていますから、整形外科にはずいぶん御世話になっています。膝、足の指、手の指、肘と、ギブスをはめた部位の数もいくつかあります。
 とりわけ、1994年の腰部椎間板ヘルニアの手術、98年の再入院と、腰で2度の大きな入院をしていますので、それに関しては、患者としてスペシャリストです。
 ただ、今回のような足首のひどいけがというのは、始めての経験でした。
 まずは、どの整形外科にかかるのかの選択が問題です。

 そういえば、2000年のいわゆる40肩(50肩?)の時は、ごく普通の整形外科に行きました。
 これまでの腰痛では、当時、高校のバレーボール部顧問をしていた縁があって、高校時代の先輩でバレーボールのケガに詳しいS整形外科に通い、スポーツ整形の立場から治療してもらいました。椎間板ヘルニアの手術もそこの紹介で、脊椎の専門医がいる総合病院でやってもらいました。
 おかげで、腰は、今では、サッカーができるくらいに復活したわけです。

 ありがたいことですが、ただ、専門のスポーツ整形にかかると、少々問題点があります。
 まず、そういうところは、結構「繁盛」していて、診察待ちの時間がべらぼうに長いことです。つぎに、診察の後、リハビリのマッサージや機器を使っての治療があるため、その時間もまた膨大にかかることです。
 さらに、ちゃんと直すため、また再発防止のため、関節部などに装具を作ってもらうことになり、この費用がまたそう安くないことも覚悟しておかなければなりません。

 思案の結果、今回は、市の中心部柳ヶ瀬にほど近い、Y整形外科に行きました。このY先生は、同じく高校の先輩で、私が少しだけ所属したサッカー部で活躍していた人です。
 「サッカーのけがは、サッカーをやっていた人に見てもらう。」う〜ん、我ながら、単純明快な選択理由です。

 まずは、けがの結論です。
 レントゲン写真を撮り、その他もろもろ調べてもらいましたが、痛めた時の、「グキッ」という大きな音の割りには、骨折はもちろん、靱帯の断列など大きな損傷もありませんでした。要するに、ひどい捻挫、ということです。ほっと一安心です。Y医師からは、「多分、全治3週間ぐらい」との診断でした。

 さて、ここからは、整形外科の実情です。
 このY整形外科の繁盛ぶりも相当なものでした。行く前の情報では、「朝は、受付開始時間の相当前から、玄関の前の歩道に行列ができる」ということでした。
 
 月曜日の朝行ってみると、その噂が真実であることが分かりました。私は、9時5分に付いたので、すでに玄関は開いていましたが、待合室は、座る場所もないくらい人、人、人です。
 そのほとんどが、年輩の方です。
 午前中の整形外科は、近隣の町内から徒歩や自転車でやってくるおじいさん・おばあさんで一杯でした。自分もそうなるでしょうが、年を取れば、スポーツとかケガとか関係なく、関節や骨や神経が痛むものです。
 ここに注目すると、柳ヶ瀬に近いこのY整形外科の立地は、より高齢化率が高い市中心部の人々が集まるという点で、理にかなったものでした。

 この繁盛のおかげで、9時5分受付して、レントゲン写真を撮ったのは10時45分、診察をしてもらったのは11時15分、すべて終わったのは11時45分という、長丁場になりました。

 2回目からは、夕方に行きました。
 もちろんですが、客層、いや患者層は、がらりと変わっています。
 夕方は、本来ここの医院の売りである、「スポーツ整形」の患者、つまり、中学生・高校生が大挙してやってくるのです。
 そういえば、最初の受付で書いた問診票には、どんなスポーツで活躍しているかを詳しく書く欄がありました。
 「部活動の名前」はもちろん、「経験年数」、さらには、「ポジション」の欄までありました。
 私は、思わず、「サッカー、33年、左サイドバック」と書きたくなりましたが、一番上に「学校の部活動」と書いてありましたので、やめました。(^.^)

 患者の中高生の多くが、膝や足首に大きな装具を付け、痛々しい姿です。それだけ一生懸命スポーツしているといえばそうですが、自分の若い頃、そんなスポーツ整形という専門医がいなかった時代と思わず比較してしまい、「贅沢になったもんだ」と思ってしまいました。
 夕方の診療も、長い長い時間がかかります。
 6時頃に受付して、すべて終わるのは、8時過ぎという長時間のものでした。

 週末の診察で、先生から経過が良好といわれました。
 「これで、もう、普通に風呂に入ってもいいですし、飲み薬は必要ありません。湿布薬を大量に出しておきますから、しばらくは、自分でシップとバンディング・包帯を続けてください。
 今度、サッカーの試合があるのは、いつですか。」
 「5月11日の日曜日です。」
 「ケガからちょうど3週間目か。微妙なところだね。その前の週に来てください。試合ができるようテーピングを教えてあげます。」

 さすが、サッカー経験ありのスポーツ整形医です。こちらの希望を察した細かな配慮です。

 でも、高校3年生の、最後のインターハイ予選というならまだしも、こちらは、息の長い生涯スポーツです。
「痛ければ無理して試合に出ることはしない」
 当たり前の、経験則でいきたいとおもいます。(テーピングの仕方だけは、教えてもらっとこ。)

 さて次は、スポーツ障害保険の申請です。いくらもらえるだろうか?  


