2003-1    

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043 2003年1月1日(水) 2003年の初めに 多神教・ネットワーク           メニューへ 

 2003年が始まりました。年の初めということで、それらしいものを書きます。
 未来航路も今年で3年目です。当初は毎日数人の方がアクセスする程度でしたが、おかげさまで今では、週に150前後のアクセス件数が記録されています。12月の「中里村雪国はつらいよ条例」事件では、大騒ぎが巻き起こりましたが、結果的に、たくさんの方に見ていただけるきっかけとなりました。

 さて、これからです。
 「教育」という私の本業をテーマとしたサイトであることは、今後も変わりません。
自分では、「よく分かる楽しい授業の素材」の紹介と、教員としての在り方・考え方について意見を述べることがメインと思っています。

 「それにしては、いろいろな所へ話が行く」と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、そこはそこ、地歴公民科(社会科)の教師の特性故と弁解を述べます。
 私の教科は、世の中で起こっているどんなことを取り上げても、脱線ではなく、それが授業としてちゃんと成り立ってしまいます。東京へ出張して夜の新宿・渋谷探検をしたとしても、それは「現代日本のフーゾク」の研究の取材ですのじゃ。(^_^)
 この辺が、数学の先生とは違う所です。

 これからも、適当に深く、そして広く、予想外の展開も含めて、いろいろ書いていきたいと思っております。

 とりあえず、すぐに書いていきたいもので、大きなテーマのものは、

  • バブル経済(これは今掲載中)

  • 認知心理学に基づく授業

  • 9月11日WTC事件とその後

といった所です。
 
 クイズ等に関しては、現場にいた時の実践を順次紹介しているのですが、どうしても、今自分が興味を持っていて、新しく本を読んだりしたものが中心となっていきます。
 新年早々で何ですが、最近は、例の「イージス艦きりしま」の出港以来、軍隊に関する本ばかりが目にとまり、先々週から今週にかけて、平義克己著『
我 敵艦ニ突入ス』(扶桑社)、工藤雪枝『特攻へのレクイエム』(中央公論新社)、半藤一利著『遠い島ガダルカナル』(PHP研究所)、福井晴敏著『終戦のローレライ』(講談社)といった、極めて特殊な分野の本ばかり読んでしまいました。

 したがって、今週末からしばらくは、ちょっと暗い重いクイズ(話題)が続くことになります。

 但し、これは、バブルやWTC事件と無関係ではないと思っています。
 「これから自分がどう生きようか、生徒達にどういう航路を指し示そうか」と悩んだ時、やはり、自分が生まれ育った国日本の、本質的な部分に目がいってしまうのは、仕方がないことなのかもしれません。

 元日の朝日新聞は、「年の初めに考える 『千と千尋』の精神で」を社説として掲載しました。朝日新聞は、私が職場で担当している学力問題においては、最近その方向性が異常に批判的で、個人的にはあまり読みたくない新聞になっていましたが、この社説は、なかなか納得のいくものでした。
長くなりますが、一部を引用します。
 ※『朝日新聞』(2003年1月1日2面社説)

  •  この地球上にも、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない。それが「千と千尋」に込められたメッセージだったのではないか。
     「文明の対立」が語られている。背景にあるのは、イスラム、ユダヤ、キリスト教など、神の絶対性を前提とする一神教の対立だ。「金王朝」をあがめる北朝鮮もまた、一神教に近い。
     今世界に必要なのは、すべて森や山には神が宿るという原初的な多神教の思想である。そう唱えているのは、哲学者の梅原猛さんだ。
     古来、多神教の歴史を持つ日本人は、明治以降、いわば一神教の国を作ろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそが新たな「八百万の神」の精神を発揮すべきではないか。
     厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年に当たり、私たちが心すべきことはそれである。

 

傾聴すべき意見と思います。

  宗教のことをいうと、「国粋主義」・「右翼」とかと誤解される方もあるかもしれませんので、念のために補足します。これは、そういう視点での論説ではありません。赤字で書いた所は、はっきり書けば、「天皇制イデオロギー」です。それは否定した意見です。
 
 この論説の基調となる考え方については、私はすでに、「正月の意味」とか、クイズ「靖国神社について」、「昭和時代前半の日本は何だったのか」などで、断片的に同じ考えを示してきました。

 青い部分の考え方は、国家と国家という関係においてだけではなく、ほかの関係においても「転移」できるものです。
 心理学者のかの有名な河合隼雄氏は、その著『日本人の心の行方』(岩波書店1998年 P220)で、個人の生き方として同じ発想を提唱しています。

