これは、明治時代に北海道を走った蒸気機関車、弁慶号の模型です。
ヤッフー・オークションで、3800円で入手しました。
日本史の教科書には、明治時代の北海道開拓に関しては、あまり多くの記述を割いていません。
「政府は北方を開発するため、1869(明治2)年、蝦夷地を北海道と改称して開拓史をおき、アメリカ式の大農場制度・畜産技術の移植をはかり、クラークを招いて1876(明治9)年には札幌農学校を開校した。また、1874(明治7)年には士族授産の意味もあって屯田兵制度を設けて開拓とあわせて北のロシアに対する備えとした。」
※石井進他著『詳説日本史』(山川出版2002年教科書センター用見本P235
この教科書も含めて、どこの教科書にも、「弁慶号」のべの字もありません。
したがって、教科書的な内容を教えるのには、この模型は必要ありません。
しかし、だからといって、「弁慶号」という蒸気機関車が、マイナーな存在というわけではないのです。
インターネットで、弁慶号を検索してみました。2003年3月時点で、次の遊園地やレジャー施設には、弁慶号という名前の、蒸気機関車型の乗り物があります。(本物の蒸気機関を動力にしている場合はほとんどありませんが・・・。)
東京都青梅市の青梅鉄道公園
鳥取県日野郡溝口町のおにっ子ランド
岐阜県関ヶ原町の関ヶ原メナードランド(廃園になったとか)
京都府の日本三景天橋立ビューランド
千葉県君津市のロマンの森共和国
北海道函館市の梁川交通公園
山梨県河口湖のドギーパーク
宮城県仙台市のハイランド遊園地
高知県馬路村の魚梁瀬丸山公園
岡山県倉敷市のチボリ公園(これは世界一遅いジェットコースターの名前になっています。なんでも最高時速16qのコースターだそうです。)
新潟県上越市の上越国際プレイランド
沖縄県のメキシコサボテン公園
北海道小樽市の交通博物館
愛媛県総合科学博物館には蒸気機関の仕組みを学ぶ機関車の模型があって、それが弁慶号です。
蒸気機関車以外にも弁慶号の名前は使われています。
小松市消防署の消防車のひとつには、「弁慶号」の名前が付けられています。
岩手県北上市川岸1-2-30 岩手県交通株式会社のボンネット型バスの名前も「弁慶号」です。
香川県屋島(源平の戦いで有名な屋島)へ昇る琴平電鉄のケーブルカーの名前は、弁慶号と義経号です。
もちろん各社の模型にも登場します。
トミーのプラレールには、昔、弁慶号というのがありました。1998年には復刻版が発売されました。
科学教材株式会社からは、本物の蒸気機関で動く弁慶号が発売されています。組立キットで価格4,500円、消費税225円、荷造送料800円です。別売の固形燃料10本入りは、600円です。
これだけ有名な弁慶号とは何なのでしょうか?
日本最初の鉄道は、1872(明治5)年に東京の新橋と横浜間に開通しました。この時の蒸気機関車は、イギリス製でした。
北海道に初めて鉄道が敷かれたのは、1880年にのことです。開拓の中心に選ばれた札幌と小樽の手宮を結ぶ幌内鉄道です。ここでは、本土のイギリスやドイツ系の技術と違って、アメリカ人技師クロフォードの指導を受けたアメリカ式の技術が導入されました。
その結果、機関車は、アメリカのH.K.ポーター社からテンダー式機関車2両が輸入されました。1882年、1884年、1889年と各2両ずつ追加輸入され、この同型の合計8両がのち7100形と呼ばれました。
このうちの最初の2両が、「義経号」と「弁慶号」です。
さらに、その後の機関車には、「比羅夫」「光圀」「信広」「静」と名付けられました。(最後の2両は、なぜか名前なし。(--;))
動輪が3軸6個、優美な装飾の煙突カバー、仰々しいカウキャッチャー、石炭積載部分を分離したテンダー車という、本州のイギリス製とは異なるアメリカタイプの蒸気機関車が、しばらくの間、北海道の大地を走りました。
アメリカでは1869年に大陸横断鉄道を完成させますが、その時代の機関車が日本に輸入されたのです。
本来7100形の第1号は「義経号」なのですが、遊園地の蒸気機関車は、なぜか「弁慶号」が圧倒的です。思うに、これは、アメリカ型の優美兼力強いイメージが、かの強力男武蔵坊弁慶のイメージと重なって、多くの人々の頭の中にぴったしのネーミングと感じられたからではないでしょうか。
それにしても、この機関車に、「光圀」とはどういうこっちゃ。
今現在、義経号は、大阪の交通科学博物館に、弁慶号は東京の交通博物館に、そして静号は小樽の交通記念館に保存されています。
※アメリカの鉄道と貨物輸送については、→目から鱗:「世界の興味ある光景 アメリカの石炭と石炭輸送」 |