055 2003年5月10日(土)  東京の変貌          メニューへ 

 ここ数年、仕事で東京へ毎年数回行っています。今年は、去年までの仕事に加えて、ひとつ新しい仕事が加わりましたので、昨年の2倍の5〜6回の東京行きとなります。 
 その新しい仕事の最初のうちあわせのための東京行きが、5月1日(木)にありました。 
 この仕事の内容は、実はあまり愉快なものではなく、気が進まないものなのですが、官費に東京に行けること自体は無上の楽しみです。
 但し、今回は、先々週の足首捻挫の影響で、歩き回ることは全くできません。そこで考えました。
「上から、東京を見てやろう」
 幸い、会議の場所が港区三田の慶応大学三田校舎だったという地の利もあって、東京駅から三田までの途中にある東京タワーに昇ってみました。
 1969年、中学3年生の時の修学旅行以来、34年ぶりの東京タワーです。
 東京やその近郊の方から見れば、これから書く話は、別にどういうこととてない日常の生活かもしれません。お上りさんの田舎者の話とて、お許し下され。
 

  港区桜田通からみた東京タワー

   高さ250メートルの特別展望台から見た東京の町は、当たり前ですが、高層ビル群が一杯で、中学校時代に見た東京とはずいぶん様子が違っています。

 その昔は、国会議事堂の右手に霞ヶ関ビルがあって、それが唯一の高層ビルでした。
 しかし、今では、お馴染みの新宿高層ビル群をはじめ、この春誕生したばかりの新橋駅南の汐留のシオサイト、
港区六本木の六本木ヒルズなど、超高層ビル群だらけです。


皇居を背景に霞ヶ関のビル群。中央白いビルの右横に小さく国会議事堂が見えます。

はるか遠く新宿高層ビル群を望む。手前右は、六本木プリンスホテルなどのビル群。

新宿ビル群のアップ。中央左のツインタワー風のビルが東京都庁ですね。

目を東南に転じて、海を渡って、お台場のビル群。橋はもちろんレインボーブリッジです。


   ところで、東京タワーの中に、面白いものを発見しました。
 なんと、東京タワー神社です。
 昭和52年の創設20周年の記念として、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)に鎮座いただいたものだそうです。日本の神様は、いろんなところに鎮座しなくてはならず、大変です。


東京タワー神社 祭神は天照皇大神

 この春、東京には、二つのビル群が生まれました。 一つは、六本木ヒルズ、もう一つは、汐留のシオサイトです。
 六本木ヒルズは、民間企業森ビルが進めたプロジェクトで、4月7日に
完工式が行われ、4月25日に開業しました。
 これは、民間による国内最大の市街地再開発事業で、11ヘクタールの総面積の中にオフィスビルや商業店舗、外資系ホテル、美術館、映画館などが入居する複合施設です。「文化都心の創出」がキャッチフレーズです。
 今回は現地には行きませんでしたが、早くも行列ができるにぎわいだそうです。
 今月末にまた東京出張があります。今度は、1泊しますので、このビル群のメインである六本木ヒルズ森タワーの52階、「東京シティビュー」のイベント、「日の出を見よう」に行ってこようと思っています。
 地上52階、238mからの日の出です。
 営業時間は、なんと「日の出30分前」からだそうです。
 ということは、その日は、4時頃にホテルを出なければなりません。できるかな?がんばろ、っと。
 おっと、天気が悪いと営業しませんから、前日19:00に、03−6406−6652 に電話して、確かめなければなりません。
 別のビル群の話です。
 4月10日には新橋駅に隣接する汐留地区の再開発のランドマークである「汐留シティセンター」がオープンしました。地上43階建ての最新複合ビルで、全日空や富士通などの大手企業の入居が決まっています。
 こちらは、会議が終わって岐阜へ帰る前に、ちょっと立ち寄ってきました。
 
 右上の地図は、汐留のビル群、シオサイトの地図です。
 まさしく、美しい高層ビル群です。


汐留cityセンタービル。全面ガラス張りのガラスが微妙に反射して渦を巻いているように見える。

電通本社ビル。左は南側から、右は、西側から。このビル群はいずれもガラス張りのビルが多い。

日本テレビタワーと鹿島資生堂ロイヤルパーク汐留タワー。

新橋を出て汐留駅に向かう、ゆりかもめ。


 さて、最後に勉強タイムです。
 このように、4月に入ってビル群の完成ラッシュとなり、東京都心のオフィスビルの供給に変化が生じています。
 
 これだけ急にビルが増えれば、いくら経済活動がさかんな東京でも、オフィスビルの供給が需要を上回ってしまうことは、想像できます。
 オフイス仲介の三鬼商事は、5月9日、東京都心部のオフィスビルの空き室率が、4月には8.40%を記録し、バブル以後の最高値を更新したと発表しました。
 右は、昨年からの空き室率の推移です。
 これは、都心の5区(千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区)における、賃室総面積に対する空室面積の割合=空室率の推移グラフです。
 この1年、どんどん悪化して来ています。
 これを反映して、4月末の時点での平均賃料は、3.3平方mあたり、18940円と、前年同期比、890円安くなりました。
 この傾向は、今後も続くものと思われます。
  ※『日本経済新聞』2003年5月9日
  しかし、8%そこいらの空き室率は、地方の繁華街の空き店舗に比べれば、たいしたことはないですね。
 我が岐阜市のかつての夜の繁華街、柳ヶ瀬の空き店舗の目立ちようと言ったら、8%どころではありません。(威張ってどうする、(--;) 地方は絶望的な状況です。) 

 さて、暗い話はさておき、今度東京に宿泊するのは、5月29日の夜です。
 うまくいけば、6月1日の「日記」ページには、六本木ヒルズから撮影した東京湾に昇る朝日の写真が掲載できる予定です。
 
 乞うご期待。(というほどのものではないか。(^.^) )



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