  •  アイデンティティは「同一性」と訳されるように「一」ということが必須と考えられる。「多」では困るというのが常識である。多重人格の人には誰も驚かされるし、あるいは、私と同じ人物があちこちに居たりすると大変なことになる。しかし、「一」にこだわりすぎて、あまりにも窮屈になっているという感じがする。先に紹介したデイヴィツド・ミラーは、彼の『新しい多神論』の日本語版の序に次のように述べている。
     「科学技術の出現と新しい黄金時代の到来とともに、新しい、そして人を窒息させる一神論という大きな危険が存在しています。科学技術は西洋の一神論というゆりかごの中で生まれました。そしてそれは、発達するにつれてどんどんと階層的構造をとるようになり、複雑な問題を解決する際に、唯一の答えを求めようとするのです。キリスト教の一神論的な神と、現代社会におけるコンピューターの一神論とは密接に結びついています。黄金時代に終わりが来ることと関連した恐れや不安に伴って、人々は、今やこの新しい、息詰まるような一方向的思考の形式に、とりわけやられてしまいやすくなっているのです」。
     たとえば、日本人全体がそのアィデンティティを「右肩上がりの経済成長」という一方向的思考に縛られてしまっていると、現代はまったくの閉塞状況ということになる。しかし、そんな単純な考をなぜするのだろう。ともかく数字で表わせるものを大切にし、その「成長」をはかる。それが「唯一の答え」になってしまう。西洋近代をプロモートしてきた一神論的思考(もちろん、これは一神教と同じではない)に、日本人は縛られすぎたのではないか。このあたりで、多神論的な多様性に気づかねばならない。
     このような状況を破っていくこととして、「ネットワーク・アイデンティティ」ということを考えている。私という人間は唯一の存在である。しかし、それを支え、根づかせるものとして「唯一」のものを探そうとしない。「私」を支えるものは「ネットワーク」である。というと、私が家族とか友人とかの関係によって支えられることか、と思う人があろうが、それは間違いである。それは最初に述べたように、その人との関係の喪失によってアィデンティティが崩れ去るものである。ここに述べている「ネットワーク」は自分の心のなかにもつものである。
     これまでに述べてきた宗教的な用語を用いるならば、「私」を支えるものを「存在者」ではなく「存在」と考えるのだ。そして、「存在」はネットワークそのものだ。すべてが複雑にからみ合っている。それは多であって一である。

 これは難しい提案です。河合先生自身、ネットワーク・アイデンティティは、「私自身にとっては生きる実感と結びついたものである。しかし、その理論的な検討という点においては未だ不十分なものであることを認めざるを得ない。」といっておられます。

 いろいろ考えていく方向の一つであることは間違いないと思っています。  


044 2003年1月5日(日) 豪雪 白川村                      メニューへ

 さて、明日6日から仕事始めです。
 教育関係の仕事に就く私たちは、人事異動等も含めて4月こそが年度の変わり目という意識が強いので、1月=年の初めという意識は、それほどでもありません。まあ、それでも、年神さんから新しいエネルギーをもらって、今年1年ガンバローという気持ちは一応持ちます。
 
 明日の仕事始めは、悲惨な日になりそうです。
 今現在岐阜地方に大雪警報が出ていて、明6日朝は、私たちの住む岐阜県美濃地方の平野部でも、30pほどの積雪になると、天気予報が元気(?)に言っています。
 天気予報にもいろいろあって、時々聞いていて、「これ、自信なさそー」とか感じる天気予報もありますが、今日のはそうではありません。地域別に、○○は50p、○○は30pとか、まあ自信たっぷりな予報です。

 その証拠に、5日18時現在、すでの我が家の庭は8pほどの積雪です。

 実は、きょう5日早朝から、私はすでに豪雪と格闘してきました。
 昨4日から、岐阜県大野郡白川村へ1泊の旅行に出かけました。
 1998年に参加した筑波の国立教育会館学校教育研修所の研修参加者の同窓会を、私が幹事として開催することになり、「秘境 冬の合掌村白川郷」と銘打って、冬の白川村で宴会を開いたのです。

 投宿した白川村平瀬の旅館「白山館」のご主人はなかなか大胆な方で、前日の3日に、
「明日雪が降るって話ですけど、大丈夫でしょうか」と電話すると、
「なに、だいじょうぶ、だいじょうぶ。スタッドレスタイヤはいてりゃOK、OK。」とのことでした。

 おいしいご馳走をたらふく食べ、話もはずんで、いつの間にか深夜。

 1月4日夕刻 雪の白川郷。この時点での積雪は、20〜40p。

 1月5日朝 大活躍中のロータリー除雪車。積雪約1メートル。


 外も見ると、雪が津々と降っています。岐阜の平野部で見るぼた雪とは違って、まるで雨の降るが如く細い雪が降り続いています。ちょっと心配して女将さんに聞いてみました。

「このまま降り続くと明日の朝はどのくらいになりますか?」
「そうですね、50pぐらいはいくでしょうか。」「えっ、50p」
「まあ、ようこんな日にいらっしゃった。帰れんかもしれませんよ。」(そんなこといったって、ご主人が心配ないっていったから・・・・。ぶつぶつ)
 
 起きてみたら、女将さんの予想通り、新しい雪が50p以上積もっています。予想はしていたもののびっくり仰天。

 まずは、駐車場にある車の「発掘」、雪落としに30分。
 白川村から荘川村の東海北陸自動車道路荘川インターに行くまでの道は、一応除雪は済んでいるものの、除雪の幅は1車線分しかなく、しかも降り続く雪で前が見えなくて時速20qの安全運転です。
 同乗者も緊張して、無駄なおしゃべりはありません。
 
 荘川インターに入る手前で、大型トラックとすれ違うため道路脇によけたら、そのまま雪だまりに乗り上げて動けなくなりました。
 同乗の友人5人が押しても、なんともなりません。
「Mさん、この車って、4WDとちゃう。」

 へへ、車がレンタカーのエスティマであることを忘れていました。スイッチ切り替えてバックすると、さすが4WD、難なく脱出です。

 宿を出て1時間以上走ってようやく荘川インター到着です。高速道路は幸いに閉鎖されていません。これでやれやれと思いました。

 ところが、これからがまた一苦労。

 吹雪の東海北陸自動車道路。前の車がかすかに見えます。ワイパーはほとんどアイスキャンディー状態。


 料金所を過ぎる頃からしばらくのあいだが最悪でした。通算積雪量は1メートル近く。吹雪、視界10メートル以下、路面か横の雪の壁か全くの判別不能。

 高速道路を時速20q以下の低速運転です。同乗者も必死です。みんなで窓あけて、見張りです。
「あぶないあぶない、左よりすぎ。」「右、雪の壁」とか大騒ぎです。

 それでも、進路が保てず、10分あまり進んで、ついに、壁面の雪に車を潜らせて停車。またもや4WDの威力で脱出できましたが、ヒヤヒヤです。
 事実、それから高鷲インターまでの間に、我々と同じように雪の壁に「刺さってしまって」リタイヤした車が何台も見受けられました。エスティマでよかった。(^_^)

 出発して6時間後の午後2時過ぎにやっと我が家に到着しました。
 午後4時頃、白山館のご主人から電話です。
「白山館ですけど、無事着いた?あのあとすぐ高速道路も、閉鎖されちゃいました。」
 あぶなかった。
 
 明日の朝は、出勤時の積雪渋滞との戦いです。  
 


045 2003年1月6日(月) 雪の朝                               メニューへ

白川村で一晩を過ごした友人から早速
 白川村展望台で。

メールが来ました。
 ちゃんと白川村の展望台で撮影した写真が貼付されていました。
 
 奈良のM先生、京都のI先生、山口のF先生、おっとシャッター押していて映っていない(-.-)群馬のM先生、それから、葬式を済ませてあとで単独で駆けつけた愛知のS先生、ご苦労様でした。
 皆さん、ちゃんと帰宅できたでしょうか?

 白山館の女将さん(HPの案内には、美人女将と書いてあった。少なくとも若いころは充分誇大広告ではなかったと思われます。失礼。)の話を思い出しました。

「女将さん、東海北陸自動車道路が富山県の方から白川までつながりましたが、お客は増えましたか」
「合掌造りの荻町集落は、まあそりゃ、みんな金儲けできるチャンスがめぐってきて、目が小判色、喜んでいますよ。」
「以前に来たときより、土産物屋さんとか増えた気がします。」
「増えた、増えた、つい10年前まで物置みたいな建物だったところが、土産物屋さんになった。」
「へー、じゃ、清見インターと白川インターが結びついて、自動車道路が全線開通したら、もっと観光客が来ますね。」
「う〜ん、来るけど、昼ご飯だけ食べてまたバスに乗っていってしまうかもしれない。少なくとも、ここの平瀬温泉は、人が減りますよ。」

 平瀬温泉は、白川村と荘川村の中間にあります。岐阜方面から白川村まで来た観光客は、また北陸かどこかへ行ってしまうという危惧です。気の毒ですが、そんな気がします。
 平瀬温泉は平家落人伝説の秘境の湯です。そんな風情を理解する人がいて欲しいものです。
 
 道路というのは、観光地にとっては諸刃の剣であることがわかりました。

 話変わって、今日の朝は、やはり雪の朝になりました。
 しかし、昨晩夜半以降は積雪はひどくなく、岐阜市内は、20pを少し越える程度の雪で済みました。通勤にはいつもの倍以上の1時間もかかりましたが、カメラを持ってでたおかげで、下の写真を撮ることができました。  


 雪の朝もいいものです。

 金華山(一番高い鉄塔の左下の頂が岐阜城)からつながる丘陵から登る朝日です。手前は、積雪の水田の上に霧が立ち上っていて幻想的な写真になりました。コントラストをちょっと強くしてあります。北方町親水公園北からの撮影です。



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